男が無力さを痛感するのは何もできなかった時だ
懐に仕舞っていた携帯電話がブルブルと震えるのを感じた。
正義は携帯電話を取り出して画面を見ると、画面には『ポイント管理委員会』と表示されていた。正義は桜子の下でモニターとして働いてもいるが、細々とした指示はこうして『ポイント管理委員会』から来ることも多い。
現在は、別件の仕事――自分たちが追っていた情報屋を殺した奴を探す仕事を抱えているため、変な仕事は御免こうむりたいが仕方がないと通話をオンにした。
「はーいこちら<正義屋>の虎徹正義。今は仕事中なんで手短に頼むZE!」
『こちら「ポイント管理委員会」。では手短に用件を伝えます。つい先ほど近隣にいるモニターから緊急救難信号が送られてきました。虎徹正義さん。現在あなたはプレイヤーの弟さんと共にいますか?』
いつもの事務手続きの口調ではない、電話越しでもわかる早口の様子。
緊急救難信号については、一度モニターの講習で聞いたことがある。
モニターが何らかの事態に遭遇した時に、ポイント管理委員に即座に位置情報を伝え、救助を求めるものだったはずだと、正義は思い出した。
「……緊急救難信号とはこれまた珍しいな。悪いが弟とは別行動中だが――ニューフェイスのルピンが一緒にいる」
『それは助かります。管轄違いのプレイヤーではありますが、至急ルピンと共に現場へ向かってください。あなた方が一番現場に近いので』
そういうことかと納得した。
単純に現場に一番近かったのが自分たちだというわけだ。モニター端末で随時位置情報を通知しているので、そこから一番近かった人間に連絡を取ったわけだ。
無論、正義自身としてはコンビを組んでいる弟の真理の方が阿吽の呼吸で動けるが、ルピンも何度か仕事をしたのである程度は実力を知っている。
現場を見ない限りは判断しかねるが、救助依頼ならば十分にこなすことは可能だ。
「やれやれ了解した。詳しい場所と襲われているモニターの情報を送ってくれ」
『場所は楽々高校付近の路地です。詳細の場所はメールで送りますので地図アプリで開いてください。モニターは賽の目双六という高校生男子です』
その人物の名には聞き覚えがあった。
むしろ、強烈に焼きついていて忘れられないぐらいだ。
数ヶ月ぐらい前に会ったきりであるが、それでも同じモニターとして、過去の自分を見ているかのような歯痒さに囚われてついつい説教をした少年だ。
「おいおいマジかよ! 襲われてんのってフレンド双六なのか!?」
『おや知り合いでしたか?』
「あぁ、色々と世話っつーか説教した仲だ」
『ではそちらの情報は不要そうですね。こちらからの連絡は以上です。また何か必要な情報やバックアップが必要ならご連絡ください』
「了解」
知らない奴なら見捨てても構わなかったが、知っている相手なら別だ。
少しばかり気合が入った。
「おいルピン。別件の仕事が入った」
「聞いてたからわかってる。双六って久遠健太のモニターでしょ? 顔は覚えてるから大丈夫だよ」
「ならいい。場所はすぐ近くだ。行くぞ!」
「はいはい」
どの程度双六の身が危ないのかはわからないが、早ければ早いほど良いだろう。
地図アプリを開き、双六がいるであろう場所を目指して走る。
一番近いというだけあって、走れば数分程度の距離にいる。
「ルピン! そこの路地を右に曲がった先だ!」
「わかった!」
人の気配が少なくなった路地裏。
長い時間は無理だろうが、短い時間ならば人目にはつきにくい場所だ。
そして、正義がようやく目的地に着いた瞬間目にしたもの。
それは――
「――ん? 誰だお前らは? まぁいい、騒がずにいたら見逃してやる。標的以外に手を出すなとは言われてないが、面倒ごとは嫌いなんだ」
地面にはボロボロになった双六が倒れている。
明らかに自分から流れたであろう血だまりに、四肢のどれもが関節が一つ増えたように歪に折れ曲がっているのを見て、荒事に慣れている正義でさえも生理的な嫌悪感が湧き出て背筋がゾッとした。
そんな双六に対して無情に手を下したであろう男。
年の頃は40歳――いや、それよりは若いだろうか。長身であるはずの正義よりも背が高く、それでいて身体はがっしりとしているのに鈍重さはカケラも見当たらない。カラスを連想させるような黒髪、黒目、全身黒を基調とした格好は、あたかも双六を迎えにきた死神のようですらあった。
「……てめえ。マイフレンドに何してやがる?」
腹の底から怒りに満ちた低く冷たい声が出た
どうやら正義は、正義が思っていた以上にこの光景に衝撃を受けていた。
かつての自分を見ているかのような少年が。
泣きながら自分と喧嘩をした少年が。
わけのわからない男に殺されそうになっているのを見て、正義は怒っていた。
「半殺しを終えたところだ。お前はこいつの知り合いか? 丁度良いから病院にでも連れて行ってやれ。半殺しにしろとの命令で殺せとは言われていないからな」
「あぁ畜生確かにちょうど良いな。ついでにお前の分の救急車も用意してやるから、一緒に乗って行きNA!」
怒りのままに拳を握りしめ、先手必勝とぶん殴ろうとした時、
「――正義先輩。こいつだ」
横からルピンがそう言った。
沸騰した頭に差し水を入れたかのように、頭がすっと冷えた。
「……何が言いたいルピン?」
意味がわからず正義は再度聞き直す。
「俺僕たちが追っていた情報屋を殺した奴だよ。現場に残っていた匂いとこいつの体から発せられている匂いが同じだ」
「……おいおいマジかよ」
二重の意味でマジかよだ。
現場に残っていた匂いだけで判別できるルピンも大概だが、自分たちが追っていた情報屋を殺した下手人が、目の前にいる男だという。
だとすると、この男はただ一人であの殺人現場を作り出した化け物ということになる。
「情報屋……? あぁ、思い出したよ。娯楽屋の情報を教えてもらった奴か。余りにも品位に欠けて金にがめつかったから殺しておいたんだったか」
本人も言っている。犯人に確定だ。
それよりも、今のこの男の物言い。殺しが日常の一部になっている。正義屋を営んでいる正義であっても、さすがに命のやり取りをする頻度はそう多くない。
危険度をさらにあげる必要はあるが、
「決まりだな。つまりこいつを捕まえれば、全部の仕事が終わるってことだ」
こっちが逃げる理由にはならない。
むしろ、こっちが戦う理由が増えたぐらいだ。
「そうだね。正義先輩、こいつ倒してもいいんでしょ?」
「許す。思いっきりやれ」
「了解!!」
ルピンが正義の許可を得た瞬間、水を得た魚のように駆け出した。
ゼロから最高速度に一気に上げて、力の赴くままに男に飛び蹴りを食らわす。
ドガっとした衝撃音が鳴ったが、男はルピンの蹴りを平然と受け止めていた。
「ほう。お前中々強いな」
「当然でしょ!」
やはり一筋縄でいかない相手か。
ルピンの蹴りを受け止めたということは、おそらく相手になるのは弟の真理か久遠のようなプレイヤーのような連中だけだろう。
下手に横入りすれば自分が邪魔になるだけだろう。
ここは適材適所だ。
正義は迷わずボロボロに倒れている双六に走り寄る。
「おいマイフレンド! 意識はあるか!?」
返事はない。
息も絶え絶えで、今にも死にそうに見えるぐらい弱々しい姿だ。
「……っくそ! ひでえことしやがる!!」
ここまで酷い容態だと下手に動かして良いのかさえ躊躇われる。
正義はすかさず携帯を取り出して電話をかける。
相手はもちろんポイント管理委員会宛だ。
「俺だ。襲われていたモニターを発見。生きているのが不思議なぐらいの怪我を負っている。至急、救急車と警察の応援を呼んでくれ」
『すでに現場には手配済みです。5分以内には着くでしょう』
「仕事が早くて助かるよ」
ならば双六をこのままにしておくとして、問題はこっちの方だ。
あの危険な男がいる限り、現場が荒れる可能性が高く、双六を病院に連れて行く時間が長くなるかもしれない。
状況を見て、正義も加勢するべきかと考えた瞬間、
「ルピン!?」
ルピンが壁に叩きつけられたように飛んできた。
「くそっ!!」
「俺を相手に1分は保つか。褒めてやろう」
冗談ではない。
ルピンの戦闘能力はまず間違いなく正義よりは上で、真理と比べても遜色ない強さを誇っている。その男を相手に苦戦どころか余裕すら見せる相手は、どれだけ化け物なのだと危険度をさらに上方修正する。
どうするどうするっ!?
この場の状況の打開策を焦る頭で考えていたら、懐から携帯電話が鳴った。
「って、誰だよこんな時にっ!?」
一瞬、放っておこうとも考えたが、このタイミングだ。
まさかと思い影響を見たら――碧井桜子と表示されていた。
条件反射のように正義は考えることなく通話をオンにした。
『馬鹿野郎。私が電話したらワンコール以内に出ろ』
「この状況で無茶言わんでくださいっ!?」
『ギャーギャーと男が喚くな。さっさとスピーカーモードにして、そこのイチローに会話を聞こえるようにしろ』
「了解!」
どっからどういう経緯で知ったのかは知らないが、桜子は状況を把握しているようだ。正義は上司の言われるがまま、携帯電話のスピーカーモードにして、相手側にも声が聞こえるようにした。
「ルピンとそこのおっさん! 一旦休止だ! 俺んとこのボスがお前に話があるってよ!!」
ルピンは「ちっ!」と吐き捨てるように距離を取り、男は「ほう」と一言だけ漏らして、スタスタと歩いてこちらに近寄ってきた。
『いよーう、イチローちゃん。久しぶりだな』
「碧井桜子か」
慣れ親しんだかのように男の名前を呼ぶ桜子。
正義は男が「イチロー」というのだと初めて知った。
二人は会話を続ける。
『いきなり娯楽に来るなんてどうした? 迷子でもなったんなら手を引いてお姉さんが連れて帰ってやろうか?』
「抜かせ。先に約束を破って奈落に侵入してきたのはそっちだろう」
『はは。そーだっけ? 男が細かいこといちいち気にすんなよ』
「そうもいかん。約束は約束だからな」
どうやら下っ端には知らされていない、奈落側と娯楽側の約定みたいなものがあるらしい。
そして、それを破ったのが娯楽というか碧井桜子というわけか。
本当にこのボスは何をしているんだろうと嘆きたくなってくる。
『んで、約束に従って侵入した私らを始末しにきたってか?』
「その通りだが一つだけ間違いがある。始末しにきたのは『娯楽屋』で、命令されたのは『半殺し』までだ」
『つくづく性格悪いな。あの奈落王は』
「……それはよく知っている」
イチローという男に初めて感情らしい感情が垣間見えた。
『先に娯楽屋を狙ったのは何でだ?』
「奈落王の指示だ。お前とやり合うのは面倒だからだそうだ」
『ちっ。双六ちゃんには悪いことをしたな。文句あるなら直接来いっつーの』
桜子の狙いとしては、自分が直接襲われる狙いだったようだ。
それが外れて娯楽屋の片割れである双六が標的にされてしまったと。
つくづく、この上司はロクでもないことしかしでかさない。
『まぁいい。イチローちゃん。奈落王に一言だけ伝言頼むわ』
「何だ?」
『ぶっ殺す。首を洗って待ってやがれ』
「ふっ。つい先ほど同じような言葉を聞いたよ」
『おっ! さすが双六ちゃん! わかってるね〜』
「では奈落の底で待つとしよう。いつでも掛かって来るといい」
それで二人の会話は終了し、イチローは何事もなかったかのようにこの場から立ち去って行った。
路地裏からイチローの姿がいなくなり、ようやく正義はホッと息を吐いた。
『じゃあ、正義。後のことはお前に任せる』
「はいはい任されましたよ。ったく給料の方上乗せでお願いしますよ」
とりあえずは、この後来るであろう応援と救急車の対応がある。
ルピンの方は消化不良みたいで、ふてくされた表情をしていた。
「はぁー……ったく、つくづく嫌な予感ってやつは当たるもんだ」
桜子との通話を止めて、救急車の警報の音がどんどん近くなるのがわかる。
これからすべきことはわかっていても、どうしても心が重くなる。
「……ケンタ君に何て言えばいいんだよ。おい」
娯楽屋の相棒の片割れの助けにも間に合わず、あまつさえ襲ったイチローに対して一矢報いることも叶わなかった。
何を言えば良いのか、正義にはその言葉が何も思いつかなかった。




