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第十九話

寝室の静寂の中、薄紫色の天蓋の下で二人は向かい合っていた。

ラベンダーの香りが漂う室内で、俺の涙とラトの慈愛に満ちた表情だけが、この奇妙な時間を彩っていた。


「……はぁ」


ようやく涙が止まった俺は、深いため息をついた。

まさかラトの前で号泣してしまうとは。

恥ずかしい、恥ずかしすぎる。

男として、リリィの兄として、こんなに情けない姿を見せるなんて。

何よりラトにそれを、ずっと見られていられるのが恥ずかしい。


ラトの前でこれほどの醜態をさらしてしまうとは……。

うわあああああああああ、恥ずっ!

頬の熱さが恥ずかしさを物語っており、視線を逸らしたくなる衝動を必死に抑える。


だってのに――


ラトの手が、まだ俺の頭を撫で続けていた。

俺が泣き止んでいると言うのに、その手を止める様子がない。

優しく、規則正しく、まるで子供を慰めるかのように。

兎耳がゆっくりと揺れ、彼女の手が俺の黒色の髪を丁寧に撫でていく。


「あの……ラトさん?」


「うん?」


「す、すまん。もう、もう大丈夫だ。泣き止んだから……その……手を、どけてくれないか?」


俺が恥ずかしそうに視線を逸らしながら呟くと、ラトの手がぴたりと止まった。

しかし彼女は手を引っ込めることなく、俺の頭に置いたまま首を傾げる。


「え?なんで?」


「……!?」


ラトが不思議そうに、兎耳をぴょこんと立てた。

まるで本当に理解できないといった様子。

ラトのこの垣間見える狂気と、理解できない行動につい頭を悩ませてしまう。

泣いていたから、頭を撫でてくれていたんじゃないのか?

そうでないのだとしたら、もう怖くなってきた。


「あ~、もしかしてダーリンったら照れてる?」


「い、いや」


「わぁ~ダーリン可愛い~。こんなに恥ずかしがってるダーリンなんて、初めて見た!普段はあんなに強いのに、ぷぷぷ。私に頭撫でられるのは、耐えられないんだね!おもしろ~い!もっと撫でた~い」


「や、やめてくれ」


「えへへ~、え~本当に嫌なの~?もぉ~しょうがないな~。なんか……癖になりそうだな~、ダーリンの頭撫でるの。すっごく柔らかくて気持ちよかった。それに、ダーリンが甘えてる姿も可愛くて……また撫でたいなぁ」


「甘えてはないだろ」


「えぇ~?そうかな~?むしろラトちゃんには、もっと甘えてもいいんだよ?むしろもっと、甘えられたい!」


「馬鹿言え……」


コイツ……なんか調子狂うな。

そもそも俺は妹の養育費を稼ぐことと、畑仕事しかやって来なかった。

この三年間も、妹を助けるためにただひたすら走り回っただけ。

思えばいい歳なのに、彼女もいなければ、女性とまともに仲良くなったこともない。

それなのに……いきなりダーリンとか意味が分からないだろ。


狂気じみた化け物だとしても、ラトが美少女であることには変わりない。

男としてこんな対応されたら、動揺しない奴はこの世にいるのだろうか?

分からん。思えば男友達も全然いなかった。

村でも疎まれてばっかだったし、この状況にもとっくに慣れていた。

だからこそ―――


こんな距離の近い相手は初めてで、俺自身よく分からない。

ほんと……なんで俺はコイツとこんな仲睦まじい話をしているんだ?

いつこんなにも仲良くなったのか?

妹もビックリの距離感、まるで元から家族であったかのような親密度。


そもそも、さっきまで俺たち殺し合っていたはずだよな?

ダーリンだとか、運命の赤い糸だとか、運命の人だとか……

そんなこと言ってても全部実は嘘で、何ならいつ殺されてもおかしくないとさえ思っている。

ラトとは俺の思う所、そういう人物だ。


けど……

不思議なくらい彼女からは殺気が感じられない。

それだけで気が緩んでしまうのは、仕方のないことだろう。


しか~し……


「ごほん。それとラト、俺のことをダーリンと呼ぶは止めてくれ」


俺は咳払いをして、ずっと言おうとしていたことを打ち明けた。


「えぇ!?なんで?どうして!?ダーリンって呼んじゃダメなの?いいじゃ~ん、ダーリンであることは変わりないんだし!もしかしてまた照れてるの?」


「違う。そもそも俺はまだ、お前のダーリンじゃない。それにまだ本当に、ダーリンになるかが決まってるわけじゃない。向き合うと言っただけだ。だから……本当にダーリンになったときにダーリンって呼んだ方が、その、色々いいんじゃないか?ハニー感が出てくると言うか、婚約者になったというか、えっと、まあ……そう言う感じだ」


自分で何を言っているのか、よく分からなくなってきた。

とにかくダーリンと言われると、少々むずがゆい。

理由はよく分からないけど……。

けどこれで伝わっているのか――


「た、確かに!」


ラトがそう大声をあげる。

どうやら伝わったらしい。

コイツがどこで納得してるのか、よく分からないな。


「でもでも!ならなんて呼べばいいの?」


「そりゃもちろん名前でもいいし、これまで通りお兄さんでも良い……」


「え~けどそのまま『お兄さん』って呼び続けるのは、なんだか他人行儀で嫌だし……じゃあ呼び捨てで……リ、リオ……あ、あぁ……だ、だめだめ!やっぱり恥ずかしい!」


その瞬間、ラトの顔が夕焼け空のように真っ赤に染まった。

ラトが慌てふためきながら、顔を左右に振る。

蜂蜜色の髪が揺れ動き、襟元が乱れていた。


「……?」


コイツ……どこに羞恥心抱いているんだ?

間違いなくダーリンの方が、恥ずかしいだろ。


「じゃ、じゃあ……リオちゃん!リオちゃんって呼ぶ!これなら大丈夫!」


「そうか……まあ、それでいいよ」


ようやく決まった呼び方に、ラトが安堵の表情を浮かべる。

別に呼び捨てでいいし、なんなら呼び捨ての方が良くないか?

ちゃん付けの方が子供扱いされているように感じるし、女の子みたいではないか。

リオと呼ばれることに、俺は何の抵抗もないのだが……。


「り、リオちゃん!絶対に妹さんを救おうね!リオちゃんとラトちゃんの二人なら、どんな困難だって乗り越えられるよ!このダンジョンの攻略は難しいかもだけど、絶対二人なら攻略できる!」


ラトが改めて俺の名前を呼び、誤魔化すように明るい声を上げた。先ほどの羞恥心を振り払うかのように、俺に迫ってくる。

どっちもちゃん付けだと、女性のユニットみたいじゃないか?

なんか王都とかではやってる奴。アイドル……だっけ?

けどまあ……ラトが良いなら、いいか。


それに励ましてくれるのは、素直に嬉しい。


「ラトが協力してくれるなら、有難い。けれどラト……協力してくれると言ってくれたが、具体的にはどこまで協力してもらえるんだ?」


「どこまでって……そんなの決まってるじゃん!」


ラトが無い胸を張って、ポコンと叩く。


「協力ってのはつまり、どこまでもだよ!一緒に次の階層行って、階層主を一緒に倒すんだよ!それを繰り返して、リエルのダンジョンを最後まで攻略して……リオちゃんがリエルちゃんにお願いして……それで妹さんが呪いから解かれて……そっから一生!」


「え?えっと……そんなことできるのか?」


俺は驚愕に目を見開いた。

ラトの言葉の意味が、すぐには理解できないでいた。


「ん~なんで?」


「だってラトはダンジョン側の立ち位置だろ?それなのに俺に協力なんて……なんか契約とかあるもんじゃないのか?」


普通―――

ダンジョンのボスというのは、その部屋から外に出ることができないのが通例だと聞いている。

そもそもダンジョンの中に話すことのできる相手がいること自体異常ではあるのだが、彼女がダンジョンのボスである以上、そういう制約があってもおかしくない。


「そもそも俺についてきたら、この階層はどうなるんだ?次の挑戦者の相手は誰がするんだよ」


「あ~……」


そこでラトは何かを理解したのか、首を縦に振っていた。

俺の疑問に納得してくれているのか、うんうんと唸っている。


「そうだよね~。リオちゃんはそう思うよね。ラトちゃん、そこらへん詳しく説明してなかったね」


「説明……?」


「うん。実はね……ラトちゃん。そもそも、もう迎え撃つ権利も立場もないんだよね」


ラトが首を小さく傾げながら、あっけらかんと答えた。


「確かにリオちゃんに倒されるまでは、リエルちゃんとの契約が存在してたんだ~。『一階層の階層主として、ダンジョンの案内役を務め、同時に挑戦者を迎え撃て』っていう契約。でも負けたら、その契約が無効になるようになってたんだ~。契約が無くなったから、もうダンジョンに束縛されることもなくなって、自由に行動できるようになったんだよ〜」


「契約が……無効に?」


「そうそう!だから簡単に言っちゃうと、今のラトちゃんは完全にフリーダムで、自由なの!三月ウサギじゃなくて、アリスなの!」


アリスがどの話の中で何をしていたのかは知らないのだが、とにかく永遠にループする三月ウサギのような生活から解放されたのだと主張したいのだろう。

暖炉の余韻が残る温かな空気の中で、ラトの説明が続く。


「でも……そもそも、これって想定外なんだと思う。基本的にこのダンジョンは、一つ一つ階層を突破していく仕組みでしょ?けど突破ってのは、すなわち階層主の死によって成り立ってたの。つまり挑戦者が階層主を殺すことで倒し、次の階層へと進む。それが普通だったから……だからこそ、こんなことはとても異例なんだよ〜」


ラトが指先で蜂蜜色の髪を弄びながら、困惑した表情を浮かべる。


「降参で階層主が生きたまま突破されるなんて話、魔女リエルちゃんからも聞いたことがないもん。契約書にもそんな条項、書いてなかったし……契約自体、殺されて突破されるのが前提って言うか……。わざわざ突破って言ってるから想定はされてたのかもしれないけど、殺されないで突破されるたらどうなるかなんて、言われてない。もしかしてリオちゃんが、降参させて層を突破したのが初めてなのかもしれない!」


「……そうなのか?」


「ん~分からないけど……だってラトちゃんが階層主になって百年間、負けたことないもん。けど……ラトちゃんが階層主になったきっかけを考えたら、それが自然なんだと思う」


階層主になったきっかけ……?


「やっぱり降参で負けちゃったラトちゃんが、異例なんだよね~。あんな……あんな恥ずかしいことされて、つい降参しちゃったけど……普通はもっと最後まで戦うよ!死ぬまで戦うのが、階層主の務めだったから……降参で負けたりしたら、怒られたりするのかな~って階層を突破されてからずっと思ってたけど、なんもないし……」


彼女の声に自嘲の響きが混じり、兎耳がぺたりと申し訳なさそうに垂れ下がる。

百年間この階層を守り続けてきた誇りと、あっけなく降参してしまった現実との間で、複雑な感情を抱いているだろう。

彼女なりに色々と不安や悩みはあったらしい。

けれどとりあえず……納得はした。


「つまりもう、ダンジョンの階層主としての責任はないと言う訳か」


「そういうこと!だからついて行っても問題ないよ!むしろ、残された方が困っちゃう。階層主じゃなくなったから、この階層の権限も全部失っちゃったの。部屋の管理とか整備も本当は自由にいじれたんだけど――全部できなくなっちゃった」


「完全にダンジョンとしては、見放されたってことか」


「むぅ~なにその言い方~!けど……うん、リオちゃん正解。ラトちゃんは階層主としての立場も権利も責任も、全部マルっと無くなったってしまったのです。だから新しい挑戦者なんて迎え撃つ必要なんて無いんだ。そもそも……リオちゃんがこのダンジョンに挑戦している間は、新しい挑戦者を招き入れない機構になってるの!」


「え?……いや、そうか」


驚きはしたものの……それなら確かに合点がいった。

確かに基本的にダンジョンの入口は、毎日朝に挑戦者を迎え撃つために起動する魔法陣が設置されている。

しかし時々、その魔法陣が起動しなくなるという話を冒険者ギルドで聞いたことがあった。


あれは――

既に誰かがダンジョンに挑戦している間だったのか。

魔法陣の謎が、ようやく理解できた。


「なるほど……つまり俺がこのダンジョンにいる限り、転移魔法陣は機能しないということか」


「うわ~なつかしい!そう言えばこのダンジョンの入口って、そんな感じだったよね!そうそう!そういうことなんだよ!だから、ラトちゃんがここに残っても、することがないの!」


「……」


どうやら本当に俺に付いて行きたいらしい。

それなら助かるけど……それでラトはいいのだろうか?

しかし同時に、ふとした疑問が脳裏をよぎる。


「ラト……お前がついてくるということは、リエルという魔女に歯向かうことになるんじゃないのか?それでいいのか?」


俺の問いかけに、ラトは首を傾げた。


「もちろんだよ!むしろそれが一緒についていくのを、諦める原因になると思うの?ラトちゃんにとってはリエルちゃんなんかより何倍も、リオちゃんの方が大事なのです」


「そ、そうか……。それは嬉しいが、魔女リエルとは仲良かったんじゃないのか?」


「え?いや全然だよ。別に事務的な関係しかないもん。リエルちゃんとは直接会ったことないし、言葉を交わしたことがあるだけなの。そこで交渉して~契約魔法を受け入れて~それでおしまい。それ以上でも、それ以下でもないんだよね」


会ったことない……?

どういう関係性なんだ?

増々謎が増えて来た。


「それでそれで!いいの?一緒に行って?」


ラトが乗り出して、瞳を見つめてくる。

こう見ると本当に可愛らしい美少女だ。

体は細くすらっとしていて、子供のようで大人のような独特の色気がある。

そんな彼女から、つい目を逸らしながら……


「ああ。その……もちろんだ」


「やった……!」


ラトがほっと安堵の表情を浮かべ、胸の前で小さく手を合わせた。


「えへへ……良かった。リオちゃんに受け入れてもらえて、本当に良かった。もし断られたらどうしようって、内心ドキドキしてたんだよ」


「そ、そうか。むしろラトがついて来てくれるなら助かるよ。こちらこそむしろありがとう。お前が一緒に来てくれるなら、きっと妹を救えるはずだ。本当に……ありがとう」


「いいよ~、ラトちゃん。未来のお婿さんのため、頑張るから!」


ラトは元気な、彼女らしい笑みを浮かべて見せた。

彼女にとって、俺がダーリンになることは変わらないらしい。

まさか俺を殺しに来ていた狂気的な少女が、これほど協力的になってくれるとは……思いもしなかった。


なによりラトが仲間になってくれるなら、その効果は絶大だ。

あの圧倒的な戦闘能力。人間離れした身体能力と、完璧な無敵能力。

そして何より、このダンジョンの構造や仕組みについての豊富な知識――


戦力としてこれ以上ない増強だ。

これらすべてが俺の味方につくということは、ダンジョン攻略の成功率が飛躍的に向上することを意味している。

性格的に難点はあるかもしれないが……

頼もしい仲間を得ることができた。


「ラトの無敵能力があったら、ダンジョンの攻略なんか余裕なんじゃないか?」


「……え?あぁ、えっと……」


そのとき予想外にも、ラトの表情が急に苦いものに変わる。


「あ……でも、リオちゃん。申し訳ないんだけど……もしリオちゃんと戦った時と同じ戦力だと思っているのなら、それは違うんだよね……」


「……?どうゆうことだ?」


俺の問いかけに、ラトはさらに表情を曇らせた。

蜂蜜色の髪が頬にかかり、俯く。


「実は……ラトちゃんの無敵能力には、リオちゃんには言ってなかった大きなデメリットがあるの」


デメリット……?

あれほど見えなかった、ラトの能力の欠点。

そんなものがあるのか?


「実は……消費魔力量が桁違いなんだよ〜。固有魔術『止針ノ兎刻ししんのとこく』は、発動させるだけでとんでもない量の魔力を食っちゃうの。腹ペコ兎なんだよ。三月ウサギと一緒にお茶会してた、眠りネズミくらい食べ物が好きなんだよ~」


ラトは俯きながら、そんなことをこぼす。

そうか……。そういうことか。


あれほどの魔法なら、固有魔術と言えど魔術は魔術。

魔力の消費が莫大であってもおかしくない。

むしろ当然と言えるだろう。

どんな攻撃も無効化する絶対的な防御能力――

そんな神の御業とも呼べる力に、代償がないはずがない。

いや、けれど……ラトは常に固有魔術を、俺と戦う時は発動していた。


「眠りウサギとかの例えはよく分からないが……じゃあなんで俺と戦っていた時は、常に発動させることが出来ていたんだ?」


「それはね~階層主になると、魔女リエルちゃんから無限に魔力を供給してもらえるの。ダンジョンの魔力回路と直結して、常に魔力が満タンの状態を維持できるの。だから階層主の間は、いくら使っても枯渇することがなくて、常に発動できてたんだけど……


ラトが指先で蜂蜜色の髪をいじり、ながら気まずそうに話す。

このいじるのは、癖なのだろうか?


「こうして階層主じゃなくなった今は、ラトちゃん自身の魔力だけが頼りなの。階層主でなくなったと同時に、魔力の供給もされなくなっちゃったらしいんだよ〜。だから固有魔術『止針ノ兎刻ししんのとこく』には、限度があるんだ。そんなに何度も使えないし、長時間使うことはできないんだよね」


「そんな仕組みなのか……」


確かにそれなら辻褄が合う。

無限の魔力供給というシステムがあってこそ、あの圧倒的な無敵能力が成り立っていたのだ。

むしろ弱点のないラトに、さっきはよく勝ったなと自分自身に感心してしまう。

無限の魔力供給を受けていた相手を、あんな卑怯な手段とはいえ降参させることができたのは、今思えば奇跡的だったのかもしれない。


無限の魔力供給システム……それだけで一つのチート能力じゃないか。

ラトは二つの固有能力を持っていたようなものだ。


……ん?

待てよ?


「もしかして……これ以降の階層でも、階層主には無限の魔力が常に供給されているということか?」


「おそらくそうだよ~。ラトちゃんも良く知らないけどね。けどラトちゃんみたいにリエルちゃんと契約はしてるはずだし、そう考えるのが自然だよね。いや~ずるいよ~」


ラトはあっけらかんとした返事を返す。

自分で利用しといて、なにがずるい……だよ。


しかし……なんてことだ。

無限の魔力供給。そんなの魔法使いたい放題じゃないか。

ラトはたまたま降参という形で決着がついたから良かったものの、他の階層主は最後まで戦い抜くに違いない。

そうなると……激戦は必至。

無限の魔力を持つ敵との戦闘――それは絶望的な戦いになるに違いない。

魔力切れを起こすことのない相手と、どうやって戦えばいいのか……。


けれどそれは諦める理由にはならない。

俺はラトを倒したのだ。

無敵能力ほど滅茶苦茶な相手がいるとはとてもじゃないが思えない。

それに今、俺だけじゃなくて、ラトが仲間にいる。

冷静に戦えば、勝てない相手じゃないはずだ。


そうなればやるべきは――

現状の戦力を万全に備えること。

そして戦術という駒を、適切に把握し利用することだ。


「その固有魔術は、今のお前の魔力では、どのくらい使用できるんだ?」


「え……今!?魔力が満タンの状態なら……えーっと……4回くらいは発動できると思う。1回数秒、頑張っても30秒くらいしか持続しないと思うけど。本気出せば……5回は行けた気がする……昔はそれくらい出来たような……ごめんリオちゃん。自分の魔力で能力を発動させるのは久しぶりすぎて……よく分からない」


ラトが申し訳なさそうに兎耳を垂らしながら答える。


百年間も無限の魔力を供給される環境にいたのだから、自分本来の魔力量を把握していないのも無理はない。


「今すぐってなったら、う~ん。2回が限界かも」


「2回?」


「うん。えへへ、実は……リオちゃんの治療のために回復魔法をけっこう使っちゃったの。不慣れなこともあって、必要以上に多くの魔力を使ってしまったみたいで……」


ラトが両手の指をツンツンと合わせながら、恥ずかしそうに告白した。

こう見るとラトは、その仕草をよくする。

――可愛い。


いやいや、何を思っているんだ俺は。

いつ殺されてもおかしくないくらい、思っとかないとダメだ。可愛さに騙されて、裏に秘めた狂気を忘れてはいけない。


自分のことよりも俺の治療を優先し、不慣れな回復魔法を使って俺を救ってくれた。

その彼女の献身的な行動は有難い。

しかし彼女が俺のために魔力を使ってくれたのは有り難いが、結果として戦力が大幅に削がれてしまったのも事実だ。


「……そうか。ありがとう、ラト。お前が俺のために魔力を使ってくれたことは、心から感謝している」


しかし現実的な問題も考えなければならない。

俺自身の怪我の回復、ラトの魔力回復、そして次の階層への準備や段取りを決める必要がある。できればラトとの連携力も高めたい。

これまで一人で戦ってきた俺にとって、仲間との共闘は未知の領域だ。

そのためには時間が必要だった。

しかし――権限を失ったラトと共に、この階層に留まるのはどこまで安全なのだろうか?


「ラト……それで、どのくらいこの階層にいても大丈夫なんだ?」


「ええ?どういう意味?」


「ダンジョンによっては、敵のリポップがあったり、ボスが一定時間後に復活するなんてよくある話だろう?この階層も、そういう仕組みがあるんじゃないか?」


俺の説明を聞いて、ラトは首を振った。


「そんなことはないよ~。挑戦者が来ないんだから、ラトちゃんの代わりとなる階層主が必要な訳じゃないんだよね。リオちゃんが死んだら必要かもだけど、リオちゃんが死ぬまではこの階層は安全だよ~。そんな危険なものないし、銃のトラップもラトちゃんの魔力供給があって成り立ってたから、今は動きもしないんじゃないかな~」


蜂蜜色の髪が肩で揺れ、白い襟元が静かに波打つ。


「そうか。なら良かった」


「うん、だからいつまでいてもいいよ~。あっ、けどけど、食料は必要だからね!」


「それはもちろんだ。そう言えばラト、お前の食料はどう管理されてるんだ?」


「あ~、ダンジョンの中の時間はおかしくなってるってのは、前に言った通りなんだけど……この時間の歪みの影響で、ダンジョンの階層主は一切、食欲が湧かないの。だから食事は生きるためではなく、娯楽のために存在してるんだ~。ラトちゃんも含めて、階層主たちには一定期間で配給が届くシステムになってるんだよ。他にはほら!体を洗うための水の魔石とかも、配給されるの!」


ラトはそう言って、得意げに居間の方を指さす。

どうやら居間に、生活に必要な物資が置かれているらしい。

そう言えば彼女が放っていた弾丸も、その類なのか。


「でも~階層主じゃなくなったから、時間の流れが普通に戻っちゃったの。だからラトちゃんも、お腹が空くようになったんだ。それに加えて、配給システムからも外れちゃった。だから食料の備蓄はあまりなくて……魔石の備蓄はいっぱいあるんだけどな~」


ラトの説明を聞いて、先ほど食べたスープの貴重性を感じて来た。

そんな大事な食糧で、俺のためにスープを作ってくれていたのか。

ラトって本当に、良い奴なんじゃなかろうか。

この面だけ見せて欲しいものだ。


しかし――食料の問題は、基本的に大丈夫だ。

俺はもちろん、ダンジョンに向けて食料確保には力を入れてきた。

大量の保存食と水を持参している。魔物を料理するための道具は意味なさそうだが……ラトの分を合わせても、数ヶ月は持つはずだ。

こんな大量の食糧すら入る魔法の布袋とは、信じられないくらい便利なものだな。

借金して買った甲斐がある。


「色々分かったよ。説明してくれてありがとう」


「いいよ~リオちゃんのためならなんだって答えるよ!何でも聞いてね!」


ラトが無邪気な笑顔を見せる。

そんな彼女の笑顔を横目に――

薄紫色の天蓋の下で、俺は今後の計画を練り始めた。


妹を一刻も早く救いたい気持ちは強い。

しかし焦って無謀な挑戦をして失敗すれば、元も子もない。

リリィには悪いが。ここは慎重に時間をかけてダンジョンを攻略すべきだ。


「よし、ラト。しばらくここで暮らそう」


そうして俺とラトの、歪な共同生活が始まった――。


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