1—3:スイーツとごちそうは常に別腹
アナスタシア嬢と別れて、わたしは自分の下宿に帰った。
明日は休講日だ。これから計画を考えて、朝イチで動き出せるようにしよう。
今日もいい匂いがするなと、鼻をひくひくさせながら下宿の共同玄関をくぐると、寮母であるヌール夫人の声が出迎えてくれた。
「お帰りティカ。遅かったじゃないか」
「ただいま戻りました。じつはおやつをおごってもらいまして」
「ほほう、ナンパされたのかい?」
「女の子にですけど、ね。都生まれ都育ちのお嬢さまだから、すごく気前よくって。フォーシーズンズでごちそうになっちゃいました」
「あらあ、むしろよくこんなに早く帰ってこられたね。講義が引けてからじゃ、行列してるだろうに」
……おっと、口が軽すぎた。
魔術師範学校は名家のご令嬢ご令息だらけとはいえ、繁盛店に待ちなしで個室の案内をされるほどとなると、さすがに身分がかぎられるか。
「だからちょっと早く行ったんです。今日は六限めと七限めに出なきゃいけない講義なかったんで」
これは半分うそじゃない。実際は六限め終わる時間まで図書館にいたけど。
「もうじき夕飯だよ、ちゃんと入るかい?」
「ご心配なく、おかみさんのお料理なら一度に二食ぶんまでは余裕です」
制服から着替えるために、ひとまず自分の部屋へ。
古くて狭い、バスルームとトイレは共用の物件だけど、家賃が安くて師範学校のすぐ近くだし、ヌール夫人の料理が美味しいと評判なので競争率は高い。
わたしは表向き特待生となっているが、実質は連邦政府による強制収容なので、優先的にヌール夫人預かりということになった。
ヌール夫人は強力な火魔術の使い手だ。いまでこそ料理にしか活用していないけど、かつては「焔の女帝」の異名をとる連邦軍のエースだった。
旦那さまも軍人さんで、退役後に夫婦で学生寮の運営をはじめたのも、優秀な人材を社会へ送り出したいという祖国愛ゆえのことだそうな。
ヌール大佐は五年前に亡くなり、夫人はふた棟あった物件のうち、男子寮は閉め、女子寮を残して切り盛りをつづけている。
たぶん、ヌール夫人はわたしの身の安全にも責任を負っているだろう。
執政院首班であるロン・ドゥレーゼン閣下の娘さんから相談を受けて、探偵まがいのことをしようとしてるとか知られたら、すぐに当局が事情を把握してしまう。
ルミナスフィア王国そのものを疑ってかからないようにという、アナスタシア嬢の意向をまずは尊重しなければ。
実際のとこ、魅了術が使われたとは思ってないですけどね。
サンディアル殿下がエルミーラ嬢とほんとうに接触しているかどうかだけ、調べるつもりだ。
制服を脱いで楽な格好に着替え、食堂へ戻るべく自室のドアを開けたら、完全にシンクロしたタイミングで向かいも開いた。
「お、ティカ、明日ひま?」
「ごめん、さっき予定できた」
わたしの回答に、リリベル=ウィンスクがぷぅ、とふくれる。
こっちのさえない灰色とは大ちがいの、見事なハニーブロンドをたいていポニーテールにしていて、眼は蒼いきれいな子だ。
風魔術の天才で、地元最速の名をほしいままにしていたという。
魔術師範学校の推薦状を受け取るまではよかったが、都会では飛行術が禁止されているので、休みの日しか天翔ることを許されない。平日は常に欲求不満を抱えている弾丸娘だ。
ちなみにリリベルの出身地はレッドフレイム。四大のエレメントを冠する各国と個人の資質に直接の関係はない。
いちおう、元素術者の場合は、それぞれの地域の属性の発現率が有意に高くなるそうであるが。
うしろ手に自分の部屋のドアを閉めたリリベルが、こっちに詰め寄ってきた。
「なんや、うちをさしおいて男でもできたん?」
「どうしておかみさんと同じこというかな。わたしに殿がたは寄ってこないよ。ベルこそ、かたっぱしから袖にしてるだけで、彼氏がほしいならいますぐにでもできるでしょ」
「うちはな、うちより速い男を探しにきたんや。音速以下はお呼びでないわ」
「……あ、そう。とりあえず食堂いこ」
「せやな」
リリベルは見た目は最高だから、男性が向こうからひっきりなしに声をかけてくる。リリベルは相手が飛行術者かどうかを問いただし、ちがったらその場でお断り、該当者は休日に郊外へ呼び出して、べつの意味でぶっちぎっていた。
入学当初から一ヶ月、ずっとである。わたしは入寮日の時点で、地方出身者どうしのよしみもあってリリベルと仲良くなっていたから、「彼氏選抜試験」にも用事がないときはつき合っていた。明日、また何人かと競争するつもりなのだろう。
ふたりで食堂に顔を出すと、まだだれもいなかった。でもすぐにみんな集まってくるはずだ。
ヌール夫人はもと軍人さんだから、規律には厳しい。
夕食不要の届けをせずに事故以外で無断欠席すれば、怒られるのではなく即退寮だ。そんなふとどき者はこれまで出てないそうだけど。こんな美味しいご飯をすっぽかすなんてありえないからね。
配膳係を志願して、リリベルといっしょに食器の準備をする。
研究が忙しいのか、三年生の四人と二年生の三人が不要届けを出している。寮生は全部で21人いるから、ヌール夫人を合わせて今夜は15人ぶんか。
お皿を並べていたら、表からあわただしくふたり帰ってきた。三年生だ。
『遅くなりました!』
「あと五分、さっさと着替えておいで」
『はーい!』
ヌール夫人の声を受けて先輩たちが奥に引っ込むのと入れ替わりに、寮生のみんなが食堂に集まってきた。配膳の手も増えて、あっという間に準備は終わり。
お料理を受け取ろうかと思ったら、
「はいはい、あんたたちじゃひっくり返しかねないよ」
と、たくましい腕に大鍋を抱えてヌール夫人が出てきた。濃厚な豆スープが入っている。美味しそう。
スープボールによそってはリレーしてたら、おつぎは大釜に入ったビリヤニがカウンターテーブルにおかれた。長米の炊き込みご飯だ。具はスパイスの利いたマトンかな。
さらにズッキーニ、トマト、レタス、ひよこ豆、ルッコラ、などなどが入ったサラダ。
そしてメインはマスグーフだった。香味づけされた巨大コイの丸ごとグリル。
テーブルひとつにつき一尾の半身が大皿に載って提供される。つまり大物を二尾も同時に焼き上げたというわけか。「焔の女帝」の名は伊達じゃない。
「うわ……すご」
「これ、今日食べられなかった組かわいそうじゃん」
ぎりぎりに飛び込んできた、三年生おふたりが歎息した。いやほんと、帰れてない先輩たちかわいそ。
「いい魚が市場に出てたからね。こればっかりはタイミングさ」
とヌール夫人。いまは欠かさず夕飯に出席できるけど、二年生三年生になったら、ごちそうを逃す可能性があるのかあ。時間をとられるゼミや研究室は選択しないようにしよう。
食堂の席はヌール夫人が指定する。今夜は夫人含めて15人だから、四人卓がみっつに三人卓がひとつ。
わたしはヌール夫人と、二年生のメルモーズ先輩と相席だった。メルモーズ先輩はファーストネームがたしかシャルロット、ミドルネームがあって、ファミリーネームにも冠詞つきの、やんごとないご身分のかただ。
いずれにせよ、ヌール夫人がわたしを三人卓に指名した理由はわかっております。……食べますよ。
「われらが食卓を今日も満たしたもうた女神プニエーレよ、地母神クレステアよ、河神リュミア、太洋神ネプテュニカよ、感謝を捧げます」
『感謝を捧げます』
「じゃ、いただきましょう」
『いただきます!!』
ヌール夫人の音頭で簡単なお祈りをすませ、食事がはじまった。
――うまい! 濃密でありながら舌に絡みすぎない豆スープと、トマトとズッキーニの酸味を活かしてドレッシングはノンオイルのヘルシーなサラダもさることながら、マトンがほろほろな上にナツメグとクミンが利いて、カシューナッツの甘みがアクセントになっているビリヤニの絶品なこと。
そしてなによりもマスグーフ! ほどよく淡泊な身が香ばしく焼き上がっていて、いくらでも食べられそう。
ホワイトエアでは鮭鱒が名物なんだけど、うちの実家はド山奥だから、魚料理とは縁がなかった。たまーに干物を食べるくらい。
首都に出てきてから一ヶ月たたずして、わたしはもうお魚大好きになってしまった。ヌール夫人が特別料理上手ってのもあるにせよ。
いやしかし、これは……。
「おかみさん、白いご飯ない?」
「ティカ、あんたはそういうと思った。白飯ほしい子、ほかにいるかい?」
『はいはーい!』
複数のテーブルから、全部で七本手があがった。リリベルも威勢よく手を振っている。
キッチンへ向かうヌール夫人について行き、ビリヤニの大釜よりふたまわり小さいお釜で炊き上がっていたご飯を受け取る。こっちは長くない、短径米。
希望者によそってまわって、お釜に三割ほど残ったぶんを、ヌール夫人と半分こに。
もちろんヌール夫人も、パワフルな見た目を裏切らず、よく食べる人だ。まあ、わたしがちびで平たいくせに食いすぎるだけという説もある。
ライスを食べる習慣って実家にいたころはなかったんだけど、混ぜご飯や炒めご飯が美味しいのはさておき、白いご飯と合う料理が多すぎてほんとにおどろき。これまでの人生六割くらい損してた気がする。
ああ、マスグーフでご飯が進む。
デザートはヨーグルトの蜂蜜がけとイチジクだった。スパイスの利いたお料理のあとにはさっぱりとしてまた格別。
ちなみに、これだけ美味しい食事が出るんじゃ、ヌール夫人の寮生は三年間でさぞやふくよかになるのでは……と思いきや、そうでもない。
体重や腹囲が一定以上になったら、ヌール夫人が直々にブートキャンプで絞ってくれるそうだ。
鍛えられすぎて進路が連邦軍勤務に変わっちゃった人もいるんだって。




