プロローグ 最後の千年目
楽しく読んでいただきたいです
血の匂いすら、もう懐かしいと思うようになっていた。
大陸中央、灰と化した平原に立つのは、たった二人。
片方は、傷だらけの若き勇者。
もう片方——魔王ヴェルグリムは、その全身から立ち上る黒い瘴気をゆっくりと収め始めていた。
「……終わりだ、ヴェルグリム!」
勇者が剣を構え直す。声は震えていた。恐怖ではない。この千年戦争の重みに、自分自身が耐えきれなくなっている震えだ。
(良い目だ)
ヴェルグリムは、口の端をわずかに歪めた。この若者の瞳には、まだ「守りたいもの」がある。憎しみだけでは、あの深淵の裂け目から溢れ出す本物の災厄には抗えない。
千年前、大陸の裏側にその存在の気配を感じ取った時から、ヴェルグリムは決めていた。
——己が「悪」であり続けること。
種族同士を戦わせ、力を鍛えさせ、憎しみという名の結束を大陸中に張り巡らせること。
それだけが、人も魔族も、亜人も、来るべき本当の敵から生き延びるための唯一の道だった。
理解されるとは、最初から思っていない。
王とは、そういうものだ。
「かかってこい、小僧」
ヴェルグリムは剣を下ろした。防御の構えすら取らない。
勇者の刃が胸を貫いた瞬間、痛みよりも先に、奇妙な安堵が満ちた。
——これでいい。憎むべき「魔王」は死に、勇者は英雄として大陸に希望を示す。
そして自分の力の大半は、結界となって大陸に染み渡り、いずれ来る災厄に備える楔となる。
意識が薄れていく中で、ヴェルグリムは笑っていた。
(誰にも、礼を言われる筋合いはない。それでいい。それが、王だ)
ただ——
(願わくば、次の生では)
暗闇に落ちていく直前、千年生きた魂の奥底で、ひとつだけ願いが灯った気がした。
それがどんな願いだったのか、自分でも言葉にできないまま、意識は完全に途切れた。
⸻
それから、三百年。
「ふぎゃあああああ!」
辺境の小さな村、ミレーユの片隅にある小屋で、けたたましい産声が響いた。
取り上げた産婆が、赤子を抱き上げてぽかんと固まる。
「……なんて綺麗な、銀の髪」
生まれたばかりのその子は、不思議なほど泣き止むのが早く、じっと天井を睨むように見つめていた。
まるで、そこに何があるのかを見極めようとするかのように。
その瞳は、深い紅色をしていた。
両親は迷わず名付けた。
「リゼル。リゼル・ヴィンクランツ」
千年の孤独を生きた王の魂は、こうして、なんの因果か——女の子として、静かな村の片隅に生まれ落ちた。
よろしくお願いします




