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第10話 七月 夏至②

「八月の中頃に、個展を開くんだ。その準備が忙しくなってきてね。個展は八月いっぱいだから、終わるまでは、来れそうにない」

「そうなんだ」


 ちょっとショックだった。

 この場所で結陽と会うのは夏希の特別で、この時だけは結陽を独占できる時間だから。


(学生なのに個展を開けちゃうくらい、実力のある画家なんだな)


 もしかしたら結陽は、本当なら夏希が会うこともできないくらいの、住む世界が違う人間なのかもしれない。


「じゃぁ、夏休み、和歌山には帰れないね」

「それは構わないんだ。帰るつもりは、最初からなかったから。そういうつもりで、こっちに出てきたからね」


 スケッチブックにサラサラと線を滑らせる結陽の顔は穏やかだ。

 なのにどこか、陰が降りて見える。


(地元にあまり良い思い出がないのかな)


 それもきっと、聞いても教えてくれないんだろう。

 夏希の中に、言い知れぬモヤモヤが溜まっていく。

 自分の中の嫌な感情は見て見ぬ振りをして、夏希は切り替えた。


「個展、行ってもいい?」

「来てくれるの? 嬉しいな。実は今日、チケットを渡すつもりでいたんだ。夏希君が興味あるか、ちょっと不安だったんだけどね」


 結陽がガサゴソと鞄を漁る。


(だから、絵に興味あるかって聞いたのか。そんなの、今更過ぎる)


 結陽の絵に興味がないはずがない。

 好きな人の個展なら、絶対に行きたい。


(あんなにはっきり好きって伝えたのに。もしかして、俺が本気だって思ってないのかな)


 ちょっと不安になってきた。

 結陽に告白した時は夏希も混乱していたし、何を話したのかよく覚えていない。


(もっとちゃんと告白した方がいいのかな。けど、友達でいようって言われちゃってるし、今更もう一度告白はできないよな)


 考えあぐねる夏希に、結陽がチケットを差し出した。


「はい、これ。個展は二週間くらいだけど、夏休み中だよ。時間がある時にでも、来てね」


『茅野結陽 絵画展』と書かれたチケットを二枚、渡された。

 受け取ったチケットを眺める。

 やっぱり違う世界の人なんだと感じる気持ちを押し殺した。


「ありがと。絶対行くね」


 夏希はチケットを大事に仕舞った。

 一通りスケッチを終えたのか、結陽がスケッチブックを閉じた。


「え? 見せてくれないの?」

「んー、今度、かな」


 ちょっと考える仕草をして、結陽が笑んだ。


「ちゃんと清書した絵を見てほしいから、今は内緒」


 人差し指を口元に翳す結陽が、艶っぽくて格好良い。


「楽しみに、してます」

「うん。楽しみに待っててね」


 それしか言えなかった。


「さて、そろそろ黄昏だね。帰りの準備かな」


 荷物を詰め込んで、椅子を畳む。

 夏至を過ぎて陽が伸びたから、一緒にいられる時間が増えた。

 薄暗くぼんやりした夕暮れに、二人の影が淡く伸びる。


「結陽さん、あのさ」

「うん?」


 片付けをしながら、何気なく声をかけた。


「俺、今でも結陽さんが好きだよ。けど、結陽さんが望まないなら、今のまま友達でいる。友達でも恋人でも、肩書は何でもいいんだ。けど、俺が結陽さんを好きってことだけは、ちゃんと覚えていてね」


 畳んだ椅子を袋に詰めて、結陽に手渡す。

 結陽が困った笑みで夏希を見詰めていた。


「逃がしてくれないんだね」

「逃げたいなら、俺のこと、ちゃんと振ってよ。そうしたらもう、結陽さんに近付かない」


 受け取った椅子を地面において、結陽の手が夏希を掴んだ。

 引き寄せて腰を抱く。

 唇が、ふわりと重なった。


「必要以上に近寄るなって言いながら、手放したくないなんて、狡いよね。ごめん」


 夏希の肩に結陽が顔を埋めた。


「やっぱり何も、教えてくれないんだね」


 好意を伝えながら友達を希望する理由も、結陽の本当の気持ちも。夏希は何一つ聞いていない。


(自分からキスするくらいには、好きだと思ってくれてるって、俺が期待する。こんなの、まるで……)


 まるで結陽にとって都合のいい存在のようで、モヤモヤする。

 答えを待っても、結陽から返事はなかった。

 だから、モヤモヤが爆発した。


「結陽さんにとって、俺は都合よく使える人間? 自分の愉悦さえ満たせればいい存在?」

「違う! それは絶対に違う! そうじゃないから、そうしたくないから……」


 普段の結陽からは想像もできないくらい、鋭い声だった。

 後悔が滲んだ表情が、痛々しい。


「ごめん、言い過ぎた。そういうこと、言いたいんじゃない。ただ、結陽さんにとって俺って、どんな存在なのか、知りたくて」


 結陽の煮え切らない態度に焦って、言葉が口を突いた。

 言った言葉を瞬時に後悔した。

 慌てて謝る夏希に向かって、結陽が首を振った。


「いや、いいんだ。夏希君が正しい。だから、やっぱり終わりにしよう」

「……え?」


 さっと血の気が下がった。

 もしかしたら自分は、取り返しのつかない発言をしたのかもしれない。


「僕は夏希君が好きだ。だけど夏希君の気持ちに応えられない。その時点で、君から離れるべきだった。君といると楽しくて、ずるずるしちゃったけど。個展で来られなくなるし、いい機会だよ。今日で終わりにしよう」

「ちょっと……、ちょっと待ってよ。俺は別に、不満があるんじゃなくて。どんな存在かなんて、結陽さんが言いたくないなら聞かない。ただ、俺の気持ちは知っていてほしいって、それだけで」

「わかってるんだ。夏希君の気持ちも、自分の気持ちも。だから、夏希君には幸せになれる相手を選んでほしいんだ」


 結陽が荷物を持って、背を向ける。


「幸せって、何? 俺のこと好きって言いながら、他の人と幸せになれって言うの? そんなの、意味わかんない。俺は結陽さんが好きなんだ。他の人じゃ、満たされないよ!」

「僕は夏希君を満たせない。……ごめんね。今まで、ありがとう」


 戸惑いも迷いもなく結陽が神社を出て行った。

 黄昏の薄暗がりに飲まれて消えた背中を、追いかけることはできなかった。

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