82 【紋】
出会いは、当たり前だが迷宮の中だ。
そのとき僕はマユズミの欲求不満解消のため、手頃な迷宮に潜っていた。ここでいう手頃とは攻略隊の方針が間引きに寄っていて、奥深くまであまり人が潜ってこない場所のことだ。
そこは薄ぼんやりした空の下、鬱蒼と生い茂る草花に埋め尽くされた迷宮だった。細い灌木があちこちに生え、その間に蔦が張り巡らされ、藪が盛り上がっている。見通しがまるで利かない、植物で構成された迷宮だった。
そんな場所に出る魔物と言えば獣や鳥、虫の類だろう。そこまで大型のものは見ない。せいぜいが普通の成人男性より一回り二回り大きいかといったところだ。マユズミもそれにならい、そのときは僕と同じくらいの大きさのカマキリのような姿を取っていた。
二本の鎌を振り回しながら翅による高速移動を見せる彼は、蔦の網をやすやすと切り裂いては縦横無尽に木々の合間を通り抜け、襲い来る魔物たちを喜々として迎え撃った。
その途中、僕らは魔物同士の争いを目撃した。
蛇と鳥の縄張り争いに見えた。おそらく、この迷宮の本質は植物にあって、その中にいる魔物たちは勝手に棲んでいるだけなのだろう。だから魔物同士、同種でもなければ特別仲間意識もなく、かち合えば普通に生きるため争っていた。と、後になって僕はそう考えた。そのときはあっという間にマユズミが乱入し、手当たり次第に蹴散らしていったため、考える暇さえなかった。
マユズミの暴れた後を探索すると、ひどい有様だった。マユズミのせいというよりも、それ以前の闘争がもたらした被害だろう。色とりどりの花が無惨にも地面に花弁を散らし、鳥の巣と思しき残骸があちこちに見えた。どうやら元は鳥の領域であったようだ。
魔物たちの死体を見れば蛇の中には不自然に胴体が膨らんでいるものもいた。卵か、雛か。生存競争においては当然の話だ。ましてや攻略隊の人間がとやかく言えることでもない。だが……
気になることがあった。
周囲の枝を見回した。無事な巣がないか。
枝の上にある巣もほとんどが荒らされていたが、一つだけ、手つかずのものがあった。
真っ白な卵が一つ、巣の中に残されている。
それを目にしたとき、ずっと考えていたことが脳裏に浮かんだ。
【継承】。
それは知識と力をそっくりそのまま次代に残すための魔術だ。次代との間に道を作りつなげ、一時的に同一個体となり、精神以外の全てを明け渡すもの。
応用できないか、と考えていた。
その、実験台となりうる存在を探していた。
……これが明らかになったとして、誰も僕を責めることはないだろう。そんなこと考えさえしないものの方がきっと多い。
わかっている。
だからこそ、誰一人口にするものがいなくとも、僕だけはこれを罪だと認識していなければならない。
僕は卵をそっとつまみ上げ、【雲】をまとわせ壊れないよう懐にしまい込んだ。
数日後、その卵は無事に孵った。
生まれ落ちた彼に僕はパレットと名付け、それを刻んた。
◇
それを起動する。
柔らかな羽毛の奥から、ほのかな光が漏れる。光は簡単な雲の形をした紋様を描いている。
「【紋】と名付けました。これを通じて僕と彼がつながる、そういう魔術です」
「……魔術」
ぽつん、とコハナがつぶやく。
嫌悪は聞き取れないが、わからない。少なくとも話を聞いてくれるのなら構わず続けよう。
「実際の効果自体は大したものじゃありません。魔力と一部魔術の共有くらいで、それだけなら普通に分け与えたり、教える方がよっぽど効率的です。この魔術の本質はそこではなく、術者と対象、彼我を一体のものであると認識させることにあります」
「認識って、誰に?」
「魔力に、です」
わずかに目が見開かれる。
内容に驚いたのか、魔力を主体的なものであると扱う僕に驚いたのか。魔力汚染者ならぬ彼女には感覚的にわかりづらい話だろう。
魔力は意思に反応する。
これは確かなことだ。そういう性質を持っている。生きたい、傷つきたくない、強くなりたい……変わりたい。誰もが持つ感情に反応し、それを叶えようとする。
多分、〈丹紅〉がこの性質と相性が悪い。
魔力汚染の原理はその程度に単純であり、問題は仕組みがわかっていても解体できないことにある。
「途中から僕は発想を変えました。魔力汚染を治癒する、その方向をひとまずあきらめることにしたんです」
「それはどうして?」
「おそらく多くの人が同じところで行きづまったと思うのですが、どうやっても肉体から魔力を除去できませんでした。〈治癒〉でもそうだったと聞きます」
学院の資料には〈治癒〉を始めとした魔力を取り除く試みが記されていた。そして、現状を鑑みれば当然のことながらそれは全て失敗した。
魔力に干渉できないという話であればまだマシであったかもしれない。しかし、一部の試みは確かに魔力に干渉することに成功していた。資料によればあるスキルを持つ被験者は肉体から魔力が全く観測されない状態にまで至ったと言う。
だから問題は、それが一時のものに過ぎなかったということ。結局、すぐに魔力は元に戻ってしまったようだ。施術の再現が困難を極めたこともあり、この手法もやがてお蔵入りとなった。
そのような試行錯誤、失敗の根本は魔力汚染者と魔力がすでに不可分のものになっているという事実だ。
僕も一度試したことがある。魔力を意識的に体外に排出し、肉体をまっさらと思われる状態にまで持っていってみた。結果は同じだ。一晩後には魔力は戻っていた。
これは意識的に魔力を排出する反面、無意識では求めていた……ということであり。
それともう一つ、わずかであるが僕の体内からも魔力が生成されるようになっていたからだった。
「魔力は取り除けない。汚染の進行を食い止めるのも難しい。もうそれは仕方ないものと考えました。止められないなら、次に打つべき手は決まっています。その力の矛先をそらし、かつ、ちゃんと作用させることです」
「ううん?」
と、コハナが首を傾げた。
「ごめんね、ちょっと意味がよくわからないんだけど」
「これも魔力の性質の話です。魔力は常に変化させるものを求めているようなので、下手に制御しようとしても追いつかない、意味がないんです。継続的に取り込み、消費し続ける受け皿が必要だと考えました」
「……それが、その魔物ってこと?」
コハナの目がパレットに向く。
僕たちに向ける親しげな目つきではないが、負の感情が見えるわけでもない。困惑が一番適当だろう。
はっきりと告げる。
「そうです。すごく簡単に言えば、彼が僕の魔力汚染を引き受けてくれているということです。魔物なので、彼にとっては全く普通のことですが」
反応はまばらだ。
コハナは半信半疑といったところ。〈治癒〉の専門家である彼女にとって、精気は馴染み深いだろうが魔力は異質なものだろう。治療法を探ったと言ってもそれは肉体へのアプローチが主なものだったはずだ。
ジードとサラは小首を傾げたり、眉根を寄せたり。魔力汚染についてもよくわかっていないのだろう。
マードウだけは何か得心が行った様子だった。目がパレットを捉えている。深く肯いた後、その口が開いた。
「なるほどね。だから君はその魔物を人前に出してきたのか。多くの人が魔物をどう見なすか、見定めるために」
「はい。そこは何より心配するところでしたから。憎しみを向ける気持ちは僕にだって理解できます」
魔力汚染者は当然、攻略隊、軍の所属、またそれらと近しい人々にとってみれば魔物など不倶戴天の敵と言ってもおかしくない。
……いやらしい考えだけど、できるだけ取り繕う必要があった。
条件は三つ。間違いなくランク3よりも弱いこと、見た目が恐ろしくないこと、攻撃的でないこと。育ててみれば少々勝ち気な性格で、最後だけ不安がなくもないが少なくとも人間に攻撃性を示したことはない。
これ以上の好条件を得られることは二度と無いだろうと判断し、僕は彼を人目にさらすことにした。
その結果、今、ここにいる。
「それでも、この手段が現状、僕が提示できる最も優れた対処法です。まだ実例は僕一人ですが、魔力汚染の進行が止まった実感があります」
「実感ね。疑うつもりはないが君一人、しかも汚染されてまだ二年だろう。弱いんじゃないかな」
「はい。できれば症状が進行した魔力汚染者で試し、この有用性を示したかったんですが……」
「たとえば、メグロのような?」
「……」
「マーちゃん」
黙って聞いていたコハナが声をかける。
彼女に向かって軽く頭を下げ、マードウは僕に向き直った。
「意地が悪かったね。だけど正解だよ、カイリ。君が勇み足でメグロに頼まず幸いだった」
「……今も、僕が子どもだから見逃されているだけなんでしょう」
「そうだね。もし君がメグロに頼み、あいつが引き受け、魔物を連れ歩くようになったとしたら処分は免れなかっただろうね」
それがどの程度のものか彼は口にしない。僕もあえて尋ねはしない。どうあれ、最悪だろう。
予感はあった。だからほとんど出たとこ任せであったとはいえ、ある程度の道筋は考えていた。
「最初は、学院に潜り込めないかと思っていました。話に聞く場所であれば新しい知識に貪欲ではないかと。あるいは他にも魔物に対する忌避感が薄く、魔力汚染者を助けたい組織があるか探すつもりでここに来ました」
コハナに顔を向ける。
彼女は静かな目で僕を見ていた。
「ですが、全て無駄だったんですね。これでは魔力汚染者を救えない」
彼女が口にしたことだ。
「神様は魔が存在することを許していない。魔物使いなど、絶対にお許しになられないのでしょう」
静寂が落ちる。
ふわふわと幾多の〈泡〉が漂う幻想的な場所で、僕は自分が口にした言葉に打ちひしがれていた。
……本当に、無駄だった。
無理だと見切りをつけず、どうにか魔力を除去する方策を探るべきだった。
けれどまだマシだったのかもしれない。
少なくとも、被害は僕一人で済む。想像できたから避けたが、マードウの言うようにメグロにも実験台になってもらうことは考えていた。そうなっていたらと思うとゾッとする。
これからどうなるのだろう。
良くて幽閉か、悪くて死刑か。
マユズミとの【契約】がある以上、僕にはどちらも全力で回避する義務があるが、それもまずはここから出られるかという問題がある。
ここまで話した印象だと、コハナはそういうことをしそうにないがマードウはわからない。そもそも僕の印象などあてにしていいものじゃない。
今までも相当な博打を打ってきたが、今度ばかりは最悪に近い。
ため息をつきそうになり、こらえた、そのときだった。
「いいえ」
と、声が響いた。
え、といつの間にかうつむいていた顔を上げる。
コハナが、目を見開いて僕を見ていた。
「いけるよ、カイリちゃん」
「何が、ですか」
「確かに最善ではなかったけど、最悪じゃない。それならきっと次善をつかむことができるよ。うん、多分大丈夫。いけるいける。根回しは必要になるけど、そっちは任せて。学院……とは今ちょっと仲が良くないんだけど、大丈夫、ミソラちゃん新しいものに目がないから、きっとカイリちゃん気に入られるよ。良かった、一番の不安がなくなってくれた。ありがとうカイリちゃん、あなたが来てくれて本当に良かった」
「まっ……」
言葉に押し流される。
理解が追いつかない。
彼女が何を見ているか、僕にはさっぱりわからない。
「待ってください、ちょっと待って」
「教会はもしかしたらうるさいかもしんないけど、こっちには切り札があるからね。最後は味方になってくれる。後はちょっと読めないけどこっちで流れさえ作って動かしちゃえば問題ないはず。よしよし……あれ、カイリちゃん何か言った?」
ようやくコハナが僕に意識を向けてくれた。
もう頭には疑問しか浮かんでいないが、それでもどうにか聞かねばならないことを絞り出す。
「あの、魔物は一掃しろって命じられたんですよね」
「うん」
「なら、僕のこれは駄目じゃないんですか……?」
「うん、普通ならね」
彼女はそこで、少しきまり悪げな顔を見せた。
「本当のところを言えばね、魔力汚染の治療法にはそんなに期待できないかもって思ってたんだ」
「え」
「あればいいなって思ってたけど、やっぱり難しいじゃない? ちょっとでも緩和できる手段なら良いなくらいに考えてたんだ。それをカイリちゃんは想像以上の完成度で超えてくれたから、本当にびっくりした」
「……なら」
だというのなら。
「僕に、一体何を求めているんですか」
「最初に言ったよ」
彼女は艶やかな微笑を浮かべる。
「私は神様に現れてほしい。その手伝いをしてほしいんだよ」
そして、こう言った。
「あなたたちに」
彼女の目は僕を捉え、次に移り、また移る。
確かめるまでもなかった。この場には僕たちしかいない。
僕と、ジードと、サラ。
三人に向けて、彼女は求めていた。




