第6話 小さな恋 ②
5月下旬の午前10時頃、僕は浜温町の消防署にいる。
いつもなら、家のベッドの中、スマホでゲームをしていただろう。
「活動服」と言う、目のチカチカするようなオレンジ色と青色の消防団員服の上着を試着し、ズボンを脱ぎ着して、サイズを確認する。
活動服の試着を終え、事務所の机に案内してもらい、報酬金の振り込み口座の記入をする。
スーツのような制服貸与もあるらしく、言われた通り、上着やズボンやワイシャツの服のサイズをザラシの切れ端に記入する。
180cmはあろうかと言う長身でスレンダーだが鍛えられているのが分かる奥山さん。
三宅教頭と同様に、47、8歳の同級生には見えず、若い。
三宅教頭ほど顔がいいわけではないが、本当に医療ドラマをしていそうな爽やかさである。
役場の窓口のような机を挟んで対面に座ると、僕より目線が低くなる。
胴が短いのだろう。
母が言う「座高が低い」と言うやつだ。
昔は、学校の身体検査で座高を測る器具があったらしい。
つまり、脚が長い。
机上に置いた先ほど交換した名刺を見る。
奥山博満と書いてある。
「ひろみつ」と読むのだろうか。
肩書は係長らしい。
名前の横で、ゆるキャラのハモンちゃんが消防服を着ていて可愛い。
「入団ありがとうございます。お時間がある時に、こちらの概要や年間行事を読んでいただければと思います。もし良かったら、明日、消防団員向けの普通救急救命の講習があるので参加してみませんか」
目をかまぼこのように半円にさせ、柔和な笑みをしているが、話し方は「自分は」と昭和の兵隊感のイメージがある。
明日は何の予定もないのでゴロゴロていたかった。
一瞬、「うっ」となったが、断る理由が思いつかない。
高校でもたまに救急救命の講習はあるし、10年ぐらい前、自動車の教習所でも習った。
僕は真剣に取り組んでいないので、その場限りで忘れている。
「学校でも受けたことがあるんですが、だいぶ忘れてるんですけど、大丈夫でしょうか」
僕は苦笑いしながら奥山さんを見る。
「大丈夫ですよ。周りも三年更新で受ける団員さんばかりで忘れてると思いますので、こちらが丁寧に教えますから」
奥山さんの笑顔はあたたかい。
ふと、三宅教頭の慈しみの笑顔を思い出した。
顔のパーツが全然違うから、すぐ似ていると思わなかったが、二人の笑顔はそっくりだ。
「そうですか。では参加します。よろしくお願いします」
僕は苦笑しながら、そう応える。
「ありがとうございます。明日9時までに、ここの3階まで来てください。本日は誠にありがとうございました」
と、奥山さんは立ち上がり、深々とお辞儀をする。
慌てて僕もお辞儀する。
書類やベリッと剥がすタイプのワッペンを渡され、ヘルメットや帽子、安全靴などの一式の紙袋は、奥山さんが持ってくれている。
どうやら玄関まで送ってくれるらしい。
かと思ったら、駐車場まで持ってくれた。
「三宅から聞きました。浜温高校で防災部を新設するそうですね」
階段を降りながら、奥山さんが語りかける。
「はい。いや、でもまだまだ同好会としても活動できていないぐらいで」
「すばらしいです。教育が一番と言っていいほど、大事ですからね」
階段を降りながら話すと息があがる。
しかし、奥山さんは息の乱れは一切ない。
僕が、軽自動車に無事乗り込むと、
「がんばってくださいね! 」
と、三宅教頭によく似た笑顔で見送ってくれた。
僕は、なぜだか、運転に緊張した。
いつもより指差確認しそうなぐらい周囲をよく見て、駐車場を出る時も、これでもか! と言うほど、四輪を止め、一時停止してから道路に出る。
出る時に、バックミラーやサイドミラーで、90度にお辞儀する奥山さんの姿が見えたーー。
翌日、救急救命の講習に来たことを後悔した。
まず、活動服の裾上げを忘れた。
裾上げテープまでくれていたのに、のろのろと支度をしていると、もう行く時間になっていた。
仕方ないのでズボンの裾をくるくると折り曲げた。
講習には、僕と同じぐらいの若者から60代ぐらいまでの男性まで幅広い層の消防団員が10名ほど来ていた。
普通救急救命の修了証は特に期限は無い。
しかし、普段めったに実践しないことなので忘れてしまうし、現代社会に合わせ、法律や119の体制や実施方法やAEDの仕様などが更新されることも多いため、3年に一度の受講が推奨されている。
浜温町の消防団員は3年毎に受けるよう、努力義務化されているそうだ。
3、4人の1グループの3グループに分かれ、大講義室の広間に三箇所、等間隔で置かれた濃い灰色のマットに上半身だけのマネキンが寝ていて、訓練用のAEDがある島を取り囲む。
指導をするのは、奥山さんと、もう一人、僕より若そうな土居さんと言う消防士だった。
奥山さんが講習の最初にアイスブレイクで語った話では、普段は、消防職員一名と、女性消防団員で、救急救命普及員と言う資格を持った女性が、学校や企業の救急救命講習に行くらしい。
西条市に至っては、普通の主婦たちである女性消防団員のみで学校や企業の救急救命に出かける逞しさしい。
消防団員のおじさん達は慣れた手つきでどんどん進めていく。
傷病者の発見者で胸骨圧迫をする役、119番へ連絡する役、AEDを持って来て、操作する役と、素早く交代していく。
おじさん達は、AEDが電気ショックを与える前、
「身体から離れてください! 」
と、操作する役の人が声を張り上げ、傷病者に触れていないかを見渡した時に、119番役の人がわざとマネキンに手を添えたままにしていたりする。
アドリブをする余裕さえあるのだ。
なぜか、市民劇団にでも入っているのかと思うほどに、皆、演技力が高い。
その中で、ポンコツの棒演技がいた。
そう、僕である。
しかも、胸骨圧迫をする役の時に、意識の有無を確認する前に、呼吸の確認をしたりと、順番がグダグダになって、消防士の土居くんがドン引きをした顔でポカンと僕を見ている。
フォローしようと思ったのか、土居くんが
「人間、パニック時は、3歳から5歳ぐらいの幼児に退行すると言われてますからね」
と、から笑いをするので、僕は余計に泣きそうになって焦る。
胸骨圧迫にしても、おじさん達は、テンポよく、ぺコンペコンと音がしているのに、僕は明らかに音が違う。
BPM100〜120の速さらしいのだが、僕は、どんどん速くなってしまっているようで、一人のおじさんが、『アンパンマンのマーチ』を歌い出す。
もう一人もその歌に合わせ手拍子をする。
マネキンに大きな雫が落ちる。
僕の汗だ。
僕は顔に汗をいっぱいかいて、脇汗も出ているのを感じる。
「お兄ちゃん、ゴリラのポーズやで」
と、アンパンマンを歌っていたおじさんが隣に並んで、手取り足取り、姿勢を整えてくれる。
「そうそう。真上からや。一気に体重をかけて、ちゃんと戻す」
その時、やっと、いい音がする。
「でけた。でけた。奥さんか子どもがおるか知らんけど、家族を助けたい気持ちでやるんやで」
と、言った後、おじさんが時代劇の悪代官のようにハハハと笑う。
僕は袖で汗を拭いながら、やっと笑った。
どの役も周り、器具を片付ける。
最初とって喰われそうで怖かったが、このおじさん二人が同じグループで良かった。
家で母と昼食をとる。
消防署の帰りにある道の駅に寄って、地元のおばあちゃんが作ったであろう唐揚げと巻き寿司を買って帰った。
愛媛県の味付けは甘めらしい。
生まれも育ちも愛媛県の僕なので特に甘いと感じ無いのだが、老舗のミートスパゲッティも、鍋焼きうどんも、県外の人が食べると「甘くて美味しい」らしいのだ。
巻き寿司を口に放り込んで、幸せを噛みしめた頃、LINEの通知音がする。
テーブルに置いてあるスマホを覗き込む。
杣本くんからだ。
車の中で、防災部新設の顧問にスカウトされた時、LINEを交換した。
「お疲れ様です!越智のおっちゃんから……」と言う文頭が通知画面に表示されている。
「越智のおっちゃん?あ、そっか。あのおじさん、スーパー越智のおじさんやわ」
僕は、杣本くんのLINEの文頭から、アンパンマンを歌ってくれたおじさんが、越智さんだと思い出す。
スーパー越智は、浜温町商店街にある八百屋である。
野菜や果物の他、奥さんや娘さんのお惣菜も売っていて、毎週火曜日に販売されるビッグコロッケが大人気だ。
越智さんと杣本くんが交流があるのかどうかは知らない。
杣本くんは、毎週日曜日に、商店街や国道沿いの歩道で、高校の有志を集め、ゴミ拾いをしている。
確か今年の三月の修了式の時、学校で表彰されたように思う。
それらの関係で、商店街の方々とも交流があるのだろうか。
ちょうど今日は日曜日なので、ゴミ拾いをしていたら、越智さんが、救急救命の講習が終わって、今日の話を聞いたのかもしれない。
悲しい。生徒数人に今日の醜態がバレたのかもしれない。
しょうがない。
取り繕うことはない。
これがありのままの自分だ。
人が当たり前にできることが、だいたいできないのである。
テッシュで指先を拭いてから、スマホをタップする。
顔認証が完了し、レ点マークから、アプリのたくさん並んだ画面表示になる。
緑色のLINEをタップし、杣本くんとのトークの欄を選ぶ。
杣本くんのLINEには
ーーお疲れ様です!越智のおっちゃんに聞きました
家に胸骨圧迫の訓練用の器具があるので練習しませんか
マリカさんが河内晩柑のパウンドケーキを焼いています
僕の家は、浜温バイパス近くの高台にあって
近くのセブンまで来てくれたら、僕が先生の車に乗って案内しますーー
と、送られて来ている。
正直、面倒くさいと思った。
僕は予定のない休日が大好物である。
予定があると何日も前から憂鬱になる。
それが推し活であってもだ。
どうやって断ろうか頭を巡らす。
しかし、汚名返上したい気持ちもあった。
自己肯定感が低く、自分に対し、いろんなことを諦めている僕でも、プライドはあるのか、悔しいものは悔しい。
越智さんの言葉も心に響いている。
『家族を助けたい気持ちでやるんやで』
父も、いち早く発見され、応急処置をされれば助かったかもしれない。
ぶつかった民家は不在であったし、通行人が発見するまで数時間あった。
母がいつ倒れるか分からない。
今年、生徒の母親が、仕事中、くも膜下で倒れ、帰らぬ人となった。
僕は、杣本くんにLINEを打つ。
ーーLINEありがとう!行きます!
いま、お昼ご飯を食べているのですが、この後すぐ向かっても大丈夫ですかーー
送信すると、瞬く間に既読がつく。
ーーわーい!待ってます じゃ13:00頃にセブンで待ってますねーー
すぐさま返事が来た。
僕はLINEを閉じ、まだ食べている母に向かって
「ちょっと、午後も、救急救命の練習してくる」
と言って、ゴゴゴと、キッチンダイニングの椅子を引きながら立ち上がる。
「あれ?」
僕は気づいた。
あんなに腰を使ったのに、いつもより腰の調子が良い。
やっぱり運動しなきゃなのだろうか。
ナイトを探すと、ソファで寝ている。
テーブルの上に置いてある車の鍵をつかみ、
ナイトに向かって
「せっかくの休みにごめんな。行ってくるね」
と囁くように声をかけると、目を覚まし、つぶらな瞳で、舌を出している。
まるで、「行ってらっしゃい」と言っているように。
「ペット防災危機管理士」と言う民間資格もあるらしい。
ナイトのことも守りたい。
僕は、鍵を握りしめ、力強く歩き始めた。




