娯楽都市における白百合女子校等学校の意味
「さてさて、久遠さんたちはそろそろ神島さんと接触したころかな」
ふふ~ん、と下手な鼻歌を歌いながら双六は歩いている。
見渡せば特段変哲もない建物が並んでいるが、電柱は見かけない。新興都市というだけあって、街の景観を配慮して電線などは地中に埋められている。街路樹には青々とした葉っぱが元気に育ち、夕暮れ時の眩しい日差しを防いでくれている。
街の静かな雰囲気が漂っているが、人が住んでいないわけではない。歓楽街がある区画やアミューズメント区画へと誰彼問わず遊びに行っているのだろう。この時間帯ならば、遊び盛りの時間で住宅地にはそれほど人はいない。
「んーと、この辺りの場所なんだけど……。あ、あったあった」
双六の視界に入ったのは、一つの学校――白百合女子高等学校という女子高だ。
高い塀に囲まれて閉鎖空間として機能しているそこは——一種の監獄のようにさえ見えた。
白百合女子校の基本的な教育理念にはこんなのがある。
——女性の礼節と貞淑を大切にし、社会全体の奉仕を行うとこと。
そんな大層ご立派な学校が、娯楽都市に建てられたのには理由がある。
設立当時の娯楽都市というのは『娯楽』の名に相応しく風俗が乱れていた。そんな娯楽都市の風俗を正して健全な精神を取り戻そうとされていたのだが——結果として、白百合女子校は娯楽都市に呑まれてしまった。
朱に交われば紅くなる、郷に入れば郷に従え、当然なことに白百合女子校の礼節と貞淑は人の娯楽のために使われることになった。
あれよあれよという間に変化してしまった白百合高校は、女性としての慎ましさでなく、女としていかに美しく振るまい男の寵愛を受けられるかというビッチな学校に変わってしまった。ただし、低俗な意味でのビッチではなく高級ガールとしての意味であるが、どちらにせよ崇高な理念が地に落ちたのは間違いない。
——抱きたいのならば白百合女子校の女がいい。
——ただし、付き合うのは金が掛かってごめんだ。
そんな風潮が育まれてしまった。
その女子校に通っている人物ーー屋久寺に会いに双六は来た。
「さて、と。屋久寺さんはいるかな?」
白百合高校正門に着いた双六。当たり前の話であるが、中に入れるわけがない。双六もそれは知っているので、正確に言えば正門にある守衛室に向かった。
「こんにちは。少しよろしいですか?」
「はい。何でしょうか?」
気さくに話しかけると、守衛室にいる四十代ぐらいの警備員は普通に対応を返す。だが、双六を見る目つきはどことなく警戒をしている。女子高に男子が来たのだ。目的が何であれ、警備員のその態度は間違ったものではない。
というか、日夜スケベな男達がこぞって訪れることもあり、女生徒を守る警備員は日夜警戒態勢を怠ってはいない。双六は知らないことだろうが——女生徒に何かあればすぐに袋だたきにする準備が彼らにはあるのだ。
「ここに通っている女の子の今日の出欠を教えて欲しいんですよ」
そんなことも露知らず双六はあっさりとそんなことを聞く。
ここに来た双六の目的は一つだけだ。
この白百合高校も双六の通う楽々高校と同じく生徒証で出欠管理を行っているため、今日ここに屋久寺が出席しているかの確認のために来た。
娯楽都市の学校セキュリティは、どこも外部のネットワークからは物理的に介入不可能な作りになっているので、わざわざこうやって訪れなければならない。
「申し訳ありませんが、その情報をお伝えすることは――」
「できますよね?」
にっこりと双六が守衛に見せたのは、灰色がかった銀のカード。自らが<シルバーランク>であることを示すカードだ。
「……かしこまりました。失礼ですがカードを確かめさせていただきます」
「はいはい。どうぞどうぞ」
警備員は、カードリーダーにカードを通して、そのカードが偽造されたものでないことを確認した後は、双六にそのカードを返還した。
シルバーランクに与えられた権利の一つには<優先的に情報を知る権利>というものがある。情報レベルの制限はあるものの、シルバーランクならば学校内の出欠確認程度ならばいとも簡単に知ることができる。
「はい。確認を終了しました。ご用件をどうぞ」
双六のカードが本物であると確認した警備員はシルバーランクのカードを双六に返す。
これで心置きなく情報の開示を求めることが出来る。
「屋久寺屋波という女子生徒の今日の出欠確認をお願いします」
「かしこまりました」
それ以上は警備員は何も聞かずに対応してくれた。中々に優秀な態度だ。
「本日は屋久寺様はお休みになられているようですね」
「あちゃー。じゃあやっぱり、最初から向こうの住んでる場所に行くべきだった」
「その他に知りたいことはございますか?」
「いーえいえ。十分すぎるぐらいですよ。あとこれどーぞ」
警備員の胸ポケットに畳み込まれた紙幣を差し込む。
実は、前もって狐島からは依頼のレベルに合わせて娯楽屋に必要な経費を渡されている。マークにお金がないと言ったのは、ただ単に狐島の写真で手を打てるだけの理由からああ言っただけであり、そのおかげでお互いの利益に直結したのだから問題ないと双六は思っている。
「……これはこれは。ありがとうございます」
「いえいえ。それじゃお仕事がんばってくださいね」
「はい。心遣い痛み入ります」
それでは、と正門から離れた双六は次なる場所へと向かう。
次の目的地は屋久寺の住んでいるマンションだ。
そもそも屋久寺がまだ学校にいるようならば問題はなかったが、この分では家に帰っているかもわからない。学校に居るならば呼び出して終わるところであった。
しかし、この分では家に居ない可能性も十分にありーー特に白百合高校の女性とならば朝帰りなんて珍しくもない。そうすると屋久寺に会うのは必然難しくなるが、下手に探すよりは家を尋ねた方がまだ可能性はある。
幸い、屋久寺が住んでいるのは、白百合高校からそう離れていない一人住まい用のマンションらしいので、ここから五分もあれば到着できる。
ただ、問題があるとしたらただ一つ――
「うーん。間に合えばいいんだけどなぁ」
何にとは言わない。
不穏な言葉を発しつつも、何一つ不穏な様子を見せない双六は暢気に歩いている。
何か起こることを期待して。
何か起こることを楽しみにして。
双六は胸をときめかせながら歩き続ける。
そして、屋久寺のマンションに到着し、彼女の部屋の前まで辿り着いた。ふと、女の子が住んでいるのだから、オートロックとか管理人がいるところに住めばいいのにとか思わなくもなかったが、彼女はフットワークが軽そうなので逆にセキュリティの低いところを選んだのかもしれないとも考えた。
だが、双六にしてみればどちらにせよ変わりない。
結果的には入ることに変わりないのだから。
部屋の前のチャイムを鳴らす。
——ぴぴぴぴぴーんぽーん。
チャイムを連打で鳴らした。通常の人間であれば、間違いなくうざがって舌打ちをするだろうが、双六の癖みたいなものだ。中の人の反応を楽しみたいという癖。時々、久遠も似たようなことをされるが、大抵は双六に拳骨をして終わりという反応を見せる。屋久寺はどんな反応を返すかなーとワクワクして待っているが、部屋の中で誰かがいる気配――物音だったり足音だったりが何一つなかった。
「ありゃ? こっちも留守かな?」
そう思い、ドアノブを回すと――ドアが開いた。
中に誰かがいる気配はなく、鍵は開いている。決してそれを戸締まりを怠ったとは双六は考えていない。少しばかり双六の中の警戒心が高くなった。
「ふーん。……お邪魔しますよーっと」
軽くドアを開き、中の様子を窺う。玄関の靴置き場にはいくつかの靴はあるが、ミュールや運動靴にブーツといった女性のものらしきものが並んでいるので、靴だけでは屋久寺がいないのかは判別できない。
「……鬼が出るのか蛇が出るのか。あぁ、楽しいなー」
靴は脱がないで、そのまま部屋の中に入る。
少なくとも、屋久寺が鍵を掛け忘れた可能性もなくはないが、最悪の場合に備えていつでも逃げられるようにしておく。フローリングの床には靴の跡がつくのを構わず双六はリビングに繋がるであろう扉を開く。ギギっと開き真っ先に目にしたもの。
それは――所々に飛び散った血痕だ。
この時点で双六が警戒したのは別のことだ。第三者の存在は完全にいないのは既に部屋に入った時点でわかっている。
ならば、この部屋にあるはずのものがない――というよりかは、多分あると思っていたものがなかった。
——その血痕の持ち主である屋久寺の死体だ。
一応、部屋の形跡を見る限りは、誰かと争った模様は見えない。血痕がついている他は静かなものだ。他の場所を見ても同じ結果だ。玄関から入ってすぐのリビングのみに血がついている。
「んー、やっぱり僕は探偵には向かないなぁ。ここに屋久寺さんの死体とかあると思ったんだけど、ことごとく推測が外れてばかりだな」
はぁ、と溜息をつき。双六は携帯電話を取り出しピピっと操作をする。彼が今行っているのは電話でもメールでもない。
あるサイトの閲覧を行っている。
そのサイトを見て双六は一安心した。
「おっと。じゃあ、まだ誰も死んでないようだね」
良かった良かった。と、携帯をしまって、屋久寺の部屋から出ることにした。
ここでもう得られるものはない。
というよりも、既にただの二択しかない内の一方が潰れてしまったからだ。
「本命は向こうか。あー、こりゃ急がないとちょっとまずいなぁ……」
まずいと言っておきながら、双六は何も心配などしていない。何らかの事件に巻き込まれたであろう屋久寺のことすら双六にしてみれば、心配外の対象だった。
双六が心配しているのはただ一つ。
最高に楽しい場所に遅刻をしてしまうことだけだ。
双六は急いで久遠のいる所へと向かうことにしたが、この場でたった一つだけある可能性を見逃していたのであった。
部屋の『中』に人はいなくても、部屋の『外』に人がいることだ。
双六の後を追うように、双六を見つめていた人影がそっと動き始めた。




