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ルーズフォーカス(「叢雲」番外・須刈アキラ 編)  作者: 来栖らいか
【第3章 ジェフリー】
12/25

〔1〕

 濡れた服を乾かすのに十ドル、ピザとコーヒーにもう十ドルを要求してナデイアは自分の部屋へと戻っていった。

「まあ、仕方あるまい。あの婆さん、がめついが面倒見は良いんだよ。孫娘の着ていた服を何着か持ってきてくれたが、その代金はいらんそうだ」

 部屋には熱い湯を張った洗面器が置いてあり、どうやら暖かなタオルで身体を拭いて乾いた服に着替えさせてくれたらしい。

 ソファで微かな寝息をたてるキリアンを抱え上げ、ジェフは奥の部屋のドアを開けた。そこにあったベッドには、華やかなキルトのカバーとレースとリボンの飾りが付いたクッション。

「そんな目で見るな、出てった女房のベッドだよ」

 アキラがカバーを捲り、ジェフがキリアンを横たえる。

 女物の白いシャツと少しゆったりしたジーンズ姿で少女趣味なベッドに眠る姿は、確かにしどけない女の子そのものだった。まるで日に当たったことがないような青白い肌。運動したことがないような細い手足。

「これだけガリガリに痩せてりゃあ間違えもするさ、肝心なところに肉が付いてねぇ」

 毛布をその身体に掛けてリビングに戻ると、ほどなくナデイアが食べ物を乗せたトレーを手に戻ってきた。コーヒーの香りとピザの匂いに、いかに空腹だったかを思い知る。

「このコーヒーは美味いぞ。俺の叔父がキューバでコーヒー園をやってるんだが、婆さんが気に入ったってんで送ってもらってるのさ。ピザはナデイアの特製だ」

 アキラが、ちらっと伺い見ると「さっさと食え」という顔で頷いた。

 安心してピザに手を伸ばし、味の分からないまま飲み込む。その様子を笑って見ていたジェフは、急に真面目な顔になると大きく溜息を吐きコーヒーを啜った。

「暫くは匿ってやってもいいが……いつまでもというわけにはいかねぇぞ。おまえ、どうすんだ?」

「どうって言われても……俺は旅行者だし、こんな事になるなんて夢にも思わなかった。それに明日の夜には日本に帰る予定なんです」

「ああっ? まさか俺に押しつけて自分は帰りますって言うんじゃねぇだろうな」

 アキラはピザを食べる手を止め俯いた。

 出来ればそうしたいと思っていたのだ。これ以上関わり合いになりたくない。

「警察……は、駄目そうだな。そうなんだろ?」

 顔を上げることが出来ないまま頷く。

「参ったな、事情がわからないことには手の打ちようが……」

「あの、ご迷惑をかけてごめんなさい」

 奥の部屋のドアが開き、かぼそい声がジェフの言葉を遮った。

「もう、大丈夫です。何とか一人で……」

 言いかけてよろめき、キリアンはドアにもたれて座り込んだ。呆れた顔でジェフが抱き起こし、手を貸してソファに座らせる

「そんな棒っ切れみたいな手足で、一人でどうにかなるものか。とにかく、追っ手の正体を教えてもらおうか。それに男の真似をしていた理由もな」

 キリアンは緑色の瞳で二人を見つめた。

 西洋人形のような綺麗な顔立ちは青白いままだが、心持ち頬に赤みが差してきたように見える。アキラがコーヒーの入ったマグカップの縁をシャツで拭い躊躇いがちに差し出すと、キリアンは僅かに微笑んでそれを受け取った。

「わたしは幼少の時から施設で育ったのですが、今までその敷地内から一歩も外に出ることがありませんでした。ところが一週間ほど前、彼等がやってきて男の格好をさせ、車で飛行場に連れて行かれたんです。飛行機は私の知る物とは違って窓もなく、狭い個室にたった一人で閉じこめられました。何時間乗っていたのか、何処に着いたのかも解らず車に乗せられ移動中、隙を見て逃げ出したのです。彼等が何者かは、よくわかりません」

「施設って、その、孤児院みたいな所なのかな?」

 アキラの言葉に首を振り、キリアンは唇をかむ。

「病院、いえ、研究所と言った方がいいかも知れません」

 そういえば、あの酒場『ドラゴン・テイル』で思い当たる話を聞いていた。

「研究者、だったんだ?」

 しかしまた、キリアンは首を振った。

「実験体、です」

 アキラは思わずジェフを見た。ジェフは頬の傷をさらに歪め、気難しいとも怒りとも判断しかねる複雑な表情を浮かべている。

「彼等は私を何かから隠したがっているようでした。でも、それが出来ない場合は……」

「殺されそうになって、逃げてきたんだな?」

 ジェフの言葉に頷いたキリアンの頬に、涙が伝い落ちた。

「何の実験だか知らねぇが、秘密を守るために子供を殺そうなんて連中は許せねえ! 安心しな、俺達が安全なところに匿ってやる」

「ええっ! 俺達って……」

 狼狽えるアキラにジェフは片目をつむってみせた。

「逃げるつもりじゃ、ねえだろ?」

「俺は明日、日本に帰らないと……」

「ふふん、ママが心配するのか? 首を突っ込んでおいて逃げるなんざぁ、やはり日本人は根性がないなぁ。少しは見所のある奴だと思ったが、俺の見込み違いだったわけだ」

 そこまで言われては、黙っていられない。ピザと乾いた服で元気を取り戻し、おまけに女の子の前で恥をかいてなるものかと、つい挑発に乗ってしまった。

「あんたに助けてもらわなくても、俺が何とかしてみせる!」

 はっ、と、言ってしまった後で後悔しても既に遅い。待っていたとばかりにジェフがにやりと笑った。

「いい顔だ、アキラ。そうでなくてはな」

 からかわれていると気付いて、顔に血が上るのがわかった。

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