第十話 欲しいのはあなただけ 4
美玲に仕事の電話だと偽り、麻邦へと連絡を取る。
麻邦なら霊界のしがらみに囚われず、問答無用で式の分解ができる。報酬はクリスマスパーティに招待してやるということで手を打てるだろうと考えた。
「がるぅうう! なんだよ、あいつ。肝心な時に電話に出やがらん!」
「朱莉さん、そんなに怒らないで。今日はクリスマス・イヴ。みんなが平和に幸せな気持ちになれる日なんだよ」
さすがにぶっ飛ばして気絶させようかと一瞬考えたが、美玲は天使のような笑みを浮かべて、一足先に部屋の前へと駆けてゆく。
とりあえずミケランジェロは見た目ただのネコだし、タケルのことは親戚の子だと言っておけば良いかと、ぎりぎりのところまで譲歩しようと考える。しかし、約束のケーキも買って帰らず、あげく人形のふりをしておとなしくしていろなどと言った暁には、トーコの逆鱗に触れることは避けられないと戦慄する。
この板挟み状態。修羅場。四面楚歌。
(鞠さん! こうなったらシャイニングテレブースト・バーミリオンよっ!)
(え、なに? なんだっけ、それ?)
(もうっ、前にやった高速で動く技! できるでしょ)
(あーあれね。うふ……なんか、やり方忘れちゃったわ)
鞠はこの状況を楽しんでいる。協力する気もまして助ける気もない。なるようになって荒れようが、ただの傍観者に徹するつもりでいる。
(こっのぉおおお、腐れ外道が!)
とは口に出して言ってないが、思ったとたん、ドアが開いた。鞠が開けたのだ。
「朱莉さん? ドアが勝手に開いたよ?」
「……アハハ、うち、自動ドアなのよね! 高級マンションだから!」
「うわぁ、すごいすごい!」
何の疑問もなく、まるで自分の部屋に入るかのような自然な所作で、美玲はドアをくぐる。そこへ飛び込んでくるのが宙を飛んできたトーコである。
(シュリ様ぁー! ケーキ買ってきてくれましたぁ?)
(あっはは、ごめんねー、遅くなって!)
(シュリ様? お客様ですか?)
(いっや、その、ね。ああ、この子、友達の美玲ちゃん)
(なんで紹介しながら目隠ししてるんですか?)
「朱莉さん、そんな、急に大胆な……」
「美玲ちゃん。そのまま前に進んでいって。あたしからのクリスマスプレゼントがあるんだ」朱莉は美玲の背後にぴたりとつけ、両手で目隠しをし前に進むように促す。
「わぁ、素敵! 朱莉さん、やっぱりちゃんと私のこと考えてくれてたんだね!」
目隠しをされたままの美玲は、両手を握り合わせたまま、おぼつかない足取りでリビングを通り抜けテラスへと進んでゆく。
(あかりん? なにやってるの)とミケランジェロが朱莉を見上げて目を細める。リビングのソファにはタケルが座っており、同じく並んで歩く二人を怪訝なまなざしで追っている。
(トーコ! テラスの窓開けて! おねがい)
(帰るなりいきなりなんなんですか、もう……お客様呼ぶならそれはそれで……)
「美玲ちゃん、足元段差あるから気を付けてね」
「うん……」
(トーコ! トーコ! 部屋の明かり全部消して! はやく!)
訳が分からないトーコは唇を尖らせながら、しぶしぶ朱莉の言うように室内の電灯を消す。あたりは真っ暗闇になり、マンション最上階から望む笠鷺の街の明かりだけがきらめいていた。
朱莉はそっと美玲の目を覆っていた両掌を離す。
「わぁ……」美玲はテラスの柵にしがみついて身を乗り出し、目を輝かせた。
星が降ってきたような街の灯はちらちらと揺れながら、色とりどりの光を地上一面に広げている。
美玲の背後で(よし)とガッツポーズを作り、後ずさりつつ次の一手を思索していると、背中にどんと当たるものがあった。慌てて振り向くと、そこには真っ黒な何かがあった。
「これはこれはシュリ様、今宵もよい月ですな」
その者はいつもの黒づくめではあったが、まるで忠実な執事のようにイブニングコートを羽織り、シルクハットを胸に、恭しく頭を下げる。長い髪はオールバックできれいにまとめられており、蒼白の透き通るような顔付は月明かりに照らされ、なお一層美麗に映えていた。
(あ、麻邦! あんたこっちに来てたのか!)
「ああ、飛騨さんはまだお帰りではなかったので……おや? 何故念話ですか?」
一応飛騨の家にも行っていたのだなと思いつつ、朱莉は麻邦のつま先から頭の天辺までを確認すると(ふむ……麻邦、今夜はクリスマス・イブよ。今日は特別にあんたがここにいることは咎めないから、この子の前では執事のセバスチャンと名乗りなさい)と指令を告げる。
(執事、セバスチャン……でございますか?)
(そして隙を見てあの子とあたしの間にに形成されてる思縁法鼎式を分解して! その後はこの美少女を煮るなり焼くなり、好きにするがいいわ!)
(シュリ様……私を何だと思ってるんですか)
(変態紳士っ!)
やや間があって、さすがの麻邦も面食らったかと朱莉は危惧したが、見れば麻邦の方は小刻みに震えており、笑いをこらえているかのようである。
(くっ、くく……左様でございますか。朱莉さんのゲス具合に私の胸懐はさざ波のように打ち震えておりますよ。――――しかと承りました。このセバスチャンめにお任せを、十分で終わらせてみせましょう)麻邦は胸に手を当ててお辞儀をした。
(ちょっとぉ! 朱莉ちゃん!)鞠が咎めるも、朱莉はさっきの仕返しとばかりに(麻邦さんが自らの力をもって彼女を振り向かせるというのであれば、それは通常の人としてあるべき、称賛に値する行為、すなわち略奪愛! 何の不都合もないわ)
(でも人の心を弄ぶことよ!)
(フッ、弄ぶ……あたしの目には何も見えないし、何が起きたのかはわからない。遊びに来た女友達が、うちのイケメン執事に一目ぼれして恋に落ちた、ただそれだけのことじゃない? そもそもがなかった恋なのよ、弄ばれたのはむしろあたしのほうだわ!)
セバスチャンこと麻邦沙助は美玲と対面し、膝を折り自己紹介をしている。室内の窓に張り付き外の様子を窺うトーコに、朱莉は窓越しから念話で耳打ちをし"今回の設定"を告げる。
(なんでそんな小芝居やらなきゃいけないんですか!)
(相手は一般人なの! 穏便に事を済ませるにはこれしかないの! クリスマスの余興よ!)
鞠の気配がなくなった。大方ふてくされているのだろう。こうなれば大抵、ほとぼりが冷めるまで鏡の部屋に引きこもって出てこない。
朱莉は美玲の両手をとり、瞳を見つめて真剣な声で伝える。
「美玲ちゃん、ずっと黙っていてごめん――実はあたしはこの世界の人間じゃないの。今迄は世を忍ぶ仮の姿だったの」衝撃の告白。
「えっ、どういうこと? 朱莉さん?」
朱莉は一拍おいて大きく息を吸い、物々しく腰を落として片膝をつき、リビングに待機していた面々を紹介する。
「ここにおわすは魔法王国の王子、ヒノイターケル十六世。次期王国の王となられるお方。あたしは魔法王国から殿下の従者として来たシュリ・バーミリオン。そしてこっちの黒服が執事のセバスチャン、そこに浮いてるのが妖精のトーコ、で、猫のミケランジェロよ」
それを聞いた美玲は目を白黒させながら、慌てて両ひざをついて土下座の姿勢をとった。
ソファに座ってポテトチップスを食べていただけのタケルだが、さすがは神である。何の予備知識もない美玲を自然に跪かせてしまう威光がある。
(タケル、セリフ! さっき教えた通りに言うのよ!)念話をタケルに飛ばしながら、顎で発言を促す。
「あ、ああ……苦しゅうない。チン? はそなたと会えてうれしく思うぞ、おもてをあげよ。こたびは人間界のく……、く?」
(クリスマスっ!)
「ああ……くりすだす、とやらを一度見てみたいとおもっての……」完全棒読みである。しかもやる気のなさがにじみ出ている。
(シュリ様、わたしは妖精なんですか? なんかセリフないんですか?)
(あんたはいいの! その辺飛び回ってアハハとかウフフとか笑ってればいいの! どっちにしても念話しかできないでしょ)
(あかりんあかりん!)ミケランジェロが朱莉のふくらはぎを叩いてくる。
(あんたは猫だって紹介したでしょ! 猫は喋らんでいいの!)
美玲はタケルの存在感に圧倒されつつ、口をぽかんと開けて宙に浮く妖精のトーコをぼんやり見ている。とんでもなく荒唐無稽な設定ではあったが、彼女は一気にファンタジー世界へ引き込まれていた。
「さ、美玲ちゃんこっちに座って。みんなでケーキ食べましょ」朱莉は優しく彼女の肩に手を添え立ち上がらせて、リビングへと誘う。
「え、あ、でも……王子様となんて……畏れ多くて」
(あかりんあかりん!)まだミケランジェロがヒタヒタと肉球を押し付け、朱莉の足にまとわりついている。
(ええい、だからあんたのセリフは……!)
(ちがうよあかりん、あれ、あのひと、チョー怖いんだけど……)
ミケランジェロが指し示す視線の先には、彼女の、美玲の守護霊がいた。そして迂闊にも完全に目が合ってしまった。さっきからさんざん念話であちこちに話しかけていたのだ。向こうから内容が聞き取れずとも、よからぬ企みがあることは気づいているのだろう。
いつも饅頭みたいな顔をしていた人のよさそうなおっさんは、岩石のように険しく、怒りに満ち溢れた表情で朱莉のことを睨んでいた。




