1日目
『お前は3日間の幸福か、数十年の空虚……どちらが良い?』
何が楽しくて後者を選ぶのか、俺には理解できなかった。たとえ早く死ぬことになろうと、俺は迷わ
ず幸せを選ぶ。心から前者を願うだろう。
◇◇◇◇
時刻は深夜3時を回っていた。あの謎の声のせいですっかり目が冴えてしまった。あの声は一体何だったのか……。
落ち着かない俺は、タバコと酒を買いにバイクを走らせた。深夜の風を切りながら走るのは気持ちがいい。自分が風そのものになったような心地よさだった。アパートを出るときに視線を感じた気もしたが、気にせず無視した。
道路には車も人もおらず、買い物を終えてすぐに帰ってこられた。アパートの階段に足をかけたそのとき、頭上から蚊の鳴くようにな細い声が降ってきた。
「……朝帰り?」
見上げると、隣の部屋に住んでいるダウナー系の女が、俺を見下ろしながらタバコを吸っていた。
「ああ、目が覚めたから散歩にな。お嬢さんそこ、こんな時間に何してんだよ?」
歳はあまり変わらないはずだ。けれど少し気取って『お嬢さん』と呼んでみた。女は頭をガシガシと掻きむしりながら、ふーっとため息をついた。
「私、もうそんな歳じゃないんだけど。今年で23歳だし……」
何かを聞きたそうに口を開いては閉じを繰り返し、ついにその声帯を震わせた。
「君も、あの夢……見た?」
少し驚いた。俺以外にもあの声を聞いた奴がいたなんて。
「ああ、見たよ。君はどっちを選んだ?」
女は紫煙を吐き出しながら答えた。
「3日間のほう。……あと、名前はアリサ。君は?」
紺のウルフカットから覗く青のインナーカラーが、街灯の薄明かりにゆらりと揺れた。真っ黒な瞳が俺に向けられる。
「俺はタクミだ。奇遇だな、俺も同じだよ」
アリサはフッと口元を緩めると、壁に背を預けたまま俺をじっと見つめた。黒い瞳が何かを確かめるように細まる。
「3日、だってさ」
ぽつりと呟き、タバコを深く吸い込んだ。煙を細く吐き出す。
「……信じてないけどね。でもまあ、暇つぶしには
なりそうだし」
アリサの手が、パーカーのポケットの中で手持ち無沙汰そうに動いた。俺は思ったことをそのまま口に出す。
「俺らの余命なのかな」
発した瞬間、周囲の空気が少しだけ凍りついた。アリサのタバコを持つ手がピクリと止まる。
「……余命、ね」
その言葉を噛み締めるように繰り返し、アリサは小さく息を吐いた。火種が真っ赤に明滅する。
「だとしたら最悪じゃん。せめてもっと早く言ってほしかった」
壁から背を離し、一歩だけ俺に近づく。ホットパンツから伸びた素足に、早朝の冷気がまとわりついていた。
「でもさ……逆に考えれば。あと3日で死ぬなら、もう何も怖くないってことでしょ」
アリサの口元がわずかに歪んだ。笑っているのか冷めているのか判別しづらい表情だ。朝焼け前の空がうっすら白み始めている。5月の朝風は、妙に生温い。
「ねぇ、今から海行かない?」
急な提案だったが、暇だった俺はその誘いに乗ることにした。
「バイク、後ろ乗れよ」
俺はヘルメットを渡すと、アリサは少し驚きつつ受け取った。舌打ちが聞こえた気もしたが無視して乗るよう促す。
「ねえ、バイクから落ちたら死ぬ?」
「まあ、最悪な」
手の置き場に困っているアリサを見かねて、俺は声を張った。
「腰に手まわせば落ちねーから!……早く行くぞ」
サイドミラー越しに、アリサの耳が真っ赤になっているのが見えた。勝手に『ダウナー系お姉さん』だと思っていたイメージが崩れていくのを感じながら、エンジンを吹かした。
「ねぇ、タクミ……少し速くない?」
「気にすんなよ、こんなもんだよバイクは」
適当にあしらうと、アリサは安心したように顔色が戻った。……まあ本当のことを言えば、俺はバイクの免許を持っていないのだが。教えれば一気に顔色は悪くなるだろう。
ついたと同時に、太陽が水平線から顔を出した。海面に日光が反射して、キラキラと白い光を帯びている。あまりの美しさに二人は言葉を失った。
砂浜に腰を下ろし、俺は問いかけた。
「なあ、他にやりたいことあるか?」
アリサはタバコをくわえ直し、宙を見つめた。
「やりたいこと……」
その言葉自体が馴染みの薄い概念のようだった。そのとき、ポケットの中でアリサのスマホが震えた。画面をちらりと確認すると、即座に電源ごと切る。
「……あ」
何か思いついたようにタバコを離す。
「制服」
「……はい?」
「学生のデートってやつ。やったことない。高校とかまともに行ってなかったし、青春ってやつを一回くらい体験してみたい」
急に自分の発言の痛さに気づいたのか、アリサは顔をしかめた。
「……いやキツいか、23だし私ら。完全コスプレじゃん」
「いや、俺はともかくアリサは可愛いから行けると思うけどな」
一瞬の沈黙。
「……は?……今なんて……」
アリサの首筋から耳にかけて、みるみる赤く染まっていく。タバコを持つ手がプルプルと震え、灰が落ちていくのにも気づいていない。
「お世辞とか……やめてよ!そーゆーの一番キツいから!」
「本当に可愛いと思って言ってるんだけどな」
からかうのが楽しかったが、本心でもあったので俺も少し照れくさかった。通りかかった老夫婦が微笑ましそうに見守っており、アリサはさらに顔を赤くした。
「ちょっ、制服!制服の話!もうこの話やめる! で、制服どこにあるの?」
「少し遠いけど、駅前のデパートに行ってみるか」
二人は並んで歩き出した。信号待ちの途中、手持ち無沙汰になったアリサがタバコを取り出す。
「ライター忘れた。手持ち無沙汰……」
「ほら、これ使えよ」
俺がライターをちらつかせると、アリサはジリジリと距離を詰めてきた。
「……シガーキスしたい。暇つぶし」
タバコが燃える微かな匂いが鼻をくすぐる。距離が数ミリまで縮まった。
「アリサ、火ついたぞ」
「ん……」
◇◇◇◇
デパートの衣料品フロアには、暴走族の特攻服と並んでコスプレ用の学ランやセーラー服が売られていた。
「八千九百円……金ある?」
「おう、どうせ余命もないしパーッといこうぜ」
俺は学ランを買い、アリサは紺のセーラー服を持って試着室に入った。
カーテンがゆっくり開く。そこに立っていたのは、見慣れたダウナー女ではなく、初々しく可憐な一人の少女だった。
「か、可愛い……」
ボロっと本音が漏れた。
「……っ、そういうの禁止。マジで」
恥ずかしさのあまりスカートの裾を引っ張るアリサ。そこへ中年の女性店員がやってきた。
「お似合いですねー!彼氏さんもそう思いますね?」
「本当ですよね!この子照れ屋さんなんで」
『彼氏』であることを否定しなかった俺に、アリサは試着室の中に逃げ込んでしゃがみ込んでしまった。カーテン越しにか細い声が漏れる。
「……なんで否定しないの」
「俺たち今、制服デート中だろ。やりたいことでき
てんじゃん」
しばらくの沈黙の後、意を決したようにアリサが勢いよくカーテンを開けた。全身真っ赤になりなが
ら、ぶっきらぼうに言い放つ。
「……じゃあこれ買う」
歩き出した瞬間、慣れないスカートの裾を踏んで前のめりに倒れそうになるアリサ。咄嗟に俺の学ランの袖を掴み、至近距離で抱き合う格好になった。
「……助けて」
消え入りそうな声で呟くアリサに、俺はおちゃらけて返した。
「任せろよ、彼女」
◇◇◇◇
その後、俺たちはウインドウショッピングを存分に楽しんだ。偽装カップルではあったが、アリサの隣にいられる時間がたまらなく幸せだった。
帰り際、次のやりたいことを尋ねると「学校の雰囲気を味わいたい」と言う。スマホで調べると、明日に近くの廃校舎でイベントがあるらしい。
「明日、行こうな」
そう約束して帰路についた。……ちなみに、置いておいたバイクは盗まれていたが「余命3日だしな」と二人で笑い飛ばして歩いて帰った。
アパートの階段を上がり、それぞれの部屋の前に立つ。自室の鍵を開けながら、アリサが振り返ってタバコに火をつけた。紫煙を深く吐き出す。
「ねえ」
一拍置いて、視線を外したままアリサが呟いた。
「今日、楽しかった」
バタン、とドアが閉まる。面と向かって言えない照れ隠しを、紫煙と一緒に廊下に置き去りにして逃げていった。俺の口角は久しぶりに上がっていた。
3話で完結の予定です
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