第21話 傷は物語る
赤鬼、狼男との戦いから夜が明けた。くららは鳥のさえずりに目を覚ますと、寒さで思わず震えた。
「うう、寒い……。幽斎さんのところで贅沢を覚えちゃったかな」
薄い布団、みんなが怖がっている梟風よりも恐ろしい隙間風の西能寺と、立派な豪邸だった細川邸。あまりの待遇の落差に風邪を引きそうだ。
「タダで泊まらせてもらってる以上、文句は言えないけどさ……」
それにしたって。そう心の中で唱えて、丸まりながら寝返りを打つと、なにかに顔をぶつけた。よく見ると、サラの胸だ。知らないうちに、いっしょに寝ていたのだ。
「サラ!? な、なななななんで!」
誰からも恐れられている男の寝顔は、おだやかだった。すぐに自分の口を抑えたものの、叫んだところで起きない。
「……つかれてるのかな」
目をつむれば、左の赤目も見えない。ふつうの人で、とてもやさしい人。サラのコトをずっと見上げているのだから、こんなときじゃなきゃ同じ目線でいられない。傷ひとつない寝顔をジッと見つめてしまう。
「サラって、意外とまつ毛が長いんだね。知らなかったなあ」
傷がないのはひと目でわかるが、こんなコトにも気づかないほど、新発見がある。外では気が張ってたのもあるかもしれないけれど。
「……わたし、なにも知らないなあ。サラのコト」
自分の不甲斐なさに、ため息が出る。過去に寄り添ってくれるのに、自分はなにもできないのかと、胸がつかえる思いだ。
サラを知れるのは、きっと対等になったとき。同じ目線で、同じものを見たとき。そうなるには……、やっぱり強くならなきゃいけない。
「いつか聞かせてね、あなたのコト」
くららは微笑みながら、指をサラの唇に近づける。微かな寝息が指に触れると、顔と胸が熱くなった。
こんなときじゃなければ、サラに触れない。ましてや、唇なんて。胸の高鳴りで起きないかと思いつつ、ゆっくりと指を近づける。
もうすこし、あとすこし――なのにこの距離が長く感じる。生まれて初めてのときめきが、きっとさせているのだ。そんな充実のときは、思わぬ形で崩れるのだが。
「あァ、うんうんうん。そうそう」
サラが突然、寝言を言いながら頷いた。その瞬間、くららの指が鼻の穴に見事埋没。
「ンゴォッ!」
驚きの声を上げるサラ。くららはすぐに指を引っこ抜くも、さすがに飛び起きて左右を確認する。
「なんだッ、敵襲かァ!?」
その足元には、くららがうつむいている。鼻の違和感といい、なにかあったのかと胸がざわついた。
「くらら、なにかあったか!?」
「な、なにもないよ……」
「ンな落ち込みようで言っても、信じられねェよッ」
「なにもなかったから怒ってるの! サラの寝相が悪いせいでさ!」
「はァ!? なに言ってンだ!」
結果的にあまりにもマヌケすぎる起こし方をした挙句、サラにあらぬ心配をかけてしまい、恥ずかしくなってツンとした態度をとってしまった。
「なんやいきなりやかましいな、なにをがなっとるんや!」
他人の寺でぎゃあぎゃあと喚くふたり。さすがの与次も、足音を大きく立てて来てから一喝。
「ケンカはやめえな。まったくふたりとも、誰の寺かわかっとるんか?」
「関係ねェよ坊主!」
「いやぞんざいな扱い!?」
与次は目線を下げると、ふたりに貸した薄い布団がくっついていた。この言い争いの原因はよくわからないが、仲違いはしてなさそうで安心した。
「まあ、アレやろ。起抜けで腹減りなんやろ。もう午の刻や、朝なんてもうとっくよ。てなワケでお待ちかね、メシの時間や」
待ちかねたのは自分のほうと言わんばかりに、与次は立派な懸盤を持ってきた。ふたりは細川邸での食事を思い出しヨダレが垂れそうになるも、その上に乗っているものを見て、すぐに引っ込んだ。
黒い。とにかく黒い。食べ物なのかもわからないくらいに、元の食材の原形すらもよくわからない。
「いや調理ってのは難しいなあ。黒コゲやけどまあ、味はイケると思うで。ボクの精進料理や、食べてみ?」
「なるほど、焼尽料理」
サラは焦げている食材に両手を合わせ、頭を下げた。それだけだ。口にはしない。くららと目が合ったので、互いに頷いた。
「町降りて茶ァしばき行こうぜ、くらら」
「うん」
「えっ。ちょっとウソやろ、食っていかんの! おーい!」
与次の制止はサラたちに届かず、むなしく西能寺のスカスカな外壁に漏れていった。
「出たのはいいけどカネがねェな。ボロッボロの刀渡して食えるかやァ?」
「あのお姉さんのとこに行くの?」
「他に知らねェからな」
町に降りて、昨日通った茶屋に入る。店内は相変わらず賑わっていた。
「こりゃ大盛況だ、席もねェ」
「いらっしゃいま……。あっ、梟風様。また来てくれたのですね」
看板娘の瀬奈はふたりを笑顔で出迎えると、大勢の客がそそくさと出ていった。瀬奈は首を傾げる。
「恐ろしいお人には、見えませんが」
「人は見かけによらねェってな」
「片っぽの目が赤いんだから、じゅうぶん怖いと思うけどね」
サラとくららは席につき、茶と団子を注文する。程なくして、すぐに持ってきた。
「ところで瀬奈。この辺りで変わった赤い花を知らねェか? いや、変わってるのかも知らねェけども」
『赤い花を探して燃やせ』。昨夜、宣教師が吸血鬼になる間際に放った言葉だ。それが人が吸血鬼と化す唯一の手掛かりだ。与次にも尋ねてみたが、なにも知らないと首を振るだけだった。
「赤い花、ですか? ごめんなさい、わかりません」
「ヘンなコト訊いて悪かったな。オレたちにも、花弁の形も大きさもわかンねェんだ」
「……ああ、でも。弟に訊いてみます。もうすぐ、来るかと」
引き戸が開くと、長い髪がだらりと伸びた少年が入店してきた。彼が瀬奈の弟だ。
「茅之、あなた赤い花って知らない?」
「……いきなりなに。赤い花なんて、たくさんある」
茅之はぼそりと言う。口から上は前髪で隠れていて、表情が伺えない。サラは茅之に挨拶する。
「オレが聞きたかったンだ。背丈も伸び盛りって感じだし声も若そうだが、元服はまだかい?」
「誰? アンタには関係ないだろ」
「あなやッ。返す言葉がねェや」
「ちょっと、茅之! この方々が赤鬼を退治してくださったというのに」
「えっ?」
茅之と同時に、サラとくららも瀬奈のほうを見た。
「オレの命懸けの死闘、どうだった?」
「複数の鬼を、それもあっさりと。おかげで平和が戻りました」
カマをかけるまでもなく、鬼たちの死をしっかりと覚えているようだ。鬼などの空妖が死んだら記憶から消えるというのに、くららも含めて例外が多い。サラは苦笑いしつつ、気持ちを切り替える。
「ところで瀬奈、約束覚えてるかい?」
「約束……。ええ、でこちゃんの着物のコトですね」
でこちゃん。その言葉に唯一くららが反応した。
「それって、わたしだよね……?」
「そりゃそうだろ、でこっぱち」
くららは頬を膨らませるも、先に感情を露わにしたのは茅之だった。
「母上から贈られたものを、どこの馬の骨とも知らない人間に渡すのかよ!」
「いいの。もう私には着られないし、それに赤鬼を退治してくださったのだから」
「……そう」
茅之はくるりと振り向き、茶屋の引き戸に手をかけると、前髪が靡いた。その顔つきはまるで三日月を思わせる、細く鋭い眼差しだった。痩せた頬には真新しい傷がある。
「もう帰るの? 食べていかない?」
「いらない。カネもないし」
茅之は引き戸を開けたと同時に、サラを見つめた。
「ああ、そういえば。西にいったところにある海岸に、漂着した異人の船がある。あそこが怪しいと思うけど、赤い花」
「ほう、親切にありがとさん」
「ただ、行くなら夜のほうがいいと思う。異人が乗り込んでるから。夜は夜で危険だけど。狼男が出るらしいし」
「そりゃおっかねェや。ところで顔の傷、大事にしろよ。傷痕は男の誉れだ」
「アンタに誉れは?」
「ホントに強いヤツは、誰にも傷をつけられない。たとえば狼男にもなァ」
不敵に笑うサラになにも応えるコトなく、茅之は出て行った。
「すみません、無愛想な子で」
「いや。それよりもいいコトを教えてもらった。それだけで収穫はあったぜ」
茅之の言う通り、夜の海岸に行けば赤い花のコトが少しはわかるかもしれない。そして、狼男の正体にも。