#12
悠斗は家に帰ると早速、凛花に問い詰めた。
凛花も覚悟をしていたのか神妙な顔で正座しており、ソファーに腰を掛けて腕を組んでギロリと睨む悠斗の視線を受け止めた。
「どういうつもりなの、姉さん」
「えっと…」
「学校では見逃したけど、家では見逃す気はないから」
「……はい」
凛花は尚も神妙な顔をして頷いた。
そしてポツリポツリと語り出した。
最近、悠斗の様子がいつもと違い、気になっていたこと。
姫樺に会い、学校での悠斗の様子を聞き、いてもたってもいられなくなったこと。
そんな凛花の話を聞いて、悠斗は険しい表情を保つのが難しくなり、最終的には頭を抱えた。
「前に悠斗が私に話してくれたでしょう? 気になる子がいるって」
「…そんな話、した?」
悠斗には凛花にそのような話をした記憶はない。
だが、凛花は自信たっぷりに頷いた。
「したわ。覚えてないの? ほら…好きって言われたって…」
「ああ…あの時……ちょっと待って、姉さん。オレ、気になる子とは一言も…」
「同じ事でしょう? 好きって言われて動揺したんだから。それってその子───栞ちゃんの事が気になっているから動揺したってことでしょう」
「え…そう…なるのかな…?」
凛花があまりにも自信満々に答えるので、悠斗もそうなのかもしれないと思えてきた。
が、すぐにハッとなる。
なぜ凛花はその相手が栞であると断言したのだろう。悠斗はあの時、栞の名前は出さなかった。違う子である可能性だって十分にあり得ることなのに。
凛花は天然だ。しかし、頭はとても良い。それこそ、悠斗よりもよほど。
悠斗の成績が良いのはきちんとそれなりに日々努力しているからだ。しかし、凛花は違う。
悠斗はどちらかといえば秀才型だ。努力した分だけそれが身になる。だが、凛花は天才型だ。人よりもずっと少ない時間で通常の人と同じくらいの勉強が出来る。
そんな凛花だ。あの時話した相手が栞じゃない可能性もあるとちゃんとわかっているはずだ。それなのに、栞であると断言した。ということは、断言出来るだけの根拠が凛花にはあった、ということなのだ。
「…なんでその子が葛葉さんだと言い切るの? もしかしたら違う子かもしれないじゃないか」
「あら。そんなの簡単よ。悠斗があんな風に女の子と接しているところを私は見たことがないもの。だからきっと栞ちゃんが悠斗の気になる子なんだろうって」
「……それだけ?」
「それだけだけど…なにか?」
「………」
凛花は不思議そうに首を傾げた。悠斗はそんな凛花の様子を見て、自分はそんなにあからさまな態度を取っていただろうかと思った。
だかしかし、凛花がそう言うくらいなのだ。きっと悠斗が他の女子生徒に接する態度と栞と接する態度は明らかに違うのだろう。
今までその事を自覚していなかったことにため息をつきたくなったがなんとか堪える。
これからは気をつけよう、と悠斗はひっそり心に誓った。
その日の夜、奏祐から悠斗へ電話が掛かって来た。
「はい」
『…悠斗? 今、大丈夫?』
「ええ、大丈夫ですよ、蓮見さん」
『今日は突然悪かった。びっくりしたでしょ?』
「ええ…ものすごく驚きました」
『本当にごめん』
「…もう、別にいいですよ。そんな騒ぎにもなりませんでしたし…どうせ姉さんが言い出したことなんでしょう?」
『……いや。今回は俺が言い出したことなんだよ』
「は…? 蓮見さんが…なんで…?」
『凛花がすごく気にしていたから。実物見た方がすっきりするんじゃないかと思って』
「はあ…なるほど」
やっぱり姉さんのせいじゃないか、と悠斗は心の中で文句を言っておく。
隣の部屋からくしゅんとくしゃみが聞こえたような気がするのは気のせいだ、きっと。
『きっと悠斗も苦労すると思うけど…まあ頑張れ』
「は…? それってどういう意味ですか?」
『俺みたいになるなって事』
「…余計に意味がわからないんですが…」
困った声音で告げた悠斗に、電話の向こうで奏祐がくすりと笑みを零す。
そして茶目っ気たっぷりに『そのうちわかるよ』と言う。
(…なんだか最近、蓮見さんが姉さんの悪影響を受けている気がする…)
凛花が聞いたら怒り出しそうなことを考えながら、悠斗が奏祐との電話を終えようとした時、『ああ、そうだ』と奏祐が思い出したように言った。
『言い忘れていたけど…あまり手こずるようなら俺も手伝うから言って』
「はい…?」
なんの話だと悠斗が首を傾げると、奏祐は低く蠱惑的な声音で囁く。
『まだあれが残っているなんて、ね…許しがたいことだと思わない?』
くすりと奏祐が笑みを零す。
まるで悪魔のような囁きに何も悪いことなどしていない悠斗の肝が冷えた。
奏祐が言う“あれ”とは栞たちが書いている物のことに違いない。だとすれば───
栞が殺される。
本当に殺されたりはしないだろうが、精神的に殺られる。奏祐ならやりかねない。
そう思った悠斗は慌てて「大丈夫です、オレがなんとかしますから、蓮見さんが動く必要はありません!!」と必死で言った。
そんな悠斗に電話の向こうの奏祐は、悠斗にわからないように笑みを零したのであった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
時間は少し遡り、桜丘学園高等部の下校時刻。
栞はご機嫌で校門から歩いて学園を後にした。
桜丘学園では園内に大きな駐車場スペースがあり、多くの生徒はそこから自家用車に乗り降りをして学園に通っている。
だが、栞は途中まで徒歩だ。それはやむを得ない事情があるからなのだが、それはさておき。
(今日はすっごくラッキーだったなあ。まさかナマ凛花様と会ってお話できるなんて! 私の一生分の運を使い果たしたんじゃないかとすごく心配だわ)
栞は昼休みの出来事を思い出し、にやにやした。
(蓮見様は近くで見た方がカッコよかったわ。凛花様ととってもお似合いね! それに…悠斗様と凛花様のやりとりを目の前で見れて、本当に幸せ! 神楽木姉弟っていつもあんな感じなのね。とっても素敵!)
スキップでもしそうな勢いで歩く栞に柔らかな声が掛かる。
「栞さん」
「…あら?」
栞は足を止めて、きょろきょろと辺りを見渡す。
すると「こっちですよ」と声がし、その方向を見ると、儚そうな容貌の、悠斗とはまた違った系統の和風美少年が柔らかな笑みを浮かべて小さく手を振っていた。
「千紘くん? どうしたの? 学校は?」
「丁度終わったところです。たまには栞さんと帰ろうかと」
「そうなの。そうね、二人で帰った方が効率が良いものね」
栞はにこっと笑うと千紘と呼ばれた和風美少年と並んで歩き出す。
歩き出して数十メートルした先に、大きな車が停められており、二人はその車に近づく。
二人が車に近づくと車から人が下りてきて、礼儀正しく二人に一礼し、車のドアを開ける。
「お帰りなさいませ、千紘様、栞様」
「ただいま、下条」
「…ただいま」
千紘は穏やかな表情のままに、栞は先ほどまできらきらと輝かせていた表情をすべて消し、平坦な声音で言った。
千紘は先ほど打って変わった栞の表情に複雑そうな顔をしたが、車から降りて来た男性──下条は栞の様子など気にした気配はない。
下条は二人が乗り込んだのを確認するとドアを閉め、運転席に乗り込む。そして緩やかに車を発進させた。
車が動き出してからしばらくして、千紘が遠慮がちに栞に声を掛ける。
「…栞さん」
「あ…なに? ごめんね、もう大丈夫だった?」
「はい…もう車は動いていますし、僕たちの会話は聞こえないはずです」
「そう…」
ふうっと息を思いっきり吐いた栞に千紘は申し訳なさそうな顔をする。
「すみません…僕たちの力が及ばないばかりに」
「いいの、いいの。別に特にひどい事されているわけじゃないし。こうして一緒に暮らさせてもらっているだけで私はじゅうぶん」
「暮らさせて貰っているって…栞さんがうちに住むのは当たり前な事です」
「…うん、ありがとう」
困ったように微笑む栞に千紘は悲しそうな顔を一瞬だけ浮かべ、すぐにいつもの穏やかな表情に戻す。
「そういえば、今日はとてもご機嫌そうでしたが…なにか良い事でもありましたか?」
「そうなの! ねえ、聞いてよ、千紘くん。今日ね───」
楽しそうに今日あった出来事を話す栞を優しい目で見つめ、相槌を打つ。
そうしながら千紘は罪悪感に苛まれる。
本来の栞の姿はこっち。なのに、自分たちは栞に人形のような姿をさせることを強いてしまっている。
栞がどんなに気にしていないと言っても、千紘はそのことに罪悪感を覚えずにはいられない。
───早く、大人になりたい。
この無邪気な笑顔を守れるくらい、力のある立派な大人に。
千紘はそんな焦燥感にずっと駆られていたが、それを表に出さない。
そうすればこの無邪気な笑顔が曇るとわかっているから。
だから千紘は今日も穏やかな笑みを浮かべて栞の話を聞く。
それが千紘が栞に出来る唯一のことなはずだから───。




