第一章 河川編 一話
卸売業者の話によると、安達ヶ原に卸している魚は近隣にある川、新河岸川で獲れたものであるそうだ。
一同は業者と契約している漁師に会いに、川の北東、氷川神社が存在する地点にまで足を運んだのであった。
この町に存在する新河岸川は、中央地区を半分ほど囲むように流れている。
そこから外側にしばらく進んだ場所が各種族の自治区となっていて、川自体が境界線の目安になっているのである。
「この辺りはちょっとした桜の名所になっていてな。春になると桜祭というものまであるぐらいなのだよ」
河川敷には青葉を茂らせた木が等間隔で並んでいた。あれが撫子の言う桜の木なのだろう。
ふと、一同がある地点にまで来たとき、小川で泳いでいる一つの人影を発見した。
いつもの如く猛暑なので、その気持ちは理解できなくもない。こんな炎天下の中で冷たい川で泳げたら、さぞや気持ちの良いことだろう。
ただ孝也たちは三人とも、狭い川で無邪気に遊べる子供時代は疾うに過ぎている。若干一名はまだ子供のような外見をしているが、実際は成人女性なのだから無邪気に水と戯れる姿を思い浮かべると切ない気持ちになってくる。
……いや、まだ二、三十代ならば許容される――はずだ。多分。
「……ん? あれはヤナさんだな。どうやら移動中のようだが」
川の煌めきに目を細めながら、撫子が泳いでいる人物を確認していた。
どうやら撫子の知り合いだったらしい。
彼女はその人物に声をかけるため、夏草の生い茂る河川敷に降りて行った。
「やあ、ヤナさん。赤間川の方まで来るのは珍しいではないか」
その声に振り返った人物は、若干の訛りがある口調でマイペースに挨拶してきた。
「あんれま、これは撫子さま。今日もほんに暑いだねぇ」
それは不思議な雰囲気を持つ女性だった。
服装は水着。年齢は十七ほどで、長い黒髪をアップにして一纏めにしている。
ただ一見するだけなら素朴な印象なのだが、何故か妙な威圧感があるのは、あるいはその無駄に大きい胸の所為なのかもしれない。
撫子の後を追って河川敷に降りた夕海は、その女性の姿を見て違和感を覚えた。
「……あれ? 何だか妙なものが……。下半身に鱗?」
水面からは上半身しか出ていないのでわかりにくいが、水に浸っている部分に人間にはない物が見え隠れしているのである。
「もしかして、人魚!?
うわぁ、実在していたんだ!」
夕海は若干興奮しながら喜んだ。
異形に悪い感情を持っている夕海だが、人魚というメルヘン的な存在には以前から憧れがあったようだ。
「あん? どちらさん?」
「私の新しい部下の日吉くんと藤岡くんだ。よろしくしてやってくれ」
間を置かず撫子が自己紹介してくれる。さすが責任者だけあって対応慣れしている。
「へぇ、調停屋の新たしい人かいねぇ。オラぁはヤナってんだ。よろしくねぇ、日吉さん、藤岡さん」
「あ、よろしくお願いします。
私、昔から絵本の人魚が大好きで、ずっと会いたいと思っていたんです。だからヤナさんに会えて嬉しいです」
「人魚? うんにゃ、オラはそんなもんじゃねぇだ」
「え? だって、その下半身は……」
夕海が首をひねっていると、撫子が解説してくれた。
「ヤナさんは竜人なんだよ。
竜の神と書く竜神ではなく、竜の人と書いて竜人。
古くから竜は水神であるとされ、竜人はその御使い的な立場だな」
「竜人?」
では下半身は魚ではなく、竜なのか。
水の流れや反射でよくわからなかった。
竜人という語感だともっと爬虫類っぽい姿を想像してしまうのだが、どうやら違うらしい。
「ヤナさんはこの町の水妖、つまり水系妖怪の有力者でな。
彼らの職業斡旋の仕事をしているんだよ」
「職業斡旋……。現実的な仕事なのね」
メルヘンを夢見る夕海の目を覚まさせてくれる仕事である。
「よく何とか神殿とかあるだろう。それと同じように、ヤナさんにお願いすると一瞬にして戦士から魔法使いに転職できるんだ」
「やっぱり現実的じゃなかった!?」
「ゲームかよ……」
また撫子の冗談か。そんなことで職業が変更できるはずもない。
もし突然「お前は今日から八百屋だ」とか言われても、自営するにも設備や資金が必要だし、就職するにも働き口を探さなければならない。
自分勝手な職業斡旋なんて妄言の類である。
しかし驚いたことに、撫子の説明は冗談ではなかったらしい。
「水妖の社会は権力が重視しれるからな。竜神の御使いであるヤナさんの書付を提示されると、どこの職場も受け入れなければならないんだよ」
「本当に職業斡旋だったのかよ! っていうか強引すぎるだろう!」
「か、完全に押し付けね……」
いきなり店頭に来て「今日から俺、八百屋になりましたから、よろしく!」と言ってくる不審者を、雇い主は拒否権もなく働かせなければならないのだ。
嫌過ぎる。
「いや、水妖にとってそれほど悪い仕組みでもない。
水妖は生活圏が限られているからな。おのずと職業も限られてくるのだ」
「あ、っそか。魚に地上が出歩けないように、能力やできる仕事が最初から決まっているのか。
それなら働く枠さえあれば、多少強引に押し付けられても仕事にはなるのね」
要するに八百屋の息子が……と、これはもういいか。
「仕事の斡旋って、妖怪の特徴とかも考えてやっているんですか?」「勿論だぁ。やっぱり気持ちよく働いて欲しいかんなぁ」
「へぇ、大変ですねぇ」
「いんやぁ、もうこん仕事も長いかんなぁ。すっかりなれちまっただよぉ」
「長いんですか。大変なのに凄いですね」
「いんやいんや。ほんに、そげな立派なことではないんよ。オラもただ竜神さまに押し付けられただけだかんねぇ」
「え?」
「アンタも押し付けられたの?」
「まあ、オラは転身や転生の経験があるからねぇ?
適材適所って言ったら、そうなのかもしんねぇなぁ」
「ん? んん?」
何やら素朴な彼女には似つかわしくない、妙な単語が出てきた。
転生とか漫画じゃあるまいし。
これはあれか。
何もない田舎で、外資の喫茶店を発見した時ぐらいの違和感だ。
「ヤナさんは元々人間だったんだよ。それで転生して竜人になったから、就職斡旋の適性を認められたんだろうね」
「人間だったの!?」
「お恥ずかすぃながらぁ」
何故か照れるヤナ。その照れる意味はわからない。
「ちなみに、生まれは農家の娘さんで、本名はおヨネさん」
「お米さん? 古風な名前ねぇ」
「古風かどうかはわからないが、古いのは確かだね。
えっと、生まれは永享だったか」
「んだ。まだこの辺りの土地が水浸しだったころだよぉ」
「妖怪の中では一、二を争う年長者だよな。さすが竜の眷属と言ったところか」
「もう立派な婆様だでぇ。歳は取りたくないもんだねぇ」
何やら二人だけで会話が進行していく。置き去りにされた夕海たちは、呆然と見ていることしかできない。
「えっと、永享っていつ?」
「知らねぇよ。俺に聞くな」
「だよねぇ……」
会話から察するに随分と昔のようだが。
「室町の中期だよ」
「室まっ!? えっと、600年くらい前!?」
「もう婆さんとかいう領域を超えてんな」
やはり妖怪は異常な存在なのだと確認した二人なのであった。




