問いの答え
九月一日、水曜日。
放課後――一号館三階、二年一組の教室前にて。
遙香さんを除いた恋愛反対運動のメンバーは、絶対のピンチを迎えていた。
風紀委員全員に追いかけられ、署名が済んだ署名用紙を奪われそうになるというピンチを。
こうなった経緯を説明しよう。
いつもどおり、ぼくらは恋愛反対運動の一環として、署名運動を行っていた。
しかし、それに邪魔が入った。
風紀委員会だ。
とうとう風紀委員会は本気を出したのか、恋愛反対運動対策委員会の詩織さんや亜門だけじゃなく、今回は風紀委員会総出だった。
もちろん、その中には風紀委員長の信茂先輩もいた。
徹は前も後ろも風紀委員がいる絶体絶命の状況を見て、「くっ……もはや、これまでか」と言ったあと、すべてを諦めたようにガクリとうなだれた。
そんな徹を鼓舞するのは、敵方に捕らえられた環奈と茜だった。
「そんな落城間近の戦国大名みたいなことを言っていないで、早く逃げてったら、二人とも。
――というか、こんなときに遙香は一体何をしているというの……?」
「絶対の絶対の絶対、署名用紙を風紀委員会に渡しちゃだめだからね、翔くん。二人とも、がんばれ!」
茜の言葉を聞き、ぼくは両手で持っていた五十枚ほどの署名用紙を固く握りしめた。
そして、ぼくは色々と決めた。
ええい、構うものか。
「……ごめん、みんな。ぼく、好きな人がいるんだ。だから今、してくる」
あっけにとられる仲間たち。
ざわつく風紀委員。
ぼくは階段がある方向にいる亜門に、すべての署名用紙を押し付けるようにして渡した。
口をあんぐりと開ける亜門。
そんな彼に向かって、ぼくは言ってやった。
「これ、通行料金」
「……ARCを裏切るんですか? それがあなたの本心ですか?」
「あぁ、そうだ」
「……自分にウソはついていないですか?」
ほんの少し、ぼくは亜門の言葉に動揺する。
だけど――。
「だって、ぼくの好きな人は恋愛反対運動のことが大嫌いなんだ。
だったら、こうするのが一番なんだ。一番なんだよ、亜門」
とぼくは言うなり、亜門の横をすり抜け、そのまま階段を目指して走った。
彼女がいる場所、それは屋上に違いない。
なぜだか、そのようにぼくは確信していた。
「何をしてくるんだ、翔……翔~!」
恨んだような徹の絶叫が聞こえるが、ぼくは無視。
そのまま、階段で屋上に向かった。
まだ暑さというものが消えぬ秋の太陽の光を浴びに……遙香さんに会いに行くため、遙香さんに告白をするため。
ぼくは屋上に向かった。
ぼくの予想は当たり、屋上フェンス前に遙香さんは立っていた。
屋上からの景色でも眺めているのだろうか。
ぼくは深呼吸をしてから、彼女のそばに近寄った。
「やあ、遙香さん。恋愛反対運動をさぼって、一体何をしているんだい?」
遙香さんは後ろを振り返ると、ぼくを見て目を丸くする。
「あれ? 翔くん、元気そうだね。
てっきりわたし、風紀委員会に署名用紙が奪われて……ううん、なんでもない」
遙香さんはあははと笑い声を上げる。
ぼくは苦笑したのち、自分もまた笑い声を上げた。
だが、すぐにぼくは笑うのをやめた。
ぼくは遙香さんを真剣に見つめる。
直後、遙香さんは緊張したような表情になる。
もう後戻りはできない。
ならば、あとはするだけ……!
ぼくは裏返った声で、
「ぼく、遙香さんのことが好きだ。初めて会ったときから、好きだった。
恋愛反対運動とは決別した。だから……ぼくと付き合ってください」
と初めての告白を遙香さんにした。
真剣と緊張のにらみあい。
やがて、遙香さんは重たそうに口を開いた。
「見直したよ、翔くん。少なくとも、きみはわたしよりもずっと大人だね。あの子にウソをつき続けてきたわたしよりも、ずっと大人。うん、だからね、わたしも翔くんを見習って自分にウソはつかない」
「えっと、つまり?」
せっかちなぼくは遙香さんを急かした。
すると、遙香さんはニコッと笑った。
笑った。
「わたし、恋愛反対運動をする翔くんのことは好きじゃない。……でもね、翔くんが恋愛反対運動をやめたのなら、交際するのは全然いいよ。むしろ、交際させてください。
わたし、恋愛反対運動をやめた正直な翔くんのこと、好きだな」
今度はぼくが目を丸くする番だった。
愛おしい。
遙香さんのことが愛おしい。
だったら――。
そのとき、あわてたように遙香さんが言葉を付け加えた。
「キスはダメ! だってわたしたち、前にキスしたでしょう? だからね、ダメ」
大浦翔、天国から地獄へ。
ぼくはもだえた。
が、すぐに正気に戻り、ぼくは遙香さんに無理やりキスしたときのことを謝った。
遙香さんは苦笑し、それから「大丈夫、もう怒っていないよ」とぼくに抱きついた。
と思えば、急に遙香さんはぼくから離れ、「いけない! わたし、もう帰らないと」と言い、あたふたとスクールバッグを肩にかけ、さよならも言わずに屋上から出て行った。
忙しい人だ。
……さて。
あともうひとつ、ぼくにはやるべきことがある。
ぼくはスラックスのポケットからスマートフォンを取り出すと、そのまま姉に電話をかけた。
今頃、姉は大学の講義が終わって、家でまったり過ごしているはずだ。
呼び出し音のあと、姉は電話に出た。
「ハロー、翔。どうかした?」
早速、ぼくは本題に入った。
「青春とは何か。前に姉さん、そうぼくに問いを出したよね。
タイムリミットはオーバーしちゃったけど……でも、ぼくなりの答えを思い付いたよ」
「……それは何?」
「涙の流星群」
姉は息を呑んだ。
ぼくは話を続けた。
「青春を味わうものには、涙が流星群のようにいくつも流れる。だから青春とは、涙の流星群」
「……成長したね、翔。今のあんたは、あたしよりもずっと大人だよ」
気のせいか、さっき誰かから聞いたような言葉だった。
その後、姉は「あたしの負けだよ、翔」と負けを認めた。
「あんたの答え、すばらしかった。最高だった。感動した」
気付けば、姉は涙声だった。
それからしばらくして、ぼくは姉との電話を終わらせた。
そのとき、背後からぼくを呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り返ると、それは小沢先生だった。
その手には懐かしのトランジスタメガホンが握られていた。
すると、小沢先生はメガホンをぼくに渡してきた。
「あ、どうも」
ぼくはぺこりと頭を下げ、メガホンを受け取る。
そこでようやく、小沢先生は声を出した。
「いいか、大浦ぁ。それでまた妙なことをするんじゃないぞ。
もしもまた妙なことをしたら、貴様は……」
「……貴様は?」
そこで小沢先生は話すのをやめたかと思えば、無言できびすを返し、なんと屋上から立ち去ってしまった。
…………。
……え?
「ぼくがメガホンを使ったとき、ぼくは一体どうなるんですか?」
もちろん、それに答えてくれる者はいない。
恐ろしさのあまり、ぼくは身体を震わせた。
そんなとき、ぼくは手元のメガホンを見つめる。
すると、不思議と恐怖はなくなった。
……あぁ、そうだ。そうだった。
ぼくは恋愛反対運動のメンバー、大浦翔なのだ。
「自分にウソはつかない、か」
ぼくは屋上のフェンスに向き直った。
そのとき、心地よい風がぼくの頬をなでた。
ぼくは満足げにメガホンの電源ボタンを指で押し、メガホンのマイク部分に口元を寄せる。
……よし。
ぼくはメガホンの力を借り、下界にいる愚かで愉快な教職員や生徒たちに向けて……偉大なる空に向けて元気よく叫んだ。
ようやく自分が正直者になれたことを誇りながら、安心し。
元気よく、力強く、優しく。
叫んだ。
「恋愛反対! 恋愛反対!」
夏は終わった。
ならば、秋の始まりを祝うためにも、ぼくはメガホンで叫ばなければ。
終わった夏をねぎらうためにも、ぼくはメガホンで叫ばなければ。
だからぼくは叫ぶ。
性懲りもなく、叫ぶ。
叫ぶ。
「恋愛反対! 恋愛反対!」




