【1-3】 小さな猫背と、大きな返事はよく響く
「ねえ貴女、もう少し背筋を伸ばしてはどう?」
「ひゅぇ……ッ」
不意に誰かがロミエの肩に手を置いた。
隣に座っていた生徒からそう言われ、咄嗟に「はっ、ひゃいっ!」と上ずった返事をして背筋を伸ばす。
しかし、静まり返った講堂では、その咄嗟に出した声がとても良く響き渡ってしまった。
何事か、と周囲の生徒が視線を向けてきて、青ざめながら縮こまるロミエに、隣の生徒が焦ったような嚙み殺した声で言う。
「ばッ……⁉ これから講義が始まるって時に、そんな大きな返事してどうすんのよ……!」
(ああ、怒られてる。怒ってる。またわたしやらかしちゃったんだ)
グッと唇を噛み締めて、ロミエは机の下で祈るように両手を握り、できるだけ空気になろうと猫背になって縮こまる。
「ごめんなさい」
「…………猫背。目立ちたくなかったら、最低限前を向きなさいよ」
「ごめんなさい」
ロミエがしきりと「ごめんなさい」とつぶやく。
そんな様子を、隣に座る生徒は不気味に思いつつ、心に沸いた衝動に駆られて動いた。
「ちょっと失礼するわ」
そう言って、隣の生徒は左手をロミエの背中を、右手をロミエの肩に置き、次の瞬間、ぐぅッと力を込めて猫背がしみついたロミエの姿勢を矯正する。
「へ……? え……?」
「はい、これでよく前が見えるでしょ」
そう言うと、隣の生徒はプイッとそっぽを向いてしまった。
その横顔を眺めながら、ロミエはそっと触れられた肩に手を置く。
いきなりのことでロミエの頭はショートし、ぽかーんと開口してパクパクさせる。
(……けど、優しい力、だったな)
力任せに押すんじゃなく、ぐぅッと、余韻のもった力の込め方で。痛くないように気を使って、ロミエの姿勢を正してくれた。
それに――
(誰もこっち、見てない……!)
姿勢が正されたことで視線を上げたが、もう誰もロミエと目が合うことは無かった。
みんな、入学したてで交流関係も手探り状態なのだ。
しきりに隣へ話しかける生徒もいれば、前の学園が同じなのか楽しそうに話し合う生徒、逆に落ち着きがなさそうにキョロキョロと見まわす生徒もいれば、ロミエ程ではないが緊張で縮こまり、目の前の机を眺めている生徒だっている。
「……!」
ロミエはわあっと世界が広がるのを感じ、視野が広くなって、色々な物が見える気がした。
自分がニヒリアだから、忌み嫌われる存在だから、こんなところに居ていい奴じゃないから――自分は相応しくない存在だと思っていた。
けれど、ここには色んな人が居る。人それぞれ、色んな動きが見える。
みんな余裕がある人ばかりじゃない。なんなら、ロミエと同じように緊張するのが大多数なんだ。
(みんな、今日が初めてなんだ)
みんなと同じ。
その事がとってもとっても嬉しくて、同じ場所にいるということが分かって、ロミエはスーッと息を吸い込んだ。
そう思うと、少しだけ自信が湧いてきた、気がする。
(不純な思い違い……かも、しれないけど……)
ロミエはチラリと、隣に座る生徒を見る。
ロミエの背筋を正してくれた隣の生徒、顔を上げて見ると長い金髪を緩く纏めて左肩に垂らし、星の衛星軌道を彷彿とさせ、仄かに華やかさを感じさせる髪飾りをかけている。
異国の香水を使っているのか、珍しい花の香りがロミエの鼻腔をくすぐった。
とってもいい匂い……とスンスンしたくなるのを堪えて、口を開いた。
「あっ……あの……あのぅっ……!」
おっかなびっくり声をかけると、隣の生徒はチラッとこちらに振り向く。
「……な、なにかしら」
青白い肌をした彼女は、少しだけ唇を尖らしながらロミエを一瞥する。
彼女は前を向く勇気のなかったロミエに、前を向かせてくれたのだから、お礼を言わなければならない。
(こういう時はっ、ごめんなさいじゃなくて……ありがとうだっけ)
むかし、母に言われた言葉を思い出しながら、「ありがとうありがとうありがとう……」と頭の中で反芻し、意を決して口を開いた。
「し、しせい……あり、がと……ですっ……!」
(姿勢ありがとうって何ぃ⁉)
ロミエが己の口からでた言葉にあわあわと焦っていると、「ふ……ふふふっ」っと、控えめな笑い声が聞こえてくる。
「……なんだ、ごめん以外にも言えるじゃないのっ」
トスンっ、と肩でつついてくる隣の生徒は、毒気が抜かれたような笑みを浮かべ、その青い肌よりもっと深い、アメジストを彷彿とさせるクッキリとした瞳でロミエを見る。
「私、ショルトメルニーャ・ハーマ」
「しょ、しょるとめ……?」
「帝国出身なの。長いから、どう呼んでくれてもいいけど……とっ、友達はショルたんとかニーニャたんとかメルたんとかって呼んでたわ」
「とぉっ!? とっととと──」
ショルトメルニーャはしばらく視線を彷徨わせるが、「友達」という単語に「ととっ、とっともっ、とももっ??」と動揺するロミエを見ると、再び「ふふふっ」と笑みをこぼす。
「貴女、お名前は?」
「ととっ……。あ、えっと、えと……ろ、ロミエ・ハルベリィ……。あっ、でふっ!」
(かっ、噛ん、じゃったぁ……)
ロミエは時たま敬語を忘れてしまう。
そして、話慣れていない口は焦った時ほどよく噛むのだ。言葉に詰まったり、話の最中に噛むロミエを笑う人は沢山いた。
それ以上に、普通の言葉すら話せない自分が恥ずかしく、「うぅぅ……」と視線を下げる。
「何よ、でふって」
しかし、そう言って「ふふふっ」と笑うショルトメルニーャからは、馬鹿にした様子も蔑むような意図も感じなかった。
この笑い方を、ロミエは知っている。
(友達に……向ける笑顔だ)
ニヒリアには友達は必要ない。あるのは恨みや蔑みだけでいい。
けれど、《《ロミエ》》には友達が、必要なんじゃないんだろうか?
だって、この胸に生まれたポカポカとした幸せは、きっと人でしか味わえないものだと思うから。
「……えへへ」
ロミエはなんだかむずがゆくって、さわさわと前髪を弄る。
そうロミエが頬を緩めていると、ショルトメルニーャはパチリと瞬きし、口端をムズムズさせる。
「ロミエ、これからよろしく」
「えへへ……はいっ‼」
そう勢いよく返事をすると、ショルトメルニーャは「この子ったら、また大きな声で……っ!?」とロミエの唇に指を添えた。




