13.選択のとき
娘からの手紙を読んで、オストマルク辺境伯であるヴォルフガング・フォン・リヒテンベルガーはため息をついた。
ーー所詮は箱入り娘だったか。
たいした手駒ではないが、あれでも中々の美人だ。王子の1人くらい、落とすなど容易いかと思ったのだが。
ーーさて、どうするか。
どうやら、悪ふざけもここまでのようだ。オストマルク辺境伯は、首をひねって考える。
ーー誰を切るかな。
オストマルク辺境伯の切れるカードは、幾枚にも及ぶ。彼はそのカードを切るため、手始めに家令を呼んだ。
◇
さて、葉の月となった。
柔らかな日差しは、突き刺すような痛みに変わる。
それでも、草の上で横になって水のせせらぎを聞いたり、雲が空を横切るのを眺めることは、時間の浪費ではなく心の洗濯であった。
そしてそんな日差しよりもご令嬢方に痛いのは、査定結果の宣告である。
先月10人に絞られ、少しずつ世話役としての勉強も始まった。併せて王子へのアピールもしなくてはならないから、ご令嬢方は大忙しの5巡(30日)だった。
あの衝撃的な宣言後、第1王子へのアピールは皆無となった。そのため、ヒルデガルドが第1王子の世話役に選ばれなかったら、第1王子は世話役なしでこの集団見合いを終えることになる。
執務官が、相変わらず冷えた温度で査定通過者の名を読み上げる。読み上げられた者の中には、ヒルデガルドもオストマルク辺境伯令嬢も入っていた。
そして最後の1ヶ月はお茶会はなく、世話役の勉強が中心だと執務官は説明した。また選定には王子・国王・宰相の3票を得る必要があるので、存分にアピールして下さい、と締めくくって執務官は部屋を出た。
残った令嬢は、6人。第1王子は1人を指名し、第2王子は5人を指名した。
残った令嬢の中にウムラウフ侯爵令嬢がいたが、これはクリストフが体面を慮ったものだった。あの時のお茶会で大層恥をかかされたウムラウフ侯爵が、激怒して王子に噛み付いたのだ。
ーー本来ならば、一臣下が王子に盾突くなど、不敬の極みであるが、そこはクリストフが柔らかく取りなす。
「もちろん、お美しいご令嬢ですから、私の候補者として預かりますよ」
と甘い言葉を囁いた。ウムラウフ侯爵は機嫌を回復させて、帰っていった。
さて、そんな裏事情を余所に、ヒルデガルドはいつもの通り元気だった。
だが、自由時間が格段に減り、中々第3妃に会えない日々を寂しく思っていた。
「第1王子が時々来て下さるのだから、ワガママ言わないでください」
ヒルデガルドがユーディト様に会いたいな~とぼやくと、ヤンから手厳しい言葉が返ってきた。
「単に、勉強が面倒くさいだけですよね~、お嬢様は~」
「あら、勉強が面倒なのではないわ。勉強会が面倒くさいのよ」
「ああ、なるほど~」
勉強会ーーそれは、世話役候補たちが合同で受ける世話役講義のことだ。ガクッとうなだれるヒルデガルド。実に平和な光景だった。
エルマとヤンは、先月からユリウスより報告を受けている。真相も分かったから、これ以上は私の裁量に委ねてほしいと言われ、ユリウスにこの件の処理を依頼した。
そして、この件の内実を知り、世の中には策士が多いことを、エルマとヤンは改めて知った。
ーーお嬢様さえ無事であれば、それでよい。
余計なことには首を突っ込まない。そうエルマとヤンは誓っている。
「あ、勉強会と言えば、私の刺繍の糸が切られたり、糸が盗まれたり、講義だと帳面が無くなったりするんだけど、これって嫌がらせかしら?」
「紛う方なき嫌がらせです」
「そこまでやらなきゃ気づかないなんて、お嬢様大物すぎる~。嫌がらせしてる相手も、きっと疲れているでしょうね~」
エルマはケタケタ笑いだした。確かに、そんなことがあれば勉強会は「面倒くさい」だろう。
やっと嫌がらせに気付いたが、ヒルデガルドは今までどうやり過ごしてきたのか。ヤンは気になって聞いてみた。
「糸が切られたり盗まれたりして、お嬢様はどう対応したのです?」
「ん?私、刺繍得意だから、すぐに作り直したよ?刺繍糸が無くなった話をしたら、殿下がくださったりしたしね。帳面は無くても良いんだ。どうせ頭の中に入ってるし。暇だから書いてるだけ」
「…ああ、なんという嫌がらせのしがいのなさ…!」
「何でガッカリしてるの?!」
ヤンはヒルデガルドの天然っぷりを甘く見ていた、と自覚した。ヒルデガルドの天然は、あまりに多才でありすぎる。
まあ、この様子なら自力で何とかするだろう。それに、第1王子の意図を邪魔してはいけないのだ。ヤンは影から見守ることしかできない。
ーーこの万能な天然っ子には、それすら不要かもしれないが。
「じゃ、勉強会行ってくるね」と笑顔のヒルデガルドを見送って、ヤンは報告書をまとめ始めた。
ヒルデガルドは勉強会が終わると、約束していた第1王子を訪ねるべく、厚手の豪華な絨毯が張り巡らされた廊下を歩く。
部屋にたどり着くと、侍従から不在のため執務室に来るよう先導された。
第1王子の執務室に通されると、ユリウスは厳しい表情から一転、ヒルデガルドを見て相好を崩す。側仕えがそれを見てギョッとした。
そして、第1王子に春が来たのだ、と側仕えは思った。
「ヒルダ、ようこそ」
ヒルデガルドを呼ぶユリウスの声は、どんなスイーツよりも甘い。愛し合う恋人たちのように、ユリウスはヒルデガルドの手を取って、その手にキスを落とした。
その時、侍従が来訪者を告げる。ユリウスはチラリとヒルデガルドを見て、「入れ」と命じた。
入ってきたのは、旅装の男だった。甘い顔から一転、今度は眉をしかめて厳しい表情に戻る。男は「例の件、全て完了しました」と小声で報告し、「ご苦労」とユリウスはねぎらった。
ヒルデガルドは一連のやりとりについて、見ないふりをする。それが礼儀だ。側仕えが用意した茶菓子と紅茶を飲み、ソファに座ってゆっくりとユリウスを待った。
旅装の男から報告受けたあと、ユリウスは人払いし、ヒルデガルドの隣に着座する。「お疲れ様です」とヒルデガルドが優しく労ると、ユリウスはフニャッと表情を崩し、柔らかく微笑む。
「うん。ヒルダ、ねぎらって」
「毎日お疲れ様です、ユリウス様」
よしよし、とヒルデガルドが優しく頭を撫ぜると、嬉しくて力を抜いたユリウスが、ヒルデガルドの豊かで柔らかな胸に頭を落とした。
ーーうわあ!この感触、ヤバいっ…!
今すぐ頭をグリグリしてこの胸の感触を余すことなく味わいたいっ!両手で揉み上げて撫で回したいっ!
しかし、そんなことをしたら、ユリウスの暴走特急は止まらなくなるし、ヒルデガルドの信頼を失う。
まだ早い、我慢しろ私!世話役になるまで我慢するんだ!とユリウスは念じる。
我慢すること5分。ユリウスは身じろぎせずたっぷりヒルデガルドの胸を堪能し、「ありがとう、ヒルダ」とユリウスは断腸の思いで、顔を上げた。
ヒルデガルドはユリウスの顔色を見て、赤みが戻ったことに安堵した。執務室に入った時のユリウスの顔色がとても青白いものだから、ヒルデガルドは心配になる。毎日頑張っているのは、顔色が悪くなっていることから明らかだ。
ヒルデガルドはユリウスを思いやった。こうした触れ合いも嫌じゃない。ユリウスの傍にいると安心する。
ーーうん。私、ユリウス様が好きだわ。
疲れたユリウスに膝枕をし、その髪を撫で、ヒルデガルドはようやく己の心と向きあった。
◇
この国の宰相であるオスカー・フォン・クレーエ侯爵は、暗い部屋で3通の手紙を並べ、一つずつ読んでいく。
1通目は、一瞥してそのまま火にくべた。1番要らない手紙だった。
2通目は、報告だった。1番面白くない手紙だ。やっぱりそのまま火にくべた。
3通目は、取引だった。意外な相手から意外な手紙をもらい、宰相はふと考える。
ーー「だが、断る!」とか格好良く言ってみたいものですね。
とは言え、相手が相手なので、これはお互いの妥協案だ。受ける方がはるかにメリットがある。
この事実は、誰かに幸運をもたらすのか。脅し脅される立場になるのは、どちらなのか。
今のところ天秤の傾きは、宰相に不利だった。だが、覆らないと誰が言える?
平凡な王と王子だと思っていたが、存外そうではないようだ。ーーだが、爪を出すにはまだ早すぎる。所詮は若造か。
なんにせよ、面白くなってきた、と宰相は持った手紙を火にくべて、独り言つのであった。
次で最後です。どうぞよろしくお願い致します。




