第十一話 マジ惚れちまったぜ 6
客人たちが帰り、ピコピコと電子音がうるさい中、父はいびきをかいて寝ていた。その傍らにはトーコとミケランジェロも寝ている。母親は二人と一匹に布団をかぶせて、片づけを始めていた。
「いくらお正月っても、二人ともいい加減にしておきなさいよ」
去年までなかった大画面テレビの前では、タケルと伊知郎がコントローラーを手に持ち必死で対戦ゲームに興じている。
(っおらおらおら! ファイヤーストーーームッ!! これで決まりだぜ! っだぁああ)
「お兄さん大人げないですよ、僕は初級装備ですよ?」
(やかましいっ! 虎は鼠を狩るにも全力を尽くすのだっ)
「それ、獅子と兎だけどねぇ。ま、どっちでもいいけど――――あ、やべ、また勝っちゃった……」
(くああああ! なぜだー!)
「あっはは、お兄さん。河童の川流れとも言いますし、偶然偶然、ビギナーズラックですよ、もっかいいきましょ!」
もうすでにこのやり取りを二十回はしてるはずだ。どうやら彼らはその方面で意気投合したようだった。連戦連敗の伊知郎が単に極度のゲーム下手なのか、はたまたタケルが天才的ゲーマーなのか、興味なく傍で見ている朱莉には判断がつかなかったが、伊知郎は神に遊んでもらっている果報者であることには違いない。
「母さん、洗い物手伝うよ」程よく酔った頭で立ち上がる。
「いいわよ、あんたお皿割るし。どうせ家事なんてトーコちゃんに任せっきりで、なんにもやってないんでしょ」
「ぶぅ、……少しはやってるよ」
「じゃあ、これ終わったら一杯付き合ってよ。私、全然呑んでないんだから」
周防家の女は代々なぜか酒飲みである。もっともその酒飲みの女を好くのが周防家の男であるから、ともいえるのだが。
「母さんも嫌だったんでしょ、霊感応力とか」
「まあ、そうね。いいことなんてあんまりなかったけど、でもおかげで沢山出会いがあった。あの人たちや、お父さんと会えたのもそうだしね」
「ポジティブだね。年の功ってやつ? それとも結果論? あたしはそんな風になれんわ」
「なあに、またなんかあったの? 彼氏とうまくいってない、とか?」
美智子は嫌らしい笑みを浮かべて、朱莉の顔を覗き込む。
母が何でも察知する能力に長けているとはいえ、気配くらいしか悟られてないだろうが、ドキリとした。クリスマス以来から妙玄とは喧嘩別れのようになって、修正の機会も逸したままだ。もやもやしていない訳がない。
「か……彼氏じゃないよ、友達、ってか知り合い。ちょっと喧嘩みたいになってさ」
「ほぉお。ふぅん、知り合いねぇ? わが娘ながら悪くはないと思うんだけどなぁ」と美智子は鼻の下を伸ばし横目で朱莉を捉える。
「な、ないない、ないって! ホントあたしに言い寄ってくるのなんて霊ばっかりだって、自分が死んでることわかってるのにいつまでも逝かない奴とかさ。何を探してんだか――そいつさ、こーんなトサカみたいな頭してて髪の毛真っ赤っかでさ、悪い奴じゃないんだけど急いでるのに毎日声かけてきたり、ホント煩くてさ」これ以上心を読まれるのは勘弁だと、話題の軌道を変えようとミノルの話を出汁にした。
「あはは、いるよねぇ。母さんも若いときよくナンパされたのよ」
「ああ、はいはいー、昔はモテた発言! おつでーす」日本酒の猪口を目の高さまで掲げてお道化る。「どうせ霊にでしょ?」
ダイニングで繰り広げられた二人だけの宴は朝方まで続き、リビングではついに伊知郎とタケルが舟を漕ぎだした。しかしそれでも伊知郎はタケルに勝てず、タケルは伊知郎に勝ち続けていた。
「あんた、明日また仕事出るんでしょ、大丈夫なの?」
「大丈夫だって、若いからね……それに今から寝たら余計眠くなるし、いいよ」
一年に一度くらい、こんな日があってもいいと思った。母とここまで話し込むなどとは思っていなかった。
母のモテ期を茶化してみたものの、母も若いころはそれなりに綺麗だったことは認めるし、父と出会う前に恋人の一人や二人、時代を考えればいただろうと思う。
霊感応力というものを持ちながらも、母はこうして普通の女性のように家庭を持ち、築いてきた。兄の存在は普通でないにしても、自分はこの家の娘なのだという事に今更ながら胸が熱くなり、幸せな気分に満たされ、家族愛というものを感じる。
「母さんはさぁ、小さいころから月夜さんのこと視えてたんでしょ?」
「うん、おばあちゃんが忙しくて私に構ってくれないときとかも、一緒によく遊んでくれたわ。悩みを聞いてくれたり、励ましてくれたり、いっぱい助けてくれた。ふふ、手がかかる子だって思われてるかもしれないけどね」
正面を向いて問いかけながらも、頭はグルングルンと回っているようだった。実家という安心できる空間では、いつもよりも回りが早いのだなと思った。
「鞠さんとはだいぶ違うよねぇ……あたし、そんな優しくしてもらってないよ」
「そんなことないんじゃない? 朱莉が気付いてないだけで、鞠さんだって朱莉のことは自分のことのように大事に思ってるわよ」
「そおかなぁ……なんか、いつも騙されてるっちうか、はぐらかされてるっちうか……なんか、からかわれてるみたいで……なんか、うまくいえにゃい……」
「ふうんそぉなの? 私たちには姿も声も見せてくれないからわかんないけど、月夜さんから聞く限りでは、いい人だと思うわよ、朱莉の事よくわかってるなぁって――大丈夫よ、守護霊様はぜったいにあなたを裏切らない。いつも味方よ。お父さんとお母さんと同じようにね……ん……あ、寝ちゃったか」
美智子はテーブルに伏せる朱莉に毛布を掛け、よしと背筋を伸ばす。
「すっかり歳取っちゃったおばさんだけど、君がいるなら会いに行かなくちゃね……」と再び台所に立った。
「えーお弁当なんていいよ……ってデカっ!」
「お正月から仕事なんだから、おせちくらいみんな食べたいでしょ、せっかく作ったんだから持っていきなさい」
昨晩はすっかり酔いが回って寝落ちしてしまったが、かろうじて二日酔いにならずに済んでいた。正月早々出勤も嬉しくはないが、二日酔いの仕事程嫌なものもないと思う。
しかし、母はあれから寝ずにおせちのお重を詰めていたのだろうかと思うと、頭が下がる。それに今目の前の母は着物を着て身支度を完璧に整えている。
「あれ、母さんも出かけるの? 父さんは?」
「あのぶんじゃ昼まで起きないでしょ、とりあえずタケル君たちに留守番頼んでおいたから」
一緒に家を出て駅まで向かい、電車で揺られること十五分。
朱莉と美智子は朝からの初詣客に混じり、笠鷺八幡宮駅で降りる。元日の朝はどの店もまだ閉まっていて、静かなものだ。昨晩ほどの喧騒はなく、めいめいに着物を着た家族連れや老夫婦などがのんびりとした足取りで、笑顔を交えながら八幡宮への参道を歩いてゆく。
「――ねえ、母さんも八幡宮に何がいるかなんてわかってるんでしょ、なんで初詣なんて行くの?」
「御挨拶に行くのはそっちじゃないの。それに、これはお父さんには内緒だからね? いい?」
「なにそれ……?」
「朱莉はそっちでしょ、じゃ、ここで。お仕事頑張ってね! 今夜はスキヤキするからねぇ! まっすぐ帰ってくるのよ?」
「って、ちょっとぉ!」
事情を聴く暇を与えないまま手を振り、美智子は朱莉の職場への道と逆の、八幡宮参道の方へと歩いて行ってしまった。




