サンライトリゾート編 エピローグ
半月が過ぎた。日常へ戻らなければならない頃だ。それでも、ざわめく胸は、何日経っても静まりそうにない。現場がようやく片づき、昨日、アダムおじさんの葬儀へ行ってきたせいだろうか。
コートで一度跳ねたテニスボールが、私の後ろへ抜けた。
「フィフティーン・ラブ!」
審判席から声がした。私は、何もできずにサービスエースを許した。集中しよう。体に染みついた動きで、右手はグリップ、左手はシャフトを握り、膝を曲げた。
高校の大会を控えた、練習試合だった。お金で応援団を雇うのは、もうやめてほしいと言ってあった。『高校生の大会くらい、観戦のマナーを守らないと』と口実をつけたが、ママは本当の気持ちを察したらしく、苦く微笑んで、頷いた。
「サーティー・ラブ!」
ラケットを振ることさえできなかった。また矢のように抜けた蛍光色の球が、壁で跳ね、目の前へ転がってきた。ラインの内側についた跡で、相手の得点だと確かめた。屈んで拾った球を返しながら、ひどく寂しくなった。
この空しさは、日々の無気力から来るのだろうか。受け入れたと思っていた友達の死が、胸の片隅に残っているのか。それとも、実の祖父が、ひどい人間だったと知ったからなのか。
グレイソンの事情は、波紋のように広がり、全国で黎明製品の不買運動が起きている。ハニーピーナッツは、製造中止になった。事件のあと、メリーはドナルドに、この菓子の製造をやめてほしいと頼んだという。グループの印象を変えるため、パパが思い切って決めたのか、それともドナルドから伝えられたメリーの願いを受け入れたのかは、わからない。それでも、パパも何か感じてくれていればと、願った。
メリー。その名を思い出すと、唇が勝手に動いた。試合中に、名前を呼びそうになった。
「フォーティー・ラブ!」
三本続けて、サービスエースを許した。練習相手をしてくれる現役プロに、顔向けできない。白いサンバイザーを深く被り、足元へ転がってきた球を、また返そうとした。だが、それさえ力が入らず、ネットも越えなかった。
「どうしたの、ジェリリン? 調子が悪い?」
「すみません。今日は、ここまでにします」
そう言い残してベンチへ座り、渇いてもいない喉を潤した。暑くなった気候のおかげで汗が浮き、きっと、精いっぱい試合をしたように見えるだろう。
「お嬢様、こちらを……」
ルークがタオルを差し出した。語尾を濁したのは、コートにぼんやり立っているだけの私を、不思議に思ったからなのだろう。
「大丈夫。これを使うわ」
あの日から、お守りのように持ち歩いている、水色のハンカチを取り出した。汗を拭くと、持ち主が浮かんだ。(別れる前に、連絡先くらい交換しておけばよかった)。そのひと言が、顔へはっきり書かれたように、表れていたかもしれない。
「会ったら、いつか別れるなんて。意地悪だと思う」
ボールやネットを片づける人たちを、ぼんやり見ながら言った。世の摂理に逆らいたくて、手に力が入った。だが、ハンカチが皺になりそうで、おとなしく緩めた。
「会者定離。仏教で、人の縁の儚さを表す言葉です」
ルークの口にした難しい言葉は、授業中に眠ってばかりいる私でも、意味がわかった。
反発したくなった。縁を、虚しいものだと思いたくない。あの日を、ほかの日と同じ一日だと思いたくない。ひと言では表せない涙を、このハンカチで拭ったときの、あの大きな気持ちを、儚く忘れてしまえるはずがない。
それでも、時間は前にしか進まない。永遠に覚えていたい記憶も、遠ざかる。意地の悪い世界の決まりに、舌打ちする気力もなかった。
「ですが、お嬢様……」
彼は間を置き、私の顔をじっと見た。
「そのあとに続く、去者必返という言葉もございます。別れても、必ずまた会えるということです」
ルークは、私の心を読んでいた。最近、スランプなのだと、ごまかすつもりだったのに。どうやら私は、このボディーガードを、甘く見ていたらしい。
「今まで、気づかなかったわ、ルーク。あんたも、私の友達だったのね」
「い、いえ。お嬢様、申し訳ありません。身の程もわきまえず、また余計なことを……」
こめかみに浮いた汗は、日差しのせいではなさそうだった。私はふっと笑い、その不器用な反応を楽しんだ。一方で、今まで、ひどいことをずいぶん言った気もした。リゾートでサングラスを外したとき、三十三歳なのに、目元に皺があった。よほど、私が苦労をかけたのだろう。
「性別も、年も、関係ない。見た目も、身分も関係ない。背中を預けられるなら、それが友達よ」
何かを定義したのは、初めてだった。考える暇もなく出たその言葉を、私は気に入った。
ルークは唇を閉じたまま、にこりと笑った。困り果てた顔のほかにも、できる表情があるのだと知った。自分の考えを確信したような笑みだった。どこか感心したようにも見える顔に、私の口角も上がった。笑いは伝染するという。確かに、そのとおりだった。
「運転、できるわよね?」
そう言う勇気をくれたルークを、見た。
「はい、お嬢様」
「クヌルプへ行きましょう」
「失礼ですが、なぜ、そちらへ……」
「追いかけたい人がいるの」
ルークは、その言葉に、驚いた顔を引っ込め、いつもどおり答えた。
「かしこまりました」
会いたい相手を、彼も知っているようだった。頷いて立ち上がり、テニス場を出ていった。リムジンを回してくる姿を見て、胸が高鳴った。レッスンの途中で私がいなくなったと知られれば、ルークも叱られるだろう。それでも私たちは、親しい二人の寄り道に、黙って同意したのだ。
汗が引くと、普段着に着替えた。不快さを振り撒いていた日差しが、あの日の明け方に見たように、暖かくなった。雨の日より、晴れた明るい日がいい。彼女も、あの太陽の下にいる。
この世には、エロースより熱いフィリアがある。友情という言葉は、誰かにはありきたりでも、誰かには、明日を待つための陽射しだ。私たちの人生には、形のない心さえ潰す裏切りがある。でも、裏表がなく、こんなふうになりたいと思う人もいる。人間の輝きを教えてくれた少女へ、心の中で語りかけながら、リムジンへ乗り込んだ。
メイド服の解決士。会いに行くからね。




