その45 葵さんの涙(前編)
いきなりのウニ定食、もといウニオンリーで腹を満たした俺達は、早速砂浜へと飛び出した。
「よっしゃあ! ちょーっち、アメリカまで泳いでくるわァ!」
人類史上誰もなし得なかった豪快な宣言を残し、由美さんは速攻で海へと消えた。
『由美さまったら、まるで海の世界の方みたいですね!』
ナーちゃんがくすりと笑った。
真っ白い水着をつけた彼女は、天使のようにキュート。
腰下はさすがに不要なのだが、ファッションセンスのある由美さんが「胸だけじゃあちーっと、エロくさくねェ?」とか言って、同じ色のパレオだかなんとかいう布を巻いてくれた。
「まあ! 大変な暑さですわね! 姫様のお体に気をつけなくては」
「あたしはだいじょーぶでぇす! 日焼け止め塗ってきました!」
葵さんとドルファちゃんが姿を現すなり、ビーチにいる男どもの視線が一斉に動いたことは言うまでもない。パーフェクトボディの美女がビキニだけになってやってくれば、まあ当然の結果ではある。
ただし……葵さんは太ももにガンホルダーをつけ、オーシャンイーグルを挿している。
「ちょっと場違いかも知れませんが」葵さんは苦笑しながら「もし敵対する勢力が現れたら姫様をお守りしないといけませんから」
その心配はなくもない。
ここは海そのもの。いつ、どこからどんなヤツがやってくるかわかったものじゃない。
念のため、このあたりはどの勢力のシマなのかナーちゃんに訊いてみると
『ここのあたりでは、きっと……レッドバックの勢力地域かも知れませんね。それにアーマーユニオン、といったところでしょうか』
レッドバック。鯛とかキンメな連中。
しかし、ナーちゃんは大して恐れる風もなく
『バランサーのみなさんが警戒してくださっているみたいですし、それに』
それに?
『……この前、達郎さまは戦わずして鯛の者を退けてくださいました。あの者に達郎さまを襲うつもりがあるとは思えません。レッドバックの者達にも、きっとあるがままを伝えていることでしょう。ですから、新たな争いになるとは思っておりませんの』
だな。
実際、俺もあまり深く考えていない。
ケンカをこいてもバカバカしい気持ちがあって、そんなことはせんでもいいじゃないかと思う。
万が一、どっかのどいつが襲ってきたにせよ、こっちには――
「――うっし、タツぅ! オレも泳ぐぜェ!」
マサがいる……し!?
いったい何ですか、そのカッコー?
海パンなどというものではない。囚人が着るみたいなしましまのアレである。
「マサ……なに、ソレ?」
「おォ、コレかァ? フィット感がよくってよォ、泳ぎやすいじゃん!」
たいそう気に入っているらしい。
マサはいったい、その妙な水着をどこから仕入れてきたのだろう。
ってな具合にマサとドルファちゃんも海へダイブ。
残った俺とナーちゃんに葵さん、ビーチパラソルを借りて砂浜でのんびり。
「……あ、しまった!」
「どうなさいました、達郎様?」
ナーちゃんのための水を持ってくるのを忘れていた。
いや、持ってきたやつはここへ来るまでに全部飲んでしまったんだっけ。
買わなくちゃ。
そう思っていると
「えー、冷たいドリンクはいかがっすかー! 冷たいドリンクでっすー……」
おあつらえ。売り子のお兄さんが通りかかろうとしている。
「あ、おにーさん! 冷たいミネラルウォーターは……!」
振り返った俺は固まっていた。
売り子の兄ちゃんだと思っていたそいつは、なんとマッチョ鯛だった! 去年学校へ襲撃してきたヤツ、いや総督府にいたヤツだったろうか?
葵さんの両手が咄嗟にオーシャンイーグルに伸びかけたが、ヤツはまったりとした調子で
「お、ナタルシアちゃんにそのダンナと護衛のねーちゃんか。よくまぁ、こんな暑いトコまで来たな。――なんか、飲むか?」
どっこらしょ、とクーラーボックスを砂の上に下ろした。
あれ?
妙に友好的だ。
「な、なに……やってんの?」
「見てのとーり、バイトよ。海獣組の連中がぐっちゃぐっちゃになっちまっただろー? だから俺達、晴れてフリーダムよ。せっかくの夏だし、一丁人間の世界で勤労の喜びでも味わおうと思ってさァ、海から上がってきたのよ。にしても人間の世界ってのは暑いなァ」
鯛の連中、意外と勤労意欲旺盛らしい。
「じゃ、じゃあ、その水を四本と、コーラ」
「あいよ!」
財布から金を出して払おうとすると
「ああ、いィって! 鯛・チョーから聞いてるぜ? アンタぁ、鯛・チョーのラップを最後まで聞いてやったそうじゃないか。えらい感動してたぜ? 別に金が欲しくてやってるワケじゃないしな。これくらい、安いモンよ。……ほれ、これがよく冷えてるぜ?」
「あ、ありがと……」
マッチョ鯛はクーラーボックスを担ぐと、鼻歌を歌いながら行ってしまった。
毒気に当てられたような顔で呆然としている俺と葵さん。
ナーちゃんは一人、嬉しそうにごきゅごきゅと水を飲み
『あー! おいしー!』
ビーチでバレーをやるとかなんとか予定されていたようだが、結局は由美さん、マサ、ドルファちゃんが腹いっぱい泳ぎまくったために時間切れ。
「あーっ! アメリカは遠いなァ……ちょーっち、届かんかったぜ」
ケラケラと笑っている由美さん。
男の視線を浴びるようなビキニ姿でいきなりアメリカ本土はマズいでしょう?
それにそっちの方角は南米です。
みんなでぞろぞろと宿へ戻っていくと
「お風呂、沸いてるわよー! みんながお風呂から上がる頃を見計らって、晩ごはんの用意をするわね? お風呂場の脇に物干しがあるから、水着はそこで干すといいわ。部屋の手すりにかけておくと、風で飛んじゃうから」
清美さんから今後のスケジュールについて提示あり。
「はーい」
男風呂の方は小さいから一人づつ入るらしく、マサとじゃんけんで勝った俺が先。
「俺は早いから、すぐあがるよ」
「おォ! あがったら呼んでくれよォ!」
ぱたぱたと下へ降りていくと
「――ですから、姫様! それは……」
風呂場の前で葵さんとナーちゃん、なにやら喧々諤々とやっている。
「どーしたの?」
「あ、達郎様! 姫様が――」
彼女に抱っこされていたナーちゃんは俺を見るなりがばっと抱きついてきて
『私、達郎さまと一緒がいいんです! 達郎さまとお風呂に入ります!』
てこでも動きません、というカンジ。
それで葵さんともめていたのか。
「ここは達郎様のご自宅ではないのですからそういう勝手は、と申し上げたのですが、姫様はどうしても聞き入れてくださらなくて……」
「うーん……」
――で、結論。
『……せまくない?』
『いいえ、達郎さまと一緒ですもの! せまければせまい方がいいですわ!』
男風呂の入り口には、どっかから破りとってきたダンボール片に油性マジックで書かれた「貸切」の札。
一メートル四方もないちっこい浴槽に無理矢理入っている俺とナーちゃん。しかし彼女にとって湯船のでかさなどどうでもいいらしい。
機嫌が直ったようで、にこにこしている。
しかし。
その後でマサから苦情が――
「タツぅ! 湯がほとんどなかったぞォ!「ざざーっ」てやりたかったのによォ! やりたかったのによォ!」
ごめんね。
明日は近場の温泉でも連れて行ってやるからさ。
すっかりと陽は落ち、海の町に夜の帳が降りた。
夕食は「でーん!」と豪快に海の幸やら山の幸やら。ほんとに「でーん!」なんだけど。マサとドルファちゃんが競い合うように平らげていったのは言うまでもない。
食後。
花火でもやろうかというアイデアが誰かから出されたが、売っているコンビニまでは歩いてざっと片道二十分かかるらしい。面倒くさいのでフェードアウト。
で、俺達は敷き詰められた布団に寝転がりつつ、ぼへーっとテレビを観ていた。
俺の横では、すっかり疲れたナーちゃんが例によってすやすやと可愛く寝息を立てている。
肘枕で缶ビールを傾けていた由美さん、不意にがばっと起き上がり
「なんか、ただ寝てるのもヒマだなァ。トランプでもやろうぜ」
それは昼間、電車の中でさんざんやってたじゃないですか。
言うと、彼女はニヤリと笑って
「たーだやるのもつまんねェ。……どーだ? 負けた二人が肝試しに行くってのは? そっちの山側の方に」海と反対の方向を指し「墓があるんだってよォ。あんまりにも気味が悪いらしくって、このヘンの人も近寄らねェんだと。そこに行ってくるって罰ゲーム付き」
ほお。
そんな恐怖のスポットがありましたか。
「おォ、いィっすねェ! なんかァ、おもしれェかもォ!」マサ賛成。
「はーい! あたしもやりまーす!」ドルファちゃんも一票。
「……やりますか。寝てても退屈だし」
そう言って俺も加わろうとすると、横から俺の腕が「がしっ!」とつかまれた。
「た、達郎様は……参加されるのですか?」
葵さんの顔色が冴えない。
「うん。ナーちゃんは寝てるから、そのまま寝かせておいてあげようと思うケド?」
「そ、そうですか……」
やるともなんとも言わず、葵さんは困った顔をしている。
「うォい! ナーはともかく、一抜けはナシだぜ? 勝ちゃあいいんだからよォ」
カードをシャッフルしている由美さん。不参加は許さんということらしい。
「わ、わかりましたわ……」葵さん、しぶしぶ参加表明。
「うっし! んじゃあ、やっぞォ! ケツから二人、罰ゲームな!」
――で、結果。
ビリ、葵さん。ビリツー、マサと競った末に俺に決定。
「うひゃひゃ、タツかよォ! お前、弱いんだなァ! 悪知恵は利くってのに、ゲームはダメか」
大喜びしている由美さん。
「オラァ! タツに勝ったぜェ! うしゃしゃしゃ」
マサ、勝利の踊りを披露中。
ドルファちゃんだけは
「あーっ! 葵さん、いーなー! たつろーさまとデートだもん! あたしが変わってもいーんですよぉ?」
すると、葵さんは不敵な笑みを浮かべて
「いーえ! 達郎様とは、私が参ります! 何かあったら、達郎様をお守りするのは私ですから!」妙に強気な発言。
「……じゃ、仕方がない。行ってこようか、葵さん」
「はいっ!」
三人に見送られ、民宿を出た俺と葵さん。
言い忘れていたが、この民宿は「民宿斉藤」という。そのまんまです。
玄関先で靴を履いていると、鮎彦さんに出くわした。
「こんな時間にどうしたんだい? 買い物?」
「いえ、それが――」
事情を話すと、途端に鮎彦さんは眉をしかめ
「あの墓地に行こうってのかい。噂に過ぎないから、なんとも言えないけどねェ……いろいろ、なくはないんだよ?」
まあ、あるでしょうな。
といって、俺は別にどっちでもよかった。海の世界も山の世界も体験しちまった以上、他にどんな世界があっても知ったことではない。幽霊の一つや二つ、現れたところで何の問題もないだろう。
が。
「た、達郎様……い、いろいろなくはないとは、ど、どのような意味なのでしょう?」
あれ? 葵さん、えらく気になってますか?
俺は先に立ってすたすたと歩きながら
「ギャーッ! なハナシじゃないの? どうしてもダメなら、ドルファちゃんかナーちゃんでも――」
「ああっもう! 達郎様ったら! 私、行かないとは申しておりませんわ! 姫様に行かせるワケにはいかないじゃありませんか! 私が達郎様と参りますから!」
ぱたぱたと追っかけてきた。
道路を渡った海の反対側には舗装されていない駐車場があり、その片隅に山へと通じる入り口がある。その奥にはずっと、デコボコ道が。
入り口に立って懐中電灯を点けた俺。
「道が悪いなァ……。こりゃ、気をつけて歩かないと足くじいてしまうかも」
歩き出そうとすると、葵さんがそそくさとやってきて俺の左腕に「しっかり!」しがみついた。
「葵さん?」
「く、暗いんですもの。た、達郎様と離れてはいけませんから、こ、こうしておりますの!」
それはいいんですけど。
ぴったり密着されると、葵さんの豊かな胸の感触がこう、ダイレクトに……。ナーちゃんも富んでいるが、葵さんもまた負けず劣らず富んでいらっしゃるのだ。人魚はもちろん、人魚の血を引く女性はみんな胸の発育がいいってコトなんだろうか? 考えても仕方がないが。
ざっざっざっ――
真っ暗な山道を、懐中電灯の灯りだけを頼りに歩いていく俺達。
虫の声がかすかに聞こえてきたりするが、物音はほとんどない。
強いていうなら、風に揺れる草木のさざめく音がするくらいなものだろうか。
時折、海から吹き上げてくる風に木々が「がさっ」というたびに葵さんの身体が「びくっ」とするのが伝わってくる。次第に密着度はアップし、山道を歩き始めて十分後にはほとんど背後から抱き締められていた。こんなところをナーちゃんに見られたら、泣いて抗議されるかも知れない。
ともかくも、空気が生ぬるい。
「……そーいえば、思い出したけど」
「は、はいっ! なんでしょう、達郎様?」
俺の右肩に葵さんの顔があるから、言葉と吐息がダイレクトに耳に飛び込んでくる。
「こういう空気が湿った場所で墓なんかあると、ヒトダマとか見えたりするんだって」
「ひっ、ひとだまっ!? ですか?」
彼女は何を想像したのだろう。
もの凄い勢いで動揺しているらしい。一瞬、俺の肋骨がきしむほどに締め上げられ、呼吸が止まりそうになった。
別に怖がらせるハナシじゃないんだけどな。学術的なネタなんですが……。
「人間の骨の中にあるリンとかなんとかって物質が、地中から出てきて色々条件が整った時に空中でぽっと燃えたように見えるんだと。海の中じゃありえないと思うケド、陸上じゃあそういうこともあるらしい。……えらい学者様達が、あるとかないとかもめているみたいだけど」
葵さんはほっとしたらしく「そ、そうでしたか。達郎様は、見たことがおありですか?」
「いや、ない。だから、見えたら面白いなぁ、と」
――そこで会話は終了。何のオチもない。
またそれから黙々と十分徒歩。
大分登ってきたかなと思った時だった。
ぱかぱかぱかっ……手持ちの懐中電灯が、いきなり点灯しだした。
「たっ、達郎様っ! 懐中電灯が……!」
「あァ。電池が切れちまったな」
ほどなく、俺達は闇に包まれてしまった。
同時にぐっと俺の背中に重みが。
――葵さんが全身で「もう帰りましょう」と主張しているようである。
しかし、こんなところで引き返したとあっては、由美さんやマサに笑われるではないか。
「ま、星明りに月明かりもあるから、なんとかなるだろ。もうちょっとで着くんじゃねぇ?」
無責任に適当なコトを言って歩き出そうとすると
「た、たた、達郎様っ! こ、これでは、もう……」
気がつけば、葵さんが俺の斜め前からぴったりくっついている。
普段は冷静でどんな状況でも慌てない凄腕ガンナーの彼女だが、どうやら暗闇とオバケだけは苦手らしい。ま、そのギャップが可愛らしくもあるのだが。
「だーいじょーぶだって! ここで引っ返して戻ったら、ドルファちゃんに笑われちまうって。少しづつ開けてきたみたいだし、墓場はすぐそこなんじゃないの?」
「達郎様……」
密着するほど近い葵さんの顔。ほとんど半泣きになっているようだ。
で、また歩き出して間もなくのこと。
「……あれ?」
ふと左手に広がる闇の中。
遠くに白い人影が。
なんか、着物のようにも見える。それがあたかも、闇の中をふよふよと漂っているみたいなのだが――。
「た、達郎様っ? ど、どうかなさいましたか?」
「いや……何事もないよ」
やめよう。
事実を知らせたならば葵さん、気絶するか号泣するかしてしまうだろう。




