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1/3

1日目


『お前は3日間の幸福か、数十年の空虚……どちらが良い?』


何が楽しくて後者を選ぶのか、俺には理解できなかった。たとえ早く死ぬことになろうと、俺は迷わ

ず幸せを選ぶ。心から前者を願うだろう。


◇◇◇◇


時刻は深夜3時を回っていた。あの謎の声のせいですっかり目が冴えてしまった。あの声は一体何だったのか……。

落ち着かない俺は、タバコと酒を買いにバイクを走らせた。深夜の風を切りながら走るのは気持ちがいい。自分が風そのものになったような心地よさだった。アパートを出るときに視線を感じた気もしたが、気にせず無視した。

道路には車も人もおらず、買い物を終えてすぐに帰ってこられた。アパートの階段に足をかけたそのとき、頭上から蚊の鳴くようにな細い声が降ってきた。


「……朝帰り?」


見上げると、隣の部屋に住んでいるダウナー系の女が、俺を見下ろしながらタバコを吸っていた。


「ああ、目が覚めたから散歩にな。お嬢さんそこ、こんな時間に何してんだよ?」


歳はあまり変わらないはずだ。けれど少し気取って『お嬢さん』と呼んでみた。女は頭をガシガシと掻きむしりながら、ふーっとため息をついた。


「私、もうそんな歳じゃないんだけど。今年で23歳だし……」


何かを聞きたそうに口を開いては閉じを繰り返し、ついにその声帯を震わせた。


「君も、あの夢……見た?」


少し驚いた。俺以外にもあの声を聞いた奴がいたなんて。


「ああ、見たよ。君はどっちを選んだ?」


女は紫煙を吐き出しながら答えた。


「3日間のほう。……あと、名前はアリサ。君は?」


紺のウルフカットから覗く青のインナーカラーが、街灯の薄明かりにゆらりと揺れた。真っ黒な瞳が俺に向けられる。


「俺はタクミだ。奇遇だな、俺も同じだよ」


アリサはフッと口元を緩めると、壁に背を預けたまま俺をじっと見つめた。黒い瞳が何かを確かめるように細まる。


「3日、だってさ」


ぽつりと呟き、タバコを深く吸い込んだ。煙を細く吐き出す。


「……信じてないけどね。でもまあ、暇つぶしには

なりそうだし」


アリサの手が、パーカーのポケットの中で手持ち無沙汰そうに動いた。俺は思ったことをそのまま口に出す。


「俺らの余命なのかな」


発した瞬間、周囲の空気が少しだけ凍りついた。アリサのタバコを持つ手がピクリと止まる。


「……余命、ね」


その言葉を噛み締めるように繰り返し、アリサは小さく息を吐いた。火種が真っ赤に明滅する。


「だとしたら最悪じゃん。せめてもっと早く言ってほしかった」


壁から背を離し、一歩だけ俺に近づく。ホットパンツから伸びた素足に、早朝の冷気がまとわりついていた。


「でもさ……逆に考えれば。あと3日で死ぬなら、もう何も怖くないってことでしょ」


アリサの口元がわずかに歪んだ。笑っているのか冷めているのか判別しづらい表情だ。朝焼け前の空がうっすら白み始めている。5月の朝風は、妙に生温い。


「ねぇ、今から海行かない?」


急な提案だったが、暇だった俺はその誘いに乗ることにした。


「バイク、後ろ乗れよ」


俺はヘルメットを渡すと、アリサは少し驚きつつ受け取った。舌打ちが聞こえた気もしたが無視して乗るよう促す。


「ねえ、バイクから落ちたら死ぬ?」

「まあ、最悪な」


手の置き場に困っているアリサを見かねて、俺は声を張った。


「腰に手まわせば落ちねーから!……早く行くぞ」


サイドミラー越しに、アリサの耳が真っ赤になっているのが見えた。勝手に『ダウナー系お姉さん』だと思っていたイメージが崩れていくのを感じながら、エンジンを吹かした。


「ねぇ、タクミ……少し速くない?」

「気にすんなよ、こんなもんだよバイクは」


適当にあしらうと、アリサは安心したように顔色が戻った。……まあ本当のことを言えば、俺はバイクの免許を持っていないのだが。教えれば一気に顔色は悪くなるだろう。

ついたと同時に、太陽が水平線から顔を出した。海面に日光が反射して、キラキラと白い光を帯びている。あまりの美しさに二人は言葉を失った。

砂浜に腰を下ろし、俺は問いかけた。


「なあ、他にやりたいことあるか?」


アリサはタバコをくわえ直し、宙を見つめた。


「やりたいこと……」


その言葉自体が馴染みの薄い概念のようだった。そのとき、ポケットの中でアリサのスマホが震えた。画面をちらりと確認すると、即座に電源ごと切る。


「……あ」


何か思いついたようにタバコを離す。


「制服」

「……はい?」

「学生のデートってやつ。やったことない。高校とかまともに行ってなかったし、青春ってやつを一回くらい体験してみたい」


急に自分の発言の痛さに気づいたのか、アリサは顔をしかめた。


「……いやキツいか、23だし私ら。完全コスプレじゃん」

「いや、俺はともかくアリサは可愛いから行けると思うけどな」


一瞬の沈黙。


「……は?……今なんて……」


アリサの首筋から耳にかけて、みるみる赤く染まっていく。タバコを持つ手がプルプルと震え、灰が落ちていくのにも気づいていない。


「お世辞とか……やめてよ!そーゆーの一番キツいから!」

「本当に可愛いと思って言ってるんだけどな」


からかうのが楽しかったが、本心でもあったので俺も少し照れくさかった。通りかかった老夫婦が微笑ましそうに見守っており、アリサはさらに顔を赤くした。


「ちょっ、制服!制服の話!もうこの話やめる! で、制服どこにあるの?」

「少し遠いけど、駅前のデパートに行ってみるか」


二人は並んで歩き出した。信号待ちの途中、手持ち無沙汰になったアリサがタバコを取り出す。


「ライター忘れた。手持ち無沙汰……」

「ほら、これ使えよ」


俺がライターをちらつかせると、アリサはジリジリと距離を詰めてきた。


「……シガーキスしたい。暇つぶし」


タバコが燃える微かな匂いが鼻をくすぐる。距離が数ミリまで縮まった。


「アリサ、火ついたぞ」

「ん……」


◇◇◇◇


デパートの衣料品フロアには、暴走族の特攻服と並んでコスプレ用の学ランやセーラー服が売られていた。


「八千九百円……金ある?」

「おう、どうせ余命もないしパーッといこうぜ」


俺は学ランを買い、アリサは紺のセーラー服を持って試着室に入った。

カーテンがゆっくり開く。そこに立っていたのは、見慣れたダウナー女ではなく、初々しく可憐な一人の少女だった。


「か、可愛い……」


ボロっと本音が漏れた。


「……っ、そういうの禁止。マジで」


恥ずかしさのあまりスカートの裾を引っ張るアリサ。そこへ中年の女性店員がやってきた。


「お似合いですねー!彼氏さんもそう思いますね?」

「本当ですよね!この子照れ屋さんなんで」


『彼氏』であることを否定しなかった俺に、アリサは試着室の中に逃げ込んでしゃがみ込んでしまった。カーテン越しにか細い声が漏れる。


「……なんで否定しないの」

「俺たち今、制服デート中だろ。やりたいことでき

てんじゃん」


しばらくの沈黙の後、意を決したようにアリサが勢いよくカーテンを開けた。全身真っ赤になりなが

ら、ぶっきらぼうに言い放つ。


「……じゃあこれ買う」


歩き出した瞬間、慣れないスカートの裾を踏んで前のめりに倒れそうになるアリサ。咄嗟に俺の学ランの袖を掴み、至近距離で抱き合う格好になった。


「……助けて」


消え入りそうな声で呟くアリサに、俺はおちゃらけて返した。


「任せろよ、彼女」


◇◇◇◇


その後、俺たちはウインドウショッピングを存分に楽しんだ。偽装カップルではあったが、アリサの隣にいられる時間がたまらなく幸せだった。

帰り際、次のやりたいことを尋ねると「学校の雰囲気を味わいたい」と言う。スマホで調べると、明日に近くの廃校舎でイベントがあるらしい。


「明日、行こうな」


そう約束して帰路についた。……ちなみに、置いておいたバイクは盗まれていたが「余命3日だしな」と二人で笑い飛ばして歩いて帰った。

アパートの階段を上がり、それぞれの部屋の前に立つ。自室の鍵を開けながら、アリサが振り返ってタバコに火をつけた。紫煙を深く吐き出す。


「ねえ」


一拍置いて、視線を外したままアリサが呟いた。


「今日、楽しかった」


バタン、とドアが閉まる。面と向かって言えない照れ隠しを、紫煙と一緒に廊下に置き去りにして逃げていった。俺の口角は久しぶりに上がっていた。

3話で完結の予定です

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