少女の天秤 その三十
アンの父、マリオネットの手で創られた人形『マリア』。
アンの父、マリオネットの手で創られた町『ユートピア』。
アンは、数ヵ月の間世話になった彼女と彼女が番をする霊園の話をしました。
彼女の家で目にした五枚のタペストリーのことも。
すると、
「いったいアイツは何がしたいんだろうね。」
魔女は娘への返答という訳でもなく、独り言のように呟きました。
「カフカは、お父様の考えを知っているのじゃないの?」
「確かにアンタの言う通り、アイツが何をしようとしてるかは知っているよ。でも、それでアイツが何を考えているまでは知らないさ。」
「本当に?」
「アンもよく知っているだろ?そもそも私は無理矢理アイツらに使われた立場だからね。」
だから彼女はアンの教育を引き受け、教え子を『復讐』の駒にしようと考えていたのです。
「だから知ってるとしたらもう一人の当事者ぐらいじゃないかね。」
彼女は魔法使いの名前を伏せました。幼く、他のことで頭が一杯のアンはその僅かな言い回しに気付くことができません。
「私はね、お父様のことがもっとよく知りたい。でもそれと同じくらいマリアのことも知りたいの。」
魔女の娘はどこまでも直向きな表情を母親に見せつけました。
「カフカなら、分かるのでしょ?」
少し成長した娘の声は魔女に、僅かな嫉妬と喜びを与えました。
それと同時に、自分が「賢い魔女であること」への憎しみも覚えていました。
「さっきも言ったが、私は魔女だ。確かにアンの知りたがっていることくらいなら、私は何だって知っているだろうよ。でもね、それを教えることが果して正しいかどうかってのは別の話なんだよ。」
「どういう意味?」
初めは試されているのだと思いました。知識を活かせるだけ成長しているのかどうかを。
でも、それは違っていました。母親は純粋に、娘の心配をしていたのです。
「お前には、『知ることの罪』を教えたことがあったね?」
『知識』はあらゆるモノに様々な明かりを燈す『神様の種火』。
知ることで知られ、世界に新しい関係が結ばれる。とても壮大で、とても美しく、とても心躍らされる出来事。
けれども、『明かり』は『影』を奪ってしまう。
影の中で自分の力を頼りに育つ彼らに、明かりは土足で上がり込む。もっと新しい何かが育ったかもしれない。もっと違った何かが生まれていたかもしれない。
知ることは、その可能性を摘み取る何よりも非道で、誰よりも残虐な行い。
『無知』は全てのモノに包み隠す影をもたらす『神様の抱擁』。
『知る』ことで生まれる無限があれば、『知らない』ことで育つ無限も確かにそこにある。
「知ること」や「学ぶこと」への欲求は、そういったジレンマをかなぐり捨てた自己中心的な「愛」。周囲を顧みない「悪魔」でもあるということ。
それでも魔女は、自身の「愛」を知るために魔女になり、娘を育て、彼の死を受け入れました。
「うん、覚えてるよ。忘れない。大切なことだもの。……だからなの?」
『知ること』が良いことか悪いことか予め知るなんてことは誰にもできません。
それを教えられるのは『知っている人間』だけなのです。
「お前なら、たとえ知ったとしても、間違えを起こすことはしないだろう。それでも、たとえ私の娘だろうと、こればっかりは贔屓できない。」
それでもなお駄々をこねる娘。
「ただ、これだけは知っておいで。」
母親という生き物は、やはりそういう手合いには敵わないのでした。
「お前たちは強い絆で結ばれてる。……私なんかが引き裂けないほどに。」
口にしながら、彼女は敵わない関係の間に割って入る自分が滑稽にも思えました。
「お前は必ず家族を助ける。」
自分は助けられなかった。家族になりたいと願った人を。
「だから、安心おし。」
言い終わると、娘は母の目尻に指を添えていました。