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魔術師カイリの星巡り  作者: 雑木
2章 迷宮の影
21/132

20 影渡り



 ある存在を指して、山のようだったと言ったのは誰だったか。

 そうだ、確かサラだ。

 サラが学舎で初めてランク5と出会った話をした際に、そんなことを言ったのだ。


『大きくて、広くて、深く、遠い……生命力の山みたいな人』


 あのときの僕はふーんと雑に聞いて、正直ピンときていなかった。生命力を感じ取ろうとしてもいなかったし、そもそもそこまで際立った存在を見たことがなかった。

 生命力……精気を噴出させたジードには戦慄らしきものを覚えたような気もしたが、それだって山とは思わなかった。遠い、隔絶した才能ではあるが、同じ生物だという認識があった。

 だから今日初めて、サラに共感できた気がした。

 あの影を初めて感覚が捉えたとき、生物に思えなかった。

 メグロは魔族だと言った。尋常な生物ではないのだろう。それでもあそこまで桁違いな魔力を実際に感じてしまうと、生き死にがある存在とすら思えなかった。

 これは後悔だ。あのとき僕は動けなかった。メグロは動いた。結果としてメグロの片腕は失われ、僕は逃げることすらできなかった。

 上級魔族を見るとそうなるとメグロは言ったが、僕はあのとき放心するばかりで、観察を怠った。考えなかった。

 印象は変わらない。

 あれは人が生き死にをどうこうできる存在ではない。普通なら。

 けれどすぐに気づけたはずだ。僕には。

 なぜやつはミミズを食らった?




      ◇




「あ」


 走る。


「ああ」


 走る走る。


「あああ」


 ただ全力で、転がるように駆け下りる。


「うあああああああああああああああああ!!」


 叫んでいる。僕は叫んでいる。自分の叫びが耳に届くまで気づかなかった。

 すぐ後方から迫りくる圧力がある。

 振り返ることはしない。時間のロスだし、そんな自分の恐怖を煽るようなことはしない。

 怖い。

 僕は今怖がっている。

 命の危機を覚えるのは初めてじゃないが、殺されるかもしれないという恐怖は初めてだ。

 恐ろしい。体験するまでわからなかった。ホラー映画のモブになった気分。殺されるなら気づかずに死にたいくらいのことを思ってしまう。

 しかしその恐怖のおかげで紛れるものがある。気を抜くと頭痛が走る。もう頭が限界に近い。ずっと【強化】をかけ続け、逃走する肉体もボロボロだろう。

 楽になりたい、という思いがやはり湧く。

 もう走りたくない。頭も使いたくない。恐怖を感じ続けたくない。

 それでも足は動く。頭はゆるゆる回転し、怖気づきながら意思を確認する。

 感覚がある。影は山頂を塗りつぶし、そのまま僕が落ちた穴を伝い、斜面を滑るように僕を追っている。

 わかっている。もう、直に鬼ごっこは終わる。

 僕の【強化】が切れる。魔力ではなく、精神力の問題だ。意識しなければ気を強く持てなくなっている。頭痛もある。集中が続かない。【隠身】なんかとうに解いている。

 【壁雲】が良くなかった。いやあれがなければ初手で終わっていたが、あれが今の僕の限界だ。二度も全力で使えば消耗は尋常じゃない。

 木々の合間を抜けていく。茂みを踏んづける。

 障害物が多くなれば進行速度も遅くなるかと思えばそこまで変わらない。むしろ、僕が木を避けなければいけなくて遅い。

 失敗だ、と思いながら道に戻る。また少し距離が縮まった。どっちにしろ、次に打つ手が最後だ。

 それが無駄に終われば、僕の負け。きっとこの人生の終わりだろう。

 その場所へ至る。

 木々の中だ。登る途中で通った場所の一つ。密集した木の中、少しだけ開けた場所がある。ここを選んだのか。

 もう僕の足はずっとヘロヘロだった。とっくに追いつかれてもおかしくなかったのに、途中から影はいたぶるようにこちらの速度に合わせていた。よっぽど性格が悪いやつなのかもしれない。

 でも僕はこの影にそういう嫌な感じを覚えなかった。

 手近な木の幹に体重を預ける。本当に身体は限界だ。ずるずると座り込みながらなんとか振り返る。

 影もまたゆっくりとこちらへ近づいてくるところだ。肉食獣の狩りに似ている。相手が疲れるまで追い続け、反撃できなくなったところで仕留める。確実に追い込みながら、自身の体力を節約できるやり方だ。

 これ以上力を使いたくないのだ、と僕は仮説を立てた。それにすがる。

 脳がフル回転している。まだ時間が足りない。でもわかってきたことがある。まだやれることはある。

 影が迫る。開けた場所に出てくる。ずいぶん小さい面積だ。効率的だが、余裕がなくなったきたのだろう、と思い込むことにする。

 手を伸ばす。影もわかっているはずだ。しかしよけない。追い詰められた獲物が身をよじるようなものだと思っているのだろう。

 猫め、噛んでやる。


「【地荒し】」


 影の直下、落とし穴ができる。影は地面が陥没するまま穴の底に張り付く。

 すぐさま塞ぐ。閉じ込める。先ほどの切り離しとはわけが違う。本体をそのまま落とした以上、ただの落とし穴、ただの土砂などすぐに脱出されるだろう。

 だから、その上に本当の狙いを重ねる。

 〈解析〉結果を参照する。

 光源は特定した。再現は……不可能。無理だ。

 あれは唯一無二の光。誰も届かない。ならば可能な限りガワを寄せた模造品で代用する。

 通用するかどうかは、賭けになる。

 びし、と地面にひびが入る。

 びし、びし、びし、と瞬く間に広がっていく。

 影が染み出してくる。蓋をしていた地面がボロボロと崩れ落ちていく。

 影が完全に穴から湧き上がる、直前、僕はその名を呟いた。


「【灯火・天授】」


 光が瞬く。

 小さな光だ。ほんのわずか。消耗しているとは言え、ガワだけでさえそれしか生み出せなかった。とんでもない存在だ。

 それは黄金に輝くもの。天より落ちて、地上を灼くもの。他のあらゆる光を駆逐し、影だけに存在を許すもの。

 君の影は、そうして育まれた。

 その光が生じた瞬間、影が今までにないほどにざわめいた。必死に逃げようとするが、そこは穴の中、逃げ場などない。

 光に照らされて、穴の底、影はただただ身を縮めていく。


「……〈言語〉のレベルを上げると派生するスキルに〈解析〉というものがある。それで、君の影を調べさせてもらった」


 ずっと握り込んでいた手を開く。

 その中には【固定】された土がある。影が含まれた土だ。

 これから影の魔術を調べるために、頭の中でずっと〈解析〉を走らせていた。今、ようやく知りたいところまでがわかった。〈解析〉を止める。脳を潰し続けていた負荷が消えてくれる。楽にはならない。今度は無視し続けていた熱を覚え始めた。

 紛らわすために、聞こえても意味のわからないだろう独り言を重ねる。


「君の影はその光に隠れて生まれたものだ。影を育て、鍛え上げ、いずれは光に牙をむくための」


 始まりとして弱者の術だ。

 光と影の関係がどういう結果に終わったか、僕は知らない。何も変わっていないかもしれない。もしかしたら光を打ち消したかもわわからない。そこまでは〈解析〉では得られない。

 けれど、君は弱っている。もう確信がある。相当魔力を消耗している。

 僕との戦いにおいても多少は消耗しただろうが、それ以上にここに来る以前、燃料として蓄えておくべき魔力をほぼ使い切ってしまったのではないか。

 何者かと戦ったか、それとも移動に費やしたか、それは知らない。どちらでもいい。

 弱っているのなら、こんな虚仮威しでも十分恐れてくれるだろうし、さらに魔力を消費してくれる。

 このまま、できるだけ長く……そう願ったところで、座り込んだ地面から気配を感じた。振動もある。掘削のものだ。


「……ダメか」


 気づいてももう逃れるどころか立ち上がる体力も気力もない。

 一瞬後、僕の足元から影が地面を食い破って現れた。腰に絡まり着く。

 捕らえるや、影はすぐに僕に干渉してきた。難しいことじゃない。魔力を直接ぶつけられたなら、体内の魔力が混乱する。それをされたら術は編めない。維持も難しい。意識がぼやける。

 まず【灯火】が消えた。黄金の光が失われる。

 当然、影の圧力はさらに強まる。

 ぞわぞわと穴からも残りが這い出てきて、僕の前で形を取る。

 人の形をしている。全身は影に覆われて、判然としない。それでも手足と頭はわかる。

 これが本体だ。

 影を纏い、確たる姿はわからない。けれどその下に生身があることはここまで近くに寄ればわかる。

 そして、魔力がほとんど枯渇していることも、わかる。伝わる。

 僕の中にはまだ【固定】された魔力が残っている。【解放】したところでもう僕には扱う精神力が残っていないものだ。

 腰まで捕らえていた影がさらに這い上ってくる。ゆっくりと、確実に。痛みはない。けれど身体は動かせない。

 あのミミズを思い出す。

 僕は今、あれと同じ立場になっている。

 影に身体が呑み込まれる。ゆっくりと、時間をかけてしゃぶられる飴玉になったみたい。

 ……ミミズのことを考えていた。

 影はなぜあれを食らった? と。

 その疑問がずっとある。奇妙だ。おかしい。影の行動の中であれだけがずっと引っかかっていた。

 影には一つ、僕から見て最も重要で最も厄介な術がある。

 空間を飛び越えるものだ。

 突然リンゴの木の下に現れていたこと。これに関しては僕のように気配を隠す術があるのかもしれない。その可能性はある。

 しかし、あの巨大なミミズを影から取り出したこと。これは単純な移動では考えられない。影が去った後、地面には何の変化もなかった。

 影自体に何かを保管しておく術もあるという可能性も考えた。だとしても、それをあの場で取り出した意味はわからない。

 だってどちらにせよそんな術、絶対に消費が激しい。もともとあのミミズを食らって補給するつもりだったにしても、先にもっと簡単な補給手段がある。

 リンゴだ。

 あの果実をさっさともいで食らってしまえばよかったのに、それよりも先にあのミミズを取り出すという非効率的な手段をとった。

 リンゴを先に食べなかった理由がある。

 自信はなかった。そこまで効果があるとは思っていなかった。

 けれどその気配はもう察知していたし、この距離ならもっとよくわかる。

 僕の魔力がある。

 僕から抜き取られ、リンゴの中に閉じ込められた魔力。

 【支配】によって僕の色に染められきったそれが、影の体内にそのまま存在している。僕が扱いきれないこの山の魔力を【圧縮】と【固定】によって保存しているように、そのまま。

 ……悔しい。

 それに手が届けば、まだ打つ手はある。

 意識がある以上、もう一度くらい術を使ってみせる。

 けれど影の本体は僕の手が届く間合いに近寄ろうとしない。それどころか、もう影は僕の腕まで覆って、首にさえ届こうとしている。

 負けだ。

 動けない。

 勝てなかった。

 やっぱり僕は愚か者だ。結果がこれ。さぞ呆れていることだろう。

 半端者と呼ばれて仕方ない。

 だから僕は頭上の【隠身】を維持しながら乞うようにつぶやいた。


「……頼みます、メグロさん」


 果たしてそれは飛び下りたと言えるものか。

 落下という表現がきっと正しかっただろう。ずるりと身を滑らせて、ただ物理法則に従って落ちていったに違いない。

 ただし、鈍色の刃だけはぴたりと一直線、過たず影の背中をなでるように走り抜けていった。

 影が震える。

 ざわめく。

 血が飛び散るのが僕の目に映る。

 木から落ちたメグロはそのままゴロゴロと転がっていく。距離を取ると言うより、単にもう勢いを止められないだけだろう。

 影がメグロの方へ向く。

 背中が僕にさらされる。そこには生身の真っ白な背中と、薄い切り傷が走り、わずかに血が流れている。

 メグロへ向けて影を走らせる。彼にはもうそれを防ぐ術などない。

 その走らせた影は僕を縛り付けていたものだ。

 起き上がる体力はない。

 少しだけ身を乗り出す。

 伸ばし、ぺたりとその背に手のひらを置いた。


「――」


 影が何事かつぶやいたようだった。やはりわからない。知らない言葉だ。

 会話は成り立たない。

 けれど僕らは濃厚なコミュニケーションをすでに交わしただろう。

 だから、僕がどうするか君にも想像ついているはずだ。

 【解放】は置いた瞬間に使っている。【支配】下にある魔力は接触してしまえば僕の意のままにある。

 〈解析〉結果参照、術式特定、模倣不可能。

 そうだ。【影】が僕に生み出せない。その術は僕には使えない。無理だ。

 けれど君の体内にある魔力を使い、君の影に走らせるなら話は別だ。


「さようなら」


 発動する。


「【影渡り】」


 メグロに向かっていた影が一瞬でベクトルを変え、すさまじい勢いで戻る。

 ぐるぐるとやつにまとわりつく。

 その全身がどんどん縮まっていく。

 僕の手の先で影が集い、回転し、縮まり……やがて手のひらに収まるほどになったと思うや急激に回転が上がり、消えた。

 ぱっと跡形もなく、何事もなかったように。

 影はこの山から姿を消した。


「……はー」


 僕はため息をつくと、もう一度木に背を預けた。

 眠い。というか重い。

 何も考えられない。

 目を閉じた。




      ◇




「あのミミズは迷宮のボスだったようだ」

「はあ」

「現在、ここは情報収集と後始末に大わらわだ。本当にボスが消えたとしたなら直にこの迷宮は死ぬ。良いことだが、代わりにさらに恐ろしい存在が国内に現れたことになる」

「なるべく遠くに飛ばしたはずなんですが、場所まではちょっと」


 地理よく知らないので。


「期待していない。報告しても誰も信じまいよ」

「え。してないんですか、報告」

「誰が信じるというのだ、あんな荒唐無稽な話。……一応言っておくが、お前も口外するなよ」

「はあ。する相手がいないので」

「封魔の実を口にしたものは死罪ということになっている」

「え」

「あんなもの、食べるような人間は今までいなかったがな」

「おお……」

「……あの魔族が全て奪っていったと報告してある。我々はできる限り守ろうとしたが、無理だったとな」

「マジですか」


 僕は思わず身体を起こそうとした。

 途端、重くてすぐにまたベッドに身を横たえる。


「我々の状態を説明するとしたらそういう報告になる。全てが偽りでもない」


 山の麓にある館、その一室で僕は二日間ほど寝かされていたらしい。

 さっき起きて、とりあえず口にできるものを入れ、今はメグロと二人きりになり、現状の説明を受けている。

 しかし意外だった。


「……メグロさん、嘘つけるんですね」

「初めてだ。虚偽の報告をするのは」

「え」

「言いたいことはあるが、命を助けられておいて売るような真似はできん」

「……別に、そんなつもりでは」

「死にたいわけではないだろう。受け入れておけ。お前が勝手にやったように、俺も勝手にやったことだ」


 そう言うと、メグロは包帯で巻かれた左肩を撫でた。その先は失われたままだ。


「上級魔族に遭遇してこの程度で済んだのだ。喜ばしいことだ」

「……そうですね」

「この傷でさらに働きを要求されるとは思わなかったがな」

「いやー、僕だけじゃ崩せそうもなかったので」


 最初から消耗していたが、それを加味してなお隔絶した実力の差があった。

 意表を突かねばならなかった。

 メグロは顔をしかめていたが、ふと真顔になった。


「……一つ、今聞いておく。お前、最後あの魔族を討つことができたんじゃないか?」

「……」

「魔力汚染による〈言語〉の異常は以前から問題になっていた。特に〈契約〉でな。〈解析〉も相当な上位にある。お前の肉体ではまだ扱いきれん。二度と使うな」

「はい」

「そんな無理をせずとも、体内の魔力を攻撃的な術にするだけで相当な痛手を負わせることができたはずだ。殺せた可能性もある」

「……はい」

「なぜその手をとらなかった?」


 メグロは怒るでもなく静かに聞いてきた。

 だから僕も素直に答えることにした。


「そういった手段は、僕はやっぱり好きじゃないんです。できるだけ取りたくない」


 取り返しのつかない傷は、できるだけ。自分以外でも。


「殺されていたかもしれない」

「だとしても、最後には選択肢があった。なのでまぁ、好きにしました。すいません」

「……お前は」


 メグロは押し殺した声で言った。


「お前は本当に軍には向いていない」

「はい」

「……俺もお前を肯定しない」

「はい」

「今から考えておけ。あの魔族がこれから誰かを殺したときのことを」

「……」

「お前が背負うことになるかもしれない重荷を、ちゃんと」


 はい、と返した声はかすれていたかもしれない。

 メグロは立ち上がると、部屋から出ていこうとした。

 扉に手をかけ、振り向かずに言う。


「俺たちの出立は明後日だ。お前もそれまでにきちんと身体を回復させておけ」


 今度は意識してしっかりと「はい」と答えた。

 メグロが出ていく。

 僕は一人になる。


「わかっていました」


 つぶやいた。

 本当にはわかっていないのだとしても、その可能性は考えていた。

 でも、僕にはやっぱりその手は取れなかった。

 誰かを戻れない場所まで押しのけることはできなかった。

 友人の言葉が脳裏に響く。

 僕は何を持って力を振るうのか、その答えはまだ出せなかった。



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