お断りします
夕方。
遙香さんは料理の手伝いで、母とともに夕食を作ることになった。
相変わらず、父はスマートフォンを手に持ち、ダイニングでサイゾウの生放送を大音量で視聴していて、なるほど、限られた会社の夏休みを怠惰に過ごしていた。
海堂さんは大浦家で夕食を摂るらしく、姉の部屋を堂々と利用し、そこで姉と過ごしているようだった。
で、ぼくと夏奈さんはというと――。
「ぼくの部屋、行こっか」
「お断りします」
このようにぼくらはリビングのソファに居座り、おしゃべりを続けていた。
「そっか、きみはぼくの部屋に行きたくないんだね。あんまりだよ、夏奈さん」
「ちっちっちっ……わたしを誰だと思っているの? わたしはきみの彼女さんのような安っぽい女じゃないの。お分かり?」
やめろ、遙香さんをディスるな、夏奈さん。
キッチンでハンバーグを作っていた遙香さんを恐る恐る見ると、彼女は笑顔でハンバーグの肉をこねていた。
その笑顔、どこまでも恐ろしいものだった。
遙香さんの笑顔を見た母は「そう、その笑顔! ハンバーグは愛で作るの。いい感じよ、遙香ちゃん」と何やら感激していた。
どうやら、きょうのハンバーグは“愛憎”の“憎”のほうになりそうだ。
ぼくは身震いした。
そのとき、夏奈さんのいぶかしむ声が聞こえた。
「翔くんったら、寒いの?」
ぼくは視線を夏奈さんに戻すと、親指を突き出した。
それを夏奈さんは不思議そうに見つめていたが、やがて「なんだかやけにうれしそうだね。そんなに遙香の料理が楽しみなのかな?」といやらしい笑顔を浮かべた。
「そ、そんなこと……」
「ん~?」
あった。
そんなこと、あった。
ぼくは両手を万歳し、降参した。
夏奈さんは得意げに笑うと、こちらの背中を何度も叩いた。
それも次第にやんだかと思えば、急に夏奈さんは元気をなくしてしまった。
ぼく? 当然、ぼくはあたふたとした。
「ご、ごめん。夏奈さんのこと、傷つけちゃった?」
すると夏奈さんは、
「違うの。違うんだって、翔くん。……わたしさ、今うれしいの」
と、にこやかにぼくの考えを否定した。
その後、彼女は赤裸々に告白した。
「わたし、実は家庭環境あまりよくないんだよね。
それは前からなんだけど、最近は特に酷くなっちゃってさ。……遙香のウソを暴くため、奈蔵市に引っ越したい、そうわたしが両親を説得してから、かな。
それからは本当に地獄。
常に暴言や暴力は存在するのに、会話や笑いは一切なし。
当然、学校のお弁当も作ってくれない。
うん、だからさ、両親がわたしのことを忘れても全然ショックじゃなかった。
でも、遙香の両親がわたしのことを忘れたのはショックだった。
でね、今ここで笑えるのがとても貴重に思えるんだ。
わたしはみんなと過ごした日々、ずっと忘れないよ」
強く、強く。
ぼくは拳を握りしめてから、夏奈さんにほほ笑みかけた。
「ぼくの部屋、行こっか」
「お断りします」
グハッ。
大浦翔、ノックアウト。




