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あるいは現在のアダム、あるいは最後のイブ  作者: 山の下馳夫


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第4話 世田谷(駐屯地跡)・夕方

 シャワーを終え、渋谷の廃墟から持って帰ってきた生理用品を付け、服を着る。後藤と相まみえるのが気まずく、しばらく持ち帰った物品を整理していたが、次第に用事もなくなり、観念してシャワー室の前室から出ることにした。


 後藤がまた様々な手段を駆使し、生存者を探そうとしている場面に出くわすだろうと高を括っていたこともあり、私は目の前に広がった思わぬ風景に息を呑むことになった。


「幸人、ちょうど良かった、そろそろ用意ができるよ」


 共用スペースに立ち入ると、後藤がテーブルの上に料理を並べていた。彼女は、先ほどの沈みかけた様子とは打って変わって気丈に振舞っていた。髪をまとめているせいか、男性的な顔のラインが目立ち、先ほどとは印象が酷く違った。


「どういう風の吹き回しだい?」


 比較的簡素なメニューとはいえ、彼女が料理をするとは意外だった。今の時代、もはや男女どちらの性別が料理をするものか、という議論すらも少なくなってきたが、時代の新旧関係なく、料理をしない人間とはずっとしないものである。


「あ、いや、いつも幸人には色々してもらっているから、たまにはね。今日も調査行って疲れたでしょう?」


 彼女は菜園で栽培している野菜のサラダを盛りつけながら、珍しい行動の理由を語った。


「ありがとう、驚いてすまない。……いただきます」


 この共同生活では、些細でも仲間割れは死を招く。先ほどの自分の失礼な反応を詫び、促されるまま食卓についた。


 後藤はいつも複雑な工程の作業をこなすだけあって、料理もレシピを忠実に守った手堅いものを作った。正直これだけできるのならば、今までも炊事を手伝ってほしかったとは思うが、憎まれ口を叩いても状況が好転するわけでもないので、「おいしい」と感想を言う以外は、黙食を続けた。


 出会ったころ、後藤は偏食家を自称していたが、不自由な生活は彼女の味覚と主張に多大な影響を与えていた。最初魚の缶詰を避けていた彼女は、今、器に盛りつけた鰯の缶詰を満足そうに咀嚼している。


 その様変わりした様子に、私はある種の安堵感を抱き、以前彼女と交わした「ある約束」を、再び切り出す時が来たことを悟った。


「渋谷の様子を見て考えようって話、覚えている?」


 自分の声にしては少し低い声が室内に小さく反響した。


「うん、そうね。もちろん」


 後藤ははぐらかすことなく応えた。どうやらタイミングを読み違えたということはなさそうだが、彼女にしては珍しく、その表情に感情の色が見えないことが気がかりだった。


 我々が二人きりの生き残りとなってから、半年は経過していた。今まで、後藤が復旧した様々な装置を頼りに、生存者の探索を続けていたが、生存者を確認して巡った地点は東京・神奈川地域を中心に二十か所を越えていた。途中、二人で渋谷を一つの区切りにしようとは意見を交わしあってなければ、我々は十年経っても存在しない生存者を探していたかもしれない。


 私にとっても、後藤にとっても不本意であったが、お互いがお互いを、最期の他者として、認識するタイムリミットが来たのである。


「どうやら我々が最後の生き残りということを、覚悟する時が来たようだ。私も男として、今一度発案しよう」


 我が国の国生みの神話では、男神が女神に声をかけることが、男女間における正しい交流の仕方として描かれている。旧時代的というより、もはや宗教的な考えだが、常々男を自認してきた身として、また、日本の歴史や文化、受け継がれてきた精神を愛してきた身として、この話を私から切り出すのは使命のように思われた。


「もちろん、わかっているよ。オートパイロットの船や航空機を復旧して、海外に行く案や、冷凍睡眠している人の解凍期を待つにしても、とりあえず、私たちが死んだり、自然妊娠ができなくなるリスクを考えたら、現実的じゃないって」


 後藤は、今まで散々議論を尽くした、いくつかの希望をまたも蒸し返した。私と彼女の間で、これらの方法は一度全て検討し、どの手段を講じたとしても、我々が次なる世代を産む以上のリスクがあると判断したのである。


 なお、皮肉な話ではあるが、多くの場合、それらの試算は、後藤自身の頭脳が導きだしていた。


「医療が発達していない時代、出産は命がけのものだった。確かにたいていの医療機器は君のおかげで活用できるかもしれないが、このような世の中になってしまった以上、決断は早い方が良いだろう」


 今まで学んできた歴史学の知識や、民俗学の知識を思い出し、現況に重ねると、満足な医療体制のない環境においては、母子ともに生存の確立をあげるため、できるだけ若い肉体で出産に臨むことは、何より重要であると思われた。


 例えば、古人骨を通して、縄文時代や古墳時代の死亡年齢を分析した2000年台初頭の研究がある。この研究では、縄文時代において男性の死亡年齢のピークは30代以降であるが、女性は10代後半から20代まで下がることから、出産時に亡くなる女性の割合が高かった可能性が指摘されている。また、古墳時代末の事例においても男性が35歳、女性が25歳と10歳近くも死亡年齢のピーク差があるため、同様の傾向があったと推察されていた。


 また、前述の研究が示すのは出産の危険性だけではない、縄文や古墳時代の社会通念上の出産の適齢期も読み取れた。古代の人々は、経験を蓄積し、その年代で出産することが母子の安全にとって最良だと判断していたのである。


 さらに、日本各地に伝わる民俗芸能においても、若年での結婚の重要性を説くものは多い。一例を挙げるとすれば、神奈川県の西部に伝わる『足柄ささら踊』などはその典型で、16歳での男女和合を示唆している。


 不妊治療は文明崩壊前に革新が起きた医療分野の一つではあったが、全ての医療が崩壊し、原始に回帰しつつある現在にあっては、出産には明確に適齢期と言うものが存在した。  


そして、現在、出産能力を有する唯一の人類である私にも、その期限は平等だった。私は暫く後藤の返事を待った、彼女が口を開くまでの間は酷く長く感じられた。


「うん、わかってはいるんだけど、今日、オスカーの命日だったから」


 極めて男性的な低い声で、彼女は口にした。それだけで説明は十分だという口ぶりだった。沈黙が二人の間に満ちた。


「――ああ、そういえば、今頃だったね」


 オスカーは、彼女のパートナーだったフランスの籍の男の名前だ。私もしばらく共同生活を送っていたが、我々と異なり、新型ウイルスの抗体を獲得できず1年前に落命していた。病状が悪化し死期を悟った時の彼の暴走には手を焼いたが、それを除けばなかなかの好人物だった。


「ごめん、一旦この話はやめよう」


 私は自分の右手首を見つめていった。オスカーがなりふり構わず掴んだ痣はとうに消えている……、だがこの話をする意味はないだろう。


 私はこれ以上踏み込むことは得策ではないと思い、そのまま話を止めた。


 彼女は、男の肉体のままでも女性として愛してくれたオスカーのことを崇敬し、未だに、女性の肉体を手に入れオスカーの配偶者となった、訪れることのない未来を夢想することがあるようだった。彼女の夢を壊すのは合理的ではないだろう。


「ごちそうさまでした、大変おいしかったよ」


 私は手早く食器の後片付けをすると、足早に自室へと向かった。


「恋人の命日、か」


 自室の寝台に腰を下ろし、後藤の言葉を反芻する。


 彼女の陶酔的な現実逃避に呆れつつも、私は我が身を振り返ってみることにした。かつて、男の体で生まれ、生理や出産に縛られることのない生活を空想した日々に思いを馳せ、自分も彼女と大差のない甘い思考をしていたと認識し、冷静さを取り戻す。


 自分にもあのような時期は確かにあった。だが、社会の破滅をこうまで見せつけられれば、もはや個の感情などと冷徹に思ってしまう自分もいた。


「まずいな、これは」


 彼女への悪感情はぬぐい切れず、自分の中に『ある偏見』が生じたのが分かった。


 後藤の沈痛な表情を思い浮かべると、このような危機的な状況にあって、未だにあのような考え方をする人種に、人類の歴史を紡いでいく『出産』という重大な任務を任せる気でいた自分がいかに愚かだったかを悟った。


 いや、こうやって一緒くたに物事を判断するのは良くないだろう。だが、私とつがいになる可能性をもった唯一の存在がこの有様だと、どうしても『性別』に対して偏見をもってしまうものである。


「偏見……、だよな、妙な話だけど」


 私の中に渦巻く思考を分析してみたが、今となっては、これもまた奇異な想念だ。この世界に存在した、ありとあらゆる旧弊も因習も差別も、もはや私と彼女の中にしか存在しないのだから。

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