第2章 一食で回復するS級探索者2
最初の客は、静かに入ってきた。
扉が開いた時、まず先に入ってきたのは匂いだった。汗と鉄と、外で冷えた空気の匂い。そのあとで、白い金属鎧を着た女の子が姿を見せた。銀髪を腰まで伸ばした背の高い美人だ。胸と尻のふくらみが目立つ。ウエストは細く、見事なプロポーションだ。
白石紬。
東京ダンジョンではS級探索者として知られている。地上ではアイドルもやっている。俺でも名前を聞いたことがある。だが、今はその有名さより、かなり顔色が悪い方が目についた。
「いらっしゃい」
「……この匂い、反則」
紬はそう言って、店の奥まで見ずにカウンターへ座った。座るというより、どすんと腰を落とした感じだった。肩を落とし、元気が無い。鎧の上からでも、疲れが見える。
「何にする」
「……豚の生姜焼き定食。ご飯は普通でいいわ」
彼女は、メニュー表を、ちらっと見て、すぐに答えた。
「普通でいい、ねえ」
「なによ」
「いや、S級の客が普通でいいって言うのは、あまり聞かないなと思って」
「私が、そんなに食べるように見えるのかしら、失礼な……」
強がってはいるが、声に張りがない。腹も減っているらしい。注文を受けた俺は、冷蔵庫から豚肉を出し、まな板に並べた。薄めの肩ロースを、普段決めている量より少しだけ多めに切る。紬の前に出すなら、最初から余裕を見ておいた方がいい。
「少し待て。すぐ出す」
「待つわ……」
短い返事だった。
俺はフライパンを温め、肉に軽く塩を振る。生姜焼きは、強火で焦がすとすぐに苦くなる。肉の色が変わるところで火を少し落とす。そうしないと、せっかくの生姜の匂いが飛ぶ。
玉ねぎは入れすぎず、甘みが欲しい分だけ残して、最後にさっとからめる。そういう作り方を、俺は何年もやってきた。
「店主。まだ」
「今、焼いてる」
「……見てるだけで、お腹がすくわ」
「それは大事だ」
「食いしん坊みたいに言わないで」
言い返した紬の顔に、少しだけ赤みが戻った。まだ食べてもいないのに、匂いだけで少しは持ち直したらしい。やっぱり腹が減っていたんだな、と俺はフライパンを返しながら思った。
焼けた肉を皿に取ると、玉ねぎをたれと合わせて軽く煮からめる。最後に肉へ返して、つやをつける。そこへ千切りキャベツと味噌汁を添えれば、もう生姜焼き定食だ。
「ほら、できた」
「……早い」
「焼きすぎると、肉が固くなるからな」
「そういうの、さらっと言うのね」
「毎日やってるからな」
紬は箸を持つと、少しだけ迷ってから、肉を一枚つまんだ。口に入れた瞬間、目が少し大きくなり、瞳が輝く。
「……熱い」
「気をつけろ」
「でも、美味しい」
次の一口は、もう迷いがなかった。紬はキャベツも飯も肉も、ためらわず口へ運んだ。
「噛むたびに、生姜の辛みと甘めのたれが口の中で広がる。炊きたての飯が、そのあとを追って、肉の脂を受け止めるのよ」
彼女は、そう言った。
「豚は、薄い肩ロースを使う。厚いと火が入りにくくて、固くなりやすい。生姜は最後に入れる。先に入れると匂いが逃げるからな。たれは、醤油とみりんと酒を合わせて、砂糖で少し丸くしてから生姜を入れる。肉を焼いたあとにからめれば、焦げにくい」
「……待って」
「ん」
「今、口に入れてるのに、説明するのやめて」
「聞いてたのか」
「聞いてたわよ。今、食べてるんだから邪魔しないで」
そう言いながら、紬は飯をもう一口かき込んだ。箸の動きが速くなる。さっきまでの元気の無さが少しずつ消えていくのが、見ていて分かった。肩の力が抜けて、背筋がまっすぐになる。顔色も少しずつ戻る。
「……変ね」
「何がだ」
「さっきまで、店に来るのも辛かったのに」
「それなら、先に言え」
「言ったら、S級探索者が弱音なんて言えるわけないでしょ」
「今、言っただろ」
紬はそこで一度だけ箸を止め、それから小さく笑った。
「そういうところ、ずるい」
「褒めてるのか」
「褒めてないわよ」
俺が味噌汁のおかわりを聞くと、紬は一瞬だけ目をそらしたあと、今度ははっきり頷いた。
「……ご飯も、もう少しいける」
「最初からそう言え」
「だって、女の子なんだから」
「今更、それを言うのかよ」
俺が飯をよそって戻るころには、紬は完全に元気を取り戻していた。S級だの勇者だのは、今はあまり関係がない。目の前にある飯を、普通の客みたいに食っている。それだけで、店の空気が少しやわらいだ気がした。




