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第19話 黒い獣



 赤鬼を斬り、その存在を人々から忘れさせたと思えば、今度は銃声が鳴る。堺の町を脅かす存在は、やはり赤鬼だけではないようだ。



 サラとくららは銃声の鳴ったほうへ向かうも、残響は消えた。



「音、消えちゃった」



「野次馬の気配もねェ。また家ン中にこもっちゃ、足取りがつかめなくなっちまうな」



 サラはそよ風を起こす。風は町中に置かれた篝火の火を揺らしながら、遠くの火薬のにおいを運び、目に見えない道標を作った。



「うッ、くさい!」



 黒煙とも違う嗅いだコトのないにおいに、くららは鼻をつまみ悶絶する。



「そんなにかァ? 鼻もいいのか。それじゃ先導頼むぜ」



「ちょっとニガテ……」



「戦場じゃ、硝煙で前が見えなくなるくらいには発射されてンだ。これを思えば一発程度のにおいなんざ、すぐ慣れる。気合い入れろよォ」



「うえ〜、やっぱり戦なんて最低……」



「でも慣れたらダメじゃねェか。追えなくなるし。やっぱ慣れンな」



「どっちなのさ!」



 すると、また発砲音。銃で抵抗しているのか、それとも銃口を向けられ襲われているのか。いずれにせよ、事件には間違いない。



 悶えながらも、しかしサラの言った通り、鼻につく火薬のにおいがしなくなっていった。慣れとは不思議だと、首を傾げる。



 そして壊れた出入り口が目立つ商家に着く頃には、気にならなくなっていた。



「うわあ……、なにこれ」



 垂らした暖簾はバラバラだ。格子状の玄関も破壊されて、出入り口だった木片が散らばっていた。サラはそれを拾い上げて調べる。



「すげェ勢いのがすっ飛んできて、ぶっ壊れたみてェだ」



「鉄砲で撃ったの?」



「違うだろうな。鉄砲じゃここまでは破壊できねェ。仮に大筒でも持ってくりゃ別だろうが、もっとでけェ音のハズだ」



「じゃあ、京の巨馬みたいな……」



「だとしたら、銃で抵抗したに違いねェな。警戒しろよ、くらら」



「中からなにも聞こえないよ、サラ」



「よし、行くかッ。足下気をつけろ」



 ふたりは商家に入る。中は真っ暗だ。気をつけて進むが、砂のようなものが足の甲をくすぐる。思わずくららは叫んだ。



「うわっ! サラ、サラサラしてる! 砂みたい!」



「なに言ってンだおまえ。ちったァ持っとけよ、緊張感」



「いや、におわなかったからッ、なにも」



 サラはサラサラを手で掬い上げ、舐めてみる。食べ慣れた、しょっぱい味だ。



「こいつァ塩だ。もったいねェ」



「ひええ、ホントにもったいない……」



 もったいないだけに、この状況は異常に思える。商家に入ったというのに誰もが欲しい塩をぶち撒けておいて、この惨状を起こしたモノは果たして物目当てではないのか。



 サラはさらに警戒心を高め、奥へ進む。くららは暗がりの中でなにも見えず、おかしな物音もしない様を怖がった。それが驚愕へとつながる。



「ぴえっ!」



「今度はなんだァ?」



「ぬ、濡れてる!」



「砂みてェだの、塩だの、濡れてるだの。海に来たみてェだなァ」



 ぴちゃりと滴る音。草履越しに足が濡れる。ぬるりとした手触り、ただの水じゃない。そして鉄のようなにおい。目が暗闇に慣れた。……それがなにか、鉄砲を抱えて横たわる商人を見て理解できた。



「血だ……。こんなに流れてる」



「血の気が失せている。ここまで切り刻むたァ、尋常じゃねェ恨みだな」



 サラが事切れた商人のそばで屈んだそのとき、くららは聞いた。サラの言う通り、獣のような唸り声を。中にある壺の物陰に、なにかがいる。



「サラ!」



 くららが呼びかけた瞬間、その先の視線から黒い影が飛び出し、見たコトのない速さでふたりを襲う。かすかに捉えた腕を、サラは刀で弾く。感触が硬い。敵は得物を持っているとは思えないが。



「こりゃ苦労しそうだ。外出るぞッ」



 屋内では風に頼れない。戸が開いているとはいえ、建物を潰せるほどの圧倒的な風は呼べない。怒涛の攻撃を防いでいる間、くららは外に出ようとするが、敵は攻撃対象を変えた。背を向けた、より弱い相手に。



 敵はくららへと腕を伸ばす。その距離はすぐ。商人のように、すぐ切り刻まれてしまう。それもふつうならば。



「くららァ、目ェつむってろ!」



 敵を足止めするだけならば、ささやかな風でいい。サラは風を呼び、散らばった塩を巻き上げた。敵は言葉にならない短い叫びを上げ、足を止める。



「へッ、目ェしみるだろ?」



 だがそれも僅か。まだ執拗にくららを追おうとする。今度は滴り落ちた商人の血を風で巻き上げ、敵の足下へ寄せた。狙い通り、すべって転ける。



 敵がもたつくうちに、くららは外に出られた。



「サラ、わたしは無事だよ!」



「よし、よく怖気づかなかった! オレは追い打ちをかけるッ!」



 刃を返し、転けた敵に切先を突きつける。しかしその攻撃は空を切った。敵は足を滑らせながらも、無理やり外へと飛び出した。サラも後に続く。



「これって人? それとも……獣?」



 無理な体勢からやっと立ち上がった敵。月に照らされたその姿は、奇絶怪絶。黒い影はそのまま黒く、全身が毛に覆われている。



 地に四足を着き、尖った耳、伸びた鼻先、裂けた口。まさに狼だ。それがよもや、後ろ足だけを着けて立ち上がるとは。



 狼男。そうとしか言えない姿だ。



「言の葉が届かねェなら獣、話せるヤツなら人。さあ、どっちだ?」



 外に出れば、吹き荒ぶ風はサラのもの。なにも言わずとも、サラの中心に枯れ葉が集まる。狼男は裂けた口元からヨダレを垂らしながら、唸り続ける。



「問おうか、なんで商人を殺した?」



 狼男は理性などないと言わんばかりに吼えるだけ。



「それじゃあ……獣狩りの時間だッ!」



 サラは笑うと鉄砲を左手に握り、高速で舞う枯れ葉で火縄に着火する。あらかじめ銃口に弾丸は込められ、火蓋にも火薬は詰められていた。



「いつの間にくすねてたの? ていうか使えるの!?」



「舐めンなよ、こちとら梟風だぜ。耳塞いでろよォ」



 火蓋は切られた。サラは照準を合わせ、引き金を引く。そして銃声。放たれた弾丸は、狼男の肩をかすめた。



「十歩先の距離で避けられるたァな」



 素早い身のこなしから、狼男はサラの喉元に爪を突き立てる。右手の刀で弾くも、その硬度は金属並みだ。先ほども弾いたのも相まって刃こぼれしてしまった。



「手強いなァ。それでこそ意地の張り合いがあるってモンだが!」



 狼男を倒すため、さらに強い風をかき集める。が、思わぬ事態が起こった。風によって篝火が倒れてしまい、商家に火が着く。



「あなやッ!」



 サラはすぐさま風を消火に回す。乾いた風は、なかなか火を消してくれない。くららも火を見て固まってしまった。隙ができたが、狼男はなかなか動こうとしなかった。



 その理由はすぐに察せた。火だ。狼男は火を恐れている。



「くらら。なるべく火に近づけるか?」



「で、できない……」



「あの獣が襲ってくる。平気だ、オレもいる。すぐに火を消すからよ」



 何度言葉をかけても、くららは動けない。すっかり怖気づいてしまった。目の前には狼男がにじり寄ってくるのに、後ろでは家が燃えそうになっているのだから。



「ずっと、怖いままだよ。ずっと。強く、なれないよ」



 くららは涙ぐむ。サラは鉄砲を投げ捨て、頬を伝った涙を拭った。



「オレァ気づけたンだ。あの距離での砲撃が避けられたとき、もっと強くなれるってな。……頼れよ。もっと頼れ。抱えてる怖さもぶつけてこい。そのためのふたりだろ? ふたりで強くなろうぜ」



「サラ……。ほんとうに、ほんとうに――」



「悪りィな。カッコつけた手前、こんなコトになっちまって。どうだ、いけるか?」



「うん。うん……」



 ゆっくりと燃える商家へと後ずさり、サラはくららの肩に手を置く。震える肩は強張るも、その横顔に恐怖の色は薄くなった。



「思った通り、ヤツァ近づいちゃこねェが……。くらら、平気か?」



 くららは小さく頷く。



「よし、がんばれよ。しかし、こっからどうするかな……」



 助けも期待できない。炎を背に膠着状態が続く。さすがのサラも焦り出したが、その緊張を一発の銃声が解いた。



 狼男は頬から血を流し、銃声が鳴った方向を睨みつけながら、その場を立ち去る。ふたりは安堵のため息をついた。



「誰だ……?」



「ボクや、梟風はん。よう耐えてくれたわ、ふたりとも」



 現れたのは、両手に鉄砲を持った長谷川与次だった。



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