先輩と後輩の縦の関係
「——ここは?」
目を開けると見知らぬ白い天井が真っ先に見えた。
オセロと一緒に暮している薄汚れた天井ではない。まぶたが重く頭がボーッとしてハッキリしない。どうしてこんなところにいるのかを考え始めた矢先、
「起きたか。ルピン!」
「……オセロ?」
声がした先にはオセロがいた。
それだけで自分の心が温かくなるのを感じる。
安心して落ち着いて周りをキョロキョロと見渡す。
やはり、何度見ても見覚えのない部屋だった。
「オセロ。ここは?」
「あーそれなんだが、お前はどこまで覚えてる?」
そう言われてルピンはようやく過去の記憶を掘り起こす。
意識を失う前の瞬間のことを。
「そうだ。俺僕は——碧井桜子に敗れて……。あれ? それだと俺僕はどうしてオセロと今こうしてここに?」
意を決して戦いを挑んで碧井桜子に敗れた。
もう二度とオセロに会えないことも覚悟したのだ。
「それを今から説明してやる」
何が何だかわからず混乱しているルピンに、オセロは今まで起きた経緯を説明する。その際に、あの少年——双六に借りを作ったことが相当に腹を据えかねたらしく、双六という名前が出るたびにイラっとした表情を作っていた。
まぁ、怒るオセロも好きなので、ルピンとしては怒るオセロも可愛いぐらいにしか思っていない。
そして、オセロが説明をし終えた。
オセロが可愛いばかり思っていても、話はきちんと聞いていた。
——それにしても「プレイヤー」と「モニター」か。
かつての境遇を思えば何の冗談だと思う。
実験動物として生きていたのが、今度は娯楽都市の実験動物だ。つくづく自分は実験動物としてしか生きられないようだ。
それでも、黒式の下で実験動物していた頃に比べればまだマシかもしれない。自由も未来も何もないことに変わりはないが、オセロがいる。名前をくれて心をくれたオセロがいる。
なら、自分は大丈夫だ。
それよりも心配なのは——
「オセロは、その……良かったの?」
オセロが自分のせいで辛い選択をしたのではないか?
そう思うだけでルピンの心は張り裂けそうだ。
ところが、
「バーカ」
オセロは優しく笑ってそう言った。
「いいか、ルピン。よく聞け。お前はアタシのものだ」
「うん。俺僕はオセロのものだよ」
初めて会った時からずっとオセロのものだ。
この名前も。
この生き方も。
すべて彼女からもらった。
「そして、これはアタシが決めたことだ。ルピンのためじゃない。全部アタシのために決めたことだ」
「うん」
「アタシがお前と一緒にいたいって決めたんだ」
「うん」
「だから、アタシのそばにずっといてくれよな」
「うん」
その言葉に、何よりも嬉しいその言葉にルピンは満たされた。
真紅の瞳なんておよびもつかないキラキラと輝いた宝石のような言葉。
やっぱり、オセロが一番綺麗だ。
だから、ルピンは人間になった日からずっと言い続けていた「ありがとう」の言葉を彼女に使う。
「オセロ——大好き」
「知ってるよ」
何度でも。何度でも。
いつまでも。いつまでも。
そばにいたいと願って好きだと言おう。
「とまぁ、良い感じの話はこれっきりとして、問題はこれからの生活のことだ」
「うっわーいきなり現実に引き戻されちゃった〜」
さすがはオセロだ。
良い雰囲気だと言うのに現実感を忘れない。
「バッカ! 確かにアタシ達は望んだ形じゃないが、一応は娯楽都市の人間にはなれた。あの双六のせいで!」
「うん。今度しばいとくね」
「アタシが直々にするから、それはいい」
それは残念。
オセロが敵だと思うものは自分の敵でもある。
「そんでもってアタシたちはプレイヤーとモニターになった。つまり、飯はアタシ達が金を稼がないとダメだ。もちろん、奈落と違って盗みはダメだ」
「あ、そうなんだ。てっきりまた肉とか野菜とか盗むのかと思ったのに——ていうか、そっちの方が早くない? 何で盗んだらダメなの?」
「アタシもそう思って、お前が眠っている間に盗みをやろうとしたんだ。そしたら、桜子さんに『みみっちい真似すんじゃねぇ! 働け!!』としばかれた。めっちゃ怒られた……うぅ……アタシもう盗みなんてしない……あんな怒んなくてもいいじゃんっ……!」
ここまでオセロを落ち込ませるとは。
自分を倒したことといい、ルピンはさらに桜子の危険値を大幅修正した。一度は負けたが二度目は負けない。特にオセロを泣かすような奴には。
「それでさ。アタシは奈落育ちでルピンなんて常識知らずだろ。娯楽都市で生きるならこれじゃダメだと桜子さんから条件を出されたんだ」
「条件?」
何だろう。すごく嫌な予感がする。
「あぁ、その条件なんだが——」
その条件を最後まで聞いて、ルピンは思った。
嫌な予感ほどよく当たると。
◆
「うぅ……オセロ〜」
泣きながらルピンはオセロの名前を呼んだ。
でかい図体をしている大の男が泣きながら名前を呟きながら廊下を歩く。その異様な様子にすれ違う人々がギョッとしながら、関わり合いたくなようにすっと避けて通り過ぎていった。
オセロから聞かされた条件——それは、簡単に言えば教育係をつけるので、その教育係に従いながら過ごせとのことだった。
オセロにはオセロの。ルピンにはルピンの。
二人それぞれの教育係を用意するとのことで、ルピンは今その教育係に会うところであった。
一応、ルピンとオセロは一緒に暮らしているが、それでも日中別行動にならざるを得ないので、ルピンの心は絶賛雨模様中であった。
「オセロのところ行こうかなー。でもオセロに迷惑かかるしなー」
会いたいのに会えない。
そんなジレンマでルピンの心が張り裂けそうだった。
いっそのこと、このまま教育係のことなんて知らんとサボろうかなと思った矢先、
「Heyそこ行くフレンド! 人生に迷った顔してどうしたんだい?」
金髪オールバックサングラスの派手な男がそこにいた。
完全に頭のいかれた人間か、さもなくば変態にしか見えなかった。
「あーもう俺僕ってば君みたいな人間に関わってる暇なんてない——」
「そうかフレンド! この頼れるお兄さんに相談するといいぜ!」
「——だからないって! あーもう、いい加減しつこいと潰すよ?」
当然、馴れ馴れしくしてくる男に苛立ちを隠さず言った。
自分が気を許しているのはオセロだけだ。それ以外の人間が馴れ馴れしくしても、警戒感こそ抱けても親愛の情なんて一つもわかない。
「そうカッカするとハゲるぞ。怪盗ルピンくん☆」
人を食ったような笑みで、その男はルピンの名を呼んだ。
「……そういうこと。あんたが俺僕の教育係ってわけ?」
「イエース。<正義屋>の虎徹正義だ。以後、先輩として敬うようにNA!」
教育係っていうのだから、真面目そうな人間がつくものだとばかり思っていたらこうきたか。つくづく娯楽都市の人間らしいやり方だ。
「はっ、俺僕より弱い奴を敬う理由なんてないね。それにあんたと親しくする理由もない。いいから早く俺僕に常識ってやつを教えてくれない?」
じゃないと、オセロと会う時間が減るではないか。
ルピンの見立てでは、この虎徹正義という男は普通の人間の部類だ。鍛えてはいるようだが、自分や久遠健太のような人間には遠く劣る程度だ。
いざとなれば脅してやろうかと思った瞬間——
「キシシ。後輩風情が兄ちゃんに生意気言ってんじゃねーよ」
「——っ!?」
背後からソプラノの幼い少年の声が聞こえた。バッと後ろを振り向くと、そこにはイタズラが好きそうな感じの少年がいた。
——いったいいつの間に?
ルピンの五感の性能は久遠健太と同じ程度には上がっている。意識などしなくとも近付く人間の足音など簡単に気づけるはずなのに——この少年はルピンに気づかれることなく後ろにいた。
この事実に、ルピンはすっと冷や汗をかいた。
「おー! 愛しの弟よ戻ったか!」
「おう今戻ったぜ!」
少年はてくてくとルピンの横を通り過ぎて言った。弟と言ったところから二人は兄弟なのだろうことはわかった。
「君は?」
「<正義屋>虎徹真理だ! キシシ。よろしくな後輩!」
「ふーん。じゃあ二人がプレイヤーとモニターってことか」
「ま、そういうこった」
なるほど。そういう意味では確かに教育係としては二人は適任なのだろう。
お手本になるかは甚だ疑問なところであるが。
「君、中々やる人でしょ?」
「まぁ〜な〜! キシシ。お前は噂ほどじゃなかったけどな!」
「はぁ? 冗談でしょ。俺僕が本気だったら、あの程度簡単に気づけたよ」
「ふ〜ん。久遠のアンちゃんだったら気抜いてても気づいたと思うぜ?」
「安い挑発だね。虎徹真理だっけ? 君はどうやら久遠健太のことを知っているようだけど、君はあの男に勝ったの?」
「キシシ。負けたぜ! でも、次は絶対に勝つ!」
「はっ残念。あいつに勝つのは俺僕だよ」
「いや、俺だな!」
「俺僕だよ!」
ぐぬぬと二人がバチバチと対抗心をあらわにしていると、
「はーい二人とも喧嘩はそれまでだZE! それと真理。ルピンは俺らの後輩になったんだから、少しは先輩らしくしてみろ」
横から虎徹正義が割り込まれた。
「ぶぅー。兄ちゃんはいいよな。この中で唯一久遠のアンちゃんに勝ってるんだからさ!」
「だからと言って後輩に当たるな。兄ちゃんは、そんなチンケな育て方したつもりはありませんよ!」
「うぅ、ご、ごめんよ兄ちゃん!」
などと弟に説教をしている中で、聞き捨てならない一言が聞こえた。
「久遠健太に勝ったって——誰が?」
「キシシ。兄ちゃんに決まってるだろ! すげーだろ!」
この男があの久遠健太に勝った?
どう見ても強さ的には確実に自分に劣っている虎徹正義。
あまりにも非現実的な事実にルピンは混乱した。
「こーら真理。兄ちゃんの勝利を自分のことのように語るな。それに男が自分の自慢話をするのは格好悪いだろうが」
「はーい」
嘘を吐いている様子はない。
ということは、本当に勝ったのだ。
あの人間を超えた久遠健太に。
「ど、どうやってあいつに勝ったんだ?」
「え、何そんな知りたいの?」
「あぁ頼む。俺僕に教えてくれ」
「ふーん」
勝ちたいとは思っていても、未だ勝つ手立てはない。
それが髪の毛一筋程度のものであっても、ルピンは知っておきたい。
次に久遠健太と再戦するために。
「敬語」
「——は?」
「一応俺らは先輩だからNA! 後輩たるもの先輩に敬語を使うもんだZE!!」
「ぐっ——!? せ、先輩。俺僕に久遠健太にどうやって勝ったか教えてください……」
さっきの意趣返しと言わんばかりに敬語の使用を求めてきた。
だが、これで教えてもらえるなら安いものだ。
教えてもらったら敬語なんて使わない。
「だが教えん! 男が自分の勝ちを自慢するのは格好悪いからNA!!」
「ふざけるなよお前! 俺僕が敬語を使ったら教えてくれるんじゃなかったのか!?」
「HAHAHA! そんなことは一言たりとも言ってねぇZE☆」
「さすが兄ちゃんの話術はえげつねぇな!」
確かに言ってないけれども!
「まっ、それに俺とケンタ君のケンカのことを教えて欲しかったら——ルピン。お前がカッケーところを俺らに見せてみろよ。そしたら、教えてやろう」
「その話本当だろうな?」
「もちろんだ。俺は約束を守ってジョークも言えるナイスガイだからな!」
嘘臭い気もするが仕方がない。
約束を守らなかったら今度こそボコボコにしてやる。
「よし。それじゃー行こうぜルピン!」
「はぁ? どこに——ですか?」
「歓迎会だよお前の。くっそうまい焼く肉屋があるから連れて行ってやるYO!」
「キシシ。兄ちゃん兄ちゃん! 俺またデザート頼むからな!」
「はっはー! 何でも頼むといいぞ。愛しのブラザーよ!」
そう言って二人はジャンジャン先へ進んでいった。
「はぁ、参ったねどうも」
奈落にいた時とは随分と環境が変わってしまった。
やることは多いし、敵は強大だ。
しかも何だか騒がしくも不思議な正義屋の二人が教育係りとなってしまった。
前途多難とはまさにこのことだ。
だけど、ルピンは思った。
——退屈はしなくて済みそうだな、と。




