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第十二話 黄昏の中に 1


 休日、遅い目覚めの朱莉の電話が鳴った。高校の美術部時代の同級生、八代からだ。


 《おう、周防。オレ暇なんだけどさ、花見しねぇ?》


 朝子の結婚式で連絡先を交換して以来、散発的に誘いが来る。またか、と朱莉は内心思う。


 先日も職場の同志らで花見らしきものをやったところだった。


 花見などといっても、所詮は飛騨の率いる天雅会館飲み会部の宴席である。桜を愛でるなどといった風流な所作からは程遠く、単なる屋外の飲み会に過ぎない。


 日本人が花見を好むのは、桜の花粉にはエフェドリンという物質が含まれており、これが人間の交感神経を刺激し、興奮を誘発させるからだと言われている。その所為か、いつにもまして場は盛り上がり、そのまま商店街の例のバーへとなだれ込み、例により飛騨をタクシーに放りこんだ時には午前三時を回っていた。



「あのね、あんたが暇な時の埋め合わせに、なんであたしが充てがわれるわけ?」


 《いや、忙しかったら無理にとは言わないんだけどさ、忙しいわけ?》


「ぐ……特に、そういうわけじゃないけどさ」


 《ならいいじゃん!》


 どういう理屈だ。奴にはAかBの二択しかないのか。


 偶に朱莉は、こういう人物のことが疎ましくも、羨ましく感じることがある。問答無用で誘いをかけてくるような人物だ。一見こちらの事情に配慮してくれるような呼びかけではいるが、“忙しくないだろう前提”で牽制をかけてこられていることは想像に難くない。


 八代の言うとおりに応じれば、暇人を自称している気にすらなるが、なんとなく気が乗らない、などと出不精な発言は避けたい。かといって用事がある、と要らぬ嘘をついてもやもやするのも嫌だから、結局誘いに乗るのが精神衛生上最も無難であると結論する。


 ただ、八代は自分から誘うだけのことはある。


 とにかく段取りはスピーディで、一時間後には花見グッズを揃えて近所のさくら公園で待機しているといった具合だ。思い立ったらすぐ行動、文化系の人間の中ではすこぶるアクティブなのがこの八代で、高校時代も周囲を扇動し先導するのは、たいてい八代の役目だった。


 高校生の時までは部活、アトリエと、まさに同じ釜の飯を食った仲だったが、八代は大学受験に失敗し、そのままアニメーション専門学校に通うことになった。


 背も高く、見た目もさほどに悪くなく、一見すれば小洒落たチャラ男で、女性関係もそこそこに派手だったらしい。


 絵の才能はさほどに高いとはいえないものの、今はしっかりとアニメーション制作会社で二年目にして原画マン、今期アニメは作画監督を任されているという出世ぶりだ。


 絵を描く仕事である限り、絵の技量が問われるのは当然だが、画家とアニメーターではその技量の使い方が違う。


 八代は自分なりに得意な分野の方へと舵を切って、そちらで成功したということだ。有元朝子は紛れもない天才的芸術肌で最難関の芸大をくぐり抜けて、企業にその能力を認められた。聡子や西村も悩みながらもデザイン事務所で頑張っている。


 朱莉にとって彼らはアンカーポイントのようなもので、距離こそ離れども関係性を維持する事は、自分という存在を自身で認めるための大きな尺度となっていた。


「はい、かんぱーい、――」朱莉は酒を飲む最低限の挨拶として、八代に向かって缶ビールを掲げたのだが、八代はスマホのディスプレイを覗き込んで動かない。


「って……なにしてんの?」


「ちぇっ、西村も聡子も、やっぱつながんねぇな……」


「ったり前でしょうが、平日の昼間よ? 仕事してるでしょ普通」八代はスマホを投げ、だよな、とビール缶のプルタブを引き、笑う。


 日曜日に一気に気温が上がって開花が進んだ今日は、ソメイヨシノがほぼ満開である。地元の桜公園では、他にもちらほらと花見に興じている客がいるが、決してその数は多くない。


「不定休ってのはこういう時にはいいけどねぇ」


「な、こうやって、昼日中から公共の場で酒をかっくらって許されるなんてなぁ、この時期だけなんだから、楽しまなきゃ損だろ」


「つーか、八代はなんで暇してるのよ? あんただってリーマンでしょうに」


「貫徹の明けだよ。ま、夜からまたミーティングで会社に戻らなきゃいけないけどさ――ははっ、俺死ぬかもー」


 八代は昔からポジティブだった。文化系にありがちな後退的な思考がなく、ジャンルを問わず人と仲良く接することが出来た。異性ではあったがそんな八代を見習おうと思った事もあった。


 自分の世界が、まったく別の世界の方向に広がってしまった朱莉にとって、現世が逃げ場になったことは確かだった。


 真面目一辺倒で過ごしてきた中学二年生までの自分。霊感応力に目覚めてからしばらくは、視るものの物珍しさに畏れながらもときめいて、特別な自分に酔った時期もあった。


 だがそれに慣れてしまえば、人よりも余計な気を遣う人生なのだと、不平不満を募らせる。普通に過ごしていられれば、きっと普通に恋愛もして、もしかしたら今だって朝子のように結婚できたかもしれない、などと思う。


「俺はさ、お前らみたいに才能なかったけどさ――」頭上に広がった薄ピンク色の花びらの屋根を見上げながら八代は言う。「いまはちゃんと仕事できてるし、薄給でも生活はできてる。将来の夢も出来た」


 朱莉は傾けかけたビール缶を片手に、八代と同じ視界に目を向ける。


「うん。みんなえらいと思うよ。思い描いた進路には乗ってるんだからさ――」


「――だからさ、お前見てるともったいないなって、余計に思う」


 そういう、目に見えない周囲からの期待がのしかかっていたことには気づいていたし、自分の技量がある程度のレベルに達していることは自負していた。だが、才能の面に関してはハッタリだ。あれらの作品は芸術家たちの霊に身体を貸した結果だ。自分一人でできたことではない。同じように評価されるのはフェアではないと思っている。


「いまは、いまだよ。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、いまはあたしも仕事をして、社会に出ている。第一、なりたいものなんてなかったしね」


 八代の夢はアニメーション映画監督になることだと言う。もはや映画業界がアニメや漫画原作から“逆輸入”して実写化するのも珍しくない時世で、アニメにおける表現手段は次のステージを迎えているのだと説く。


 実写映画が完全に後追い状態に陥ってしまっている事を危惧しているのはむしろ、映画業界よりもアニメーション業界の方だという。


「アニメってのはさ、人の行為の模倣じゃん。魂のないものに、いかに魂を宿せるかってのが九十年代から二千年代にかけての大きな製作テーマだった訳。リアリティは求めるがリアルにする訳じゃない、現実的考察は欠かせないが、現実を描く訳じゃない。CGなんかのVFX技術の発達のおかげで、アニメや漫画の実写化映画が実現できるようになった事は大きな進歩だし、驚きであり、楽しいことだとは思う。けどさ、なんか違うんだよ。人がアニメのそれを模倣をするなんてのは、おかしいと思うんだ」


「ああ、原作ファン無視のミスキャストは多いしねぇ」


「ま、それはあるけど、ありゃあ業界のしがらみとかもあるから仕方ねぇンだけど、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだ――――」


 以前話した時よりも饒舌なのは酒のせいだろうか。ふといつもの癖で八代の頭の上を視てみると、ヨウセイが渦を巻いて踊っている。


『ヨウセイ』というのは朱莉がそう呼んでいるだけで、その音通り"妖精" をあてたものだ。ちょうど『ムシ』とは逆の位置にある陽念の一つである。自然霊で、心地の良い場所や、幸せな人の周囲に集まってくる、よい波動域の雑霊である。


 このヨウセイが多くいる場所は、人は心地よく感じるし、ヨウセイに取り巻かれる人はいい印象を人に与え、その人の体調までに影響を及ぼし、自身も陽の(生霊|オーラ)を出しやすい。ヨウセイは文字通り陽気なのだ。


 だから、八代は今本当に充実した生活を送っているのだな、ということがよくわかる。


「しっかし、しっかりしたもんだね、八代も。高校の時は彼女彼女っ、巨乳巨乳って年中発情期のサル並みのあんたがね? で、今の彼女は巨乳なん?」


「サル並みって――今は彼女はいねぇよ。いたらお前なんか誘えねぇし、目の保養したいだけならこの桜で充分――」


「は、なにそれ? 二重で失礼だな!」


 八代は一瞬たじろぎ、きょとんとする。


「なに? その顔」


「――っ、おまえねぇ、その、ちがうだろ? 言葉の裏を読むとかそういうの出来ないわけ?」


「何それ、どういう意味よ?」


 八代はため息をついて、もういいと、ひらひらと手を振りながら缶ビールを口にする。


 時折風は吹けど、この春の心地よい日差しのように八代との会話は終始穏やかで、何時間でも話し続けられるような気がした。


 桜公園全体にヨウセイが飛び交っていて、朱莉の視界はほんのり淡いピンク色に視えていた。葬儀場では決して見えない景色だし、普段街を歩いていてもほとんどは色がつくほど密度の濃いヨウセイは見かけない。


 だが、人が笑う姿の周りに、楽しげに歌い踊る人々の輪の中に、日向で春を愛でる穏やかな庭に、ケーキを囲んでろうそくの火を見つめる家族といっしょに、必ずヨウセイはいる。


 きっと世の中がこのヨウセイで満たされれば、人は優しく、幸福に暮らせるのだろうと、目を細める。

 ああ、そういえば妙玄が唄っていた時も、たくさんのヨウセイが集まっていたな、と思い返し胸の奥が暖かくなる。


「――――ないのか?」


「へ? なに?」


「なんだよ、聞いてなかったのか? 周防は彼氏いるのかって、訊いたんだよ」


 そのまま、首肯するのも癪だったが、あいにく彼氏と呼べるような存在はいない。


「いたって、誘われたら来る事には変わらないんだから、どっちだっていいじゃん」


 そう、彼氏がいようと誘いには乗っただろうと思う。八代だけでなく三塚にしても、聡子も西村も、朝子も大切な友達だ。彼らからの誘いを断った事など一度たりともない。


「ははっ、それもそうだ」八代は空に向かってからからと笑う。「お互い、モテる仕事じゃねぇし、俺らの仲間内は手先は器用でも、そっちの方は不器用な奴らばっかだしな――」


「そーいや、三塚ってまだ京都だっけ?」


「いんや、もう戻ってきてるよ。この近くに住んでる」


 もう一人の男子部員である三塚は関西の市立芸大へと進学して、久しぶりに再会したのが去年の朝子の結婚式だった。


「じゃあ、今日誘ってやったらよかったじゃん、あいつ大学卒業してから何してんの?」


「そういや、あいつ自分のことあんまり話してなかったよなぁ」


「お、おぼえてねぇ……、連絡先知ってるの?」


「さっきもかけたけど、つながらねぇんだよな。あいつ」


「部屋で死んでるんじゃないの?」


「はぁ? 独居老人じゃあるまいし、電話でねぇくらいで死体にされちゃかなわんだろうが。昔からそういう感じだっただろ、引きこもりがちで、気分の起伏が激しくてさ、人混みは嫌いとか何とかで――ああみえてデリケートだかんなぁ……高校の時も、自宅で飼ってた猫が死んだってだけで、一ヶ月学校に来なかったとか、あったろ?」



「んなことあったっけ? ふーん……ほんじゃま、ここは押しかけるに限る、よね!」


「――お前、問答無用かよ……」


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