その44 夏のお約束
八月に入った。
相変わらずギンギンに暑い。
そんなある日の朝。
「たつろーさまっ! はーやーくー! 起きてくださいよぉ!」
『達郎さまっ! 由美さまとマサさま、もうお越しになっていますわ。起きて準備なさいませんと』
「ん……わかったよ」
美女に二人がかりで起こされ、ぐずぐずと起き上がった俺。
いつもは俺よりも遅起きなはずのナーちゃんとドルファちゃん、今日ばかりは早くも起きて活動している。
まあ、はやる気持ちはわからいでもない。
今日は前々から予定していた旅行の日。
――なんだけど。
俺が就寝できたのは夜中も三時を回ってからだった。
何がって、ポイズン達を助けてやって以来、海の世界の連中が引きもきらずに俺のところへやってくるようになったのだ。どうやらドツボ達はブルーフィッシュへ引き上げたものの興奮冷めやらなかったらしく、近場にいる連中をとっつかまえては
「お前! 達郎サンというお方のところへ行け! あの方こそが、海の世界を救ってくださる英雄だ!」
とか吹き込みまわっているようで
「お初でございます。ワタシ、カマスと申します」
「クエです。デカくてすみません」
「僕らはハゼなんです。ナゼ? って言われてもハゼ……なんて」
と、俺の家はほとんど海の駆け込み寺、海の悩み相談所になりつつある。
昼間ならまだしも、生き物の世界にはなにせ「夜行性」っていう奴らも多くいる。
そういう連中は夜中に窓を「コツコツ」と叩いてやってくる。追い返すワケにもいかないから、仕方なく応対するんだけれども……おかげ様で俺は寝不足だ。
それでも、時々大物が引っかかってくることがある。
両手足の先が茶色いふさふさした毛で覆われた女の子がやってきた。
顔もちまちまとしていて可愛らしい。
どこかで見たことがあるなと思っていると
「あたし、マコっていいます! ラッコなんですよ?」
これには驚いた。
ドルファちゃんから、ラッコやアシカみたいな連中も、バランサーとは別に独立した勢力をもっていると聞いたことがあったからだ。その彼等が、わざわざ俺を尋ねてくるとは。
マコちゃんは南氷洋の話をいろいろしたあと
「あたしは暑いのが苦手なんですぅ。でも、冬になったらまた達郎様のところへお邪魔しますね? ――ラッコ達は、ブルーフィッシュとかバランサーのみなさんと仲良くしたいと思っていますから!」
彼女はそう言って帰っていった。
仲良くしたいと思ってくれているのはありがたいことだ。
まずはポイズン達を助けて良かったことだよ。
それはそれとしても――眠い。
ふらふらと下へ降りると、すでに由美さんやマサが来ている。
「うぉい、タツぅ! 早く行くぞォ! アタシゃ、ひさびさに泳ぎてェんだ」
泳ぐの好きですねェ……。
でも、さんざんビールを飲んだ後に海に入るのはいかがなものかと。朝だというのに、すでに数本空けているし。
「いよォ、タツ! オレ、ウニ食いてェ、ウニ! 食えっかなァ!」
俺に訊くな。ナーちゃんかドルファちゃんに獲ってきてもらえばいいだろう。――いや、密漁はいかん。
「達郎様、お顔を洗う支度ができてますわ。こちらへどうぞ」
すっかり身支度が整っている葵さん。
長い髪をアップにまとめ、肩や背中が大胆に露出したファッションがとってもオトナ。これはつい先日、由美さん達と出かけて購入してきた服である。
「あ、ああ、どうも……」
ざぶざぶと顔を洗って着替えを済ませ、ようやく出発。
「……じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。今晩はいないから、夕飯は自分でなんとかしてね?」
だから、泊りがけだって言ってるだろうが。
アホ幸子に見送られて家を出た俺達。
俺にナーちゃん、葵さんに由美さん、そしてドルファちゃんにマサという六人の旅行。
どうも、由美さんの知り合いに海辺の町で民宿を営んでいる人がいるらしく、そこへ行かないかという話になったのだ。最初はどこか静かな高原のペンションでも、とか言っていたのだが「オレ、カネがないっすよ!」というマサの悲痛な訴えでその案はフェードアウト。結局は安上がりになりそうな由美さんの知り合いのところで落ち着いたのだった。
温泉地かつ夏は海水浴客で賑わうというその町へは、特急の電車に乗って二時間ほど。
電車に乗り込みシートに座った俺は睡眠不足を取り戻そうとしたが……テンション上がりっぱなしのみんながそれを許してくれるハズもない。
「うぉい! 売店でなんか売ってるから買ってきたぞォ! ドルファ、食え!」
「はーい! いっただきまーす!」
「お? 由美さん、それ、美味そっスね! 美味そっスね!」
「ちーっとだけ、やるよ。ちーっとだけな」
通路を挟んだ隣のボックス席でいきなり騒いでいる三人。
俺の膝の上でちまちまと水を飲んでいたナーちゃんは
『達郎さま? お顔の色がよろしくないようですが……大丈夫ですか?』
「達郎様、その足元のお荷物はこちらへ。そうすれば、少しは楽になりますわ」
葵さんも気を遣ってくれている。
すみませんねぇ。何がって……眠いんです、俺。
うとうとしかけていると
「……タツぅ! 元気ねェなァ! これでも食いな!」
由美さんから回されてきたのは「トンカツ&牛ステーキ弁当」という朝から食うべからざる代物だった。
「あ! あたしのも、達郎様に半分あげちゃいまーす!」
ありがとう、ドルファちゃん。
でもね。「鶏唐・ハンバーグミックス丼弁当」って……。
ほとんど泣きながら、彼女達の好意を(無理矢理)受けた俺。
胃の中ではさぞかし不思議な状態になっていることだろう。油がぐちゃぐちゃして、吐きそうったらない。
ゾンビみたいな顔でげっそりしていると
『達郎さま? 具合がよくなさそうです。かわいそうに……少し横になってくださいな!』
と言ってナーちゃん、隣の席に移りつつ俺の頭をそっと自分の膝の上に乗せてくれた。
ナーちゃんの膝枕。意外にもふかふかとしていて心地がよい。目を開ければ彼女が優しく微笑んでくれている。女の子の膝枕は男にとって永遠の憧れだ。
などと二人でやっていると。
「よっし、トランプやろーぜ、トランプ! ――うぉい、タツぅ! 何寝てんだよォ!」
るー。
少しでいいから……俺を眠らせてくれ。
そうして電車から降り立ったその町は灼熱というような生易しい暑さじゃなかった。
自動じゃない駅員さんのいる改札口を抜けた俺達は、みんな口をそろえて
「あつー! なんじゃコリャー!」
ナーちゃんはペットボトルの水をがぶ飲みし、俺やマサ、ドルファちゃんはお茶やコーラをがぶ飲み。由美さん一人、キヨスクで缶ビールを購入して一気飲み。
「あらあら。みなさん、そんなに一度に水分を取ると、お腹をこわしてしまいますわ」
たった一人、平然としている葵さん。汗一滴かいていない。
「……にしても、たくさん人がいますねぇ。みなさん、泳ぎにきたんですよねぇ」
ドルファちゃん、しきりと感心している。
目の前がすぐに海というロケーションだから、俺達のほかにもたくさんの人たちが降りてきていた。駅の前では露店的なお店がずらりと並んでいて、浮き輪とかシュノーケルみたいな「海水浴には欠かせないアイテム」がこれみよがしに売られていた。
「で? お出迎えがあるんでしたっけ?」
由美さんに確認してみると
「あァ、そのハズなんだけどよォ。こうも暑いと、探すのもだりィよなァ……」
いやいや。
そんなこと言わないで探してくださいよ。
このまま放置されたら俺達、たちまち日干しになっちまいますから。
が、そんな心配は杞憂だった。
「――由美ちゃーん! こっちこっちーっ!」
駅前の端っこに止められたワゴン車から、由美さんを呼ぶ声が。
そこには、真っ黒に日焼けした、三十歳くらいのショートカットで健康的な女性がいた。
「お! 清美さんみっけ! ちゃんと迎えに来てくれてたぜ!」
ワゴン車のところまでずるずると歩いて行って一同で挨拶すると、清美さんとかいう女性は満面さわやかスマイルで
「わぁ、美男美女ばっかりじゃないのよ! こりゃあ、いい客寄せになるわぁ!」
……それは固く辞退申し上げます。
迎えの車の中で聞いた話によると、斉藤清美さんというその人は、由美さんの遠い親戚にあたる方らしい。俺達と同じくらいの歳の頃は色々とやんちゃなコトもしていたらしいが、さわやかスポーツマンな今のダンナと出会って結婚し、この町へきて民宿を開いたとのこと。
彼女はハンドルを握りながら
「由美ちゃんてば、まだ近海でシマ張ってるのォ? 前に会った時は、ほとんどのガッコー制覇してたよねぇ?」
「やだなァ、清美さん。アタシゃ、もう現役引退したんだってば。今はこのマサとタツに任せてんだからさァ」
ちょっと待てぃ!
任された覚えはありません!
「あはは、由美ちゃんももう二十歳になるんだものねぇ。いつまでも番長やってられないものね? いいじゃない。彼氏達、とっても頼りになりそうだし。美女を四人もエスコートしてくるくらいだもの――」
キーッ
いきなり急ブレーキ。
前方で若者達の乗った車が堂々と道の真ん中で停車して、ぐずぐずと荷物を下ろしたりしている。道幅は狭く、向こうからも車が途切れることなく来ているから、追い越していくこともできない。
「ちっ! くっだらねェコトしやがって……」
そう呟くが早いか、清美さんは窓から顔を出し
「バカ野郎! こったら道の真ん中に停めくさってんじゃねェよ! ハジに寄んねェか! さっさとどけ、コラァ!」
怒鳴った。
武装天女も黙るようなハイパープレッシャー。
カッコつけていたおバカっぽい若者達も度肝を抜かれたらしい。これには抗えないとみたのか
「す、すんません! 今、どけますんで……」
そそくさと車を移動させ始めた。
「気をつけろい!」
トドメの一撃を残し、清美さんは運転再開。
くるりと後部座席の俺達を振り返り
「……いやー、ごめんねぇ! 最近、ああいうバカが多くてねぇ」
何事もなかったかのような、満面のさわやかな笑み。
「……」
一同、フリーズ。
マサはあんぐりと口を開けたまま閉めることを忘れているようで、ドルファちゃんにいたっては泣きそうになっている。ナーちゃんは俺に固く抱きついて『達郎さま……今、とっても強い邪気が……』
以降、大した会話も弾まないまま、清美さん夫妻が営む民宿へ到着。
「さ! 着いたよー! ゆっくりしていってねー!」
送迎車から降りた俺達は、照りつけるクソ暑さも忘れて呆然とした。
「……」
これは……期間限定掘っ立て小屋ですか?
思わずそう尋ねたくなったくらい、古びた昭和初期級なアンティークハウスだった。
江戸時代の時代劇に出てくる遊郭みたいな建物が朽ち果てた感じ、といえばいいのだろうか。隣の民家が高級旅館に見えてきたよ。
ところどころ適当に板が打ち付けてある。それらをじっと見ていると
「ああ、あれはね、台風がきた時にどっかの看板が刺さっちゃったのよ。あっちは吹っ飛んでどこいったかわからなくなったから、補修しておいたの」
さも当然のように、清美さんは説明してくれた。
そりゃー刺さったり飛んでったりしそうな建物だもの。
「はぁ……いろいろ、大変ですね……」
葵さん一人、にこにこして「とっても趣がありますわ! やっぱり、大勢で泊まるならこうでなくっちゃ!」
すると、清美さんが嬉しそうに
「でしょお、でしょお!? こーいうのが、海の民宿なのよ! 近代的な鉄筋コンクリートなんて、何の味気も情緒もないじゃない! お客さんはみんな、最初はびっくりするけど一晩泊まればみんな喜んでくれるの!」
それはきっと、お客様がみんな神様だったのではないだろうか。
「ささ、入って入って! 向こう側が海だから、荷物を置いたらすぐに泳げるわよ!」
「はーい……」
促されて中へ入ると、これまた真っ黒に焼けたというより焦げたナイスガイが玄関フロアを掃除していた。
「お、いらっしゃい! 由美ちゃん、よく来たね!」
「こんちは! 鮎彦さん、ちっとも変わらねェなァ!」
清美さんのダンナさんである鮎彦さん。
笑うと白い歯が「きらりーん!」と光る。マリンスポーツ全般に長けているようで、民宿だというのに本人のものらしいアイテムがあれこれと無造作に置かれている。
「部屋は二階の海側を空けてあるからね! 広いから、みんなで好きに使うといい」
「ありがとうございまーす」
ぞろぞろと二階へ。
木造だけに、やったらと階段や廊下がきしんでいる。壁や天井も「板です!」感全開。マサの突きならどこでも穴くらい開くだろう。
しかし、障子戸を開けて部屋に入った俺達は一斉に
「おおーっ!」
唸った。
でろーんと横長の畳敷きな部屋の窓からは、見渡す限りの海が!
真下から先は砂浜になっていて、面倒くさければここで服を脱いで飛び降りればいい。
『達郎さまっ! とっても素敵ですわね! 私、達郎さまと一緒にこのようなところへ来ることができて幸せですっ!』
『おお。俺も良かったよ』
感激しているナーちゃんと二人、窓際に佇んでいると清美さんがやってきて
「みんな、お昼まだでしょう? 今、用意したげるからね! テーブルだしといて!」
そうだった。
今正午だから、昼メシを食っていない。
「おォい、マサ!」
「うす!」
由美さんの命令一過、マサが頑丈そうなテーブルを担いで持ってきた。
みんなでそれを囲んで座り、食事待ち。
と、由美さんがふと気がついたように
「そーいえばよォ……これ、一間、だよなァ?」
「そのようですわね。仕切りはないみたいですわ」
葵さんの言葉に、由美さん、マサ、ドルファちゃんの視線が一斉にこちらへ向けられた。
「え……なに? 俺達が、何か?」
「おめェら、夜中にいちゃつくのはいいけどよォ……ヘンな声とか、出すなよォ?」
――おい。
俺達をそこらのどーぶつと一緒にしてるんじゃない!
「そっすよ! オレまでもんもんしちゃったら……あいたっ!」
「マサ、お前は廊下。寝相悪そうだし」
「待ってくださいよォ! せめて、ドルファちゃんの隣で――」
「ぶー! ダメでぇす! なんかひどいことされちゃいそうだし!」
なんか、ハナシが勝手にあっちへ反れていったな。
そういう具合であーでもないこーでもないとやっていると
「お待たせっ! 大した素晴らしい料理なんか出せないけど、せめてお腹いっぱい食べてね!」
言いつつ、清美さんがテーブルの上にどすっ! とやったのは――山盛りのウニ、ウニ、ウニ。いや、とにかくウニ。
ってか、これ……今しがた海から獲ったそのままなんじゃ? トゲトゲがそのまんまついている。
「ぃやったぁーっ! ウニだーっ! オレの時代だーっ! バカヤロー!」
マサが狂喜乱舞したことは言うまでもない。
こうして――よくわからない夏のひとときは始まったのだった。