#53話:クアラ村の外へ
「しつこいようだけどクイシェちゃん、ほんとにいいの?」
深鷺が何度目になるかわからない確認をする。クイシェは何度でも答えてきたが、いよいよこれが最後だろう。
もともとは今日この日、クイシェが魔術学院に向かって旅立つ日だったそうだ。
クイシェが自分に付いてきてくれる、というのは嬉しく心強い反面、学校に通うはずだったのに、と申し訳ない気分になってしまう深鷺だったが、クイシェは「学院に通っても旅をしても見聞は広められるから」と言う。
「……ミサギちゃんだって、1人だと寂しいでしょ?」
窺うように聞かれれば、深鷺としては頷くほか無い。
最後の入浴を堪能した深鷺は最後の旅支度を調え、クイシェと共に村の中心広場へ来ていた。
まだ、体の芯が暖かい。突然やってきた異世界で、今までは幸運にもお風呂のある生活が送れていたが、これからはそうもいかないだろう。
「はー……わたしお風呂のない生活に耐えられるかなー……」
そもそも、自分はそんなに特別お風呂好きだっただろうか。
無い、と言われると欲しくなる感覚なのか、それとも当たり前すぎて意識していなかったのか。好き嫌い以前に習慣だったということだろう。無ければ無いで、なんとかやっていくしかないし、そのように慣れるものだ。
溜息混じりの台詞の裏で生活が変わる事への気持ちの整理を進めていた深鷺だが、そのぼやきに合わせたのだろうか。荷物を取りに行く際に一旦別れたフリネラが、後ろ手になにかを隠してやってきていた。
「ふふ、そんなミーちゃんにはこれをプレゼントー」
「え、これは?」
「ミーちゃん専用の湯沸かし魔導書よー」
手渡されたのは2冊セットの魔導書で、表紙にはそれぞれ【浴槽】【給湯】と書かれている。
「クジールと、クーちゃんとわたしからのプレゼントねー。これで旅先でも野営でもお風呂に入り放題よー?」
なにせミーちゃん、魔力はいくらでも使えるからねー。
と、フリネラは説明する。
「書いてあるとおりだけど、浴槽で穴を空けて、給湯で好きなだけ熱湯を注げば完成ねー……自分で作っておいてなんだけど、夢のような魔導書ねえー」
常人が用いれば【浴槽】の時点で魔力が枯渇しかねないほどのものだそうだ。地面に穴を掘るだけならまだしも、湯が土で濁っては興醒めであると材質変化にも拘った結果、とんでもない魔力を消費する術になってしまっていた。
深鷺用ということで魔力消費量という制限をまるごと考えなくて良い分、設計上も無茶が可能なので作るのはそう難しくなかったらしい。
本来なら複数名の魔導師が協力して小さなお風呂が1つ作れるかどうか、というレベルのものだが、深鷺の無尽蔵な魔力があれば何も問題はないのだ。
「まさに夢のような魔導書ですね……!」
「ただし、構造上の都合で二指魔導書になっちゃったから……がんばって練習してねー?」
「……!」
お風呂のためならと、魔導術の訓練モチベーションがさらに高まる深鷺だった。
フリネラに続き、集まった村人達も深鷺とクイシェに色々なものをプレゼントしていく。旅立つ2人への餞別だ。嵩張らない程度のものがほとんどだが、中には魔導書が混じっていたりもする。
魔導書は専用のホルダーにまとめて持ち歩くものらしく、深鷺も自分用のものを貰っているので、それに足し入れた。
集まった人達を見てふと、この広場で村人達に紹介されたときのことを思い出す。
クイシェが旅立つということもあり、あの時とは違い村人はほとんど全員が出揃っていた。深鷺の顔馴染みも多い。村の皆で育ててきたクイシェの旅立ちに、涙を流している者もいる。
あのときに感じた優しい空気にまったく間違いはなく、その優しさに守られていた1ヶ月だったと、深鷺はあらためて思う。
獣の姿をした人達もすっかり見慣れたもので、今では手触りも知っているほどだ(お願いして触らせて貰った)。
(1ヶ月……あっというまだったなあ……)
最初の頃感じていた不安は、恐らくどこかへ消え去ってしまった。
新たな旅立しへの不安は、未知の世界を旅する期待にすり替える。
戻れないかもしれないという不安には、慣れる気はない。
耐えて、乗り越えて、いつか必ず戻るという決意だけを胸に……。
「えーと……王都へ行くんですよね?」
クイシェは深鷺の旅に同行することになったが、途中までは当初の予定通りの経路を辿ることになる。
「うむ。この時期に旅立ちを決めさせて貰ったのは王都に用があるからじゃ。深鷺にとっては寄り道になるかもしれんがのう」
深鷺としては旅の手助けをして貰えている以上、なんの不満もない話だった。
同行者が多いのは単純に心強いし、別れが一つでも遠のくならそれも嬉しい。
「この国に来た以上、竜臨祭は見ておくべきだぜ」
「……」
ギュランダム、そしてカウスとミラナも王都まで同行することになっている。
カウスは竜を見に行くため。
ミラナは、ギュランダムが行くならどこにでも付いていくそうだ。
ミラナはあの一件以来、特に深鷺に妙な因縁を付けたりするようなことはしていない。
「……」
暗殺者でないことは理解したのか、現在は単に興味がないといった感じである。深鷺は怪我をしても特異体質であっというまに治ってしまうので、あまり接点がない。たまにギュランダムの後ろにいるのを見かけたりする程度の関係だった。
深鷺としては、せっかくなので親しくなりたいと思っているのだが。
挨拶を済ませ、餞別を貰い、準備も整った。
「「――それじゃあ、いってきます」」
つい重なった声に微笑しつつ、見送ってくれている人達に精一杯の感謝をする。
色々なことがあったが、この村の人達のことは忘れないだろう。
無事に帰り着くことができるならば、これが今生の別れとなるかもしれない。異世界間が自由に行き来できるような気軽なものだとは思えなかった。そもそもそれが可能かどうかもわからないのだから。
なら、いうべき言葉は「さようなら」だろうか?
矛盾した願いだが、叶うことならまたここに戻りたいとも感じている。
故郷に帰りたいという気持ちが揺らぐことはありえない。
ただ、ある時こんな事を言われた。
「もし、故郷に帰れなかったら、ここに帰ってくるといい」
その言葉は忘れられない。
故郷を目指す気持ちからその言葉に反発したい衝動が湧き出る一方で、1つの、意識していなかったような大きな不安が消えたような、そんな気もした。
気が付いたら繋いでいたクイシェの手を、すこし強く握る。
ふと、深鷺は振り返り、複雑な思いは無視してもう一度、素直な気持ちを込めて、伝える。
「またねー!」