続・来訪者
「お前は出てくるなよ」
と下の猫に呟きかけ「あ、今開けますね」
僕は未だ踏ん張りがききにくい足を一歩一歩精一杯踏み出し、自分でドアを開けに行く。
「おかまいなく……キャ」
ドアに辿り着いた僕がドアを開けると同時に、向こう側で虎子望さんもドアを開けながら一歩踏み出してきていたので花瓶をを持った彼女とぶつかってしまった。不意をつかれる形になってしまったためか彼女は僕に押し倒されるような形で後ろへと傾く。その倒れゆく身体の背に手を回し片手でドアの淵を掴み、どうにか抱き寄せることができた。
「あ、すいません」
「あの、すいません……」
二人で同じようなことを呟き身体を離す。僕はとっさに抱き寄せてしまったことに恥ずかしさというより申し訳ない気持ちになり、右手で頭をぽりぽりと掻き、とりあえず中に入るように促そうとしたところで声が掛けられた。
「ありがとうございました。あら、傷が。先程どこかで引っ掻いてしまわれたのですね」
「あ、いえいえこれは猫に引っ掻かれたもので……」
「猫?」
あう、しまった。このことは出てきて欲しくないあの猫の話をしなくてはならなくなる地雷フレーズじゃないか。僕は焦りを必死で隠し、違う話題をふろうと顔を上げた時には瞳を爛々と輝かせた虎子望さんがいた。
「猫、その猫ちゃんはどこにいるのでしょうか。? 私その子とお会いしたいです」
花瓶を棚に置きながら部屋をキョロキョロと見まわす虎子望さん。その仕草が人間になって初めて見た素の虎子望さんの姿で猫の頃を懐かしく思いながらも、どう言い訳しようか頭をひねる。
当の猫はどこに行ったのか? まさかあのまま花束に入ったままいるんじゃなかろうかと確認した先に奴はいた。しかも隠れているつもりなのか今回は花束の中に顔を突っ込んでお尻を出している。頭隠して尻飛び出るとはこのことだ。一瞬そこで視線が止まったことに虎子望さんが気がついて彼女もそこにある異物を見てしまう。
「あらあら、こんなところでなにしているの?」
しかし彼女は変な目で見ることなくむしろおかしくてたまらないといったふうに口元に手をあてくすくすと笑っている。まだ隠れているつもりなのかじっと動かない三百円神様の身体を抱えあげる虎子望さん。
「あら? まあ、猫神様じゃないですか」
「見つかってしまったか。やはりもう少し奥まで入らないと見えてしまうんではないかと思っていたんだニャ」
「人様の病室にまで入ってきて花を漁ってはいけませんよ。それにそれは私が持ってきた花束なんですからねぐちゃぐちゃにしたら怒りますよ」
「漁ってなどいないニャ。もちろんぐちゃぐちゃになんてするつもりも無かったんだニャ」
「しょうがないですねー。その可愛さに免じて今回は許しちゃいます」
えー、許しちゃうんですか。僕がもらった花束のはずなのにあなたが許しちゃうんですか。まあ可愛いから許しちゃいますけど。可愛いは正義である。
「それで錫木君は猫神様とはお友達なんですか? こんなところには普通入ってこないはずなんですけれど」
「猫神様?」
とりあえずトボケておくことにしよう。事情は全て知っているけれどその話をするにはファンタジーすぎて頭のネジが数本ぶっ飛んだ人に見られかねない。
「ああ、私なにも説明してませんでしたね、ごめんなさい。この子は私の家で飼っている猫ちゃんなんです。ただこの子は猫の神様であると言い伝えられていて、私が生まれる前からこの姿なんです」
「へー、神様ねぇ」
「信じられないでしょうけど本当のことなんです」
「あ、別に信じてないわけじゃないんだ。なんとなくしみじみと神様っているんだなって考えていただけだから」
「そうですか。よかった」
拒絶されることへの恐怖から一転、パッと花が開いたかのような眩しい笑顔が咲いた。
「この猫は虎子望さんが水を変えに行った後に突然勝手にずうずうしく僕の病室に入ってきたんです。それで花をむしゃむしゃ食べ始めたんですよ」
事実はただ入っていただけだが皮肉と嘘を上塗りした。虎子望さんにはこいつのとてつもない阿呆ぶりを存分に伝えておきたい。
「あらそうなんですか。猫神様は家で出されたものは一切食べられないんです。お供え物だから食べることができないんだってうちの父が言っていました。だから余所で色々貰ったりして食べてるみたいで、何でも食べちゃうんですよ」
「へー、そんな制約みたいなものがあるんですね」
なるほど、いつもコンビニの残飯だとかを漁って食べていた理由がやっとわかった。たしかにお供え物は食べるためのものじゃない。しかしだからといって残飯を漁るのはもっと不名誉なんじゃないかと考えるのは僕が神様ではないからだろうか。いやいくら考えたって神様の思想なんて僕が一生懸命考えたところで理解できないだろう。だがあいつの場合もっと的外れな理由が飛び出して来そうな気がしてならない。
「そうですね、猫でも神様は神様ですから。でもこの子はとってもドジっ子で見ていてすごく癒されます。さっきのお尻も信じられない位キュートでした。錫木君もそうは思いませんか?」
「え、えぇ、可愛らしい仕草でしたね」
もちろんアホにしか見えなかったがここは話がうまい方に転がるように肯定しておいた方がいいと判断した。
「ですよね! やっぱり猫は最高です。私は動物では猫がダントツに好きなんですが錫木君はなにがお好きなんですか? やっぱり犬派ですか?」
「いや僕も猫が一番好きなんですよ。あの自由な暮らしぶりとか、優雅でいて時に愛らしい仕草を見せてくれる所とか良いですね」
「まあ、錫木君も猫派なんですね。じゃあ私達仲間ですね」
「へへ、仲間ですね」
この後も猫トークで盛り上がった。猫の生活を実体験している僕にとって虎子望さんのディープな猫話についていくことは他愛もないことだった。僕が思っていたよりも自然に猫の話になっていったので助かった。やはりそこの虎子望さんの腕の中で涎を垂らしながら寝ている猫の登場のおかげであることは疑いようもない。少し奮発して市販のパンでなくパン屋さんで焼きたてのパンでも買ってあげることにしよう。
しかし虎子望さんは猫神様が言っていたほど元気がなさそうには見えなかったし、むしろ学校にいるときより活き活きとして見えたのは僕の思い込みかそれとも僕の目が節穴なのか……
ひとしきり話が落ち着いたところで長くいるのは悪いからと虎子望さんは立ち上がった。僕としてはもっともっと話がしていたかった。今日は昔のように顔を合わせるだけで緊張したりしなかったし、話も盛り上げることができた。この調子ならいま、ここで……
虎子望さんがドアを開く。
「それじゃお元気で」
い、言おうか。
「あ、あの……」
「ん? 何でしょう?」
「――今日はありがとうございました。とても有意義な時間でした。次回会うときは学校で」
「はい、早く退院できることを願っています」
ドアが音も無く閉まっていく。そして微かな接合音を残し完全に動かなくなった。やはり言うべき時は今じゃない。もっときちんとした計画を立てて、言うべき言葉を決めて場所ももっとロマンチックなところにしよう。夕暮れ時の教室なんて素敵じゃないか。そうだ今言うべきじゃない、これでよかったんだ。
「この腰ぬけが」
自分を納得させようとしている大事な時に邪魔してくる鬱陶しい猫がパイプ椅子に残っていた。いつの間にかに目覚め、虎子望さんの腕の中から逃げ出していたらしい。
「腰ぬけとか言うな。実際今この場のノリで言ってしまっていたらうまく言えなかったに決まってる」
「そうやって今度のチャンスがあったときも逃げ出すのであろう? いやもうチャンスなど無いかもしれん」
「そんなことはない。しっかり作戦を練って告白するんだ」
「ふん、そうか。まあ頑張れ、ニャ」
鼻を鳴らして窓から姿を躍らせる猫神様は怒っているようだった。なぜそんなに怒っているのかは分からないが今ここで勢いだけで告白してしまっては想いも響いていかないだろうし、何より僕自身が後悔しそうな気がしたのだ。
そう、後悔しそうだったんだ……




