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悲劇の名将・于禁の再評価 ——合理性と忠義の狭間で  作者: えいの
第2章 降伏の真意と合理性

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第2章 補論:なぜ于禁は自刃による助命交渉を選ばなかったのか

前節までにおいて、于禁が樊城の戦いで直面した絶望的な物理的状況と、彼が残存する数万の兵士の命を救うために徹底抗戦を放棄し、降伏という最も屈辱的な合理性を選んだ過程を論証した。しかし、ここで現代の我々、特に日本の歴史観に親しんだ者の視点から、一つの強烈な疑問が提起されるかもしれない。それは、「于禁はなぜ自刃し、己の首と引き換えに関羽に部下たちの助命を乞わなかったのか」という疑問である。

後世の日本における戦国時代などの価値観において、追い詰められた城主や軍の総大将が、自らの切腹と引き換えに城兵や部下の命を保証させるという行為は、美しくも責任感に満ちた武将の鑑として広く称揚されてきた。自身の名誉を守りつつ部下も救うことができるのであれば、于禁もまた総大将として自刃の道を選ぶべきであったのではないか。彼が生き延びて自ら関羽の軍門に降ったことこそが、やはり自己保身の証左ではないか、という批判である。

しかし、この批判は古代中国における戦争の現実と、当時の軍事的な力学を根底から見誤った、明らかな時代錯誤の産物であると言わざるを得ない。「将の死と引き換えに兵を救う」という契約は、中世以降の日本など特定の文化圏で醸成された独自の武士道的な死生観に基づくものであり、後漢末期の中国大陸においてそのような感傷的な取引が成立する余地は全く存在しなかった。于禁が自刃を避けたのは決して命を惜しんだからではなく、彼がその場で死んでしまえば、残された数万の部下たちが確実に関羽軍によって皆殺しにされるという、冷酷な軍事的現実を熟知していたからに他ならない。

古代中国の戦史において、指揮系統を失った大規模な降伏兵がどのような運命を辿るか。その最も凄惨な実例を、于禁は歴史の知識として、あるいは同時代の経験として痛いほど理解していた。その代表的な例が、かつて秦末の動乱において項羽が新安で行った、章邯の配下であった秦の降伏兵二十万人の生き埋め(虐殺)であり、また他ならぬ曹操自身が官渡の戦いの直後に行った、袁紹軍の降伏兵数万人の生き埋めである。

なぜ勝利者は、無抵抗となった降伏兵を大虐殺するのか。それは残酷な嗜虐心からではなく、軍事的な恐怖と兵站の限界による極めて冷徹な判断からである。数万という規模の敵兵を捕虜として生かしておくことは、勝利した側の軍隊にとって莫大な食糧負担となるだけでなく、もし彼らが徒党を組んで暴動を起こせば、軍営の内部から崩壊しかねないという巨大な時限爆弾を抱え込むことに等しい。特に、その降伏兵たちを強力に統率し、反乱を抑え込むことができる「元の指導者」が存在しない場合、数万の兵士は単なる統制の取れない不満分子の群れと見なされ、最も手っ取り早く安全な処理方法として「全滅(虐殺)」が選択されるのである。

この法則を樊城の戦いにおける于禁の状況に当てはめてみよう。泥海に浮かぶ高台において、もし総大将である于禁が自らの名誉のために自刃して果てたと仮定する。総司令官を失った数万の曹魏の兵士たちは、極限の飢えと恐怖の中で指揮系統を完全に喪失し、パニック状態に陥るか、あるいは自暴自棄になって暴発する危険性が極めて高くなる。関羽の立場からすれば、名将である于禁が死んで統制を失った数万の敵兵を、自軍の船に引き上げて養う義理も余裕も全くない。彼らが暴動を起こすリスクや、船を乗っ取られる危険を少しでも感じれば、関羽が取るべき最も安全かつ合理的な軍事行動は、船上から高台に向けて矢の雨を降らせ、あるいは水底に突き落として、数万の曹魏兵を一人残らず殲滅することであった。

つまり、于禁が部下の命を確実に関羽に保証させるためには、彼自身が「生きている」必要が絶対にあったのである。最高司令官である于禁が生存し、彼自身の口から全軍に対して「一切の抵抗を禁じ、武装を解除して関羽軍に帰順せよ」という厳命を下すこと。そして、曹魏の将兵が誰一人として反乱を起こさないよう、捕虜となった後も于禁自身がその圧倒的な威厳と規律をもって彼らを統制し続けること。この「総大将による確固たる統制と服従の保証」があって初めて、関羽は数万の曹魏兵を殺さず、労働力や将来の自軍の兵力として生かしたまま江陵へ移送するという判断を下すことができたのである。

もし于禁が自己の武名や名誉を少しでも重んじる人間であったなら、泥水の中で首を刎ねて死ぬことなど造作もないことであっただろう。死んでしまえば、その後の捕虜としての凄絶な屈辱も、祖国からの不忠の謗りも受けることはない。自刃とは、ある意味において自らの体面のみを守り、残された部下の運命や戦後の交渉という最も困難な責務を放棄する「将軍の逃亡」に他ならない。

于禁は、その逃亡を選ばなかった。三十年にわたって軍の法と規律を司り、部下たちに厳格な命令を下し続けてきた彼は、敗北という極限状況においてもなお、指導者としての最後の責任を放棄しなかったのである。彼は自らの命を対価として美しく散ることよりも、敵将への土下座という永遠の汚名を被ってでも生き延び、自らの権威を利用して部下たちを整然と降伏させ、一人でも多くの命を明日へ繋ぐという、最も泥臭く、最も苦痛に満ちた現実的な道を選んだ。

樊城の戦いにおける于禁の降伏は、己の命を惜しんだからでも、死の恐怖に屈したからでもない。将の死が部下の死を直結させるという古代中国の残酷な戦争の現実の中で、「自刃」という自己満足の選択肢を冷徹に排除し、指導者としての全責任を負って汚名を被ることを決断した、合理主義の極致であったと結論づけなければならないのである。


【引用文献・史料】

司馬遷撰『史記』項羽本紀(新安における秦兵二十万の穴埋め)

陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書第一 武帝紀(官渡における袁紹軍降兵の処断)

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