ハズレスキルと最前線の泥濘――死の淵で引いた『前世の引き金』と狂気の笑み
泥と血、そして排泄物が混ざり合ったひどい悪臭が鼻を突く。 冷たい雨が降り注ぐ最前線の塹壕で、アレン・ストライフは膝を抱えてガタガタと震えていた。
「ヒィッ……あ、あぁ……嫌だ、死にたくない……っ!」
周囲には、数分前まで言葉を交わしていた味方の兵士たちが、原型をとどめない肉塊となって転がっている。 塹壕の上に立つのは、返り血で赤く染まった分厚い鋼鉄の鎧に身を包む、敵国の重装歩兵。筋骨隆々としたその巨漢は、恐怖に顔を引きつらせる華奢なアレンを見下ろし、獰猛な笑みを浮かべた。
(殺される。僕はここで、死ぬんだ……!)
帝国きっての武闘派貴族、ストライフ伯爵家の三男。
しかし、その体躯は10歳の少女のように小柄で華奢。剣を振るう腕力も、魔法を放つ魔力も底辺。何より致命的だったのは、10歳の儀式で授かった【兵器】というスキルが、発動すらしない完全な『ハズレ』だったことだ。
『我が家の恥晒しめ。その役立たずの命、せめて戦場の土嚢として捧げてこい』
実の父親から下された無慈悲な命令。厄介払いとして最前線に放り込まれた病弱な少年に、生き延びる術などあるはずがない。
ズン、ズンと重い足音を立てて、敵兵が塹壕へと降りてくる。手にした身の丈ほどもある大剣が、無慈悲に高く振り上げられた。
――死の恐怖が限界を突破し、アレンの思考が純白に染まる。 生存本能が極限まで加速し、脳髄が「生き残るための手段」を求めて魂の最深部を暴き回る。
ーーその瞬間ーー
アレンの内側で、強固に封印されていた『もう一つの記憶』が爆発的に決壊した。
(……なんだ、これ? 僕、は……そうだ。僕は、日本で……)
平和な現代日本。サバイバルゲームと銃火器をこよなく愛し、戦術の構築に脳汁を滾らせていた『重度の軍事・戦闘オタク』としての人生。 その前世の記憶と膨大な知識が、怒涛の勢いで15歳のアレンの自我と融合していく。
同時に、強烈な納得感がアレンの脳天を貫いた。 この【兵器】スキルはこの世界に存在するはずがないものだ。
それは「呼び出そうとする兵器の精密な構造と物理法則を完全に理解していなければ具現化できない」という、極めて厳格な発動条件があったのだったのだ。
つまり銃火器なんて存在しないこの世界の人間がスキルを発動できるわけがなかった。
(――弾倉、スプリング、遊底、撃鉄、撃針、薬室、銃身)
頭の中に描くのは、9ミリパラベラム弾を使用する傑作自動拳銃。
体内の魔力がわずかに吸い取られ、アレンの華奢な右手に、ずしりと冷たく重い黒鋼の塊が具現化した。
「あぁ? なんだその黒い鉄屑。杖のつもりか、貧弱なガキが!」
巨漢の敵兵が大剣を力任せに振り下ろす。
だが――その時すでに、アレン・ストライフという怯弱な少年の自我は、前世の『戦闘狂』によって上書きされていた。
「――おせぇよ、デカブツ」
少女のように可憐な唇から紡がれたのは、酷く冷酷で、ひどく楽しげな声音だった。
アレンは振り下ろされる大剣を怯えることなく見極めると、最小限のステップで斜め前方へと踏み込み、敵の死角へと滑り込む。無駄のない、完全に訓練された兵士のクリアリング動作。
「なっ……!?」
「はい、1キル」
アレンは両手でしっかりとグリップを握り込み、躊躇なく引き金を引いた。
タァンッ!!
鼓膜を裂くような乾いた破裂音。
銃口から吹き出したマズルフラッシュと共に、初速350メートルを超える9ミリ弾が放たれた。
この世界の分厚い兜は、現代の徹甲弾の前では薄いガラスも同然だ。
巨漢の敵兵は、自分の眉間を貫通した致命的な衝撃を理解する間もなく、白目を剥いて泥まみれの地面にドサリと倒れ伏した。
「……あはっ」
硝煙のツンとした匂いが血の悪臭を上書きする中、アレンの喉から恍惚とした笑い声が漏れた。
彼は手の中にある熱を帯びた相棒を見つめ、少女のような白い頬を興奮で紅潮させる。
「あははっ……最高だ。弾道よし、貫通力よし。反動も魔力で相殺できるのか。たまらないな、これ!一生撃ってられるぞ!」
「ヒッ……」
ふと、背後から短い悲鳴が上がった。 振り返ると、瓦礫の陰で腹から血を流して倒れていた味方の古参兵が、顔面を蒼白にしてアレンを見つめていた。
古参兵は震えを抑えきれなかった。
あの臆病で、いつも泣きじゃくっていたストライフ家の出来損ない。
その華奢で可憐な外見のまま、得体の知れない黒い鉄塊を握りしめ、顔面を撃ち抜かれた死体の上でうっとりと頬を染めて笑っている。その異様すぎるギャップに、歴戦の兵士であるはずの古参兵の背筋にゾッとした悪寒が走ったのだ。
「あ、アレン……お前、一体……」
「おや、生きてたんですか。止血帯がないなら軍服を裂いて縛っておいてください。――さて」
アレンは古参兵の怯えなど意に介さず、くるりと戦場へと向き直った。
その眼光は狂気に満ちていながらも、恐ろしいほどに冷徹な『戦術家』の計算が走っている。
「次の的は……風向きよし。距離30にツーマンセル(二人組)。右後方45の稜線にも伏兵が一人。あそこは魔法使いか?……いいね。まずは厄介な遠距離火力から頭をぶち抜いてやる」
引き金を引くたびに魔力を消費し、薬室には既に次弾が自動装填されている。
家族に捨てられた最弱の少年は、前世の狂気と絶対的な火力を引っさげ、血の雨が降る戦場へと歓喜の足取りで飛び出していった。




