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娯楽都市  作者: 菊日和静
第03話 娯楽屋と怪盗ルピン
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ルピンが生まれた日

 実験体101番。

 黒式の研究所にいた時、ルピンはそう呼ばれていた。

 人間として扱われることは結局なかったけれど、実験動物より下の扱いもなかった。それが良いかどうかなんて今になってもわからないままだし、どうでもいいことだと思っている。

 実験動物と聞くと、待遇はさぞかし悪かろうと思われるかもしれないが、実際のところはそうでもなかった。実験の結果が個体差によるものを防ぐために、体調は常に万全の状態を求められた。食事は常に高品質のものを用意され、適度な運動により身体能力と精神状態は悪かった記憶はあまりない。

 これだけ聞けば天国のような環境に思えるかもしれない。

 だけど——ここは地獄でしかなかった。

 万全の体調が整えば投薬が始まった。

 薬によっては三日三晩寝込むこともあったし、胃の中のものを全てぶちまけても気持ち悪さの取れない薬もあった。そんな状態を強化ガラスの向こう側から、黒式は実験結果を黙々と取り続けていた。

 ルピンを含め、ここにいる人間たちは実験動物でしかない。

 何かを試されたら記録を取られる。

 そして、また体調を戻して実験が再開される。

 そんな地獄のようなサイクルの中で、生きることに絶望した実験動物が自らの命を絶つことがあった。自分で死ぬこともあったし、他の実験体にお願いして殺してもらうこともあった。無論、その中にはルピンも当然含まれている。

 昨日まで一緒にいた仲間が死ぬ。

 明日も仲間が死んだ。

 次の日も仲間が死んだ。

 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。

 最初のうちは悲しんでいたと思う。

 同じ境遇の仲間がいなくなったことで泣いたし、悲しんだし、苦しんだ。

 けれど、いつしか慣れてしまいなんとも感じなくなった。

 死が溢れると命が溢れた。

 泣いて喚いた。

 助けてくれと懇願した。

 力一杯抵抗した。

 皆で死のうと誓った。

 皆で生きようと誓った。

 それでも、黒式は実験体の様子を観察し、目新しいことが起きれば興味深そうにし、実験結果の記録を——淡々と取り続けた。

 むしろ、彼は嬉々として「……これぐらいの負荷を掛けたら死を選ぶのですか。ふふふ。興味深いですね」と言って、次の実験では負荷を下げたり上げたりして試していたようだ。


 狂っている。

 

 生理的嫌悪感すら超えた、畏怖すらも感じるほどの様は狂人としか言い表すことができなかった。そのおぞましさの前には、誰しも頭を垂れて実験動物に成り下がるしかなかった。

 逆らえない。

 逆らう気力も湧かない。

 逆らったところで、その行動すらも彼の実験でしかない。

 その事実の前に、他の実験動物よりもまだマシ程度な精神を有していたはずのルピンの心もジワジワと蝕んでいった。

 ——ある日のことだ。

 カウンセリングで精神状態を聞かれたルピンは、何となく黒式に質問をした。質問の内容は「何故、俺僕たちはこんな酷い目にあわなければならないのか?」だったと思う。細かいニュアンスは覚えていないが、確かそんな内容だったのは覚えている。

 そして、黒式はあっさりと答えてくれた。


「……あぁ、それは簡単です。あなた達は『人』ではないからです」

「……もちろん、生物学上は人間ですよ。私はそのようなつまらないことを言っているわけではありません」

「……『人』の定義は簡単です。人として生きていることを認められているかどうかです。誰に? 国や社会というものにですよ。あなた方にはピンと来ないかもしれませんが、権利や権力に守られているというのは、実のところとても幸せなことなのですよ」

「……ピンとこない。ふふふ、そうでしょうね。『人』でないあなた達にはわからないことでしょうね」


 わかったからもう説明をやめて欲しいと懇願した。

 けど、黒式は説明をやめることがなかった。

 逆に彼は嬉々として説明を続けた。


「……医療や投薬の発展に何が必要かわかりますか? 簡単です。実験を繰り返せばいいんです。人間の進歩はトライアンドエラーによって行われてきました。天才というのは、そのトライアンドエラーを乗り越えたものにこそ与えられる称号なのですよ」

「……ですが、人の世は簡単ではありません。人体実験をしようものなら、一般人という恐ろしい集団によって『人権侵害』だの『残酷』だのと文句を言われて、進歩が遅々として進みません。本当にあんまりなことですよ!」


 もう彼は自分を見ていない。

 自己の世界で完結している。

 説明が好きなのか、自分が好きなのか、101番にはわからない。


「だから、私は考えたのです。人を使わなければいいと!」

「最初から死んでいる人間。生きていると認知されない人間。作り出された人間——それがあなた達です!!」


 唐突に黒式のテンションが下がった。

 そして、こちらの顔を見て微笑む。気色が悪かった。


「……まぁ、言うなれば人間がより良い生を育むための牧場ですね。ここは」

「……あなた達は人類のための崇高なる(しもべ)です。血液、臓器、骨、皮膚、その全てに至るまで私はあなた達を有効活用しようと約束しましょう」

「——さぁ、実験を開始しましょうか。101番」


 数字で呼ばれてルピンはようやく理解した。

 あぁ、自分は彼と同じ『人』ではなかったのだと。

 けど、ルピンは思った。

 人になりたいと。

 絶望に溢れる実験施設の中で、ルピンだけ人になりたいと願った。


「……あぁ、101番。あなたに朗報です。新しい実験にあなたが選ばれました」


 そんな願いが叶ったのか、ルピンに運命の実験が舞い降りた。

 選ばれたと言っているように、ルピンの他にも実験体の中から比較的元気な連中が同じように黒式の前にいた。


「……最高レベルの人を作り出す実験です」

「……あなたは他の実験体と比べると肉体も精神も随分と性能が良い。さらなる性能向上を図りたいと思いませんか?」


 断らない理由がない。

 というか、断れる力がない。

 疑問系で聞いているのに、答えがイエスでもノーでも実験するしかないのだ。生き残るためには実験に勝つしかない。


「……楽しみですね。人工的に人は最高を創り出せるのか。あぁ、本当に未知なる女神は私を飽きさせてくれません」


 そして、改造人間が誕生した。

 改造手術と言えば、ショッキングで無くなるだろうか?

 ルピンが断言を持って言えることは、この身体でルピンの手の入っていない箇所はないということだけだ。

 骨、肉、血、眼、鼻、耳、内臓。

 投薬で向上し。

 手術で質の良いものに取り替えられ。

 科学と化学の力で強制的に能力向上させられた。

 拒絶反応で死ぬ実験体は後を絶たなかった。

 それを乗り越えた実験体は、次に教育を受けさせられた。

 優れた肉体を有していても、優れた乗り手でなければ性能を十全に発揮できないという理由で、戦闘教育に知育などありとあらゆるものが詰め込まれた。


 ——機は熟した。 


 人として最高の性能を有した人間。

 それが自分だとルピンは確信するに至った。

 脱走を決意し、行動に至ればあまりにも簡単であった。

 あくまでも、ルピンにとっては簡単だというだけで、他の実験体を連れて行こうとしたら見つかっていただろう。

 だから、ルピンは一人で脱走した。

 仲間を見捨てた。

 過去と決別したかった。

 人になりたかった。

 その渇望だけがルピンにとっての原動力であり、甘さを捨てた結果ルピンは脱走ができたのであった。

 ルピンはただ逃げた。

 一歩でも実験施設の遠くへ行きたかった。

 黒式の狂気から逃れたかった。


 そして、自由になったルピンは娯楽都市を見た。

 娯楽都市を目の当たりにしたルピンは——恐怖した。

 人がウジャウジャと沢山いることに恐怖した。

 アルコール臭い実験施設の中とは違う、人の生臭い匂い。車から出る排気臭。意味も無く奏でられる大音量の音楽。 そんな根源的恐怖が染み付き、逃げ出した。


 未知。未経験。


 それが、どれほどの恐怖か想像できるだろうか?

 ルピンは恐ろしかった。震え上がった。

 まるで初めてお使いに出た子供のように彼は泣きそうになった。

 ここでどうやって生きていけばいいのか、ルピンは知らなかった。わからなかった。考えることもできなかった。

 未知とはルピンにとって絶望と同じであった。

 どこへ行けばいいのかわからない。

 新天地で人になることを夢見たルピンは娯楽都市を放浪した。

 人のいないところを選び続け流れ着いた先は奈落であった。

 何故かここの雰囲気に落ち着いた。

 人の死と血の匂いに溢れていたせいかもしれない。

 星の見えない、人工的な灯りが輝く空を見る。

 脱走してから何も食べていないせいで体力の限界が訪れた。

 今まで勝手に出てきた食事はなく、一応は教育のおかげで貨幣の存在は知っていたが、ルピンが持っているわけはなかった。それがなければ、物と交換できないという偏った知識により、ルピンは『盗む』という発想すらも思いつかなかった。

 お腹が減ったけど、食事をどこでとればいいのかわからない。

 脱走した死に場所はここかと思ったその時だ。


「お前——こんなところで何してんだ?」


 それがオセロとの出会いだった。

 問いかけに答える元気もないルピンは、かさついた唇をパクパクと動かすことしかできなかった。そんなルピンをオセロは「しゃーねーなぁ〜」と言って運び、オセロの住処まで連れて行かれた。

 そこで出たのは——クズ野菜のスープとパンだった。

 碌に塩気の効いていないスープが全身に染み渡り、ボソボソとしたパンがルピンの空腹を満たした。

 生きている。

 死んでいない。

 おいしい。

 それがこんなにも嬉しいことだなんて思いもしなかった。

 オセロは「こんな不味い飯で泣くやつ初めて見た」と笑った。

 それからオセロはルピンのことを聞いた。

 実験のことは流石に言うわけにはいかず、明らかに不審げな様子をオセロは脛に傷を奴だと察してくれた。奈落にはそんな人間ばかりなのだから慣れているのだという。

 そして、オセロは生来の面倒見の良さからかルピンに奈落での生き方を教えてくれた。奈落に出会ったら着ぐるみ全て剥がされるのが常識だと教えてくれて「最初に会ったのがアタシで良かったな!」と笑った。

 よく笑う子だと思った。

 実験施設では笑う人間は誰一人としていなかったせいで、余計に印象的に思えた。

 盗みを教えてくれたのもオセロだ。

 お金がないと物を交換できないんじゃないのかと尋ねたら「金のないアタシたちがどうやって買うんだ?」と言って、お店から食べ物を盗んだ。その手際は見事なもので、店員は誰も気づいていなかった。

 でもオセロは言う。


「盗みは悪いことだ。だけど、アタシは夢があるし生きたいと思っている。だから盗みをやるし、やるからには謝らないし反省もしない。大体、悪いことでごめんなさい言って盗む奴なんか腹たつだろ? だから、太々しい顔で盗む奴の方が格好いいじゃん!」


 その通りだと思った。


「にしても、お前の名前がないのも呼びづらいな」


 名前——ルピンはずっと101番と呼ばれてきたので、それで良いと言った。


「いいわけないだろ!? 何で番号で呼ばないきゃならねーんだ!!」


 怒られてしまった。

 なら君が決めて良いよと言った。


「そうだな。あ、じゃあこれはどうだ? 私がいちばん好きな本の主人公の名前だ!」


 オセロがそう言って渡してきた本を見た。

 英語でLUPINと書いてあったので「ルピン?」と言ったら、オセロは腹を抱えて「そりゃいい!」と笑った。


「アハハハ! そうだな。名前そのまんまじゃパクリだもんな! お前の名前は今日からルピンだ。これからよろしくなルピン!!」


 ルピンと彼女が名前を呼んでくれた。

 その温かな言葉にルピンの胸に熱が灯った。

 あぁ、そうか。

 ルピンはルピンになって初めて自覚した。

 今日初めて——自分は『人』になれたのだと。

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