雨の日は
僕は雨の日が好きだ。
しとしとと降る音も、叩き壊すような激しい音も、好きだ。
特に休日の雨は最高だ。雨が降っていれば、外に出なくて済む。
いつもなら出かけようと急かすキミも、こんな日だけは僕の腕に収まって、布団から出ようとしない。
憎まれ口は叩くけれど、普段より幾分と幼い表情になるものだから、思わず顔中にキスを落として、愛でたくなるくらい可愛い。
そんなキミも、キミと過ごす時間も好ましい。
布団から抜け出て、少し遅めの朝食を摂り、二人がけのソファに並んで座り、お互いに好きなことをする。大抵キミは漫画を読み、僕はアプリゲームに没頭する。
テーブルには、キミの入れてくれたコーヒー。それに合わせて、僕の買ってきたお菓子が並ぶ。
室内に干した洗濯物が、窓の外の景色を隠してしまうけれど、そのおかげでこの狭い部屋が全てから隔絶されて、世界に僕たちしかいないように思わせてくれるのも嬉しい。
実際にそんな風になったら困るのだろうけれど、キミだけを感じていられるというのは魅力的だ。
時々、キミが猫のように擦り寄ってきたり、ふざけて膝の上で丸まるのも良い。
こんな素敵な雨の日。
好きなのは僕だけなのだろうか。
昨日の夜、そんな風にキミに訊いたら、キミは仕方ないなぁという顔をして笑ってた。そして何度も僕の髪を梳いた。
シャワーを浴びた後にしっかりと乾かさなかった僕の髪は濡れていて、きっと触り心地なんて良くなかっただろう。
それなのに、慈しむように優しく触れるから。体の奥から熱い何かがせり上がってきて、気づけば僕は泣いていた。
キミを抱きしめて、静かに。
私も、雨の日は好き。
あなたを独り占めできるから。
その囁きに、僕の心がどれだけ満たされたか。
きっとキミは知らない。
明日になって雨が止んだら、キミは僕を外の世界へと誘うたろう。
少し億劫だけと、本当は連れ出されることも嫌いじゃないんだ。
面倒な男だと思う。扱いにくいだろう。
それでもキミは僕の手を引く。僕の隣にいる。
そんな日々が愛おしい。
失いたくない大切なもの。
けれど、雨の日の一時も、僕にとっては大切なのだ。
誰にも憚ることなく存分にキミを感じられる、その時間が無ければ、腑抜けになってしまうほど、キミに恋しているのだから。
泣きながら眠ってしまった私の彼氏は、子どもみたいなあどけない顔をしている。
仕事はよくできるし、外見もそれなりに整っている。
職場では飲み会にもほとんど出ないし、私生活もよく分からない謎めいた人で通っており、それが殊更この人を格好良く見せるらしい。
現実は、ただの口下手な、出不精。
たぶん飲み会に行っても話に乗れず、気まずい思いをするから出たくないだけ。
暇さえあれば家に籠っているため、話題性に欠けた私生活であると自覚しているようで、他人に話せないだけ。
客観的に見れば、何ともつまらない男なのだが、恋愛フィルタのかかった女子社員からは人気だ。
尤も、鈍感すぎるこの人は、自分がモテているなんて気づいていない。
こちらはいつか彼女の座を奪われるのではと怯えているのに、まったく暢気なものだ。
困った人。
そっと鼻先に唇を寄せれば、ふにゃりと顔が緩む。
こんな無防備な顔を見られるのは、願わくば私だけが良い。
格好悪いところも、私だけが知っていれば良い。
この世界に二人きり。
それを切望しているのは、あなただけじゃないの。
雨の檻に閉じ込めて、永遠に二人だけだったら。
そんな屈折した気持ちを持て余している。
けれども本当に実行したら、この人は壊れてしまうだろう。
雨上がりの、水気を含んだ街を歩くの、好きだもんね。
外の世界への憧れがあるくせに。自分から手を伸ばせないなんて、滑稽で、愚かで。
籠が開いていることも知らず、外に出してもらうことを待つ鳥のように、私が手を引くのを待っている。
そんなこの人を、私は愛してしまった。
ずるいなぁ。
ぽつりと呟き、私は目を閉じる。
天気予報では明日は晴れだ。
嫌がるふりをする困った彼氏を、どこへ連れ出そう。
しとしとと降り続く雨の音が聞こえるうちに、眠ろう。
大好きな、彼氏の腕の中で。
窓を開けると、外は快晴だった。
僕は体を伸ばし、大きく空気を吸う。
吸った空気を吐き出したところで、背中に彼女が抱きついてきた。
「晴れたね」
嬉しそうな声音に、胸が温かくなる。
「今日、どこへ行こうか」
珍しく行き先が決まっていないらしい。
窓を閉めてから彼女の腕を少し緩め、振り返る。
屈みながら彼女の顔を手のひらで包むと、寝起きですっぴんの幼い顔がにっこりとした。
「どこ行くか、決めて」
「何で僕が」
行きたい所など、特に思い当たらない。
「たまには良いでしょ」
「そういうの、苦手だって知っているくせに」
「知ってる。でも今日はそういう気分なの」
彼女はくすくす笑いながら、僕の肩口に顔を擦り寄せる。
その姿があまりに可愛らしく、そのままベッドに戻ろうと思った僕は悪くないはずだ。
しかしながら、それでは彼女を怒らせるだけだろう。
僕としては、ずっと彼女が笑顔でいてほしい。笑顔にできるのが僕でありたい。
なんだ。答えは簡単だ。
「ジュエリーショップ」
僕の行きたい場所で、彼女を僕に縛りつけるものを手に入れられる場所で。
果たして彼女がそれを望むのかは分からないけれど。
予想外の返答に、驚いて顔を上げた彼女が、どうしようもなく愛おしい。
半開きの唇にキスを落とし、僕は精一杯微笑みを作る。
本当はこんなタイミングで言うつもり、なかったんだけどな。
「僕はキミを愛している。
もうキミのいない生活なんて考えられない。
だから結婚してください」
お互いパジャマ姿だし、彼女も僕も寝癖だらけ。
思い描いていた夜景の綺麗な場所でもなく、給料3ヶ月分が相場だと噂の指輪も買っていない。
僕が女だったら、こんなプロポーズをされたら嫌だ。
分かっていたのに。
キミとの未来を夢想してしまったら、今まで抑えていたものが馬鹿みたいに溢れ出してしまった。
彼女は目を丸くして僕を凝視していたかと思ったら、次の瞬間、盛大に泣き始めた。
「ご、ごめん!やっぱりこんなの、無いよな!やり直すから、「違うのっ!」」
焦った僕の言葉を遮って、彼女が大きな声を出した。
見る見るうちに赤く染まる目と、涙でくしゃくしゃの顔。
それさえ可愛く見えるのだから、僕は相当重症だ。
「結婚、します!しよう!
やり直さなくていい。あなたらしいプロポーズで嬉しいの」
ほら、キミはそうやって僕の心を満たしてくれる。
情けない、ありのままの僕を大切にしてくれる。
ぎゅっと彼女を抱きしめ、また泣き始めたその背中を撫でてやる。
出かけるのは午後になりそうだ。
そんなことを考えながら。
後で聞いた話だが、もともと彼女は僕のプロポーズを期待しておらず、来月の彼女の誕生日の日に、自分からプロポーズするつもりだったらしい。
彼女にプロポーズさせることにならなくて良かった。
そっと胸を撫でおろしたのは秘密だ。
今、彼女の左手の薬指には、僕の給料3ヶ月分より少なめの指輪が光っている。
それを愛おしそうに撫でる彼女を、僕はそっと抱き寄せた。