30 夜、死骸の前で
自由とはなんだろう、と以前友人に振ってみたことがある。
すると友人はあっさりとこう言った。
『決めつけられないことだよ。自分からも、他人からも』
そして、すぐに「無理だけどね」と続けた。
『……定義自体にも疑問はあるけど無理なのか』
『求めた瞬間に不可能になる。それはそういう類のものなんだ。だって求めた瞬間に「自由とはそういうものだ」って自分が決めつけてる。無理だろ?』
『えええ……なんか詐欺師の口上みてえ。煙に巻こうとしてない?』
『してる。面倒だから』
『ひでえ!』
口では非難したものの、怒ってはいなかった。
僕は友人との会話そのものが好きだったので、そういう言葉遊びみたいなやりとりをむしろ待ち構えていたと言っていい。
『自由が必ずしもいいことではないし、決めつけて求めるものじゃないんだ。幸せを求めるのは良いけど、じゃあ幸せとはこういう状態だからって頑張ってセレブな人生を手に入れてもそう思えなかったら、もうわからないだろ?』
『まあ……?』
『自分が納得できる目的を見つけなよ。その目的を追って、つらくないなら君に向いてる。で、あなたにはこっちの方がいいよって決めつけてくるやつは……よっぽど親しくなければ聞かないことだ』
『すげえ普通のことを言われてる』
『普通のこと以外言わないよ、僕は』
……そんな会話を後で思い出した。
思い返すほどに、僕はあの友人から影響を受けている。
だから僕は戦士クラックの誘いを断り、ひとまず宣告士キリエの誘いに乗ることにしたのだろう。
少なくとも、彼女の方がマシだろうと思って。
◇
彼女は――宣告士キリエは馬車の中、ボスの死骸の前に立ち、にこやかな笑顔を僕に向けていた。
それ以外に感情はうかがえない。
自然体の佇まいと言えば聞こえは良いが隙がありすぎる。
こんな夜、こんな場所に忍び込んできた人間に対しその態度は正しいのか、と立場が逆の僕ですら思ってしまう。
あからさまに怪しい僕を咎め立てる様子がまるでない。
「どうぞ、お近くに。あなたも見物に来たのでしょう?」
少し移動し、僕に向かってボスの死骸前の場所を譲るなどという真似までする。
……悩むことはあった。いくらでも疑えた。
けれど、もう僕に取れる手立てはなく、彼女の勧めに応じて死骸の近くに寄る。
ほんのわずか手を伸ばすだけで触れられる距離まで来ると、その巨体からの圧力にたじろぎそうになった。
死骸は確かに一つの荷車に収まらず、大きな荷車を五つ連結させ、その上で横から少しはみ出ているほどに大きい。幌を広げてどうにか外からは見えないようにしているが、外から見ればそれこそ異様だ。
これを運ぶために多くの人員が死骸に触れ、布で包み、荷車に積み込んでいたが、みなどこか険しい顔をしていた。
彼らにもわかったのだろうか。
この、あまりにも細密に手が入りながら生命としての規格が僕らとまるで違う芸術品のような存在が。
触れる前からわかる。
これは魔術が作り出した一級品だ。
僕が目を奪われていると、ほう……という音が隣から聞こえた。
顔を向けると、少女が頬を上気させ、僕と同じように死骸を眺めていた。
「恐ろしいものですわね……」
つぶやきと表情が一致していなかった。
うっとりしたような顔で、彼女はそれを恐ろしいと表現した。
矛盾している、と一瞬思い、しかし矛盾していないのかもしれないと思い直した。恐れながらも惹かれてしまう、この世にはそういうものがあると僕は知っていた。
僕にとっては魔力がそうだ。
彼女にとって、ボスがそうなのだろうか。
「あなたの噂は聞いておりましたわ、案内人カイリ」
「噂されるようなことは……まぁしてしまいましたけど興味を引くようなものじゃないでしょう」
「若干九歳の魔力汚染者。案内人となってすぐにいくつもの隠し通路を発見し、果てには単身でボス部屋まで探り当てる。これで注目を集めない、というのは無茶ですわ」
「……」
僕は多分苦い顔をしていた。
目立つのは好きではなかった。自分がやりたいようにやった結果、悪目立ちしてしまっているだけだからだ。
注目を力に変えることのできるものもいるだろう。
僕はそうではない。
「魔導士メグロのことも調べました」
「えっ」
「魔力汚染者の情報は全て教会に上がりますので。症状が進行したのですね」
「……」
「かつての彼は昇格を目前にした優秀な戦士だったと聞きます。残念ですわ」
彼女は本当に残念そうに言った。
演技には見えない。でも、何が言いたいかがわからない。
「東部五番迷宮の館長からも話を伺いました」
「……ずいぶん、手間をかけたもんですね」
「ええ。それだけの価値があなたにはありますもの。そんな悠長なことを口にしているということは、あなた自身が一番わかっておられないようですが」
「……」
「あなたは、魔力汚染の治療法を探しているそうですね?」
「そうです」
肯いた。
否定しても仕方ないことだし、隠しているわけでもなかった。
誰もがそこまで関心を持っていないだけで、僕自身はその目的から逸れていない。
「学院でも研究が停滞していると聞きます。それを、あなたお一人でなさると?」
彼女が聞いてくる。
本当に、何を言いたいのかわからない。
それでも、その答えはもう決まっていた。とっくに自問は済んでいた。
「できるできないは問題じゃないんです。やると決めました」
彼女は金の髪を揺らし、肯いた。
微笑む。
「素晴らしいですわ。理想的」
そのときの彼女の目を見て、ようやく僕はあの迷宮の深奥でこの瞳に気圧されたことを思い出した。
爛々と燃えるような橙色の輝き。
確かな意思を持つ、きっと生まれながらの強い人。
「わたくしの目的、覚えてらっしゃる?」
「……確か、ボスを討伐しよう、と。え、あれもしかして本気ですか?」
「あなたは本気ではないのですか?」
尋ね返される。それでああバカなことを言ったと思った。しかし、まだ混乱はある。
だってこの人は宣告士だ。教会の人間だと言う。どこにでもいるとメグロは言ったが、だからってわざわざ自分で迷宮に潜る必要はあるまい。
僕をランク4から引き離す方便かと思い込んでいた。
「わたくしは本気です。迷宮のボス。おそらく魔族にとっても重要な存在。それを討つことこそが人類と我が国にとって何よりも成し遂げるべきことです。わたくしは、そのための人材を求めていました」
彼女は――宣告士キリエは真っ直ぐに僕を見据えた。
「あなたがいれば、きっとどんな迷宮でも攻略できますわ」
……本気なのだ、と思う。
少なくとも、これが嘘でも僕には見破れない。
そしてそれ以上に、腑に落ちてしまった。納得があった。
彼女は自分自身の目的のために生きようとしているのだと……共感、してしまったのだ。
僕は一度目をつむり、開き、もう一度彼女を見た。
頬は上気し、赤らんでいる。だがそれは先ほどボスを前にしたどこか酔ったような顔とは違った。
眉が少し下がっている。強い意思の下、きゅっと唇が結ばれている。気を張っている。
口にしていないこともあるだろう。ほとんど初対面の僕にはまず言えないことなどきっといくらでもある。
でも今、言える限りを口にしてくれたと思う。
「……こんな夜、こんな場所に忍び込むようなやつを信用して良いんですか?」
「あなたは魔力汚染の治療法を探しているのでしょう。なら、きっとこの死骸を調べたいはずだと思っておりました」
「……」
「国境でも汚染者は出ますが、やはり多くは迷宮で冒されます。そして迷宮とは何か、と考えたとき、それはボス以外にありえません」
「源泉地もあります」
「あれもいまだ解明されていないものですが……力そのものより力に方向性を与えるものを危険視するのは当然でしょう?」
軽く、雑な、自分でも信じていないようなことを口にしても、彼女は真摯に答えてくれた。
そして何より、彼女は僕の目的とそのための手段を察していた。
「だからこそあなたは迷宮に潜り、一人でボス部屋を発見したのでしょう。報告したのは、独力での討伐は不可能と判断したからですか?」
ああ畜生、これは降参するしかない。
僕はため息をつきながら肯いた。
「……そうです」
「やはり。一人で潜ること自体が無謀ですが、結果を出している以上責めるいわれはありません」
「……」
「勢いでここまで連れてきました。あなたにも思うところはございますよね。ですから今、改めてお願いします。わたくしとともに、迷宮を攻略しましょう」
またその言葉がかけられる。
その手を取りたくてたまらない気持ちになっている。
……どうしてこんなに揺れるか、わかってきた。
これは彼女への好感とか信用とは全く別の僕の問題だ。
この世に生まれ落ちて初めて「一緒にやろう」と言ってもらえたからだ。最後行き着く先が違っても、途中まで進む道が同じなら共に行こう、と。
本当に、結果として裏切られてもかまわないから一も二もなく肯いてしまいたくなる。
でも、それはできない。
僕は必ず成し遂げなければならない。
「……条件があります」
「はい。何でしょう?」
「僕はボスの死骸……もっと言えば、核が残った体に興味があります。結果破壊するにしても、短時間でいい、調べる時間をください」
「討伐後、解体班と輸送班が来るまででしたら」
「十分です。後は従います」
僕が肯くと、彼女は難しい顔をした。
「もっと要求なさってもかまわないのですよ? たとえば、学院の研究資料を取り寄せるとか」
「していただけたらすごく嬉しいですが、後は働き次第で考えてください。何せ、今回の迷宮は僕と相性が良かった。短時間でボスを見つけることが叶いましたが、次までそうとは限りません」
「なるほど」
彼女は薄く微笑んだ。
「でしたら、お手並み拝見と参りましょう」
そして手を差し伸べてくる。
僕が首を傾げる。
「え、まさか学舎では握手を教えないんですか?」
「ああ! ……いや、縁がなかっただけです」
まじまじと差し伸べられた手を興味深く眺めてしまう。
彼女は座りが悪そうな顔で手を揺らす。
僕は慌てて手を出すと、そうっとその手を握った。
滑らかな感触と、確かに武器を振り続けてきた人間特有の硬さがある。
「はい、よろしくお願いしますわ」
「……お世話になります」
そうして、僕とキリエは握手を交わした。
他の誰もいない、静かな夜のことだった。
◇
……キリエと話をしながら、僕はボスの死骸に〈解析〉を走らせていた。
速度は求めない。脳への負荷をできるだけ抑えるためだ。
彼女との話が終わり、また元の最後尾にこっそりと戻ろうとしたら、外に待機していた彼女の護衛の人に釘を差されるなどもあった。それはとりあえず置いておく。
わかったことが一つある。
ボスは、あれは元からああいう形ではなかった。
いや、正確ではない。
最初から大きさはともかくああいう形をしていた。おそらくそれは間違いがない。
ただ、あれは最初、生命でなかったはずだ。
〈解析〉が導き出した答えは一つ。
あの死骸は魔術だ。
魔力で編まれた、擬似的な植物があれの正体だ。
尋常な生命体ではない。
けれど僕はあれに意思を感じていた。戦闘中、ずっと身悶えするような、散っていく魔力を通して怒りを感じていた。
だから、もしボスを生命たらしめる要素が一つあるとしたなら、それは失われたもの以外に考えられない。
核。そう呼ばれる結晶。
そこにこそ、迷宮とボスの秘密があるはずだ。




