第20話 燃える瞳の信長
堺の町を震わせる商人の惨殺事件、その犯人は半人半獣とも言うべき奇怪な姿をした、狼男だった。
襲撃された商家にて狼男を見つけ、討伐を試みるサラとくららのふたり。だが焦点を定めないほど素早い身のこなし、鉄のような硬度の爪に追い詰められるも、救いの手を差し伸べたのは長谷川与次だった。
「長谷川殿、助かった」
「ええて、梟風はん。深追いはせんよな?」
「ああ、夜明けも近い。仕切り直す」
与次が持つ両手の短銃からは煙を吐いている。シワくちゃの笑顔には、なにか吹っ切れたようの気持ちがあった。狼男の存在に信じられない、といった様子はない。
「しかし、あれが商人殺しの。変梃りんな見た目やのう。なにやら以前とは違う世の中になってはるわ」
「たまげる気にもならねェかい?」
「こう見えて幾度の戦場を超えてきた。驚くのも飽き飽きや」
「喜ぶのは別と」
「なんや、意外と目ざといな」
サラはくららの肩を押しつつ、燃える商家から離れ、風を操り消火を試みる。
「夢、だったのやもしれんけどね。現れたんよ、御館様が」
「なに? 信長が!?」
思わず感情的に叫ぶと、風力の調節を誤り、京の道場のときみたく商家を潰してしまった。頬をかきバツの悪い表情をするも、一瞬だけ。すぐに切り替えた。
「どんな様子だった?」
「それは――」
* * *
「――また、風が強くなってはるわ」
与次は西能寺の境内から、月明かりに照らされた堺の町を見つめる。
「これも名の如く、梟風はんが吹かせてたりしてな。……いや、ないわな。ボクも彼も、たかが人間。風を操れるワケあらへんし」
では、なぜ梟風と呼ばれているのだろう? 与次は首を傾げるも、ただの例えだろうと納得させて、寺の中へと戻り、寝床につく。
赤鬼はサラに任せよう、そう思いながら眠ろうとしたとき、くららのコトが頭によぎった。
「伊賀の生き残りか。梟風はんといっしょにいて平気なんかな。なにもかもを焼いたあの地の、生き残り……」
つぶやいて、思い浮かぶのは炎、黒煙、そして悲鳴。突然、心臓が鳴り、呼吸が荒くなる。病気などではない。自らの過ちのせいだ。忘れ難い呵責に苛まれる。
「鬼畜だ……。私は、鬼畜のままか?」
耐えられず、与次は布団から飛び出し、本尊の前へ跪いた。
「……いくら拝もうと、私めの炎は未だに消えぬ。仏様、お赦しくださいッ。いつになれば、炎は消えるのですか」
祈る。ただ祈り、縋り続ける。幾度と両手を合わせても、なにも変わりはしないのだけど。
隙間風が啜り泣く。身も心も冷やす。しかし与次の身体からは、どっと冷や汗が湧いてきた。丸めた背後から、木の軋む音。ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。
心臓はさらに速くなった。ありえないと鼓動は嘯く。聞き慣れていた二度と聞けない歩幅の拍子、二度と聞けない息づかい。それが近づいてくる。振り向けなくとも、しかし渇いた口は答えを求めた。
「まさか……御館様?」
跪き、顔を床に向けたまま訊く。そして、存外にも答えは返ってきた。
「ああ。久しいな、与次」
耳元で囁かれた、頭がとろけそうになる低い声。あの夜からずっと聞きたかった言葉。糸のように細く、重いまぶたは大きく開かれた。
「の、信長様ッ!」
与次はすぐに向き直り、跪く。そして上げた視線の先には、赤い瞳を輝かせた信長が確かにいる。
「信長様ッ、光秀めの謀からご無事だったのですか!?」
「ここにいるのが全てだ」
信長は立ち上がり、与次を見下げる。庶民的な着流しが、開きっぱなしの門から吹く風でなびいた。
「この荒れ寺で、日々を過ごしているのだな」
「は、はい」
「おまえほどの武士ならば、より良い寺院を建立できた筈だろう?」
「いえ……。私など」
「いつになく謙虚だな。そうさせるのも、自責の念か」
信長の瞳は、すぐに与次の心中を見抜いた。
「甲州での武田狩りで、坊主共を焼いた事を悔やんでいるのか?」
図星を突かれ、言葉が出ない。
「因果なものだな。幾百ものニンゲンを焼いたおまえが、出家などと。だがわかるよ。俺も焼かれて気づいた。焼き討ちは死ぬほど痛いとな」
「私めを、嘲るのですか?」
「与次よ、なあ与次よ。面を上げて、この俺の目を見ろ」
信長の眼差しは鋭い。まるで炎のようだった。サラの左目とは、また違う。
「俺を前にしても、仏に祈るのか? 両手が塞がるというのに。過去を悔やんでなにが掴める?」
「もう、今は……」
「俺は吸血鬼になった。迎えるべき死を超越してな。どうだ、秀吉を捨て俺とともに来るか?」
「信長様は、まさか日本を……」
「そうだ。俺の野望は、生を受けてよりただひとつ。支配するだけだ。異端の力を用いて、神仏の束縛から、この国を解放せねばならん」
「まるで、昔のようでございます」
「懐かしいだろう。あのときはおまえも若かった。……吸血鬼と化せば、あのときが帰ってくるぞ。どうだ、なにを感じ、なにを想う?」
間違いなく勧誘されている。日本を巻き込む、異端の力による国取りに。言っているコトは正気の沙汰とは思えないのに、ずっと聞きたかった声が頭の中を喜ばせる。
しかし……。与次の理性は働く。
「決心はついたか?」
「信長様。あなた様は矛盾しておられる。以前は宣教師を利用しておいて、結局追い出すなど」
「奴らも我々を利用しているに過ぎない。神仏の教えなど、所詮は綺麗言だよ。なにもかも」
「それは、あなた様だってッ。過ぎ去った時など、帰ってこない!」
「与次……」
「私めが祈っているのは自らの過ちに、過ぎ去った時に、散り敗れていった生命のためでございます。もうこの手は、人間の心を奪うための手ではないのです」
「それが、おまえの選択か」
震える声で言い切ると、信長が屈み、顔を近づけてきた。なにをされるかわかったものではないが、身体が金縛りにあったかのように動けない。
信長はゆっくりと、そして耳元で囁く。
「なあ、与次――」
「……えっ?」
「邪魔したな」
信長は立ち上がり、寺から出ていく。与次は這いつくばりながら、信長の後を追い、涙声で叫んだ。
「信長様ッ! お待ち下さいッ!」
「まさか泣いているのか。やっぱり、おまえもまだまだ若いな」
「あなた様は、あなた様の人生は! やさしすぎたからッ!」
「裏切られたと? ふっ、まさか。恨まれ続けた結果だよ」
信長は、満足げに微笑んだ。
「では、さらばだ。かつての部下もすっかり少なくなった。せいぜい長生きしろよ」
「お声を聞けて、幸せでした!」
「おっと、そうだ。伝えておこう。堺で俺の野望を砕こうとしている者共がいるようだ。梟風とかいったか? 中々に面白いヤツらだが、苦労しているようだぞ」
「梟風が?」
「俺の手を握らないのなら、塞がった手を解いて、なにを掴むかを考えてみろ。ニンゲンを守るためにな。そしてその選択こそが、人と鬼との分かれ道だ」
「……信長様ッ」
与次は立ち上がり頭を深く下げ、海よりも深い敬意を表する。
「あなた様に仕えさせていただき、光栄でございましたッ!」
「もう言葉は要らん。行け、与次」
信長は夜の闇に消える。なにをすべきか、与次に迷いはなかった――
* * *
「――ちゅうワケですわ、訊きたいコトあります?」
与次の話を聞いたサラとくららは、互いに顔を見合わせた。
「アンタ、ふつうに喋れンだなって」
「いやそこかい!」
「まあ冗談はさておき、助けに来てくれたのって信長の手引きってコトか?」
「せやなあ。この日本を支配する言うてたけども、ボクに教えるかね?」
「なんだか、試されてるみたいね。わたしたち」
「試されてるねえ……」
かつての配下の前に現れた、吸血鬼と化した信長。危害を加えるコトもなく、励ましたようにも見える。その上で、日本を支配すると言うとは。
「きっと、そうかもしれねェな、だからって放っちゃおけねェよ。なにをするにも必要なコトと割り切っているハズだ」
「そうだよね、サラ」
なにせ故郷を燃やしたのだから、真にやさしいハズがないと、くららは頷く。
「とはいえ、今日はお開きだな。長谷川殿、帰ろうぜ」
「ええ、そうしましょ」
陽が昇り出した。明るんだ空を見上げ、三人は帰路につく。
「そういや耳元で囁かれたとき、なんて言われたンだい?」
「ああ、それは……内緒ですわ」
「内緒か。なら聞けねェか」
与次はその言葉を反芻する。「成長したな」。かつての主から言われたそれは、なによりもうれしい言葉だった。




