第十一話 マジ惚れちまったぜ 4
「おめでとうさん! いるかい?」と玄関先で呼ぶ男性の声がする。
「あっ、きたきた!」母はパタパタと迎えに出る。
おめでとうと言うにはまだ一時間以上ある。にわかに玄関先が騒がしくなる。
毎年恒例の年越し飲み会と称して、周防家には父や母の友人が集まってくるのだ。
「おお、朱莉ちゃん久しぶりだねぇ、おおきくなったなぁ」
「あ、篠山さん。ごぶさたしてますー! って、この歳の女子に言っちゃだめですよ、それ」恰幅のいい男の脇からひょいと姿を現し「何言ってんだい、こっちのほうだよ、ひっひ」と、胸の前で二つの山を象ったジェスチャーをするのは細身の中年男性、相原。
次いでがやがやと騒がしい女性の声。こちらもすっかり出来上がっている。
「鞠さーん、お線香持ってきたよ」と和服の美弥子に、「伊知郎ちゃーん、お姉さんが可愛がってあげるわよ、でてらっしゃーい」と妖艶な甘ったるい声を出す香水のきつい秋絵。
「あっ、アキさん! やっほー」
「おー朱莉ちゃん、ひっさしぶり! あら、綺麗になったじゃん」
慌てて朱莉の背に隠れたトーコが小声で耳打ちをしてくる。
(あ、あの……私ここに居て大丈夫なケースですか、これひょっとして)
(大丈夫よ、みんな霊感応力者の人たちばかりだから。毎年こうなのよね、うち……昔は嫌だったけど)
「おお、ミケランジェロは三毛猫なのにオスなのですか、こりゃあ珍しい」最後に現れた、髭面が特徴的な巨躯の外国人にミケランジェロが捕まっている。与鶴市で獣医をしているローエンである。
(ちょっと、まって! ボクりんにもジンケンってのがあるんだから、そんなに股間みないで! あ、ちょっと、あっ、あー! らめー!)
狭い家に、八人の多様な老若男女とそれに加え、各々の守護霊が一対ずつ、しゃべる猫に、山神の少年が一柱、と小人の少女が一人にニートの霊体人。年末の周防家は何時にもまして奇妙な集団により犇めきあっていた。もしも外側からこれを見ることが出来るなら、ちょっとしたホラーハウスである。
「へぇ、あんたが樋井さんなの? なかなか男前じゃない」と紅を引いた大きな口を歪める美弥子は、物珍しそうにタケルを見て言う。
「まさかこんなとこに樋井のご神体がおわすとは、誰も信じめぇよ。時にあの牛頭野郎はどうしてるよ、誰か最近視たか?」と周囲に目配せしながら、篠山はなみなみと注いだ酒を一気に飲み干す。
「あ、あたし今年の秋に見かけたよ。それがさぁ、六本に増えてた」スナックのチーママ風の秋絵がケタケタと笑う。六本とは腕のことだろう。朱莉が最後に見たときは四本だった。
「六本って、そりゃまた成長しやがったな」
「ええ? 私が小さいころは二本だったわよ」母がキッチンから言う。
「ああ、美智子さん笠鷺の生まれだったっけ? 最近はまたパワースポット巡りとか盛んだからね。しかし、奴の雑念集めもほどほどにしとかんと、そのうち韻枢師にやられちまうぞ」相原が煙草に火をつけながら言う。そしてそれに乗りかかるように父が冗談めかして「じゃあ、トーコちゃん、手始めにあの牛頭野郎を解いちまうか?」などと笑う。
(えっ! ……わ、わたしが?)さすがにこれにはトーコも面食らう。まさか神に相当する存在を分解するなどと、平気な顔をして言うこの人たちは何だろうかと思ったようだ。
「しかしお嬢ちゃんは、珍しい付喪神だなぁ。まるで人間みたいに話すんだな? なあ朱莉ちゃん」と篠山が朱莉に目を向ける。
「あ……や、それは……」まずいと思った気持ちが顔に出てしまったのだろう、即座にトーコは(私は人のおそばに居ることが多かったからですよ。人形でも話しかけられて愛してもらえれば、ちゃんとその気持ちは受け取ってます。どーですか、この振袖可愛いでしょう?)とテーブルの上で袖を振ってくるくると回り出す。
篠山はその様子にやんやと喜び、それ以上の追及をしなかった。
トーコが自分がこうなった経緯を一から話すことを嫌がったのもあるだろうが、なによりこの場に陰鬱な話題を持ち込むのを避けようとして、自ら人形としてふるまったのだ。
(トーコ、ごめん……)
(んー? なんですか?)
(なんか――――)
(――――私、楽しいですよ。家族や仲のいい人たちが集まって笑いあってる場所に、またこうして受け入れられてるってことが。みんな私のことが見えていて、存在を認めてくれてるんですよ。私の話を聞いてくれてるんですよ。だから今は和久井沓子じゃなくてトーコでいいんです)
霊感応力者たちの繰り広げる宴は哄笑に包まれていた。
朱莉も成人してからはここに加わるようになって、色々なことを学んだ。朱莉が霊感応力に目覚めるまでは、伏せられてきた集まりであり、いつもただ煩い人たちだと思っていた。
彼らは韻枢師や法程師ではないものの、同じ霊感応力者としての迷いや悩みを分かち合い、時に情報を共有し、助け合って生きている。
この世界を避けてきたとはいえ、当時駆け出しの霊感応力者の朱莉にとっては心強い先輩だともいえた。特にこの中でも歳の近い秋絵のことを、朱莉は「アキさん」と姉のように慕っており、両親には相談できないことなどに乗ってもらうなど、ずいぶん助けられていた。
「で、どうよ朱莉ちゃん?」
「どうって、なに?」
「これよ、オ・ト・コ、印象変わったから、なんかいい影響でもあったかな、と」
親指を立てつつ、むふふと笑みを浮かべる秋絵に警戒する。最後に秋絵と会ったのは去年の春くらいだから、彼女からすると髪の色や服のセンスなど、随分容姿が変わったように見えるのだろう。
「もう、そんなのじゃないって。この一年は仕事覚えるので手一杯、葬儀屋が金髪なんてだめでしょ」
「ははっ、そりゃまそうだけど。花の命は短しや、いざ恋せよ乙女、っていうじゃない? いいからオネェさんに話してみな」秋絵は色恋沙汰の話を聞くのが好きなのだ。ないと言ってるのに訊き出そうとする。
「――そんなの誰が言ったんですか。それを言うなら“苦しきことのみ多かりき”、でしょ。若いってだけでポンポン恋が向こうからやってくるなんてないない――そりゃあアキさんはモテたと思うけどさ」
朱莉は秋絵の正確な年齢を知らなかったが、彼女の容姿は三十前後と言ったところ。その麗しくも怪し気な色香を纏う外見と、手練手管に長けた弁舌は、これまでに何人もの男性を骨抜きにしてきたであろうことを窺わせる。
「あは、モテなかったと言えば嘘だけどねぇ。けど、かといって意中の人と結ばれるかっていうとそれは別の話よ」
「む……だって、分母が大きければ確率だって上がるじゃないですかぁ」
秋絵は一拍置き、やや戸惑い言葉の意味の咀嚼に時間がかかった。朱莉は経験豊富な秋絵の自慢とも取れる言い様に多少なり不機嫌な素振りをして反論したのだ。それを理解して秋絵は歯を見せて笑った。
「あっはっは! 朱莉ちゃんその考え方ダサ過ぎ!」
「だっ、ダサい? なんなのそれ!」
「人を好きになるってのはね――いや、恋人ってのはね、そうやって選ぶものじゃないの。極大にして極小、唯一無二の極点、そこにしかない、ものなの。ましてあたしたちは霊感応力者でしょ、それが人に妥協してどーすんのって」
「ええ? なにいってんのか全然わかんない!」
「勘よ、勘。ビビッっとくるものなの、運命の人ってのはね!」
「じゃ、じゃあ、アキさんはビビッっときてるの?」
「ふっ、残念ながらまだよね。でも大丈夫よ、あたしくらいになれば一人や二人、いやさ五人や十人が空振りでも、最早落ち込まないのよ」
「――なんか、ポジティブに言ってるだけで、結局……っおあ!」
言いかけた朱莉は秋絵が電光石火で繰り出した二本指でズビシと目つぶしをくらい、後に続く言葉を失った。




