25 東部三十番迷宮
彼女はその手紙を何度も何度も読み返していた。読み間違えているのではないか、どこかに隠されたメッセージがあるのではないかと疑っているようだった。
裏返し、延ばし、匂いを嗅ぎ、果てにはランプの熱であぶり出そうとまでしたのでさすがに声をかけた。
「認めてもらえますか、館長」
「……信じがたいことだが、確かに筆跡はあの偏屈のものだね」
手紙を机の上に投げ出し、その女性、東部三十番迷宮『根切りの館』館長、パルムは不承不承といった様子で肯いた。
メガネの先、こちらを睨めつけてくるような鋭い目が向けられる。
「あんたを正式に攻略隊の案内人として認めるとある。九歳のガキを」
「よろしくお願いします」
「ふざけてんのか」
「本気です」
パルムはがりがりと生え際のあたりをかいた。
苛立っている。その原因である身としては申し訳ないが、引くわけにもいかない。
「あの変人があんたを素直に認めたとは思えない」
「はい。試験を受けました」
「あんたは何らかの手を使ってやつの手からすり抜けたわけだ。してやられたら受け入れるのがやつの悪い癖だね。反故にすりゃあいいものを」
「……」
「あんた、一番奥まで行きたいんだって? ボスのとこまで?」
「そうです」
「ふざけてる。そんなのはね、よほど信用のおける案内人とその場で一番のチームが何年もかけてようやく成し遂げるものなんだ」
「そう聞いています」
「……あたしもあんたを試す。とても信用できない」
「何をすればいいですか?」
「普通に仕事しな。新人でもいいってチームを紹介する。全員がそうするように、一歩一歩実績を積め」
「……」
「ただし」
彼女は僕を強くにらむ。
敵意は感じないのに、敵を見るような視線だった。
「はい」
「一度でも失敗したら、十一になるまでずっと新人と同じ扱いをする」
「失敗とは、具体的には何です?」
「毎月の成果が著しく低いこと。救助の世話になること。チームに死者、汚染者が出ること。この三つだ」
「わかりました」
僕は肯いた。
非常にシンプルだった。
彼女は公平だ。公平に僕を扱い、結果として安全な方へ送ろうとしている。
それで十分だった。
◇
そのとき僕はぬかるんだ道を進んでいた。
リュイスが手掛けてくれた靴が汚れるのは忍びなかったが、汚れるのを嫌がって遠回りすることこそ彼女は怒る。
渋面をつくりながら歩調を変えることはなく、一定の速度でその場所、東部五番迷宮の内部を進んでいた。
『なるほどね』
同行する攻略隊の男がわかったように肯いた。
おそらくメグロよりも年嵩の、結構なベテランと思われる戦士だったが、本人は最初の自己紹介で「全部中途半端なんだよ」と言った。
その意味は、一緒に迷宮に潜っている内にわかった。彼は何にでも手を出す男だった。
魔物とも率先して戦う。軽くでも怪我をしたらまず自分で最低限手当する。慣れた道だろうが警戒は怠らない。迷宮で気づいたことはすぐにメモを取る……
ゼルマールがおそらく僕の教育係としてつけてくれた男は、そんなある種の理想に近い男だった。
『これは見つからない。よく見つけたなこんな道』
『不自然に泥が覆っていたので。多分こういう隠し方が多かったんですよ、この迷宮』
そこは僕が発見した道で、侵入するためにはまず泥を除け、さらにその下にある岩をどかすことで発見された横穴だった。入口こそ狭いが、入ってしまえば十分な広さがある。
『お前、これが罠だとは思わなかったか? いや、俺もこれはさすがに可能性低いとは思うが、たとえば行き止まりでどこにも繋がっていないとか』
『あー、それは心配してなかったですね』
実際ぱっと調べた限り道が続いていることはわかっていた。
説明が難しかったので言葉を濁すと、男は勝手に納得していた。
『まぁ案内人はその手の繋がってるかどうかの感覚が俺らより鋭いからな』
うんうんと肯く。
『なぁカイリ。実は迷宮っていうのは無駄を嫌うみたいなんだ』
『……そうなんですか?』
『ああ。行き止まりはほとんどない。大抵がどこかしらで繋がっている。それがめちゃめちゃ複雑で、隠し通路だらけなもんだから大変なんだが……通路を完全に塞ぐとか、ひたすら見当違いの方向に道をぐねぐね延ばすとか、そういうのはしない』
それは僕の迷宮に対する仮説とも噛み合う考えだった。
『とはいえ入り組んだ道、その迷宮独自の環境、そこに出てくる魔物たち……そいつらが俺たち攻略隊の敵なんだが、案外向こうさんももっと単純にやりたいんじゃないかってたまに思うんだよ』
◇
壁に手を当てる。土だ。地下で押し固められた土砂が露出したものだ。岩ではなく、こすれば多少削れる。しかしきっと意味はないだろう。すぐに元に戻りそうな気配がある。
「なるほど」
やはり東部五番迷宮とは違う。
ここは、生きている。感触がある。
「おう案内人、何してんだよ。さっさと行こうぜ」
後ろから声がかかる。
はい、と僕は応えると、止めていた足を進ませる。
ここも洞窟だ。しかし暗さ以外にそこまで共通点はないように思える。東部五番迷宮は相当湿っていて、生臭い匂いも漂っており、全盛期は相当に攻略隊を悩ませただろう。
一方、この迷宮は湿度でいえばさほどではない。壁、地面、天井も水分は含んでいるようだが、にじみ出るほどではない。
匂いで言うと生臭さは全く感じない。
むしろ、どこか芳しいような……
「なあ」
と、後方からまた声がかかる。
立ち止まり、振り返ると数歩離れたところで紹介されたチームの面々が気まずそうに僕を見ていた。
戦士が三人、癒し手が一人という構成のチームに今日は案内人である僕が加わっている。
リーダーの戦士の男……というにはまだ若い。十代後半と思しき少年が疑わしそうな目で僕を見てくる。
「本当に、横を歩かなくて良いのか?」
「はい。というか、僕が先行しないと案内人の意味がないでしょう?」
攻略隊の案内人とは、そういう仕事だ。
迷宮内を先行し、道を探り、その脅威と攻略における重要度を見極める。
魔物がいるならいち早く察知し、罠があるなら注意を促し、隠された道を何よりも優先して発見しなければならない。
常に一番前を歩くのが当然なのだ。
「そりゃそうだけどよ」
「心配されるのもわかりますけど……あ」
「? どうした」
気づいた。
数歩先、進行方向にあった壁に駆け寄る。
指差し、彼らに声をかける。
「ここ、この壁の前を通ると魔物が出てくるんで気をつけてください」
「は?」
「最初に聞いたこの迷宮特有のやつですよね。頑張ってください」
僕はまた小走りに進み、彼らからも壁からも距離を取る。
彼らは顔を見合わせ、半信半疑ながらもとりあえず僕のところまで来ようとする。
そして、彼らの先頭、リーダーが件の壁の前に来た。
ぼこり、と土が盛り上がる。
注視していなければ気づかないほど小さく、音もなく。
次の瞬間、その壁から何本もの白い鞭が飛び出してきた。
「うおわあああああああ!?」
驚愕の叫びを上げながらも彼らの行動に間違いはない。さすがに慣れている。
あるものは鉈を取り出し、あるものは盾、そしてリーダーは剣を取り出し迎え撃った。
「嘘だろ!?」
ものの数分で戦闘は終わる。
彼らはその場に座り込み、ぜえぜえと息を荒げている。
まだ結成して間もない、ほとんどがようやく一人前と判断されたものばかりのチームだ。これが熟練していけばもう少し余裕を保った姿になるだろう。
しかし誰にも目立つ負傷は見られなかった。
盾で抑え込んでいる間に剣で削りつつ注意を引き、隙を見て鉈で壁から切り落とす。
残ったものは微妙に蠢く壁から突き出した部分のみ。
見事な連携であの鞭……正確には「根っこ」を切り落としていた。
「お疲れさまです、皆さん」
僕が近づくと、リーダーの少年、ユーズが顔を上げた。
「……どんぴしゃの予言だったな」
「ええ。綺麗に倒してくれて助かりました」
「お前、カイリっつったよな。思ったより凄腕みたいだ」
「その評価を覆さないように頑張ります」
「……わーった。信じることにする。きっちり案内してくれ」
「ありがとうございます」
頭を下げる。
そんな僕らの様子を見て、他のメンバーもそれぞれ賛意を示す。
一人、癒し手でありこの中で唯一、二十を超えているだろう男性が気遣わしげな目をしている。
……彼から見たら全員年下のチームにさらに就業年齢にも達していない子どもが入ってきたのだ。そりゃ心配だろう。
しかし足を止めるわけにも行かない。
僕はぴくぴくと動くだけになった壁の根っこに近づく。
これがこの迷宮に出てくる、現在確認されている唯一の魔物だ。出現方法も同じで、突然、壁、地面、天井から生えてきて自身を鞭のように振り回し、攻撃してくる。
中には棘がついていたり、毒を生成したりする場合もあるらしいが、別種ではなく同じ魔物なのだという結論が出ている。迷宮の外に出てきた例がないため攻略優先度は低い。
何の気なしに切り落とされた根っこに触れてみる。
「ば……何してんだよ!」
ユーズが声を上げる。
もっともなのでさっさと手を離す。無駄だったことだし。
「ええ……何してんのお前」
「や、この根っこはどこにつながってんのかなと思いまして」
僕の答えに引いた様子のユーズは「マジか……」と言って腰を上げる。
「んじゃ、続きと行こうか。案内頼むぜ、カイリ」
「はい」
そう、まだ先は長い。
一戦程度でへばってもらっては困る。
◇
迷宮と攻略隊についての座学を受けた。
東部五番迷宮の責任者、館長であるゼルマールにだ。
「贅沢だねえ」と始まる前に言われたが、実感はない。
その始まりにこんな会話があった。
『案内人にとって第一はボスへの道を探ること、こう君は言ったね』
『はい』
『そして私はいくつか付け加えた。何か覚えてるかな』
『魔物の察知も求められると』
『そう。しかしやはりそれは優先度が落ちる、とも言ったね』
『はい』
『でも、実はもう一つ大事な仕事があるんだ。これは実はボスへの道を探ることよりも優先しなければならない』
『……そんなことが?』
『そう。君にはもう実践してもらった』
『……?』
『帰還することだよ。無事に』
『ああ』
『最後には迷宮を攻略するのが我々の最も重要な目的だが、日々何事もなく帰還することを一番意識しなければならない。案内人には特にね。戦闘は求められないが、だからこそ誰よりもチームの状況を把握するんだ』
『はい』
『危ないと思ったときには帰る。これは大事なことだが、最初の内は危ないと思う前に帰りなさい。五分の力を残して帰ったところで恥ではない。君は急いでいるようだが、そこで無理をしてはいけない。……もっとも、他の人間もいる状況で無理をするような子には見えないが』
彼はそこで惜しむような顔を見せ、本格的な講義に入っていった。
芝居じみた表情だったが、妙に記憶に残っている。
◇
「ぐあー、疲れたー」
ばたん、とユーズが大の字になって倒れる。
同じく戦士の盾持ちの少年も連れ立って隣に倒れ、鉈使いの少女がぷりぷりと怒っている。
「ちょっと、だらしない。まだ入口なんだから館に帰るまで我慢なさい!」
僕はそんな様子を見て、ぼけーと突っ立っていた。
そこに癒し手の男性が近づいてきた。
穏やかな顔立ちが、今は少し困ったように眉を寄せて僕を見ている。
「おつかれ様です」
「はい、おつかれ様です。……見事な案内でしたね。これが初めてとは本当ですか」
「ええ、まあ。五番迷宮でちょっと訓練を積みましたが」
「あ、そうなんですね」
「ええ、二回潜りました」
彼は絶句した。
まぁ少し狙って言ったので悪い気もする。
しかし、今の僕には評判も必要だ。腕が立つと思われなければならない。
気を取り直したのか、また質問してきた。
「まだ余裕があったでしょう。体力も、時間も。どうしてここで帰る判断をしたんですか?」
「反対はしなかったですよね?」
「賛成でしたから。ただ、あなたの考えを聞きたいのです」
「別に大した考えではなく……体力は残して帰還しろって言われてたんですよ。ここに来る前に」
「なるほど」
彼は肯いた。
そしてにっこりとした笑顔を見せる。
「よくわかりました。あなたを信頼します。みんなとも相談しますが、我々は叶う限りあなたに案内を依頼するでしょう」
「ありがとうございます」
「それでは、そろそろ彼らを動かしましょう。館に帰らねば」
そう言って、彼は離れていく。
その途中、ぽつりと口の中で転がしたようなつぶやきが僕の【強化】した耳に届いてしまった。
「……新人のチームが、大した怪我もなく二十を超える魔物を間引き、何より隠し通路を発見? 三つも?」
震えるような声で、その先は言葉になっていなかった。
「そんなの、まるで……」




