第55話 さようなら。
「いらっしゃい」
あの男が来た。私は予定時間ピッタリに表れた男を出迎えた。彼はまだ年若い少年の様な出で立ちをしていた。あどけなさの残る目元をすっぽりと覆うフード付きの外套を纏っている。私の案内に応じるままに、商館の中へと入った。
彼の気配は、昔見た時よりも随分増大していた。周辺の魔力が高濃度に練り上げられており、一瞬の隙もない。なにより、不気味な双眸はこちらを見透かすような得体の知れないナニカが彼の中に巣食っているように感じられた。
滲む汗を抑えながら、平然を取り繕う。
奴隷を求める冒険者達の中には、こうした逸物が時々姿を現す。今後の事も考えると、大物の客になる事は間違いない。必ず気に入られてなくては……。
部屋を物色するように、周囲を見つめる。
前に訪れた時より、達観した目付き。
その目付きに、私は見覚えがあった。
「(この男……人を殺したな)」
なるほど、そう考えると合点がいく。
争い事、命が絡む戦いに慣れきった表情だ。
「それで、今日はどういったご用件で……」
「奴隷を買いに来た」
昨日の内に、彼はアポを取って来た。
今日のこの時間に再び訪れると。
「EXスキル《処世術》《鑑識眼》」
わざわざ聞こえる声で、スキルを口にする。
EXスキル……通常スキルの上位互換が二つも。
この一か月でどれだけ成長したと言うのか。
「今日は……もう分かっていると思うが、例の奴隷を買いに来た。ユエという名前だったか。あの子を引き渡して貰いたい。いくらだったかな?」
努めて冷静に、口を開く。
「金貨25枚ですぅ」
「高いな、15枚」
「……22枚でお譲りしますぅ」
会話数は少ないのに、高度な心理戦が繰り広げられているかのような極度の緊張が場を支配した。ピリリと張り詰めた空気の中で、更に言葉を紡ぐ。
「18枚」
「ふふふ……20枚。これが限界ですね」
男の顔から笑みが消える。
なんだ、と思った瞬間こちらに麻袋を投げて来た。
数枚がコロンコロン、と地面に零れ落ちた。
私はそれを慌てて拾い上げ、数を数える。
金貨20枚。
予め用意していたという事実に私は無性に恐怖を覚えた。彼の目は何も笑っていなかった。
だらり、と期待に汗が滲み、身体が震える。
まるで、すべてが予定通りと言うような。
日記に書かれた出来事を辿るような、不気味な感覚。
「買った」
「ふふふ……貴方様とは長い付き合いになりそうですぅ」
「ああ、また『いいの』が入ったら教えてくれ」
「ええ、勿論ですぅ、勿論ですとも」
やはりこの男は油断ならない。
奴隷商を初めて、早十年以上。
とんでもない者の登場にただ私は戦慄していた。
□■□
名前:ユエ
ギルド:無所属
ユニークスキル:【天衣無縫】
スキル:『暗殺術』B『潜伏』D『見切り』F『毒物耐性』C『闇魔法』B『風魔法』C
幸いにして彼女はまだいた。
前よりも少し痩せているだろうか。
俺は少し安心して息を吐いた。
片膝を付き、牢を介して面会する。
「ん……」
また来たのか、と飽きた表情を浮かべていた。
彼女の美しさあまりに彼女を見に来た人は少なくないはずだ。
誰しもが買う事を憧れて。
そして、泣きながら帰っていく。
金色に揺れる綺麗な髪。珈琲にミルクをふんだんに垂らしたような、薄い褐色の肌。小動物に似た庇護欲のそそる瞳。神が遣わした子供と言われても遜色ない、優れた容姿。その娘が、これだけの強さを有しているのだから、高値が付くのも納得だ。
牢を開錠し、手枷を付けたユエが出てくる。
ずっと閉じ込められていたからか、歩く事すら覚束ない。四肢の筋肉がすっかりと抜け落ちているようだった。
「よろしく」
ユエはこくりと頷いた。
応接室まで戻り、ユエを連れ帰る。
たどたどしい足取りだったので、肩を貸した。
俺を試すような目で瞳の中を覗き込む。
琥珀色の双眸があまりにも美しかった。
俺はユエを連れて、色々な店を回る事にした。
「腹が減っているだろう?」
ユエは話そうとしなかった。
仕方ない、俺は軽食を出す屋台に顔を出した。
香辛料を使っていない胃に優しそうなスープだ。
すぐに金を出すと、ユエに買い与えた。
「自分で食えるかって……無理そうだな」
俺は近くの広場に移動して、腰を下ろした。
ふーふーと息を吐いて、口元に移動する。
「あーん。ほら食え」
ユエは驚いていた。
どうして奴隷の自分にって所だろうか。
昔ルナにも散々言われた気がするけれど。
ユエはゆっくりと口を動かした。
微々たる量だったが、食べてくれた。
夜中だが空いている服屋を探した。
古着屋が戸締りをしようとしている所だった。
俺は駆け込んで中に入った。
「あの子の服を見繕って欲しい」
「わあ、随分可愛らしい子ですね」
店員は謙遜なくそう言った。
俄然やる気に満ち溢れた様子だった。
普段着に使えそうな、フリルのついた洋服と、寝る際に使えそうなゆったりとしたデザインの寝間着。それから、彼女に合うサイズの下着一式。俺は迷いなく購入した。
「そろそろ帰るか。残りは明日の朝だな」
俺は宿に連れ帰る。ユエの歩きが鈍くなってきたので、俺はおぶって帰る事にした。少し汚れが目立つな。きっと風呂にも入れていないのだろう。
宿の店主に頼み、温かい湯と桶を借りた。
忙しいが、今日中にこなすべきタスクだ。
それらを持って、ユエを部屋へと招き入れた。
□■□
「だぁああ……疲れた」
俺はベッドにダイブする。予定通りに進んでいるとはいえ、最近の無理が祟って身体がガタガタだ。眠気を堪えながら改めてユエを見た。
ちゃんと買えた達成感よりも懸念の方が強い。
まあいい。時間もかけてられないしな。
「ユエ。とりあえず服を脱げ」
ユエは一瞬動揺したが、するりと服を脱いだ。
ボロボロの服の下は、全裸だった。
「いやいやいや、下着もつけてなかったのかよ!?」
ユエは羞恥心すら感じない死んだ表情だった。
あーそういや、この子、一応性奴隷でしたねっと。
興奮を抑えて、後ろを向かせた。
しなやかな背中が目に入る。
惜しげもなく晒す肌が、やはり目の毒だった、
つるりとした尻も一切隠されていない。
湧き上がる欲情を懸命に堪えた。
多分ここで手を出したらルナに殺される。
シンシアにもついでに殺される。
シャルとノエルに軽蔑される。社会的に死ぬ……。
桶に汲んだ湯をタオルに湿らせて背中を順番に拭いていく。
「ん……っ」とユエは甘い嬌声を漏らす。
ゆっくりと、何度も何度も優しく撫でていく。
背中側が終わったら次は前だ。
すると、ユエはへなっと力が抜けて俺にもたれた。
勢いを殺しきれず、ベッドに腰掛ける。
全裸のユエが俺の膝の上に乗った。
「こいつ……っ」
色々と体勢がまずい。
くそぅ、ルナの奴、なんでいないんだよ。
帰ってきたら一生恨んでやるからな。
タオルを再び湿らせて前を拭いていく。
豊かな双丘を越えて腹の方へ手を伸ばす。
ユエが艶やかに息をはぁはぁと漏らす。
鼠径部、太腿、膝下から足首まで順番に拭いて。
残り……は、うん。
「そこは自分で拭けよ」
ユエは黙って手入れをしていた。
心臓が持つ気がしない。
性奴隷って、破壊力を揺さぶるワードが理性にボディブローを喰らわせている。脳内に出現した天使と悪魔の仁義なき戦いを観戦していると、ユエが身体を揺らす。
「終わったか?」
こくんと、首を縦に振った。
ユエには、事前に買った服を渡し、俺は寝る準備をその間に整えた。まだ少し寝るには早いけれど、今日はこの方が都合がいい。
俺は一足先に、ベッドに横たわる。
ぐんぐん、と重力に引き寄せられるように眠気が押し寄せる。ユエはそんな俺を不思議そうに見つめていた。
「ユエもここで寝ろよ。命令な」
ベッドの一部を明け渡す。
ユエは大人しく入って来た。
ルナとは異なる感触。されど女の子の柔らかさを備えている。
身体もさっぱりして気持ちがよさそうだ。
俺は安心して、目を閉じた。
眠るにはちょうどいい心地よさだった。
股の方がずっしりと重かった。
女の子一人分の体重が掛かっている。
手足も随分と重く感じた。
いいや、実際全く動く気配が無かったのだ。
うっすらと目を開ける。
そこには、先程まで無口だったユエが卑しい表情を浮かべながら、俺に馬乗りになっていた。彼女の片手には、短剣が握られていた。
「お兄さん。すぐ楽にしてあげますからね」
「……っ」
首筋にぴったりと当てられた鋭利な刃物。
ユエは生粋の暗殺者。
「さようなら」
主を殺そうとするのは、当たり前だった。





