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大坂燃ゆ  作者: ジャックジャパン
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第九章 仏文

第九章 仏文


 元与力、大塩平八郎は家督を格之助に譲った後、中斎と号した。中斎は既に陽明学者として名を馳せている。自邸に私塾『洗心洞』を開設し、自ら塾頭となった。中斎は元来、自他を律する性格が尋常でない。教授法は極めて厳格だった。余りの厳しさに脱落する塾生がいる一方で、中斎に心酔する門弟も多かった。しかし、それだけで終わらない。中斎の教えの神髄は知行同一にある。潔癖症が昂じて、世の不正義を正せない自らを責め苛んだ。遂には胃潰瘍を患った位である。

 

 高津屋の一人娘、しのと縁を絶った伝八が住み込みで働き、学んでいるのはまさに洗心洞だった。


「子曰く、学びて時にこれを習う。また喜ばしからずや。友あり、遠方より来る。また楽しからずや。人知らずして憤らず、また君子ならずや」

賄い部屋の一角から幼児の声が響いた。『また君子ならずや』まで口ずさむと、また最初に戻って『子曰く』から口誦が続いた。

「宗太郎、そうそう、その調子で何遍も口ずさむのが大切や。それを音読と言うが、書物は声を出して読むのが一番。口ずさんでいる内に孔子先生の教えが分かるようになる」

「五右衛門先生、最初の『しいわく』とは一体何でございます?それは魚のことでしょうか?」

「どうして『しいわく』が魚だと思うのか?」

「へえ、わてにはこれは料理屋のことだと思えます。『しいわく』を使って上手に料理する、料理が美味しいとお客さんがお喜びなさる、遠くからもお越しいただける、と言う寸法でございましょうか?」

「成程、よう考えたな。だがチョッと違う。よし、一つだけ教えよう。『し』とは孔子先生のことや。その次の『いわく』と言うのは『おっしゃる』ということや。それで分かったやろう。『しいわく』でな、『孔子先生がおっしゃることには』と言う意味になる。『しいわく』というのはイワシやサンマのような魚ではない。これから論語を読むと、たびたび『子曰く』が出て来るぞ」

「五右衛門先生、論語は難しい字も多くて、何のことかわてにはさっぱり分かりまへん」

「そうやなあ、昔から『論語読みの論語知らず』と言うてなあ、本当に分かるのは大人でも難しいものや。漢字を覚えると分かるような易しいものやない。わしなどは未だに分からへんことが多い。情けな過ぎてため息が出そうや。それで、今になって分かったのやが、もし、書いてあることが分からんなら、声に出して何度も読むことや。それを素読と言うてな、昔からある勉強方法や。素読を百回も繰り返せば大概のことは分かるようになる」

「分からんのに読むのでございまっか?」

「そうや、心配せんでもええ。読んでいる内に必ず分かるようになる。大きな声で読むのやぞ。そうすると天の孔子先生にも声が届いて、そっと教えて下さるのや」

五右衛門の前には七、八歳の丁稚が畏まっていた。両手を膝がしらに揃えた姿勢がかわいかった。

「宗太郎、お前は筋がええ。本を読む時の姿勢も立派や。見ていて気持ちがええ。姿勢がええと、読んだものが頭に入る道が出来る。最初は足が痺れるが、直ぐに慣れるからな」

「五右衛門はん、その子は?」

帳簿部屋から戻ってきた伝八がにこやかに話に割って入った。横には出入り商人で炭屋の清兵衛が控えていた。すると幼子は体の向きを伝八の方に変え、答えるのだった。

「へえ、わては米問屋、高津屋の丁稚で宗太郎ともうしま。今日はご用があって洗心洞はんにお邪魔しました」

高津屋と聞いて伝八は思わず胸が騒いだが、素知らぬ顔で尋ねた。

「そうか、で、その用事とは?」

「へえ、わての主人高津屋の信次郎様のご命で、お借りしていた『伝収録』をお返しに参りました」

やはりそうだった。伝収録は王陽明の言行を記した書物である。かつて、しのと会った時、何度も読み合わせた書籍である。が、信次郎が読むとも思えない。しのが父親の名を騙ったのだろう。そうして、しのの差し金で幼い子供が洗心洞に来たのだろう。

「そうか、それでお前さんも伝収録を読んだのか?賢いなあ!」

珍しく炭屋の清兵衛まで横から一言添えた。

「へえ、わては手習いと論語の勉強を始めたばかりでございま。手習いは好きでございま」

「遊びたい盛りに、偉いな。お前の歳から学問に精進すれば必ずものになる」

と伝八も感心した。

「伝八、わしも言うてたところや。わしもこれ位の歳から真面目に勉強すれば良かったのやが、書物よりもドジョウすくいに夢中やったからな」

と五右衛門は自分の不勉強をドジョウのせいにした。一方、伝八は、五右衛門が『伝八』と言った時、宗太郎が思わず表情を変えたのを見逃さなかった。推量通り、宗太郎はしのの代わりに洗心洞に近付いたのだろう。

「宗太郎、借りたい本があればまた来たらええ。だが、お前一人で来るのやぞ。『ご主人』と連れ立って来るには及ばへん。そのようにご主人にも言うておくのやぞ」

伝八はつれなく念を押した。酔狂で離縁を決心したのではない。しのとは永劫の別れを覚悟したのだ。

「それから書物を借りたい時は、高津屋の借用書を忘れんように。論語は声に出して読むのやぞ」

五右衛門は幼い使い走りの肩に大きな手を置いて優しく付け足した。


 馬が合うというのはこういうことだろう。最古参の塾生である摂津の庄屋の倅、五右衛門は修学が不得手だった。新しい知識に理解が及ばなかった。その為、時として議論の輪に入れなかった。知ったかぶりを見透かされているようで、ひるむこともあった。ただ一人、新参の伝八だけは違った。無案内な字義を尋ねると、簡潔で要を得た答が返ってきた。しかも慎ましやかで、偉ぶったところがなかった。他方、百姓仕事の事細かな段取りのような話をすると、伝八の目の色まで変わった。

「五右衛門はん、お察しの通り、わては百姓仕事の経験が一つもない片端ものです。肝心要の野良仕事で汗だくになった経験もありません。偉そうに国の将来を論じても、実情が何にも分かっていないのです。商いの方も中途半端にしか身に付いてないし、実はそれが一番の引け目です。我ながら辛くて、情けなく、苦しくなることもあります。どうか何でも教えて下さい」

と伝八は心情を吐露し、真剣に教えを乞うのだった。こんな経験は五右衛門にとって初めてだった。出自が侍の塾生ではこうは行かない。同じ塾生でありながら、分け隔てを感じることも度度であった。例えばこんな調子である。

「へえ、五右衛門殿、貴殿も伝収録を学ばれるのか?」

侍がわざわざ五右衛門を『貴殿』という時にはどこかに小馬鹿にした響きがあった。次いで

「それで、分かるのか?」

と今度は言葉に衣を着せず追い打ちをかける。要は『お前にあの難しい字が読めるのか?ましてや難しい意味が分かるのか?』と疑いを差し挟んでいるのだ。問いかけた面相は五右衛門の返事を待っていない。既に答を持っているのだ、『修学は侍の務め、百姓は田畑を耕しておればよい』と。上から目線が抜けない侍も多かった。内心、百姓や町民を見下げているのだ。で、五右衛門はいつしか伝八と話をする機会が多くなった。


 「伝八、郷に行けば百聞は一見に如かず、米を作っている百姓が、飯など一粒も口に入れたことがない。ボロを纏って痩せ細って、骨や筋が皮膚から浮き出て、目だけをぎょろぎょろさせている。いつも腹が減って力も出ないので百姓仕事は出来ん。どこの村にも餓死したものは仰山いる。はやり病で逝ったことになっているが嘘っぱちや。本当のことはみんな知っとおる。生まれつきの百姓で、百姓仕事しか知らんものが、働けど働けど借金まみれ、思い余って郷を逃げ出すのや。今年も大勢が潰れ百姓になって町へ出て無宿人になってしもうた。一家も離散し、見知らぬ土地へ、必死の覚悟や」

「町に出ても、何もええことがおまへんのに」

伝八は浪速の町の有様を思い返して呟いた。

「そうやが、百姓には他に手立てがないのや。わしの伯父は隣村で庄屋をしていたが、去年直訴を企てたかどで取り調べを受け、ひと月も経たんうちに牢死してしもうた」

大坂の牢問いは過酷極まりない。一旦入牢すれば、牢死を取るか刑罰を選ぶか、選択の余地は二つに一つしかない、と言われていた。冤罪であろうが逃れる術がない。自白するまで、躊躇なく延々と責め具を使う。実際、泥と埃まみれの薄暗い牢屋で、使い込んだ責め具だけが黒光りを放っていた。腹が据わっている極悪人ですら、一日ともたなかった。牢役人は互いに白状させる速さを競っていた。役人に所用がある日に当たれば更に悲惨だった。定刻にお役を済ませる必要がある。一言も取り調べの言葉を発せず、いきなり拷問にかける始末だった。しかも牢死の責めを問われた役人は居ない。非人道な牢問いに拍車が掛かるのも宜なるかな、だった。


 仏になった伯父を引き取りに行った時、遺体の手足の骨が何箇所も折れていた。

「牢死とは言葉もありまへん」

「伯父は子供の頃から人一倍優しかったらしい。仲間うち五人に四つしか菓子がない時、敢えて自分は食べないで、皆が食べるのをにこにこと見守っていた。文五という名前やったので、あだ名を『仏文』とつけられたほどや。名前だけの庄屋ではない。朝早くから晩遅くまで田畑を見回り、天気はどうか、水はあるかと気遣うてた。真っ黒に日焼けして目玉の白目だけが光っとった」

「それ程村思いやったのに」

伝八は思わずため息をついた。

「それである時、わしは伯父に訊いた。子供心に不思議だったのでな。どうして村のことばかりを考えているのかと」

「何か特別の訳でもあったのでしょうか?」

「すると伯父は『わしは村の衆に大きな借りがあるのでなあ』と呟きおった。『五右衛門、今から三十年以上前の話やが、天明の御代、それは大きな飢饉があってなあ。わしはその頃親父がなくなって跡を継いだばかりやった』と伯父の話は始まった」

「天明の大飢饉なら話を聞いたことがおま」

江戸時代には何回か大飢饉があったが、その中でも頭抜けて大きな災害で、全国で餓死や疫病により百万人もの被害者が出たとされている。


 庄屋になったばかりの仏文は年貢の減免を命懸けで掛け合った。また、所有する田畑を形ばかりの小作料で分け与えるなど、飢餓の被害を最小限に抑えようとした。しかし、手立てを尽くしても餓死や疫病がなくなることはなかった。

「人事を尽くして天命を待つやな、これは」

仏文はある時諦め顔で観念した。ことここに至れば、この大天災が終わるのを祈念するばかりだ。あらゆる手立てを尽くしたという自負もあった。実際、文吾の一日の食事は質素なものだった。朝を主食とし、雑穀雑炊とみそ汁だけである。たまに近所の百姓が持ってきた魚や、猪肉を分け合った。夜は野菜の炊き合わせだけ。滋養が足らないためだろう、皮膚は黒くなり、油っけを失ってカサカサになった。ここは摂津でも大きな村落だが飢饉による死者は少なかった。それが文吾の誇りでもあった。庄屋としてやれることはやっているのだ。

「なんとか凌がんとな。いつかは良うなるはずや」

飢饉も二年目の元旦を迎え、この日ばかりは米の飯を皆で食した。雇われ人も、その家族も団らんに集まっている。盆暮れというが、去年の盆は形ばかりのお供えの飯を皆で分け合った。ほんの二口、三口だったので、仏文にとっても一年ぶりのご馳走だった。

と、その時勝手口から遠慮気味に小作の孫七が顔をのぞかせた。顔を見ればわかる。お相伴に預かろうとして来たのではなかった。

「どうした、またか?」

年末から凶事が続いていたので思わず顔を曇らせた。

「へえ、大岩のおすぎのややこが」

大岩というのは村の北の方の地名で、小分けされた畑が急斜面に散在していた。山のふもとで日当たりも悪く、村でも一番貧しい地域だった。二か月ほど前に子供が生まれ、祝いの品を送ったのを覚えている。その母親がすぎなのだろう。

「よりによってお正月に死んでしもうて、間の悪い」

と、孫七は小声で続けた。顔に申し訳ないと書いてある。今日は元旦で来客も多い。だが仏文は凶事があれば一番に駆け付けるのを知っていた。

「いや、よう知らせてくれた。ご苦労はんついでに案内してくれるか」

生まれたばかりの赤子を失った母親を思い浮かべ、仏文は早や目をしばたかせていた。孫七の案内で足を進めながら

「亡くなったのは病か、それとも?」

「へえ、おすぎは乳が出んかったんで。赤ん坊やさかい」

孫七は辛そうに答えた。

「わいの甥が亭主やったが、山で怪我をするは、寝込むはで、一向に役立たずで、おすぎも苦労が絶えんかったやろう。何とかしたったら良かったんやが、わいも含めて甲斐性なしばっかりで」

孫七は何かに怒ったように声を荒げた。すぎの家はまるで炭焼き小屋だった。クヌギの下に寄りかかるように建てられていた。落葉しているので見すぼらしい廃屋にみえた。が、藁ぶきの屋根から薄っすらと煙が立っていた。

「おすぎ、どうや塩梅は?庄屋の文五はんが来てくれはったよ」

そう声をかけながら、半分壊れた戸板を開けて中に入った。暗い屋内に藁が敷きつめられてあった.ああ寒いと戸板を締め切ったので一瞬何も見えなくなった。が、厚手の布が戸口から奥の方に伸びているようだった。目が慣れてくると布の真ん中が盛り上がっているのがわかった。人だった。女が一人横たわっていたのだ。すぎだ。すぎはそのボロを重ねたような布に包まっていたが、よく見ると胸がはだけており、そこに小さくて白い瓜のようなものを抱えていた。そのものにボソボソと何かしゃべりかけている。まるで二人がやって来たのにも気付かないようだった。

「おすぎ、もう、どうしようもないな?冷とうなってしもうたからなあ」

それでようやく文五にも白い瓜の『正体』が分かった。今朝方亡くなった赤子だった。すぎは痩せた裸の胸に赤子を押し付けていた。

「ここには仏具もないからな、線香一本もあげられん。あとで庄屋はんからお借りして、成仏してもらおうな」

事態は呑み込めたが慰めの言葉も浮かばなかった。せめて弔いだけは心を込めて行おうと文五は考えた。それにつけても、すぎは文五達に挨拶することもなかった。相変わらず何かを呟いているが聞き取れなかった。

 結局、すぎと話を交わすのは叶わなかった。日を改めて出直すことにした。道の帰りすがら

「お寺はんの手配はせんとな」

文五は、誰に言うともなく、これからの段取りを呟いた。

「仏文はん、いや、庄屋はん、あの二人は、えらい可哀そうで」

孫七は『二人』といった。死んだのは赤子である。二人というのはおかしな話だが、文五は聞き流してしまった。

「もう少し早めに分かったら、何とかできたやろうに。おすぎはんも自分のことやない、子供のためにどうしてわしに相談してくれんかったのやろう?」

文五は思わず愚痴をこぼした。小さな痩せた畑しか使えない貧乏百姓にも年貢は課せられる。収穫の半分以上はお上に収めることになる。と、いつもは『へい、へい』と、従順な孫七が真正面から文五を見つめた。

「庄屋はん、おすぎは何を呟いていましたんやろうか?」

「いや、それや。孫七はんに訊こうと思っていた。うまいこと聞き取れなかったのでな」

「へえ、わいにも最初は分かりまへんでした。今朝方から何度も聞いているうちに、口の形からやけど、どうも『堪忍な』と謝っているようで」

「堪忍?何に堪忍や?」

「どうも、死んだ赤子に詫びをいれているようで」

「?」

「堪忍、堪忍、乳が出せんで堪忍、と謝っとったんでっしゃろう」

「しかし、」

それを母親の責にするには過酷過ぎた。ろくに食べていなかったのだ。乳が出るはずもなかった。

「おすぎにすりゃ、赤子を殺してしまったと。自分は生き残っていて申し訳ないと謝っているんでっしゃろう。いくら乳が出んというても、生きる力があるくらいなら、乳を出せたはずやと」

「それで赤子に謝っているのか」

「へえ、どうもそのようで」

「自分自身を責めているのだな?」

「わいは、おすぎが心配だす。自分自身を殺めてしまうのやないかと」

文五の背筋に衝撃が走った。弔いどころでない。このままでは二人目の犠牲者が出るのが目に見えるようだった。先ほど孫七が『二人』といったのはこのことだったのか?自宅近くまで戻っていた文五だが、踵を返し大岩に向け走り出した。孫七は一瞬驚いたが、すぐにその後を追った。

悪い予感は当たっていた。すぎは赤子の弔いを待たず、赤子と同じ日にあの世に旅立っていた。二人が戻ったあと、クヌギの木からほど遠くない大岩からすぎは身を投げた後だった。胸には干からびた赤子を抱えていた。


 後日談である。伯父文五は五右衛門に悔悟の気持ちを伝えた。

「わしはあの時以来、おすぎはんや、他にも沢山いる、天明の大飢饉で亡くなった村の衆が忘れられん。いっぱし村の為に体を張って頑張ってきた積りやったが、何にもしてやれんかった。申し訳なくて、毎日、仏さんを拝むようになった。一番悪いのは、他の誰でもない。人から仏文と言われて、いい気になっていたわしや。こんな悪人は他には居てへん」


 文五が今回命を張ったのも、天明の頃の悔悟の念が後押しをしたのかも知れない。


 「やり切れんのはそれだけやない」

と五右衛門の話は続いた。


 五右衛門は伯父が牢死したと聞いて、急いで郷に戻った。身寄りが少ないので、五右衛門の母親も仏の傍に付きっ切りだった。事情が事情だけにお寺を呼んで表立った供養も出来ない。しかも郡奉行の配下が家の周りで目を光らせていた。あれだけ村の為を思った庄屋のお通夜だが、薄情なものだった、誰も姿を見せない。強訴の残党と見做されるのが怖かったのだろう。ひっそりと夜が更けて静まり返っていた。

「お母はん、お通夜に誰も来んとは、これでは伯父も浮かばれん」

「五右衛門、お前も知っての通り、ここは大きな村やから年寄が三人いる。密告したのはその内の一人という噂が立っとおる」

本当かどうか分からないが、と母親は付け加えた。それを受けて五右衛門は思わず声を荒げてしまった。

「強訴を一人でやるかいな。年寄衆も皆、同意していた筈や。皆で訴えるからこそ、百に一つ、お上も聞く耳を持つのやから」

「そうやけど文五さんはお縄になるなり強訴を企んだと白状なさっただけやった。取り調べでは、自分一人の思い付きや、徒党は組んでない、と最後まで言い通しはったらしい。それ以上何も言わんで仏さんになってしまいはった。それで本当のところは分からず仕舞いでねえ」

侘しいお通夜だった。それにしても、三人いる年寄が一人もお通夜に来ない。三人の中でも、一番年上の半蔵は伯父の幼馴染で一番仲も良かった。その半蔵すらお通夜に顔も出さない。こんな村の為に伯父が命を張ったのかと、遺族の間にやり切れない気持ちが漂った。

夜半も過ぎると見張りの役人も引き上げたようだった。と、皆が横になって体を休め、交代でお線香を絶やさんように気配りしていた丑三つの頃だった。表戸がそろりと開いた。冷たい風が灯明を揺るがせ、白髪頭の男が顔を覗かせた。げっそり痩せている。長年の日焼けが顔に染みついている。その顔が夜目にも青白く揺れている。

「おや、半蔵はん、よくお越しなさった。お体の具合が悪そうやね」

おふくろや伯母が待ち望んでいたように迎えた。

「こんなに遅れてしもうて、仏はんにも皆さんにも申し訳ない。文ちゃんの入牢を聞いた途端、病に臥せってしもうたのでな、来るのが遅なった」

「先ずは、仏はんに会うてやって。仏はんもさぞかし喜んでいなさるよ」

仏は酷く目が窪み、半蔵旧知の文五より更に痩せ細っていた。が、一方で太ももや二の腕など、体の一部は白浄衣を突き上げる程膨れ上がり、傷の痕が真っ黒に変色していた。想像以上の拷問で、責め具を頻繁に使ったのだろう。半蔵は仏の胸に顔を摺り寄せ号泣した。

「文ちゃん、悪かったなあ」

一言いうのが精一杯で、節くれだった手で仏をさすった。長いあいだ嗚咽が響き渡ったあと、元の静けさが部屋を包んだ。四半刻ほどして半蔵はよろよろと立ち上がった。

「あら、お帰りなさるのかい?仏さんの横に布団を敷きますよ。ここでお休みになりはったら?」

おふくろ達は口口にすすめ、布団を準備しようとした。

「いや、ここに居たいのは山山やけど、薬を家に忘れてしもうた。一旦帰らせてもろうて、出直さんと」

憔悴しきった相貌でそう答えると、上り框で履物を探している。

「こんな遅い時に、そんじゃ五右衛門、半蔵はんとこまでお送りしてくれるか?五本松を右手に、その先二町ほど行けば半蔵はんの家や」

最初、半蔵は固辞したが、五右衛門は一緒に五本松の方に向かった。提灯片手に、半蔵を抱えるように歩いた。実際支えがないと、その辺に倒れ込みかねなかった。

「五右衛門はん、迷惑かけてすまんな。が、実は、お前はんと話がしたかった」

「半蔵はん、話もええけど、足元に気をつけて」

「文ちゃんは幼馴染みで、よくこの辺で一緒に遊んだもんや。あんなにええ奴は居てへん。そのええ奴を、皆が仏さんみたいやと言うてた文ちゃんを、本当に仏はんにしてしもうたのは、このわしや」

五右衛門は思わず立ち止まった。聞き間違えたのかと思ったくらいだった。

「先程な、そろそろお線香が短くなって、新しいのを足さんとあかんかったんやが、わしには出来へんかった。わしにはその値打ちが無いからな。裏切って密告したのは、このわしや」

あの時、匕首を持っていたら、五右衛門は躊躇なく半蔵を刺し殺しただろう。

「わしは連判したのに、急に恐ろしゅうなって奉行所に密告したのや。何で文ちゃんは自分一人で企んだと言うたんやろう?どうしてこんなに卑怯なわしを庇ったのやろう?死ぬ前にひどく拷問に遭うて、それでも口を割らへんかった」

「そりゃ、すまんで、すまへん。赦せない、半蔵はん」

五右衛門は殺意丸出しで半蔵を睨んだ。

「その通り。五右衛門はんが今考えている通り、わしなど早よ死んだ方がましや。しかし、わしを殺したらあかん。わしを殺しても、こんな虫けらのようなわしでも人殺しになる」

弱弱しく五右衛門を見る半蔵の顔が、薄明りの提灯の火に幽霊のように浮かんだ。

「死ぬのが怖いのやない。もう少しやから、しまいまで聞いてくれるか」

おかしい、殺されるのを怖がっている風でもなかった。片方では首を絞めようか、石で頭を砕こうかと企みながら、五右衛門は老人をじっと見た。

「死ぬのが怖いのと違うなら、一体どうして密訴したのやとなる。せめて冥土に行く前に、聞いて欲しい。実はわしの一人息子に子供が出来た。わしの初孫や。倅は生真面目で、子供が出来たのに、強訴に賛成、一緒にやろうと言いよった。倅は、もう大人やから、自分で決めたことならええやろう。しかし、生まれたばかりの孫を一体誰が育てるのや?父親と、爺が一緒に磔になって、本当にそれでええのやろうか?何のために強訴するのや?最後の最後になって、わしや倅の命やない、生まれたばかりの孫の行く末を慮った」

真っ暗な地面に弱弱しく目を落としながら半蔵は続けた。

「もう連判状にわしの名前は載っとおるし、倅も強訴に同調しとおるので、このままでは倅も磔刑や。倅の嫁もただではすまへんやろう。それでは、生まれたばかりの孫が不憫やないか。思い余ってわしは文ちゃんに相談した。そうすると、文ちゃんは目を瞑って暫く考えとった。ようやく纏まったんやろう、文ちゃんの方から言うたのや。

『半ちゃん、そういうことなら、半ちゃんの方からお上に密告すればどうや?最初は庄屋と年寄三人で強訴を考えたが、迂闊にも半ちゃんの倅まで巻き込んだのはわしらや。あれは若いから、二つ返事で強訴に加えて欲しいと言いおった。それだけやない。何時の間にか、そういう若い衆が増えてしもうて。今になって、随分浅はかやったと後悔しているのや。これはわしの責任やから、言い出しっぺのわしだけが捕まればええ。お前らは、あとに残って村の衆を護ってやって欲しい』

わしは驚いて、いや、惜しいのはわしの命やない。孫の為に倅さえ無事やったら、わしは何時死んでもええと答えた。

『半ちゃん、お前のことはわしが一番よく知っとおる。ここは頼むから、わし一人の考えで強訴を企てたことにさせて欲しい。わしが持っている連判状は今日中に燃やしてしまおう。半ちゃんがわしと一緒に強訴すれば、他の二人の年寄りはどうなると思う?きつい取り調べに遭うて最後には結局獄門首や。半ちゃんの倅も巻き込まれるのと違うか?わしもそれほど器用な質やないよって、話を簡単にせんとしくじりそうや。わし一人を罪人にしておけばええやろう』

孫可愛さか、命が惜しかったのか、わしはとうとう文ちゃんの考えに同意してしもうた。

『半ちゃん、こういうのはお侍の間では返り忠と言うて、世間から冷たい目で見られてしまう。わしより半ちゃんの方が余程苦しい立場になる。そうやけどこれは半ちゃんの考えやない。わしの考えでやることや。わしは冥土に旅立つけど、半ちゃんは死に急いだらあかん。これからの村を頼むで。先の話やが、冥土でも二人仲良くやろうな』

五右衛門はん、話はこれで終わりや。文ちゃんは幼馴染みで、あいつが逝ってしもうたので、わしも冥土に行きとうなった。早う文ちゃんに謝りたい。身勝手なこと相談して、どれほど酷い目に遭わせたことか。こんな話は書いたもので残すものやない。そうやけど、五右衛門はんにだけ言いたくなった。文ちゃん、本当にすまんかったなあ」

半蔵はその場に崩れ落ち、額を道に打ち付けて嗚咽を繰り返した。五右衛門は茫然と半蔵の話を聞くばかりだった。別れしなに、半蔵はスッキリした笑顔を見せた。

「そやそや、面倒掛けついでや、もう一つ頼みがある。明日の朝やが、巳の刻になったら、さきほど通った五本松のところに来てくれへんか?文ちゃんから預かったものがあるのでな」

それで五右衛門は朝になって五本松のところに行ったのだが、半蔵は丈夫な枝に紐を掛けて縊死していた。胸元から落ちた書状が地面にあって、宛先は郡奉行になっていた。この世でただ一人の友人が先立ったので、寂しさに耐えかねて縊死するという内容だった。同輩の年寄二人への書置きはなかった。

仏文こと文五伯父の牢死に至る、長い話は終わった・・・


 己はおろか、子や孫の食い物にも窮し、追い詰められた挙句、一家心中する百姓は後を絶たない。伝八はため息まじりに呟いた。

「身売り話が後を絶たず、大勢の娘が花街に売られていま」

かつての許嫁、しのには想像もつかない世界である。

「伝八、どうして我が子を女郎屋に売り飛ばすか分かるか?借金の質に辛い生き別れやけど、若いおなごは女郎屋から見ると大事な儲けの種や。ガリガリに痩せたおなごに客は付かん、せやから、遊女になると飢え死にせんで済む。飯も食わせてくれるし、病に臥せば薬も飲ませてくれる。血色も良うなる。村にいると、食べものも無いから、弱いものから順に死ぬのが定めや。歳を取ったら口減らしで捨てられる。だが遊女になったら、大店の旦那に身請けして貰えるかもしれん。妾になって子供が生まれて、それが跡取り息子になればメッケもの。百人に一人、いや千人に一人の幸運かも知れんが、村で飢え死にの順を待つよりはええやろう」


 「五右衛門はん、結局、役人と坊主がこの世を駄目にしているということやろうか」

伝八は洗心洞の先輩であり、親友でもある五右衛門に問うた。

「加えて豪商やな。新町に行ってみるとええ。遊ぶことにうつつを抜かした連中で溢れかえっとおる。みな、大小持ちか、ツルツル頭か、羽二重縞を着なれている連中や。よく観ると知り合い同士も多い。

『殿様、昨晩はあれからいかがでございましたか?さぞかしお楽しみだったでございましょう』

『いやいや、お前ほど若くないからな、ちょっと一杯が二杯になっただけじゃ。それでお開きだった』

『お隠しにならなくても宜しゅうございま。わてはこれでも口が堅いのですから』

『なんと、武士に二言はない。昨晩は呑んだだけだ。今宵はどうなるか知らぬが、わっはっはっ』

聞くに堪えぬ戯れ事ばかりだ。伝八、町や村に餓死者が出ても、身売りが増えても、巷の武士、誰一人として気にもかけへん」

五右衛門はまるで新町から戻ってきたばかりのように憤っていた。

「伝八、新町界隈を朝方に回ってみろ、朝帰りの侍や豪商が駕籠に乗っているのを見ない日はない。一体どれほどの散財をしたのか知らんが、その一晩に使うた銭があれば百姓一家が一年間飢えを凌ぐことができるはずや。やせ細った幼児が病気に罹り、命が尽きる段になるとどういう訳か腹だけは膨らんでくる。すると、もうこの児は命の糸が切れるんやろうなと、周りの者は観念する。母親が必死に呼びかけても、もう返事は戻って来やせん。わしの村だけでいったい何人の子供が飢え死にしたことか。伯父が強訴を決めたのもそれが原因や」

「それにしても新町行きとなれば、親御さんはどれ程辛い思いをされたことでしょうか」

「しかしな、飢えた子供の腹には何があると思う?先ずは動くものなら何でも食べさせとおる。コウモリ、ネズミ、蛇、イモリ、コオロギ、バッタ、次に来るのは木の皮や根っ子、花びらや柔らかい草の葉、そうして先ずは腹を壊し、体が持たなくなって遂にはお釈迦となってしまう。ところが、新町に送れば飢え死はせえへん、寒さに震えることもない、旨いものも食える。お前に若い娘が居ればどうするか?新町を選ぶか、野垂れ死にか?」

「大塩先生の上書はどうなったのでしょうか?」

「ひどい結末や。東町奉行跡部良弼様は返事もよこさへん。どころか、恐れ多くも奉行宛に元与力ごときが上書など無礼千万と、まるで悪行を働いたかのように叱責する始末や」

「しかし、上書を一読すれば、真意を分かって貰える筈でしょう?」

「婿の格之助様へは

『二度と上書など取り次ぐな。分を弁えよ。本来ただでは置かぬ無礼の段、不問に付すだけでも有難く思え』

と言うものだったらしい」

「それは余りにも理不尽な措置、ご奉行としてこの大飢饉にどのように対処なさるおつもりやろうか」

「何もやらん。逆に先生が豪商に義捐金を募った折など、陰で反対する始末やった。貧乏人に金をばらまいたら、その分賄賂が減ると心配したんやろう。何と言っても『兄様奉行』やからな。しかも、二、三年も経てば御栄転の『腰かけ奉行』や。大飢饉で餓死者が出ても、奉行の責任やない。わからんことは、江戸表に指示を仰げばええ。指示がなければ余計なことは何もせんでええ。それが奉行のやっていることや」

「それでは何のためのご政道か分からしまへん」

「骨の髄まで腐りきっとおる。しかし、我我洗心洞を見くびるなよ、上書だけでは終わらせへん」

こぶしを握り締めて五右衛門は目を爛爛と輝かせた。まるで自分が塾長であるかのような勢いだった。

「五右衛門はん、わては住込みの塾生だす。この伝八、親元には勘当してもらい、許嫁とは破談にしました。今や何のしがらみもおまへん」

「そうやな、伝八らしいな。お前は上っ調子なことは言わんし、やるべきことはやっている。わしも早早に離縁しなければな」

「五右衛門はんのお子さんは?」

「息子が二人や」

許嫁と別れるのすら万感の思いがあった。子供が居れば猶更だろう。親として子を見守り、その成長を見届けたい筈である。五右衛門のように皆が皆、腹を括れるわけでもないだろう。義に殉じる覚悟はあっても、家族を犠牲に出来るのか?子子孫孫にまで累が及ばないのか?そういう極限状態まで考えた上で門下生として残れるか?いや、一旦決心したとしても、それが肝心な時に揺るがないだろうか?

そこでふと、仏文を裏切った半蔵を思い出した。自らの命を絶つ覚悟はできても、家族への思いは絶ち難い。と、その時伝八は漠然とした拘りを抱いた。揺るがぬ信念を纏っているつもりでも、それを脱ぎ捨てざるをえない事態が来ないだろうか?土壇場になって、塾生から第二の半蔵が現れないと言い切れるだろうか?




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