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ハラグロ優等生と、ポンコツ猫教師 ~これは浜温高校防災部の青春物語である〜  作者: 数多津コイツか


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第1話 まちぶせ①

 人いきれの中、僕は背後から手首を掴まれ、息をのんだ。

四国の浜温(ハモン)町へ帰るため、新大阪駅の新幹線のりば口に入ろうとしていた。


 脳内で「知り合いだろうか? 」と言う予測や

「なんなんですか? 」と言う憤り、

 通り魔的な危機感が秒で駆け巡る。


 恐る恐る手元を振り返った。


 すると手の主は、少年で、僕を見ながら微笑を浮かべている。

 なんと、教え子の県立浜温高校二年生、杣本玲ソマモトレイくんだった。

「え? 杣本くん」

 浜温町ならまだしもここは大阪だ。

「先生、チーズケーキ買って帰りませんか? 」

 そう言って杣本くんが僕の手を新幹線のりば口とは逆方向へと引っ張って行く。

「ちょ、ま、杣本くん。乗り遅れるじゃないですか! 」

 僕はいつに無く声を張った。

 それでもお構いなしに人混みをかき分けていく。

 杣本くんは、少し人口密度が薄まった空間で手を放し、

「先生。リュックの中にあるトイレットペーパーを返しに行きましょう……」

と、耳元でささやいた。


 特急しおかぜが、岡山県から香川県へと向かって瀬戸大橋を渡っている。

 高い位置から、白く丸い光りが車窓を差してきて眩しい。

 水色の空、スケートリンクのように平らな海面に、小さな島々が浮かんでいる。

 美し過ぎて作りものみたいだ。

 これから先、何度かまた、瀬戸大橋を通過する機会はあるだろうけど。

 一期一会、二度と見られない景色なのに、現実味がない。

 嘘みたいに綺麗なのだ……。

「死にたい」

 またいつもの口癖を頭の中でつぶやいた。

 杣本くんの席は、離れているが同じ車両のようだ。

 どうして彼は、僕が宿泊先のホテルのトイレットペーパーを盗んだのが分かったのだろう。

 信じてもらえないかもしれないが、盗みは初犯だった。

 小学生の頃、機能不全を起こしているような家の子や裕福な家の子でも万引きをしている子もいたが、万引きはもちろん、僕は、友人知人の物を借りパクしたこともない。

 家族のものでも勝手に取らないくらいの僕だ。

 スーパーや飲食店などの備品を常識の範囲以上に使うこともなければ、むしろ人より控えめだ。

 学校の文具用品を余分に注文したり、多めに取ったりもしない。

 以前の僕であれば

「公共の場のトイレットペーパーを一個だろうと盗むなんて犯罪だ! 」

「人として許せない! ましてや教職者が許されざる行為だ! 」

と、断罪したであろう。

 別世界の人間のやる行為だと思っていた。

 元来、挙動不審のせいか盗みを疑われることが人生で数回あった。

 それもあって実際に犯している人間に、冤罪の身として腹が立つ。


 それが、だ。


 人は、どん底に落ちると、モラルが崩壊することもあるのだ、と身を持って知ってしまった。


 僕は、富久貴音トミヒサタカト27歳。

 愛媛県立浜温高校で社会科教師をしている。

 大阪へは青山薫(アオヤマカオル)と言うアイドルの推し活に来ていた。

 明日からは、世知辛い現実に戻る。

 「推し活」と言う僕にとっての救いも昨夜のライブで終わり。

 五ヶ月前、父が急逝し、家のローンが残った。

 新築の際、団信に加入し、リレーローンで契約していたためだ。

 父は持病を隠しての加害物損の交通事故死で、保険金が降りなかった。

 破壊した民家の塀の修理代も自腹だ。

 父の貯蓄は、将来の母のために置いておかないといけない。

 僕は貯蓄ゼロの上に、銀行カードローンが200万円ある。

 大学の奨学金だって、まだ200万円以上返済できていない。

 住宅ローンを組んだ時は、クレジットカードや車のローンのみで、キャッシングの借金はゼロだった。

 二年であれよあれと言うまに増えた。

 車は軽自動車だし、ブランド物の服や小物に凝っているわけでもなく、全身脱毛しているわけでもない。

 推し活だって、CD100枚積んだり、グッズ全部コンプリートしたり、コンサートツアー全通するような濃いファンではない。

 キャバ嬢や風俗嬢に傾倒しているわけでもなく、ロマンス詐欺に遭ったわけでもない。

 ギャンブルや投資にも手を出していない。

 なぜだか分からないが、こうなっていた。

 明日から、推し活は封印、食費等も切り詰めなければならない。


 窓に頭をもたげる。

 少し腰を浮かして真下を覗き込む。

 橋桁の網目から紺青色の海が煌めいている。

 飛び込みたい衝動に駆られ、しばらく見つめ、目を閉じ、腰をおろした。


 自業自得だ。

 生活改善して、定年までに住宅ローンを完済しよう。

 勉強は少しできるが、それ以外、まともにできない人間だ。

 同期は、結婚し、家を買い、子供も生まれ、iDeCoや積立ての話題が出るではないか。

 高卒だろうがブルーカラーだろうが、家を建てて、高級ミニバンに乗って、かわいい奥さんや子どもや愛犬とキャンプへ行き、幸せに生きる同級生もいるだろうが。


 僕は、まともになりたいんだ!!!!!!!


 ダメ人間のくせに、まぐれで公務員と言うハイスペックは手に入れた。

 盗みなんて、その唯一の幸運さえ失ってしまうのに、浅はかだった。

 備品の持ち帰りは、節約アイディアでもグレーゾーンでもなく、犯罪だ。

 本名で予約し、クレジットカードで決済している。

 いや、バレるバレないではない。

 バレなきゃいいと言う問題じゃない。

 自分は不幸だからこのぐらい構わないと魔が差した。

 自分を特別だとは思ってはいけない。

 どんな状況であれ犯罪は犯罪。許されない。

 そんな人間性の奴が子どもを教育してはならない。

 杣本くんがなぜ分かったか分からないが、生徒に説得されるとは情けない。


 杣本くんにトイレットペーパーを返すよう言われて、僕は、見る見るうちに顔色が変わったと思う。

 杣本くんに声をかけられる前から自分でも後悔の念が渦巻いていた。

 腕時計を見ると、9:53だった。

 「のぞみ61号博多行きの新大阪駅10:32発」

 には、ギリギリ間に合うだろう。

 杣本くんの手を放し、速足で一歩を踏み出した。


 本当にトイレットペーパーを返しに行った。

 駅直結のホテルゆえ、すぐにロビーに着き、「忘れ物がある」と切実に伝えた、再度、カードキーを渡され、部屋に入ることができた。

 僕の中身ぐじゅぐじゅのリュックに入れていたトイレットペーパーを返すのには、やや抵抗 があった。

 しかし、新品のポリ袋に入れ、結んでいたので、ごめんけどセーフにしてほしい。


 今日は帰るだけの移動日なのに、もう疲れた。

 新幹線は、無事に予定通りの便に乗れ、岡山駅で新幹線から在来線の特急に乗り換えた。

 第四代国鉄総裁で、新幹線の生みの親である十河信二(ソゴウシンジ)氏は、愛媛県の新居浜市生まれで、西条市の市長もなさったが、四国に新幹線はない。

 新幹線の静けさとは違い、特急しおかぜは揺れる。

 新幹線では、スマホでいろんなサイトを閲覧していたが、しおかぜではそうは行かない。

 僕は、車酔いをしてしまう。

 読書をしている強者もいるが、僕は三半規管が弱いのだろう。

 新幹線に比べると、ビールや乾き物や揚げ物や醤油などの混ざった匂いはしない。

 夕方になると駅弁やツマミを食べる人もいるのかもしれないが時間帯のせいだろうか。

 160分弱、車内販売はない。

 岡山駅のキヨスクのコンビニでパンや飲み物でも買えば良かった。

 在来線ならではの音や振動が心地よく、海岸線沿の景色は最高だが寝るに限る。

 また、あの夢を見るだろうか……。

 僕は、腕を組み、ゆっくりと瞼を閉じた。


 目を開けると、夢の中の僕は、いつもの家に居た。

 どうやら杣本玲くんの家のようなのだ。

 杣本くんは、このお屋敷のような古民家に、おばあちゃんと二人暮らしのようだ。

 僕は、縁側の猫ベッドでくつろいでいた。

 この家には、猫用ベッドが5個以上ある。

 玄関、居間、縁側、おばあちゃんの部屋、杣本くんの部屋……。

 そう、いつもよく見るこの夢では、僕は、杣本くんの家の飼い猫だ。

 「チョウチョウ」と言う名前の雄猫である。

 おばあちゃんの部屋の鏡台で確認したところ、中肉中背のキジトラだった。


 おばあちゃんとおばあちゃんと同世代らしき女性と縁側に座り、お茶とクッキーを食べながらお話をしている。

 風が吹き、草木の匂いの中、コーヒーとバターの芳醇な香りに癒される。

 おばあちゃんの作るお菓子はいつも美味しそうだが、僕はありつけたことがない。

 おばあちゃんは60代ぐらいだろうが、凛とした活力あふれる素敵な女性だ。

「玲くん、今日はお留守? 塾でも行ってるの? 」

 女性がおばあちゃんに尋ねる。

「あぁ、玲はね。一昨日の晩から金沢の家に帰ってるの。いつもはね、伊丹から飛行機なのに、たまには特急で帰りたいって。松山駅14:13着の列車で帰ってくるから、アタシが迎えに行くのよ」

 僕は内心ギョッとした。

 だから新大阪の駅で会ったのか、と妙に納得してしまったが、いやいや、これは夢だ。

「実家にもよく帰ってるみたいやね。玲くん、ほんと良い子」

お友達がおべんちゃらではなく、本音の口調で言う。

「そうそう、良い子すぎて、心配。美代(ミヨ)の話だと、英男(ヒデオ)さんは、東大の(ヒロシ)や京大の雅輝(マサキ)も誇らしいけど、三男末っ子の玲のこと可愛くて仕方ないくせに素直じゃないのよね」

 杣本くんのおばあちゃんが、縁側で脚を組み、右手の甲から伸びる指先3本を顎下に当て、小指を立てながら話す。

 たまに髪をかきあげる。

 僕からすると、ちょっと高圧的な感じのする話し方だが、可愛らしい声でエレガントだ。

 明瞭で滑らかで聴き取りやすい。

 いわゆるバブル世代と言うやつだろうか。

 リバイバルしたダンスやドラマをYouTubeやTikTokで見たことがある。


「勤続5年の研修旅行がハワイであった」

「ティラミスは若い頃に一生分食べた」

「ティファニーのオープンハートを何個ももらった」etc……。


 この夢を見るようになって、おばあちゃんの会話で何度も聞いた。

 お友達と話していても、おばあちゃんは、すぐ自分の昔話になる。

「アタシってスゴイでしょ」と言う承認欲求女王だからなのか。

「アタシにはこういうことがあったよ」と言う、お友達との情報交換なのだろうか。

 仮におばあちゃんの女王マウントだったとしても、お友達が気にしてなさそうなのは、それを超える魅力がおばあちゃんにあるからだろう。

 マウントさえも面白い個性と思えるくらいに慕ってしまうような。

 派手な見た目ながら、炊事・洗濯・掃除のスキルが高く、庭では家庭菜園をしていて、バラを熱心に育てている。

 定年してから、子育て支援や障害者支援や犬猫保護などのボランティア活動を積極的に行っているようなのである。


 おばあちゃんが

「ちょっとタバコ吸ってもいいかしら?」

と、お友達に尋ねると

「どうぞどうぞ。私もちょうど吸いたかったところよ」

とお友達は微笑む。

 おばあちゃんは、少し離れたところに置いてあった砥部焼の灰皿を手に取り、お友達との間に置く。

 しなやかな指先から、口唇で捕まえたタバコに火をつける。

 おばあちゃんがタバコを吸う姿は、本当に美味しそうで、かっこいい。

 しかし、僕はタバコは苦手なので、酸っぱい煙の匂いから逃げるように居間へと向かう。


 しばらくして、世界が上下に揺れた。


 『終点、松山駅、松山駅ーー。降り口は右側です』

 車内アナウンスで最終駅の到着間近を知らせている。

 僕は夢から醒めた。

 夢の中の僕は、杣本くん宅で居間に向かった後、深い眠りに入ってしまったのかもしれない。

 脳疲労が回復したような感覚がある。

 すぐには行動開始できなくて、ぼんやりとしていると、杣本くんが僕の席までやって来た。


「富久先生! 祖母が迎えに来てるので、良かったら一緒に帰りませんか? 」


「そんな悪いよ」

「いいから! いいから! 」

と言うやりとりをしながら、松山駅の西側に出ると……。

 真っ赤なワーゲンのSUVに乗ったサングラスのおばあちゃんが、

上品に口角を上げ、手を振っている。


「あ……」

 僕は、一瞬、立ち止まってしまった。


 会ったことのないおばあちゃんだが、夢のまんまの美魔女だった。

 夢でシャッターが閉まる車庫に入れてある車も同じだった。

 あまりのかっこよさに、夢から覚めてネットで調べたあの車が目の前にある。


 満面の笑顔で手を振り返す杣本くん。

 次の瞬間、杣本くんは、僕に振り返り言った。

「今度、浜温(ハモン)高校で防災部を設立したいんです! 富久先生に顧問になってほしくて」

「えぇ? 」

 自分でも驚くほど素っ頓狂な声を出してしまった。


「詳しい話は帰りながら話しましょう。さ、どうぞ乗ってください」

 杣本くんは運転席側の後部座席ドアを開け、僕を誘導する。

「失礼します」と乗り込み、

「浜温高校で社会科教師をしている富久貴音と申します」

と挨拶をし、お礼を伝える。

 杣本くんはドアを静かに閉めると、反対側に周り、左側から後部座席へ乗り込んでくる。

 僕の隣りに座り、ドアをゆっくりと閉める。

「マリカさん、ありがとう! 富久先生も送ってあげてね」

 普段より、とても甘えた声で、おばあちゃんに声をかける杣本くん。

「了解! 」

 おばあちゃんは自衛隊員のような発声で返事をする。


 わすれな草色の空の下、キングズレッドカラーのSUVが走り出したーー。


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