現実は夢よりやばい
2018年は、11月17日がJ2の最終節になる。14時に日本中で一斉に11試合がキックオフされる。一年のうちで最もJ2リーグが注目を集める日だ。
上位二チームはJ1への自動昇格の切符を手にし、3位から6位のチームはJ1参入決定戦に望みを託すことができる。
どのチームが来季、国内最高峰のJ1リーグに参加することになるのか。90分後の歓喜に向けて、各地のスタジアムで、選手は勝負の世界に身を投げ、サポーターは声を出して選手を後押ししていた。
タートルリバーレ亀川も、2018年最後の戦いに挑んでいた。
アウェイで相手は3位のアルエット菊水だった。今年のJ2リーグは混戦で、首位から4位までが、最終節を前にして、勝ち点3以内にひしめきあっていた。最終節の結果次第では首位のチームが4位になり、アルエットが首位になる可能性もある。30000人が入ったホームの大観衆の前で、アルエットの選手、サポーターのモチベーションは高かった。
タートルリバーレも負けるわけにはいかない。22チームで順位を争うJ2リーグ。タートルリバーレは一時は21位に沈んだこともあった。その後なんとか盛り返したものの、最終節を前に順位は20位と崖っぷちだった。J2リーグは21位と22位のチームが、来季はJ3に降格になる。そしてタートルリバーレと21位のスパタラソ別府との勝ち点差は僅か1だ。J3降格の可能性もある位置であり、自力でJ2に残留するには、勝つしかなかった。
試合前、ロッカールームでタートルリバーレの南監督は「悔いなく終わろう」と選手に声をかけた。タートルリバーレ社長の鬼池もロッカールームに顔を出し「今日の試合の意味が伝わるプレーを見せてください」と選手に訓示した。
鬼池は南の手腕を評価していた。来季は、10月のトレーニングマッチで、年齢差通りにタートルリバーレの選手を子供扱いした天城大輔の補強も伝えている。南自身も来年こそは上位進出をするために構想を練っていた。だが、降格してしまえば南に監督としての来年はない。J3に降格すれば、サポーターやスポンサーからの責任追及は重く、鬼池は南を解任しなければならないだろう。どうにかJ2に残してくれ。鬼池は祈るようにピッチに向かう南の背中を見た。
岡崎旋盤製作所は第三土曜日だったため、この日は出勤日だった。労働基準法第32条で労働時間は1週間に40時間以内という原則はあるが、第35条で「毎週少なくとも一週間に一回は休日を与えなければならない」としか定められていないため、第二土曜日と第四土曜日は休みだが、それ以外の土曜日は出勤日となっている。
天城も出勤していた。11月に入り、天城のいまのメインの仕事は、機械の売却先の会社に、機械の使い方を教えることだった。12月には天城の持っている仕事のほとんどは、その会社に移管することになっていた。社長が無理に仕事を持ってくることもなく、そもそも物を作って納期に追われているわけではないので、以前に比べると時間的にゆとりがあった。
最終節なので、地元のローカル局がタートルリバーレの試合をテレビ中継していた。
13時50分に社長の岡崎が「そろそろ始まるよ」と工場に声をかける。ぞろぞろ工員たちは休憩室に集まり、テレビを見る。
岡崎旋盤製作所は年末には高齢者向けゲームセンターを開業することが決まっており、そのために工場長は介護職員初任者研修の資格講座に通っているため、会社にはいなかった。工場長以外の7人の工員が椅子に座って試合を見守る。
ホームの声援を味方につけているアルエットは、前半から激しく攻め込んできた。タートルリバーレのロベルトを中心にしたディフェンスラインが、なんとか猛攻をしのぐ。タートルリバーレを応援しながらテレビを見ている天城たちにとっては、冷や冷やする展開だ。タートルリバーレは防戦一方で、得点が入る気配がない。前半終了後のスタッツは、シュート12本のアルエットに対し、タートルリバーレは1本しかシュートを打てていなかった。
西中が試合中からスマートフォンを触り、他会場の途中経過をチェックしていた。
「21位のスパタラソ別府も0-0で折り返しています。このまま終われば残留です」
西中が言う。テレビでも同じことを伝えている。
「勝ち点ってどういう意味?」
天城が訊いた。
西中が「勝てば勝ち点3で、負けると0、引き分けは1です」と説明するが、天城は「ふーん」と返す。
「スパタラソが引き分けなら、タートルリバーレが引き分けでも残留です。でも、負けたら降格します。スパタラソが勝ってしまうと、タートルリバーレは引き分けても降格になるんですよ。だからここは、最低でもスパタラソには引き分けてもらわないといけないんです」
西中が熱く語るが、天城や工員たちは「むつかしいなあ」と笑いあう。
しかし、試合はそのむつかしいスパタラソのほうが動いた。
後半12分、スマホを見ていた西中は拳を握ってガッツポーズをする。
「ロマンスが点を取りました。スパタラソ、リードされています。このままスパタラソが負けてくれれば、タートルリバーレは負けても残留です」
スパタラソと試合をしている2位のロマンス厚木が点を取ったのだ。逆転で2位を狙っているアルエットには痛い得点だが、19位のタートルリバーレには願ってもない展開だった。
すぐにローカルテレビも速報でロマンスの得点を伝える。
ベンチで采配を振るっている南監督の耳にも、インカムマイクを通してその情報が届いた。勝たなくてもいい、残留することが一年のすべての結果だ。
南はすぐに交替の指示を出す。一点差ならば最悪スパタラソが引き分ける可能性もあるが、逆転勝ちはしないだろう。データでも、今年スパタラソは先制点を取られた試合は追いついて引き分けたことはあったが、逆転勝ちをした試合はなかった。スパタラソが引き分けた場合、タートルリバーレが負けると、勝ち点では並ぶが、得失点差がスパタラソが多いため、タートルリバーレが降格になる。だが、タートルリバーレはスパタラソが引き分けるなら、引き分けで残留できる。南はアルエットの勢いを見て、点を取るのは難しいと冷静に感じていた。負けるリスクを回避して、引き分けを狙う作戦に南は切り替える。
南はエースストライカーの江上を下げ、ディフェンダーの黒木を投入する。前線のフォワードをユーティリティープレーヤーの赤城ひとりにして、そのぶんディフェンダーの枚数を4人から5人に増やした。
「ちょっと消極的ですね。まだ時間は20分以上ありますから、残留に向けて点を取りにいかないといけない時間だと思うんですが」
テレビで解説をしているタートルリバーレOBの丸尾が、不安そうに言った。インターネットの掲示板のタートルリバーレの実況スレッドでは「南の弱気が出た」「引き分けてスパタラソが逆転したらどうすんの?」「南を使う鬼池こそ戦犯」と過激な意見がやり取りされている。
だが、タートルリバーレの選手は残り20分守り切った。後半だけでシュート15本のアルエットの猛攻を防ぐ。
90分が経過し、試合終了の笛が鳴る。 タートルリバーレは南のプラン通り引き分けた。
「え?」
その直後、スマホを持った西中が叫んだ。
「スパタラソが同点に追いついた」
スパタラソが最後の意地でアディショナルタイムにロマンスから点を奪ったのだ。スパタラソの試合があと何分残っているかはわからないが、更にもう一点スパタラソが点を取ったら、タートルリバーレがJ3に降格してしまう。
テレビもその情報を伝える。腕を組んでピッチを見つめている南監督の姿がテレビに映る。
沈黙で静かに岡崎旋盤製作所の面々はテレビを見つめる。西中だけが、スマートフォンのリロードを繰り返す。
西中が声をあげた。
「よかった! スパタラソ、1-1で引き分けました」
「やった!」と岡崎が両手を挙げた。
勝ち点差1で、 タートルリバーレは来年もJ2でプレーができることになった。そして天城も来年J2でプレーができる。
天城のiPhoneには、心花から「仕事中ごめんなさい。残留できてよかったね」とLINEが届いた。
「さあ、仕事に戻りましょうか」
天城が言う。
ゲームセンターの開店は12月22日に決まった。工場でもそのオープンに向けて着々と準備が進んでいる。
快調な滑り出しだった。
12月22日、朝六時に岡崎の経営する高齢者向けゲームセンター「遊技道 極」は、商店街の一角にオープンした。吐く息が白くなる冷たい冬の朝だった。さっそく顧問として雇われている本泉が、知り合いを10人誘ってくれ、開店と同時に店内は賑わっていた。
「いらっしゃいませ。60歳以上のお客様には当店の会員になっていただけますと、たくさんの特典をご用意しております」
そう言って心花がラミネートでパウチした特典の記入された紙を見せる。
知香子が大矢野特製のボリュームを回し、老人の男性に音量の確認をしていた。
「イヤホンはここで音の大きさを調整してください。小さいですか? ちょうどよくなったら手で丸を作ってくださいね」
老人は手で丸を作ると100円玉を入れ、インベーダーゲームを始める。
知香子と心花は大学が冬休みの1月中旬まで、アルバイトに来てくれることになっていた。接客をしてもらうことも大切だが、接客業をしたことのない工員たちに、接客を教えてもらうことも岡崎は、バイト料をはずむ代わりに頼んでいた。工員たちも、孫娘のような心花と知香子の言うことは、反発せず素直に聞いてくれ、初日から接客をこなしている。
「お手洗いに行かれますか?」
老人に呼ばれ、工場長が話しかける。介護職員初任者研修を修了した工場長の話しかけ方は、プロのそれのように聞き取りやすかった。ゲームセンターの奥にある畳敷の休憩ルームで、工場長の89歳になる母親が、そんな息子の姿を見ていた。母親自身が認知症の疑いが現れているときに、会社のお金で介護の資格を受講させてもらえてありがたかったなと工場長は思っている。
元来、まじめな性格である工場長は、本職の介護職員でもないのに、資格研修ではいつも優等生だった。旋盤工としてものづくりをしていた手先の器用さで、初任者研修受講者が最初につまずくベッドメイキングのシーツの三角折りなど、実習も講師が舌を巻くほどのうまさで、若い受講生の見本となる生徒と言われていた。また、そう言われることで工場長は自信を深め、高齢者と接することが楽しくなっていた。
「あれがうちの息子。秀才だったのよ。お父さんがちゃんと働いていたら大学に行かせて、本当なら博士か大臣になっていたほどの神童と、小学校の先生もずっと言ってたわ」
「素晴らしい方ですよね」
「あなたにどうかしら? ちょうどあんなにいい男なのに、若気の至りで鬼みたいな嫁と結婚しちゃったから、追い出したばっかりなの」
「素敵ですけど、あいにく、わたしには主人がいますので」
「あら、あなた奥さんなの。まだ娘さんみたいなのに。残念だわ」
「ありがとうございます。そんなに若くはないですよ」
そう言って工場長の母に笑いかけたのは、岡崎の妻である。娘さんみたいと言われたが既に52歳だ。
岡崎が旋盤製作所一本で商売をやっていた頃は、家業を手伝わずにスーパーのパートに出ていたが、ゲームセンターと聞くと手伝ってもいいと思った。事業計画や営業、広告など旋盤製作所に比べ、社長としての業務が増えた岡崎の代わりに、会社の経理全般を承り、また時にはゲームセンターに出て接客も行っている。
年末、年始と休まず営業をした。年末、年始の間は冬休みで帰省した孫を連れた老人で賑わった。もちろん、ひとりで来る老人もいた。そして子供たちの学校が始めると、店内から子供の声は聞こえなくなったが、老人たちの笑い声が絶えまなく聞こえるようになった。
1月の単月の試算表は、売上は旋盤製作所の半分以下だったが、営業利益は材料費等の経費がかからないため、旋盤製作所の四倍もあった。
1月に入り、天城はタートルリバーレと正式に契約をした。年俸は400万円、年俸とは別にオプションとして、1ゴールにつき5万円と、出場した試合に勝利した場合の勝利給が、フル出場で3万円、途中出場で1万円の契約だった。
背番号は42番。年齢をそのまま背番号にした。日本人は語呂合わせで「42」を「死人」と読むこともあり、あまりよくない数字じゃないかと不安視する声もあったが、地元新聞の大楠は「42という背番号は野球の米国メジャーリーグでは、全球団共通の永久欠番である。黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの背番号だからである。その重い番号を我らがタートルリバーレで背負う天城大輔には、ジャッキー・ロビンソンと同じように、常識を覆す革命的なプレーを期待したい」と大絶賛した。
1月中旬から2月中旬までタートルリバーレは九州でキャンプを張った。天城ももちろん参加しその期間は家を空けたが、それ以外はプロ選手になってからのほうが、勤め人時代よりも時間的に余裕があり、心花や知香子の所属する有明大学の陸上部の練習に顔を出して、一緒に走ることもあった。
キャンプ中から「Jリーグ最年長ルーキー」として天城は注目を集めていた。
南の構想では試合終盤に出場するフォワードとして考えられていた。キャンプ中のトレーニングマッチでも、そのような形で後半40分頃に出場しては、80分以上走って疲れているディフェンダーを翻弄するプレーを見せた。
3月の開幕戦、県総合陸上競技場には、心花や知香子だけでなく、西中や竹部、また今福たち県代表の選手、ダイヤモンドミラクルズ、ヨエーゼン太田町のメンバーも応援に駆け付けた。それでも観客動員は開幕戦なのに伸びず、3000人にも満たなかった。岡崎たちは「遊技道 極」を営業していたため会場に行けなかったが、休憩スペースに置いているテレビで応援をした。そのテレビの横には天城から寄付されたユニフォームとサインが飾ってある。
鮮烈なデビューだった。0-2と2点ビハインドで前半を折り返したタートルリバーレの南監督は、後半開始から天城を投入した。キャンプのトレーニングマッチでは後半終了間際に江上と交替することが多かったが、まだ時間が早かったタイミングでの交替なので攻撃の枚数は減らさず、江上と赤城に挟まれる形の3トップでの起用だった。練習で何度かそのポジションはやったことはあったものの、試合でこのポジションをやったことはトレーニングマッチでもなかった。
後半開始直前、タートルリバーレの42番の選手がピッチに姿を見せると、噂の中年ルーキーの登場にスタジアムがざわめいた。
「天城大輔!」
パンパンパパパン、とサポーターが手拍子をして天城の名前を叫ぶ。ついにJリーグのピッチに立ってしまった。これまで何度も場違いな場所でサッカーをプレイしてきた天城でも、さすがにプレッシャーで膝が震えた。
後半キックオフの笛が鳴る。天城がボールを転がして江上にパスを出す。江上は後ろの選手にボールを回す。
監督の指示は「自由にプレーしてください」だった。もっとも、直感だけでプレーしていた天城にはそれしかできなかった。
「ハジメマシテ」
天城のマンマークはまた外人だった。
「ないすみーとぅー」と言いながら天城はゴールを目指して駆ける。10kmのランニングをしても疲れない身体に仕上がっていた。100mダッシュも心花よりも2秒ほど速くなっていた。
中盤のポゼッションは相手チームに奪われていて、ボールを保持しているのにタートルリバーレの選手は、ずるずるボールを最終ラインに戻してしまった。どうにかこの空気を打開したいとロベルトがボールをキープして、前線を見る。ちょっかいを出す外人DFの手を払いのけている天城の姿が見えた。
「あいしんくみーあんはうおーるど!」
天城は西中と勉強した片言の英語で、DFに言う。直訳すると「おれを何歳だと思ってるんだ!」という意味だが、伝わってるのがあやしく、DFは執拗に天城の身体を触る。勉強する時、天城の英語の発音は、心花がいつも笑っていた。外人とどういう風にしゃべっているのか、心花に聞かせたいと思う。
「イキマスヨ」
ロベルトが天城をめがけてボールを蹴る。大砲の弾道のような猛烈なキックだった。
ボールが近づくと、それまで歌い続けていたサポーターの声が天城には聞こえなくなった。目の前がスローモーションになる。外人DFがボールに向かう天城を押さえつけようと身体を寄せた。こいつ、おれの首をつかむ気かよ。おっかねえ。金がかかってるから、プロはなにするかわからねえな。金が欲しけりゃ競馬でもやれよ。予想してやるからさ。と天城は冷静に考え、外人DFの腕から首を逃がす。それからゆっくり頭でボールを足元に落とし、右足にインサイドキックの要領でボールを収めた。
ゴールまでは40mほど距離があったが、DFを抜けばキーパーと一対一だ。外人DFはイエローカード覚悟で足を絡めようとしてきた。キャンプのトレーニングマッチで、そのような体験を何度もしていた天城は、そのDFのプレーが予測できた。右に身体をずらして外人DFの長い足を避ける。外人DFは勢いで芝生の上につまずいた。
「レフリー!」
まるで天城に倒されたように外人DFはアピールするが、一部始終をしっかり見ていたプロの審判はファールを取らなかった。
天城はドリブルをする。キーパーが向かってくる。ゴールの後ろでは水色に染まったタートルリバーレのサポーターが口々に叫んでいる。あの中に西中や知香子、そして心花がいるはずだ。
天城はキーパーをひきつけると、ボールをキーパーを越えるように浮かして蹴った。決して勢いのある弾道ではなかったが、キーパーの頭上を越えたボールは、優しくゴールラインを転がった。
「ゴーーーール!」
スタジアムDJの絶叫とともにスタンドが揺れる。
「二点目取りに行きましょう」
江上が、ゴールに転がっているボールを取りに行き、センターサークルに全速力でボールを運ぶ。
この日は42歳の鮮烈なJリーグデビューの伝説ができた日だった。
天城はその後、2ゴールを上げ、3-2でタートルリバーレを勝利に導いた。デビュー戦でハットトリックである。ルーキーがそれをやってもすごいことなのに、そのルーキーが42歳だったから、ポータルニュースのトップサイトに載るほどのニュースになった。
Jリーグは下部年代組織のチームも持っているため、若い選手が活躍することはよくある。Jリーグの最年少出場記録は15歳だ。そしてそういう選手が活躍するたびに「とても15歳とは思えません」とテレビの解説者は言うのだが、天城の場合はその逆パターンだった。
「遊技道 極」でも流れていたローカルテレビの試合中継では、解説者の丸尾は「天城選手、とても42歳とは思えません!」と連呼していた。
単純にJ2リーグのハードスケジュールとそれに伴う加齢による夏バテで、夏のあいだは調子を落としたものの、それらを踏まえて夏はスピードのある田中選手を起用する采配が的中し、9月にはタートルリバーレは2位に勝ち点12の差をつけるJ2リーグの断トツの首位に立っていた。
その快進撃は大きなニュースになり、10月には43歳になっていたというのに、天城大輔に日本代表の招集がかかった。チャレンジカップの二試合のみで、タートルリバーレのサポーターたちは日の丸をつけたサムライブルーの天城を見ようとテレビに張り付いていたが、残念ながら国際Aマッチ出場は叶わなかった。ただ、五輪代表と同じ監督である日本代表監督は、練習で自分と八歳しか年の変わらない同世代の天城のプレーに素直に驚き、及第点をつけていた。
そして2019年の10月27日はタートルリバーレ亀川を応援するすべて人にとって歴史的な一日になる。
開幕戦が公式では2940人しか入らなかった県総合陸上競技場が、この日は24880人の観客を集めていた。2位のチームの結果に関わらず、まだ3試合を残しているのに、引き分け以上でタートルリバーレ亀川のJ1昇格が決まる試合だった。仮に2位チームが引き分けか負けてもJ1昇格が決まる試合だった。
J1と違いJ2は日本代表が試合をしてもリーグは休止しない。日本代表から帰ってきたばかりの天城はベンチ入りの登録はしていたが、監督から「よほどのことがないとき以外は使わないから休んでていいですよ」と言われていた。
試合は江上、赤城がそれぞれ1点ずつを取って2-0でタートルリバーレが勝利し、悲願のJ1昇格を果たした。天城は昇格決定の試合には出なかった。
それでもサポーターたちは、J1昇格が決まったそのスタジアムで「天城大輔!」と天城の名前を呼び続けた。誰もが「天城選手のおかげで昇格できた」と選手、監督、サポーターが口々にインタビューで伝えていた。
「奇跡を起こした中年」として、代表に選抜されたこともあり、その頃には全国的にサッカーファンに天城の名前は知られるようになった。
頭を抱えていたのは社長の鬼池である。オプションも含めて年俸を500万程度しか鬼池は天城に払っていなかった。その10倍以上は出すというオファーが、クラブにはシーズン中から殺到していた。「J1に昇格できる二度とないチャンスを逃したくない」と鬼池はマスコミに対し説明し、シーズン中は天城を慰留していた。しかし、オフになると各クラブとの争奪戦になることは間違いない。
だが、天城は移籍をする気はなかった。それは有明大学に在学中の心花と、離れたくなかったからである。
ただ、それだけの理由で2020年は3500万でタートルリバーレと契約した。二年前はその十分の一以下の収入で、朝から晩まで油まみれになって働いていたのである。よそのクラブがいくら出そうと言ってきても関係ない。天城にとってその金額で十分だった。
3500万の年収でもありがたがったのは、母親に10年前にFXで失敗したときに出してもらった200万円を返すことができたこともある。母親はその金を見て「もう返ってこないものと思ってた」と笑った。母親は「これで結婚資金は戻ってきたわね。私も70歳近いんだから早く結婚してほしい」と言った。「来年には」と天城は返した。「いるのね、相手は」と安心したような顔を母は見せる。心花が大学を卒業したら結婚するつもりだ。
2020年の7月23日午後七時、「遊技道 極」のテレビは横浜国際総合競技場を映していた。「遊技道 極」の営業は午後六時で終わり、岡崎夫妻と西中がいる。
「オリンピックの開会式は明日じゃなかったの?」
岡崎の妻が西中に訊いた。
「サッカーは昨日から始まってるんですよ。諏訪さんや崎津さんもボランティアでいま東京に行ってますよ」
抹茶オレを飲みながら西中が、あえて知香子や心花を苗字で呼んで言う。工場で大矢野と17時まで作業をした帰りに、社長への工場の状況報告も含め、立ち寄ったのだ。毎日17時には作業を終わらせていたのに、西中の収入は、日付の変わる時間まで残業していた二年前に比べ、15万円は上がっていた。昔から岡崎社長は「会社が儲かれば給料は上げられる」と言っていたが、それは本当だった。いまでも西中は英語の勉強は続けているが、転職する気はない。
実際「遊技道 極」の経営は順調で、一年で隣の店舗も借り、壁をぶち抜き、店内を拡張していた。これまで通り、弁当など飲食物の持ち込みは自由だが、飲食店の認可も受け、休憩スペースの一角にコーヒーから和菓子までを出す喫茶コーナーを作っていた。閉店後の店内で岡崎夫妻と西中は、その喫茶スペースでテレビを見ていた。
「天城は試合に出るかな。全日本の天城を見たいよなあ」
岡崎が言う。
「先発には入ってないですからね。どうですかね」
西中がそう言って君が代の流れるテレビに目をやった。国家斉唱もスタメンの選手しかテレビに映らない。
オリンピックの男子サッカーは、原則23歳以下の選手しか出場できないことになっている。ただし、オーバーエイジ枠として3人までは、24歳以上の選手を起用することができる。そして日本代表の監督も兼任しているオリンピック日本代表監督は、ゴール嗅覚の突出した選手として天城をオーバーエイジ枠で起用したのだ。2年後のワールドカップを見据え、天城を国際試合で経験を積ませたいとの目論見もあった。
天城のオリンピックチームでの役割はスーパーサブだ。両国国家が流れるスタジアム、天城はビブスを着て、ベンチの裏で待機をしていた。
国家斉唱が終わると、青く染まった横浜国際競技場のスタンドからフラッシュが激しく点滅していた。
競技場の周りには、オリンピックの雰囲気を一足早く味わおうと、チケットを持っていない観客であふれていた。最寄り駅の新横浜には数百人の警備隊が待機していると、ネットのニュースで上がっている。
試合が始まる。後半の開始から天城はウオーミングアップで、ベンチの横のアンツーカーで軽くランニングをしていた。
天城は「会場にはいないけど終わったら会いに行きます」という心花のLINEを思い出す。オリンピックのボランティアで、心花は東京に来ているのだ。試合が終わったら、心花に早く会いたいと思う。
ほんの二年前まで、地方の鉄工所で働く天城にとっては、テレビがどんなに騒いでいても、東京オリンピックは自分とはまったく関係ない世界の出来事と思っていた。どうせ日本中が盛り上がっていてもそれはテレビの世界のことで、仕事が忙しければ、自分はオリンピックをテレビで見る暇もないかもしれないとさえ思っていた。
ニュースでロゴのデザインがどうとか、新国立競技場の価格がおかしいとか、ボランティアが足りないと言われても、関心すらなかった。唯一、新国立競技場の建設途中に従事者が過労死したというニュースだけが、末端の作業者なんて使い捨てだよなと、当時作業服を着て働いていた自分を見て、思っただけだった。
その自分がいま、東京オリンピックの会場にいる。しかも選手として。
後半30分を過ぎて、コーチが「天城さん、出れる?」と声をかけた。
「おーけー!」
天城はベンチに走る。ボードを使った監督の作戦を聞く。ある程度の戦術は天城も理解ができるようになっていた。
そしていよいよ天城はオリンピックの選手として、日本チームの選手としてプレーをする。二年前まで、サッカーを何人でやるのかを知らないほど興味もなかったのに、サッカー選手として日の丸を背負う。
今日ほど場違いな瞬間はないと思うと、緊張よりも、なぜか笑いがこみあげてきた。テレビカメラが天城を映しているのを感じる。下手に笑うとマスコミになにを言われるかわからないと、天城は口を閉じ、笑いをこらえるために口唇を裏側から歯で噛んだ。痛い。痛みを感じるということは夢じゃないんだと思う。そして、事実は小説より奇なりとかいうけれど、現実は夢よりやばいこともあるんだと感じた。
主審が笛を吹いてピッチに入る。サポーターたちが「天城大輔」と呼んでくれる声が心地よかった。
了




