その46 葵さんの涙(後編)
それにしても、あれはいったい……何だったのだろう?
もしかしてモノホンのユーレイを見てしまったのか、俺?
が、万が一ユーレイだったにせよ、背中を見せるヤツがいたものだろうか。だとすればスキだらけではないか。写真に撮られて投稿されたらどうするつもりだ。
まあ、逃げた幽霊のことはいい。
そんなコトよりも、どうやらここは――
「……さて。着いたようだな」
山はもう少し高いのだが、そこは中腹あたりを無理矢理削って作ったと思われるような広場で、同時に墓場でもある。
墓石はどれも汚れ朽ちていて雑草がぼうぼう。盆だというのに誰も掃除に来ていないようだ。
っていうか――俺はふと思った。
ここはもう墓地ではなく、墓地の跡地なのではないだろうか。現在使用中だったとして、こうも放置されまくる筈がない。だとすればここにはもう、その道の方々はいらっしゃらないように思われる。
高台だから少しは眺めがいいかと思ったが、樹木に邪魔されていて眼下の風景を見ることができない。仕方がないからとっとと指令を遂行して下山するとしよう。別に怖くもなんともないが、跡地とはいえ遊びで足を踏み入れるのは不遜な気がしてあまりいい感じはしない。それ以上に、虫に食われたらイヤだし。
敗者に対する指令。
墓地の一番奥まで行って、写真を一枚撮れ。
ひどい話だ。
俺はケータイを取り出してカメラの設定をしながら奥へ進んでいく。
「ああっ、達郎様っ! 私も参りますぅ!」
悲痛な叫びを発しながら追ってきた葵さん。
あ、すまん。
俺はカメラの夜景モードをどうやって設定するのかに気をとられていた。買ってからというもの、カメラ機能なんかほとんど使っていなかったからよくわからん。
「たた、達郎様っ! どど、どうして人間の方達は、このように薄気味悪い設備を、お、お作りになったのでしょう?」
葵さん、すっかり震えまくっている。震えるあまり
「きゃっ!」
朽ち果ててでこぼこになった石畳につまづいたらしい。
「んー? 人間の死体を人間が生きているすぐ近くに埋めるってのはよくないっていう思想があったかららしいよ。ニンゲンの死体なんてモノは外国じゃあ、フツーにモノ扱いされるんだけど、この国ではいろいろと想像力が豊かだったみたいでね。住宅地の近くはマズイでしょーって。だから、こうやってヘンなところに埋葬されたりするワケ」
ぶっちゃけ、言っていることの半分はいい加減。
ま、怯えきっている葵さんが俺の説明をきっちり理解してくれているとも思えないけど。
「そ、そうなのですか……」
それにしても、荒れ放題朽ち放題ひどい墓地。
海風に吹きさらされているせいかも知れないが、なんでここまでボロボロになるかな?
俺と葵さんは墓地の一番奥と思われるところへやってきた。
その先はうっそうと茂る森が続いていて、完全に行き止まりと思った方がいい。
「よっし。ここで一枚、撮ってやればいいんだな?」
どういうアングルで撮ったらいいかと思ったが、まあ、ちょこっと墓石が写っていればそれでわかるだろう。
ぴんこーん!
フラッシュと共に、撮影完了。
何となく、それらしい光景が撮れた。念のため画像を見たが、アヤシイものは写っていない。
「じゃ、戻ろうか」
「はは、はいっ! 早く、戻りましょう! かか、身体が冷えてもいけませんし!」
葵さんが俺の腕をとった。
そうしてもと来た道を引き返そうとした時である。
サッ
目の前を、何か白いものが横切っていった。
「ひっ! た、達郎様っ! い、今、な、何か……」
それははっきりと、俺にも見えた。
見えたのはいいんだけど――
「……葵さん? ちょおっと、放してもらってもいいだろうか?」
白い影にビビッた葵さん、反射的に俺を抱き枕のように抱きすくめていたのだ。
彼女の全身の温もりが容赦なくストレートに伝わってきて、オバケどころではない。
しかも、この怪奇現象は次の段階がセッティングされていた。
「……ううぅ、ううううぅ――」
突然、どこからともなく苦しげな呻き声が。
「ひぃーっ! いやああぁーっ!」
葵さん、速攻で半狂乱。
がっ! と俺の腕をつかむなり、飛ぶように駆け出し始めた。
「ちょちょちょ、ちょっと! 葵さんてば!」
てくてくと登ってきた山道をものすごいスピードで飛ぶように駆け下っていく。
ほとんど引き摺られている俺。
アニメでよく、こういうシーンがあるかもしれない。後ろで引き摺られている人が、鯉のぼりみたいに「ばさばさ」って風になびいているヤツ。あんなカンジ。
そのまま一気に海沿いの道路まで逃げ切るかと思われた。
と、右側の藪からすっと白い人影が。
「またっしゃれ……」
「きゃあああああああぁーっ! いやあああああぁーっ!」
完全に腰が抜けたらしく、葵さんはその場にへたりこんだ。
「……大丈夫? 葵さん」
俺が寄っていくと
「ふえぇん! 達郎様ーっ!」
すがりついて号泣。
哀れな葵さんをよしよしと慰めつつ、俺は目の前で突っ立っている白いオバケを見た。
ヤマンバみたいな白い婆さん。闇夜で出くわせば確かに怖い。
が、何をするでもなく、呆然と俺達を眺めている。
――何となく、気がついてはいた。
これみよがしに怪奇現象が連発するなんて、まずありえん。夏休みでこの町に大勢の人が来ているという状況と合わせて考えると、きっとこういうオチなんだろうと見当をつけていたんだな。
「……俺達、別の人間だから」
「ですよね……。もっと数人のグループでやってくるハズだったのに二人だけだから、なんかヘンだとは思ったんですけど……すみませんでした」
白い婆さんだと思っていたそいつからは、若い男の声がした。
――コスプレ。
すっかり立てなくなった葵さんをおんぶして山を下りた俺は、砂浜へ行って彼女が落ち着くのを待った。このまま民宿へ戻ろうものなら、みんなに笑いものにされてそれまでだ。さすがにそれは忍びない。
よほど怖かったのか、思い出したようにまた泣き出した葵さん。
結局はややしばらく、俺の胸の中で泣いていた。
「ひっく、ひっく……私、とっても怖かったです……」
ようやく収まってきたようで、うるうるした目で俺を見た。
か、かわいい……!
あのクールでオトナでセクシーなイメージは鳴りを潜め、まるで少女みたいな表情。
「よっぽど怖かったんだねぇ。……トラウマ?」
「はい……」
聞けば、彼女の父親であったという人間の男性は、それはそれは愛情のこまやかな人であったらしい。会社が終わると飛ぶように帰宅し、しかも毎日ケーキだおもちゃだとお土産が絶えなかったという。それほど、葵さんと妻である人魚の女性を愛していたようだ。
ただ、この父親にはたった一つ、悪いクセがあった。
娘が可愛いあまり、突然おどかして泣かせ、泣きじゃくっている彼女をよしよしと抱き締めるという、いわば若干歪んだ愛情をも持ち合わせていたようである。さんざんにそれをやられて育った葵さんは、いつしか暗闇とかオバケとか、そういうものを受けつけないようになっていたのであった。
うーむ。
葵さんのオヤジ殿、多少Sのニオイがありますな。
「ですから、私……達郎様のような、常に堂々とした男性を素敵だと思うのです。いい父だったとは思いますが、女性を怖がらせて喜ぶなんて、信じられません!」
その意見には賛成しよう。
でも俺、そんなに堂々としてるかね?
どちらかといえば「いつも何も考えていない」部類の人間ですがね……。
「達郎様……」
「ん?」
よほどショックだったのか、様子がいつもの彼女じゃない。
「落ち着くまで、もう少し……このままでいさせていただけますか? 私が取り乱した姿で戻れば、きっと姫様が心配なさると思うのです……」
はいはい。
ナーちゃんが誰よりも大切に思っている葵さんですから。
じゃあ、落ち着くまで待とうか。帰ったところでどうせ、由美さんとマサがバカテンションで飲んだくれているだけだし。ナーちゃんは普通に眠れているのだろうか。
暗い海辺で葵さんを抱き締めている俺。
彼女は俺に身体を預けたままじっとしている。
満点の星空の下、海が穏やかに心地よくさざめく音だけが、辺りに響いていく。
ぼんやりと黒い水平線を眺めていた、その時!
「……たつろーさまっ? なにをなさっているのですかぁ!?」
!?
ハッとして振り返ると、そこには――ナーちゃんを抱っこしたドルファちゃんが!
「ドルファちゃん!? どーしたの?」
「どーしたもこーしたもないですぅ! 由美さまとマサさまが飲んだくれちゃってうるさいものですからアタシ、ナタルシアを連れて散歩しにきたんですっ! ――そーしたらたつろーさまってば、いつの間にか葵さんといー感じになっちゃってぇ! ひどーい!」ぷんぷん。
間をおかず俺に飛びついてきたナーちゃん、涙目。
『達郎さまっ! 私を置いて葵さんと二人きりでお出かけするなんて! 私のこと、嫌いになられたのですか!? 私はその、人魚ですし、葵さんのように大人っぽくもないですから……でもでも! ひどいですわ! 達郎さまは私だけを見ていてくださっていると思っていましたのに! そんなに葵さんの色香がお好きなのですか!?』
『ちがーうっ! 事情を聞け、事情を!』俺はびしっとドルファちゃんを指し「だいたいドルファ! 俺と葵さんを面白がってあの山ん中に放り出しただろー! 葵さんはなぁ、暗闇とかオバケが苦手だったんだぞ! 半分共犯者じゃないか!」
「ぶーっ! でもでもォ! あたし、たつろーさまに葵さんとくっつけなんて言ってません! だいたい、葵さんだってどさくさに紛れてたつろーさまをゆーわくするなんて!」
「ゆ、誘惑……」
してねェよ。
フツーに怯えていただけだ。
――その後。
咆え疲れたドルファちゃんと怯え疲れた葵さんは部屋に戻って寝たようである。
俺、ならびにナーちゃんはというと……
『達郎さまっ! ほんとーにほんとーに、私だけを愛してくださっているのですね?』
『だから、ほんとーだって!』
『ほんとーにほんとーにほんとーですね?』
『あァ……ほんとーにほんとーだってば』
『ほんとーにほんとーにほんとーにほんとーなのですね!?』
『だから……ほんとーにほんとーにほんとーだって……』
『じゃあっ! ほんとーにほんとーでほんとーに――』
朝まで砂浜でこれの繰り返しに付きあわされました。
カンベンしてくれ。