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悲劇の名将・于禁の再評価 ——合理性と忠義の狭間で  作者: えいの
第4章 現代の視点から見る于禁

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第1節 結果論で語られる歴史の残酷さ

歴史という書物は、常に後知恵という絶対的な高みから、過去の人間を裁断する冷酷な裁判官である。そこには、戦場の泥水の中で極限の選択を迫られた人間の血の通った葛藤や、息の詰まるような切実な事情は入り込む余地がない。歴史に刻まれ、後世へと語り継がれるのは、過程における理知的な判断や苦悩ではなく、ただ「勝ったか負けたか」「死んだか降伏したか」という、白黒に還元された劇的な結果のみである。前章までにおいて、于禁という将軍がいかに非の打ち所のない経歴を持ち、樊城における降伏がいかに抗いがたい天災と軍事的合理性に基づいた苦渋の決断であったかを論証してきた。しかし、本節において我々は、歴史の記録という行為そのものが内包する根源的な残酷さ、すなわち「敗者の合理的な決断は、歴史においては往々にして単なる命惜しさの言い訳や、道徳的な裏切りとして片付けられてしまう」という冷徹な事実に向き合わなければならない。

人間の生涯を評価する際、最も恐ろしい暴力となるのは「結果による過去の遡及的な改変」である。于禁が三十年の長きにわたって曹魏の中軍を支え、数多の激戦を潜り抜け、自らの旧友を斬ってまで法の厳格さを全軍に示してきたという前半生の輝かしい事実は、歴史上において全く疑いようのない真実であった。もし彼が樊城の戦い以前に、例えば袁紹との官渡の戦いや馬超との渭水の戦いの最中に陣没していれば、彼は疑いなく曹魏の最高の名将として、あるいは忠義と軍律の権化として後世の歴史書に不滅の金字塔を打ち立てていたであろう。

しかし、樊城におけるたった一度の「降伏」という結果が、彼の三十年間の真実を根底から覆してしまった。結果を知る同時代の人々や後世の歴史家は、その降伏という最終的な汚点から逆算して、于禁の過去の行動すべてに極めて悪意のある解釈を加え始めるのである。自らを厳しく律し、他者にも軍法を徹底した彼の態度は、「他人に厳しく自分に甘い偽善」へと容赦なく格下げされた。主君の法を遵守した冷徹さは、「人間としての情を解さない残酷さ」として非難の材料とされた。歴史の恐ろしさは、一つの失敗がその人間の現在と未来を破壊するだけでなく、その人間が命懸けで築き上げてきた過去の尊厳すらも完全に剥奪し、正反対の意味へと書き換えてしまう点にある。

この結果至上主義の歴史観において最も犠牲となるのは、于禁のように「責任を背負って生き延びた者」の合理性である。前章で述べた通り、于禁が残存する数万の部下の命を救うため、そして敵である関羽の補給線を内側から崩壊させるために降伏という最も屈辱的な手段を選んだのだとすれば、それは司令官としてこれ以上ないほど高度で自己犠牲的な軍事的判断であったと言える。しかし、歴史はそのような泥臭く計算高い「過程」を評価しない。歴史が愛好し、もてはやすのは、龐徳のように「自らの命を絶つことで国家への忠義を証明した」という、分かりやすく美しい「結果」だけである。

なぜなら、合理的な計算や極限の状況判断というものは、それを実行した本人の内面にしか存在せず、目に見えないからである。「天災によって武器を失い、戦う術がなかった」「三万の兵を無抵抗のまま犬死にさせるわけにはいかなかった」「関羽の兵糧を枯渇させる意図があった」といういかに正当な軍事的理由が存在しようとも、敗北した将軍がそれを口にすれば、勝者や安全な場所にいる体制側の人間からは「己の命を惜しんだ卑怯者の見苦しい弁明」として一蹴されてしまう。戦場において絶対的な物理的制約(水深数丈の泥海)があったという凄惨な真実は、豪華な宮廷で筆を握る歴史家や、結果だけを知る後世の読者にとっては、容易に想像できない対岸の火事に過ぎない。

さらに、歴史家と戦場の将軍との間には、「未来を知っているか否か」という決定的な非対称性が存在する。歴史を編纂する陳寿や、于禁を裁いた曹丕は、その後の歴史展開、すなわち「関羽が結果的に呉に討ち取られ、曹魏は危機を脱した」という結末をすでに知っている。完成された歴史の絵巻物を最後から眺める彼らにとって、于禁の降伏は単なる「不要な裏切り」に見えるかもしれない。しかし、濁流の高台に孤立した于禁にとって、未来は完全な暗闇であった。関羽がそのまま許都まで攻め上るかもしれない絶望の中で、彼は現在の部下の命を明日へ繋ぐための決断を下さなければならなかったのである。戦場の霧の中で下された苦渋の決断を、後知恵という澄み切った安全地帯から裁定することほど、歴史の傲慢にして残酷な行為はない。

そして極めつけの残酷さは、敗者には自らの行動を弁明する機会すら歴史的に与えられないという構造である。于禁は呉での過酷な捕虜生活を経て魏に帰国した後、自らの行動の真意を新皇帝である曹丕や朝廷の百官に説明することはできただろうか。否である。もし彼が「部下の命を救うためのやむを得ない降伏であった」と合理性を主張すれば、それは「魏という国家への絶対的な忠義(玉砕)よりも、現場の兵士の命や個人の判断を優先した」という自己肯定に繋がり、国家の至高性を真っ向から否定することになる。また、もし「あのような大洪水が相手ではいかなる将軍でも防げなかった」と事実を述べれば、それは「そこに布陣を命じた亡き曹操の判断ミスであった」という不敬に直結する。于禁が自らの軍事的合理性を語ることは、当時の政治的・道徳的構造において、一族の死罪を招きかねない絶対的なタブーであった。

したがって、于禁に残された道はただ一つ、全ての事情と言い分を己の腹の中に呑み込み、無能で臆病な裏切り者としての汚名を一身に引き受けて、黙って地に額をこすりつけることだけであった。彼は自らの決断の正当性を証明する手段を持たないまま、曹丕によって用意された陵墓の壁画という「視覚化された結果の暴力」の前に引き出され、ただの一言も反論することを許されずに、精神を完全に破壊されたのである。

歴史の記述は、常に勝者と体制の論理によってのみ紡がれる。体制を強固に維持するためには、敗北や降伏という「結果」に対しては、いかに理にかなった合理的な事情があろうとも、徹底的な道徳的非難を加えなければならない。そうしなければ、戦場における現場の判断が国家の命令を凌駕することになり、君主への絶対的服従という規律が瓦解してしまうからである。于禁の生涯が我々に突きつけるのは、歴史という書物が「過去の真実を公平に記録する鏡」などではなく、「現在の秩序を正当化するために、敗北した人間を消費する祭壇」であるという冷酷な事実である。

この祭壇の上では、総大将が自己犠牲によって数万の命を救ったという実利的な功績は、一滴の血ほどの価値も持たない。歴史という祭壇が貪欲に求めるのは、国家の理念に殉じて散ったという、美しく鮮血に染まった犠牲だけである。于禁は、部下たちの血をその不条理な祭壇に捧げることを拒絶した。その代償として、彼自身が歴史の祭壇に捧げられ、永遠に不忠の烙印を焼かれる最大の生贄となったのである。「結果論」という抗いがたい暴力の前に、人間の理知や現場の苦悩がいかに脆く無力であるか。樊城の戦いにおける于禁の悲劇は、単なる一軍の敗北にとどまらず、人間の合理性が歴史の冷酷さに敗北した決定的な瞬間として、現代に生きる我々に深い戦慄と教訓を与え続けている。


【引用文献・史料】

陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書第十七 張楽于張徐伝(于禁伝)

陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書第二 文帝紀(曹丕の事蹟)

司馬光撰『資治通鑑』魏紀

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