今はこの嘘に乗るしかない
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放課後の校舎裏という場所は告白の定番としてあまりにもベタすぎる。そんな場所に呼び出された時点で私はすべてを察していた。
「二宮さん、君のことが好きなんだ。付き合ってください」
目の前にはネクタイの色からして三年生と思われる先輩。文化祭の準備中に何度か話した程度の相手だ。汗ばんだ手で私の両肩を掴み、芝居がかった熱意でそう言った。
「あの、先輩。お気持ちは嬉しいんですが」
私は柔らかく微笑みながら、しかしはっきりと拒絶の言葉を紡ごうとした。だが、先輩は私の返事を待たず掴んだ肩をさらに強く握る。
「二宮さん、本当に可愛いよ。どこから見ても完璧だ。俺と付き合えば絶対幸せにするから」
「ですから……」
「焦らさないで。返事はイエスしかないんだろ?」
距離が近い。息がかかるほどに顔が寄せられ、私は反射的に身を引いた。壁に背中が当たる。逃げ場がない。この身体は力では男に敵わない。胃の底から恐怖が込み上げてくる。
「……やめてください」
私の声は自分でも驚くほど細く震えていた。女として振る舞う仮面の奥で、男としての自分が恥辱に歯がみする。
身体が思うように動かない。いや、動かないのは恐怖のせいかそれとも、この身体がすでに女として調教されているからか。
「俺たち付き合ってるんで」
その時、横からぬっと腕が伸びてきて私の肩を抱き寄せた。
「……は?」
私も先輩も同時に間の抜けた声を上げた。そして、私の肩を掴んでいた先輩の手が強引に外される。
何が起きたのかわからないまま、私は隣に立った人物を見上げた。
「その子は俺の彼女なんで、手を出さないでもらえますか」
そこにいたのは一ノ瀬汐恩だった。彼はいつもの横柄な表情そのままで、先輩を真っ直ぐ睨みつけている。
「お前……一ノ瀬? 何の冗談だよ。二宮さんに彼氏なんているのか?」
「いるからこんなところで先輩に迫られて困ってるんでしょ。察し悪すぎ」
汐恩の口調はまるで先輩を見下すようで、しかしどこか飄々としていた。
「二宮さん、こいつの言っていることは本当なのか? 付き合ってるのか?」
先輩が私に縋るような目を向ける。私はといえば、何と答えるべきかで頭が真っ白になっていた。
「……え」
「楓、こいつに言ってやって。俺のこと彼氏だって」
彼が耳元で囁く。唇が耳に近づくほどの距離に心臓が跳ねた。腹立たしいことにこの身体はそういう反応を勝手にしてしまう。
「……っ、そうです。一ノ瀬くんとお付き合いしています」
私はぐっと唇を噛みしめてそう言った。今はこの嘘に乗るしかないと頭の隅で冷静な自分が判断した。
先輩の目が泳いでいる。やがて彼は「……ちっ、わかったよ」と捨て台詞を残し荒い足取りで立ち去った。
身体が縛られていた糸がほどけたようにすっと力が抜けていく。緊張が解けたせいで、足が震えた。倒れそうになった私を汐恩は肩を抱いたまま支える。
「……大丈夫かよ」
「……あなた、何をしてるんですか」
私は彼の腕を振り払おうとしたが力が入らなかった。悔しい。
「何って、助けただけだろ。礼の一つでもあってよくない?」
「誰が助けてくれなんて頼みましたか」
「頼んでないのに助けてやったんだから、ますます感謝しろよ」
汐恩はニヤリと笑った。その白い歯が夕陽にキラリと光る。
「……ふざけないでください。勝手に彼女なんてデマを流して」
「デマ? 助けるためだったら別にいいだろ。だいたい、ああやって押しに弱いから勘違いした男がつけ上がるんだよ。最初からもっと強気に出ろよ」
「押しに弱くなどありません。あれは正しい対処法です。あなたのように力ずくで解決するのが全てじゃない」
「力ずくじゃなくて、俺は知恵で解決したんだろ。頭使って追い払ったんだから感謝しろ」
「……ッ、この……!」
言葉に詰まった私を見て彼ははますます笑みを深くする。
「ほら、言葉が出ない。図星だろ」
「ち、違います……!」
頭が沸騰しそうだ。男としての記憶と女としての感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、私はただ憎たらしい汐恩の顔を睨むことしかできない。
なのに。何故だか彼の腕が肩にまだ回されていることが、服の上から伝わる体温が妙に心地よいと感じてしまっている。
「離れてください。いつまで肩を抱いてるんですか」
「あ? ああ。わりぃ。立てるか?」
彼が素直に腕を離す。途端にストンと落ちる寂しさを感じてしまった自分が私は何より憎かった。
「……立てます。帰ります」
「送ってくよ」
「結構です」
「お前、またああいうのに絡まれたら大変だろ。家まで送る」
「頼んでいません」
「誰も頼んでねーのに助けるのが男ってやつだろ」
「あなたの男論は本当にうんざりです」
私は踵を返して歩き出した。が、汐恩は何事もなかったかのように隣を歩いてくる。長い脚で歩調を合わせてくるのがまた腹立たしい。
「……ついてこないでください」
「俺の勝手だろ。たまたま方向が同じなんだよ」
「あなた、家こっちじゃないでしょう。知ってますよ」
「よく知ってんじゃん。俺のこと気になってる?」
「ストーカー並みに噂が多いので、嫌でも耳に入ります」
「ふーん。なら、俺の家どこか分かってる? まあどうでもいいけど」
夕焼けの帰り道。私の鋭い拒絶と汐恩の軽薄な返答がとぼとぼと続いていく。
結局、家の近くまで送られてしまった。私は一度も彼の方を向かず、彼も余計なことは言わなかった。
嫌いな相手に助けられたことへの苛立ちと、その手の温かさを覚えていることが恥ずかしくて、頭を掻きむしりたくなるような夜だった。




