第十一話 マジ惚れちまったぜ 追伸
仕事を終えた朱莉はあくびをかみ殺して、空になった重箱を提げ信号待ちをしてた。
(よっ! シュリさん!)
いつもの元気な声が届く。周りの他の誰にも聞こえない、朱莉にだけ聞こえる声だ。
(ああ、ミノルか。……今日は一段と元気そうね)
ほぼ貫徹で飲み明かしての仕事帰りだ、元気なはずがない。
今日の通夜で妙玄と会うには会ったが、クリスマスの夜から何の音沙汰もなく、突然顔を合わせてみても初対面のように気まずいだけであった。
業務的に一言二言話しただけで、会話らしい会話は交わせなかった。明日も会う事になるが、何をどう話せばよいのやら、考えただけで気が重かった。
そんな朱莉からするとミノルが元気すぎるように見えたし、幸せそうにも見えた。
(なんか、うれしそう? いつにもましてウザいんだけど……)
(へへっ、今朝ちょっといいことあってね! シュリさんは一段と元気ないね。男と揉めたか、振られて絶賛傷心中ってとこ?)
バッサリ急所を斬られて、思わず胸を押さえる朱莉。
(ハッ、はは……し、正月早々にそんなダサい奴いる? ――――いないでしょ!)わうわうと口元だけが別の生物のように奇妙に歪む。
(正月早々とか関係ないだろ、何なら俺っちが相談のってやるぜ?)ミノルの容姿に似合わない返答に危機を感じ、右手をすっと挙げて(ま、まあ、いろいろとね、生きてりゃ辛いこともあるわけよ――若いあんたにゃわからんだろうけどさ)と、そこで話題を収めてしまう事にする。
ふと見た足元には、昨夜にはなかった大きな花束が供えられていた。今朝方にか、誰かがここを訪れ供えたのだろう。
生者は死者を忘れない。その印としてこのように事故の現場に供え物をする。
(ハッ、あんた、よりにもよってお正月に事故ったの?)
(だから、正月とか関係ないだろ。それに、事故じゃねぇよ、ちょっとばっかカッコつけてやっちまったんだよ)
大抵の霊は原則的に事故の現場に留まることはなく、しばらくすれば死を悟り昇天する。したがって死者は花束が供えられることを見て喜ぶことはない。
霊感応力者はその仕組みを知るが故に、死者を想っても事故現場や墳墓、墓碑に対し頓着しない。ましてこうして花束を供えるなどという事はしないし、それがいかに豪華であるかなどなおさら関係がない。死者の意識体は供え物とともに手向けられる“祈り”の思念によって救われる。
だから地縛霊となっているミノルがどう感じているのか少し気になった。
(こうして花束供えに来る人に感謝しなさい。あんたの昇天を祈ってるのよ、そのあたりもう少し考えなさいよ)
(ああ、感謝してるよ――。それに、命日にこうして花を添えてくれたりさ、いつも悪ぃなって思う)
(そうよ、あんたがいくら碌でなしだったとしても、大事に思ってくれる人はいるもんよ。ちゃんと覚えてるのよ)
(うん、あの人は俺のこと覚えていてくれてたんだ。で、俺がここに居ることを知って、わざわざ来てくれてたんだ。本当に嬉しかったよ)
今年最初の一日目が暮れる。天気予報は例年よりも冷え込みが厳しいと言っていた。
ビュウと強い風が、立ち尽くす朱莉の頬をかすめてゆき、首を縮める。
昨日に引き続き、街の参道には夜店が開かれ、賑わいを見せ始めていた。
(なあ、シュリさん。一つ頼まれてくれねぇかな?)
(何よ……)
(俺を刺した奴がさ、鞍狩峠の崖から落ちて死んでるんだよ。逃げてる途中で滑落したらしくてな、今も発見されてねぇ。そいつのこと警察に知らせてやってくれねぇか。匿名でいいからさ)
(はあ? あんた刺されて殺されたの?)
(ダセぇだろ?)
(……ん、まあ、ダサいかどうかなんて判んないけどさ――なにそれ、自分を殺した奴に温情かけてやるつもりなの?)
(そうじゃねぇよ。犯人が死亡してるって判れば、うちの社長や先輩がこれ以上ビラ配りしなくて済むだろって、それだけだよ)
ミノルから話された内容は、朱莉が初めて聞く話ばかりで、すぐにはことの概要がつかめなかったが、ビラと聞いて“通り魔殺人”のことだと合点した。
死後ミノルが現場付近を漂っていると、その数時間後に現場で犯人の霊とかち遭って、犯人が山中を逃亡してる際に滑落し死亡したことを知ったらしい。
鞠が補足説明するには、犯人の霊が現場に戻るのは、自身の命運が紐づけされている行為現場だから、だという。ミノルは犯人にばったり出会った時、殴ってやったと得意げに言っていた。そのあたり、霊と霊のコミュニケーションやネットワークがどういう仕組みなのかさっぱりだったが、いずれにしてもミノルの遺恨は、犯人を打ちのめすことではなかったということだ。
ともかく現世にことの顛末を伝え、橋渡しできるのは霊感応力者の自分だけであると、詳しい事情を聴いた朱莉は渋々了承した。
(なるほどね、好きな人をかばってねぇ? で、その人にもう一度、一目会いたくてずーーーっと待ってたってこと? 二十五年も? …………その話、盛ってない?)
(盛ってねぇよ!)
さすがにミノルは不機嫌な顔をして朱莉を睨んだ。
(ごめんごめん。わかったよ、あんたの話、私なりに上手いこと伝えるよ。これで未練もなくなってあっちに逝ける?)
(ああ……逝くよ)
朱莉はコートの襟を寄せて、ポケットに手を突っ込み、フンと鼻を鳴らす。
(自分を庇ってくれた人が死んだって事ぐらい自然と耳に入るでしょうに。霊感応力者ならともかく、凡人なら花を手向けるくらい、なんで今までしなかったのかねぇ……)
(さてね。彼女言ってたよ、俺がここに居ることを気付いてあげられなくてごめんってさ)
朱莉は気に食わないとばかりに、白い息を吐き出しコートのポケットに手を突っ込んで濃紺の空を見上げる。
(でも不思議だな……あんたからはあの人の匂いがする……)
(え? なんか言った?)
(いや……なんでもない。ホラ、あんまり長いこと突っ立ってても変な奴だと思われるから、もう行きなよ)
(誰のせいだよ。ふん、あんた次もそこに居たら、駆け出し韻枢師に練習がてら分解させるからね? 頃合い見計らってお逝きなさいよ)
掌を払うようにする朱莉に対し、ミノルは肩をすくめて、やれるもんならやってみろ、とでも言いたげに舌を出した。朱莉は仕返しに顎を突き出し、イイっと口を横に開いて歯を見せると、踵を返して横断歩道を渡り始める。
(――シュリさん、がんばれよ! 俺応援してるからな! 大丈夫だって、あんた結構カワイイしさ、俺はあんたのこと好きだぜ! じゃあな!)
ミノルが朱莉の背中にむけて突拍子もない事を叫んできたので、思わず顔を真っ赤にし、振り返って叫び返してしまう。
「う、ううううっさいマセガキ! あたしくらいになれば男の一人や二人で落ち込むかってんだ、バーカ!」
しかしその横断歩道のわきにはもう誰もいなかった。特徴的な赤い髪にスカジャンの青年、ミノルの姿は朱莉の目にはもう見えなかった。
言ってしまったから、ミノルはガキではなく、本来なら自分の親くらいの年齢なのだなと思い返した。二十五年もの片思いか、とチクリと胸が痛んだ。
「いっちゃった……か」
今日で彼の中で残念していたことは解けたのだろう。朱莉はふと澄んだ夜空に視線を転じる。
(あかりちゃーん……あぶないわよ)
後頭部辺りから、ため息とともに鞠の声が聞こえてハッとする。気づけば横断歩道の真ん中で一人盛大なクラクションの嵐に晒されていた。
あわてて横断歩道を渡り終えたが、朱莉を見る人々の視線は、元旦から奇妙なものを見てしまったという憐れみを含んだ痛々しいものでしかなく、手刀を切り急いで駅への道を駆けるしかなかった。
ショッピングモール脇の、クリスマスから正月にかけて輝く巨大な光のモニュメントを横目に、今朝父には内緒でここへ来た母親のことを思い出し、朱莉は心せず微笑んでいた。
そうだ、今夜は母の恋愛話を追及してやろう、と。




