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ルーズフォーカス(「叢雲」番外・須刈アキラ 編)  作者: 来栖らいか
【第3章 ジェフリー】
14/25

〔3〕

 ニューヨークを出てハイウェイをフィラデルフィア、さらにワシントンへと南下する。

 ペンシルベニヤの州境では何事もなく、変装用のウイッグとコンタクトを外しても良いのでは? と、アキラが提案しようとした時。

「随分つらい目にあったんだろうねぇ、可愛そうに」

 ジェフからキリアンの身の上を聞いたシンシアが、哀れみの表情をもって助手席から振り返った。

 旅立つ前、細かいことに気の回らないジェフにかわりアキラが用意したキリアンの身の上……。

「施設から引き取られた先で虐待を受け、そこを逃げ出し亡くなった父親の友人であるジェフを頼ろうとしてポートオーソリティーまで来たが、住んでいるアパートメントまでの行き方が解らなかったところ、アキラに助けてもらった」という経緯である。

 シンシアは人の良い性格らしく、素直に信じ込んで不振を抱いた様子はない。まして青白い顔に細い手足、俯きかげんの生気のない表情は話に大いに信憑性を与えたようだ。

「ところで、ポートオーソリティーから道案内をしただけのあんたが、なんで一緒にバージニアまで?」

 予想していた質問に、アキラは用意しておいた答えを返した。

「ハイスクールの夏休みを利用して、ヒッチハイクでアメリカを撮影旅行中なんです。フロリダまで行くつもりだったから、途中まで便乗させてもらおうと思って」

「なあんだ、それならダーラムに帰るついでで、隣のローリーまで乗せてってあげるよ。フロリダに行くなら、そこからの方が車を拾いやすいと思うから」

 納得の笑みを浮かべたシンシアに、少しばかりの後ろめたさを感じながらもアキラは努めて平静を装う。

「ありがとうございます。でもジェフがしばらく滞在していけと言ってくれたので、そこからワシントンやノーフォークまで足を延ばしてみるつもりなんですよ」

「ふうん、そう?」

 すらすらと嘘を並べるその表情を、一瞬シンシアの目が鋭く探った気がして脇を冷たい汗が伝い落ちた。だが何かから逃れようとする者は、必要以上に猜疑心が強くなるものだと気を取り直す。

 ただの、思い過ごしだろう。

「シャーロッツビルは、良いところだ。チェサピーク湾にも行って見ちゃあどうだ? きっといい写真が撮れると思うぜ」

 ハンドルを握るジェフが、素早くフォローしてくれた。

「俺のお袋は子供好きでなぁ、アキラやキリアンを大喜びで迎えてくれるだろうよ。昨夜電話したら得意のポークビーンズとチェリーパイを沢山作って待ってると言ってたから、あんたも一緒に夕飯を食わないか? 良ければ今夜は家に泊まったらいい」

「そうねぇ……夜通し走るのも辛いし、そうさせてもらおうかしら」

 また、アキラを子供扱いしている。

 不機嫌な顔をしたアキラにバックミラーで気がついたのか、ジェフが肩をすくめた。

「生きてりゃ丁度、おまえくらいの背格好の男の子がいるはずだったんだ。そう思うとつい、ガキ扱いしちまってな。悪く思うな、アキラ」

「あんた、子供がいたのかい? じゃあ、奥さんは?」

 運転席に寄り添うように座っていたシンシアが、眉をひそめ僅かに身を引いた。

「離婚、したのさ」

 絞り出すような、唸るような声に、アキラは運転席を伺い見る。

「五年前、息子はエリー湖のサマーキャンプに参加していた。やっと十歳になってボート体験が出来ると喜んでいたんだが……そのボートが転覆し、湖に落ちた息子が救助されたときには既に助からなかったんだよ。一人息子でね、かみさんは見ていられないくらい毎日泣き暮らしていた。その時丁度、日本の横須賀基地に行く話があって、気持ちを切り替えることが出来るかと思ったんだが……」

 ミラーに映る、苦渋の表情。

「今から考えてみりゃあ、かみさんは親しい友人や家族と思い出を話しながら傷を癒していきたかったんだろうな。俺は気付かなかった……自分が思い出を語るのが辛かったばかりに、かみさんのお袋や親父、兄弟、友人から引き離してしまった。日本では友人も出来て、皆が良くしてくれたんだがね。アメリカに戻った途端、出ていっちまったのさ。俺と一緒では、傷がえぐられるばかりだと言ってな」

 ジェフが、キリアンやアキラをここまで助けようとするのは、アメリカ人気質とも言える正義感や、強者は弱者をいたわるという理念に基づいた傲慢な国民性が為せる行動なのだろうと思っていた。

 しかし、もっと単純で悲しい理由があったのだ。

 アキラを子供扱いしながら、今まで逃げていた息子の思い出と向かい合おうとしているのかも知れない。銃の扱いを教えている時、時折手を止めアキラを見ていた顔は、そう思わせるような表情だった気がする。

「……」

 同情したのか、シンシアがジェフの肩に手を置く。アキラもかける言葉が見付からなかった。

「まあ、そんなこたぁ、どうでもいい。キリアンを預かることになったのは何かの縁だ。退役してから、ろくな仕事もしていなかったが……この際キューバにいる叔父のコーヒー園でも手伝って、こいつの面倒でもみるさ」

 それまで顔を伏せていたキリアンが、うっすらと涙が滲ませて上目使いにジェフを見た。

 その好意を喜んでいるのだろうと思ったアキラは、次の瞬間、まるで全てを否定する絶望の色をその瞳の中に見てしまった。

 キリアンが恐れているのは追っ手だけではない。アキラは不安な思いを抱きながら、青白い整った横顔を見つめた。

『実験体』の意味を深く考えてはみなかったが、何か恐ろしい秘密が隠されているのかも知れない。

 そうでなければ、あの物々しい追っ手の説明がつかないではないか?

 しかし、あまりにか弱く頼りない様子のキリアンが、いったいどれだけの秘密を持つというのだろうか……?

 正体の解らない不安に、胸のざわつきが収まらなかった。

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