それでも双六は悪態を忘れない
「……すみませんが。どうして僕を半殺しにするんですか?」
手も悴む寒い季節だというのに、背中には薄っすらと冷や汗が浮き出るのを感じる。寒いのか暑いのか。唯一鍛え抜いていた逃げ足が完全に上回られた自体。未だかつてない危機を前に、双六はそれでも冷静に頭を働かせた。
時間だ。
何としても時間を稼いで、この危機を脱さなければならない。
それが例えどれほど小さな希望だとしても。
「奈落王に命じられたからだ」
「その奈落王――というのは何者なんですか?」
「奈落の王として君臨する者だ」
なるほど。さっぱりわからない。
字面としては意味は理解できるが、この民主主義も素晴らしい王政などない世の中で王を名乗る人間がいるのは時代錯誤もいいところだろう。
さもなくば、ただの狂人だ。
「質問を変えます。奈落王は何の理由で僕を半殺しにしたいんですか?」
幾分か鼓動が落ち着いてきた。
双六は不自然にならない程度に右手を左手首辺りに重ねる。
モニターという立場上、双六はそれなりの装備を支給されている。プラチナランクの限定的権利の付与もその一つだ。モニターは監視対象のプレイヤーがどうなろうとも、報告できるように義務付けられている。
そのため、モニターは安全に帰って来られるように、自身が危機的な状況に陥った場合は、支給された装備を使用して即時に危機的状況であることを発信できるようになっている。
今回、双六が使用したのは腕時計のウェアラブルだ。
腕時計の横にあるボタンを連続で3回押せば、自分の位置情報及び10分間の録音が可能になっている。
双六はそれを押した。
応援が駆けつけるまで何分掛かるかわからない。
10分を超えることはないだろうが、そこまで時間を稼げるだろうか??
わからない。
わからないが――やるしかないのだ。
改めて覚悟を決めて、イチローと名乗った男と向き合う。
「お前ら娯楽屋は奈落に足を踏み入れただろう?」
「……えぇ、そういうこともありましたね」
文字通り足を踏み入れ、堂々と奈落に住まう連中とやり合った。
どころか、その住人であるオセロに至っては、モニターとして勧誘している始末だ。
「奈落は不可侵領域だ。娯楽の人間が足を踏み入れることを許していない」
イチローのその言葉に、さすがの双六も少し焦った。
「ちょ、ちょっと待ってください!? 許していないって言っても、怖いもの見たさの人間だって少なからずの人数が踏み込んでいるでしょう? まさか、そんな人たち全員にこんなことしているんですか?」
「無論、違う。普段ならば表層程度で俺が出張ることはない」
さすがに噂話程度であれど、奈落に踏み入り出てきた人間だっている。
……もれなく、あの治安の悪すぎる区域で命からがら這々の体ではあるが、それでも火遊びした結果、その火事が話題に上る程度にはいるのだ。
さすがに、そんな人間たちにまで、このイチローという男が直々に手を下しに来ているわけではないようだ。
それならばと疑問が残る。
娯楽屋として双六たちは奈落に入ったものの、オセロの言葉を借りるならば表でちょっと騒いだ程度のものだろう。
ならば何故と考えたところ、その答えはすぐに返ってきた。
「だが、お前らは碧桜子と共にいたことは調べがついている。故に、俺が制裁を与えに来た」
あの人のせいか!と寸でのところで叫ぶのを止めることができた。
つくづく大物と呼ばれる人たちは、一時的に場を荒らすだけではなく、後々まで禍根を残してくれるものだ。
だが逆に考えてみよう。
桜子が原因で襲われているのであれば、桜子に責任を押し付けてみればどうだろうか。
「へぇー桜子さんのことも知っているんですか。じゃあ、僕に手を出せば、あの桜子さんが動きますよ。あなたもただですまないんじゃないんですか?」
世界最強の武力を持つとか自慢していたぐらいだ。
あの人に対して友好や下につくことこそ望めど、敵対することなぞ夢にまで思いたくない。何しろ久遠と互角にやり合ったとされるルピンを、子供をあやすように倒したのだから。
そんな虎の威を借る狐ばりに、ここぞとばかりに強気に桜子の名を出してやった。
ところが、
「あぁ、別に構わない」
全く効果はなかった。
それどころか、
「あいつが俺と闘うつもりならば、こちらも応じるまでだ」
向こうはやる気満々のようだ。
何の気負いもせずに、そう言い捨てた。
まずい。まずいまずい!
この流れは非常にまずい。
時間を稼ぐための情報蒐集であったはずなのに、まだ助けが来る気配がない。
1秒が、1分が永遠のように感じられる。
「それとは別にこちらもお前に尋ねたいことがある。お前ら娯楽屋というのは、狐島管音の手の者で間違いないか?」
イチローの質問に、双六は戸惑った。
「……狐島さんを知っているんですか?」
「いいから聞いたことに答えろ」
よくはわからないが、この男は狐島管音の情報を求めている。
求めているということは価値があるということ。
交渉事の基本として、相手が求めていることは出し惜しんでリターンを限りなく上げてしまえだ。
「――その質問に答える前に、こちらからも一つ質問があります」
「何だ?」
半殺しにされるかもしれないジリ貧な状況だ。
双六は意を決して思い切ることにした。
自分ごときでは決してアクセス不可能で、詳細がまったくわからなかった情報。
すなわち、
「狐島さんは――マスターランクの一人で間違い無いですか?」
娯楽都市の支配者についてだ。
桜子と出会ったことで、ようやく支配者というべき連中がいることを知った。
だが、双六が持っている程度の権限では、うっすら程度でしか知ることができなかった。それでも、双六は二人のことを実際に会って知っているだけに、逆に不気味に不思議で会った二人のことがすんなりと納得できたぐらいだった。
娯楽都市のモニターとして活動している双六でさえ、その程度の情報しか持てないのだ。なのに、イチローは二人のことを知っている――ということは、それなりに知れるだけの地位や位置にいるということなのだろう。
「それは少し違うな」
イチローの答えは否定だ。
二人ともマスターランクであると思っていたのに違う?
自分の予想が外れたのかと思っていたら、イチローはさらに予想外な答えを言った。
「狐島管音と奈落王は――この娯楽都市と奈落の『創造主』だ」
この言葉にさすがの双六も、
「は……?」
と一言だけ呆けた。
支配者ではなく創造主。
意味を飲み込むのに幾ばくかの時間を必要とした。
「ちょ、あの人どう考えてもそんな歳じゃないでしょう!?」
この娯楽都市は新興都市であるけれど、歴史はそれなりにある。
双六が生まれた時点で都市は存在していたし、都市開発から関わっていたとすれば、どれほど過去に遡ることになるのか不明だ。
狐島は楽々大学の部室棟に住んでいる。
見た目は少女どころか童女と言っても差し支えないレベルであり、決して年齢が30代を上回ることはないだろう。
双六はそんなことはありえないと反論した。
「ふん。それ以上は自分で調べろ。そして、お前が狐島管音と繋がりがあること自体はわかった。これ以上は時間の無駄だな」
一方的に聞いて、一方的に話が終わった。
どこまでもマイペースであり、こちらの土俵に乗ってこない。
長い時間話し込んだと思っていたのに、腕時計は5分も経っていないことに「はは」と失笑が漏れ出た。
タイムリミットだ。
「はぁ、これから僕は半殺しにされるんですよね?」
「あぁ、安心しろ。きちんと半殺しにして半分生かしておいてやる」
「はは。宣言通りにされるのがわかるって最高に最低なジョークですね。それじゃまぁ、最後に2つほど悪態をつかせてもらいましょうか」
逃げてもすぐに追いつかれる。
戦ったらすぐに殺される。
大声を出そうとしてもすぐに黙らせられる。
万事休す。一人だけなのに四面楚歌。蛇に睨まれた蛙。
まったく最低な気分だ。
最低な気分だから最高に愉快に幕を閉じてやろう。
そう決めた。
「イチローさんでしたっけ? 僕を半殺しにしたら、僕の相棒が必ずあなたのことをボッコボコにすると思うので気をつけてくださいね」
何だかんだと双六を邪険にしながらも、最後は「しゃーねーな」とぶつくさ言いながら付き合うお人好しの久遠だ。
これだけは確信を持って言えるし、きっと怒り狂うことだろう。
そして、最後にもう一つ。
「そして、最後にあなたの飼い主である奈落王さんへの伝言です。僕を半殺しにしたこと必ず後悔させてやる。首を洗って待ってろよってね」
ニヤリとビシッと首をかっ切るようにして挑発してやった。
創造主だか何だか知らないが、やられっぱなしで終わるほどのんきな性格はしていない。
売られた喧嘩は買ってやる。
ただし、喧嘩をするのは久遠に限るがという注釈は忘れてはならない。
「くく。いいだろう。奈落王に必ず伝えておこう。では、お前を半殺しにしてやろう」
「優しくしてくださいね」
「言ってろ」
双六は幸運だった。
この後、文字どおり半殺しの目に遭うのに、双六はイチローが最初に顎に放った一撃で意識を断ち切られたのだから。
痛みとは無縁に。
眠るように双六は半分殺された。




