第八話 たいていのことはへっちゃらよね 8
警察の現場検証などで、ごたつきながらもひとまず通夜を終え、職員の半数は事情聴取を受け帰宅の許可が出ていたが、天華会館では、明日の告別式をこのまま執り行うか、という協議を遺族と行っていた。
茂木家としては“万全の態勢”で式を行いたいとの意向だったが、もしまたトラブルがあれば職員および会葬者の安全が確保できないという会館側の要請により、親族だけの参列にとどめ、最小限の葬儀とするという方針に落ち着こうとしていた。
「朱莉、もう帰ってもええねんで。おおよそ話はまとまったみたいやし、ウチはもう帰るけど?」
「ええ、先に帰っていてください。ちょっと気になることがあるんで」
「あんた……なんか視えてたんやろ」
「あ、やっぱりわかりました?」
「まあな、ほどほどにしとかなあかんで。ウチには解らん世界やけど、あんまり足突っ込んでもええ世界やとは思わんし……警察も不思議がっとったやろ、銃の弾頭がそのまま何にも当たらんと落ちとってんから……」
「たしかに、そうですね――あ、飛騨さん」
「うん? なんや?」
「時に助さんはどうしてますか?」
「仲よぉやってるよ。朱莉に言われた通り、犬の身体に入るのは用事のある時だけにするって言いつけは守ってるし、特に害はないよ。植丸さんの紹介で麻やんがきてくれてるし――また遊びに来て話聞いたってや」
「えっ! 飛騨さん、麻邦さん一緒に住んでるんですか?」
「アホいいな、んなわけないやろ。たまに来て相談がてら、一緒に酒飲んでるだけや」
(麻邦って寄生虫みたいなやつね)朱莉は眉を寄せて念話で呟き、(たぶん飲み食い出来るならどこでもいいのよ)と鞠が返す。
「ほな朱莉、また明日なぁ!」といって手を振り、飛騨は元気に帰ってゆく。霊に遭おうがヤクザと対峙しようが、どこまでもペースの乱れない背中に感心しながら、エントランスから少し外れた、街灯下の休憩所に腰かける人物の姿を見遣る。
葬儀場職員がこの夜更けの寒空に、僧侶と膝を突き合わせて語らう姿とは奇妙なものだ。そうも思いながら、観寧と向かい合うようにして、朱莉は腰を下ろす。
正面には年老いた僧侶と、ふてくされた表情でそっぽを向く学生服の少年、タケルである。姿を消したところを観寧の守護霊『翠滸』に取り押さえられたのだった。
さっきまで霊体で姿を現していたタケルは、実体に戻っている。どういう理屈で霊体と実体を取り換えられるのかまるで分らなかったが、そもそも彼についてそのあたりは、考えるだけ無駄なのかもしれない。
朱莉を確認するも、タケルは顔を向けることをしない。
朱莉は構わず彼に向かって頭を下げる。
「先ほどはありがとうございました。天華会館を代表してお礼を申し上げます。それから昨日の非礼をお詫び致します。申し訳ございません――緋埜伊の神様」
ピクリとタケルは背筋を伸ばす。
「――――っ……へぇ、意外と殊勝なんだね。お姉さんはもっとガサツで礼儀知らずなのかと思ってたよ」タケルは横目でちらと朱莉を見遣る。
「あ……あの時は、霊に憑かれていたもので……」努めて平静を装う。
「まあ、基本的に霊は親和性の高い者を見定めて、好んで憑くんだけどね。別に無理しなくてもいいよ、僕のことはタケルで構わない」
タケルは鼻を鳴らして朱莉のことを見つめる。朱莉は口を噤み、視線を逸らす。
「朱莉よ、もうだいたい、どういう事かはわかっておるということじゃな」観寧は杖に両手を置いて、横目で朱莉のことを見る。同時に鞠のことも視ているはずだ。朱莉は頷く。
「ええ、昔おじいちゃんたちが木の上のやぐらに、樋井塚の代わりになる場を作ったって……」
「寛治から聞いたか……まあ、そうじゃな。わしにはタケルが視えとったからじゃが、寛治らも半分は面白がって、もともと此処の神様なんだからって祀っとった。子供の頃のわしらからしたら、自分たちの秘密基地に、神聖な意味づけがされる感覚に酔っていただけなんじゃろうがな」
観寧は懐かしいといった視線を夜空に向け、笑みを浮かべた。タケルはそれを気恥ずかしいと思ったのか「もらいっぱなし、というのは気持ちが悪いものだからね。六郎、兵太郎、喜助……もうこの世にはいないけど、彼らにもちゃんとツケを返せてよかった。あとは勘吉だけだよ」と、顎をしゃくる。
「ツケを返す?」
「彼らが心から望んだ奇跡を一度だけ叶えてあげた。僕が出来る事だけだけどね」一寸得意げ、といった表情を見せる。
「――ふん、わしのことは気にするな。ところで、お前、なんでその歳で容姿が止まっとるんじゃ。途中までわしらと一緒に成長してきただろうに」
霊の容姿は自由に変更できるので、そもそも何か一定の姿にこだわる必要はない。あえて定形をとっている霊はその姿にこだわりがあるか、生前の印象が深いか、無意識にしている場合がほとんどだ。観寧が言うように、タケルが同じように年月を意識して、容姿を変えていたとすれば、老人の容姿になっているはずだった。
「ははっ、そんな簡単なこともわからないのかい? 僕はもともとこの歳で死んだから、これ以上成長した姿を思い浮かべることが出来ないってだけさ――」タケルは膝の上で組んだ両手を見つめながら呟く。
言われてみればその通りだ。トーコが中学生の容姿で止まっているのも頷ける。
「――それに、……僕はもう、神様なんかじゃない。忘れられた神なんて……何の価値もない」
タケルは顔を上げ、朱莉に鋭利な視線を向けている。
「その事なんだけど……」朱莉は口を開きかけたが、それを遮るかのように「僕は因果の理から脱落したんだ。要は存在として無意味ってことさ。僕が存在し得るのは僕の中にある因果の清算、つまり最後に僕を覚えていてくれていた人達への恩返しでしかない。僕らのような神格化した霊体はそのようにして存在してるんだよ」
現世に居残り自分の存在価値を見失った者は、自我意識を失い、無意味なルーティンを繰り返す出来の悪い仕掛け人形となるか、親和性の高い様々な怨念と融合してゆき、自ら変質、変化し、本来の存在意義も忘れて悪霊となることがほとんどだ。
タケルも元はただの霊体であったはずだ。ただし自らを自らの意思で地上に繋ぎとめた、自縄自縛の霊である。だからこそ人は彼のような霊を崇拝の対象にして、霊性の純化を促した。
神前に酒が奉納されるのは、地上にとどまった霊が米粒のように磨き上げられ、やがて熟成し、変質し酒となる様子が、神の生成過程と同じだと考えられてきたからである。古代の人間はそのような理を肌で感じて知っていた。
「祠や社といった、神域、聖域という人間が作った結界は外部からの邪念の侵入を阻むと同時に、神を縛り付ける役目も持っておる。天上霊界から切り離された彼らは、その純粋さゆえに神たりえる。人間の欲望の詰まった願いを一方的に押し付けられるような神も多いがな……。世間でいうタケルのような山神は、その土地に住む者の心の拠り所になるんじゃ。その思い、すなわち人々の念は、彼自身を支える。そうして神と人は永く共存してきた。それを人身御供だと人は言うかもしれんが、霊体としてそこに留まろうとしたのはタケルの意思じゃ。そうじゃろう?」
タケルは静かに頷く。そして口を開く。
「なんにでも終わりはある。霊のことなんて何も知らない人間ですら、上手い事を言うじゃないか“人々の記憶から忘れられた時がその人の本当の死である”なんてさ……」
信仰を失った神、それはすなわち忘れられる存在。永らく地上の人々の、純朴な念に支えられて自意識を保ってきた特殊な霊体、地上の神。明治期以降、彼らのような多くの神が、自らを縛り、その住処とした場所を奪われ、やがて霊体を目にすることができない人々から存在を認識されなくなり、念を送られることもなくなる。
朱莉の頭の中に、妙玄――桜坂玄人の唄がリフレインする。
――僕は忘れない、そうすれば消えることはない、この想いも、願いも、君は君で、僕は僕で、僕と君は僕と君のまま永遠であり続けられる――
「で、あなたはそのまま消えちゃってもいいって言うの?」
「もう存在する意味がないんだ、僕は。だから消えるしかない。それが因果の理だよ」
「そんなことないと思うよ」
「そんなことあるさ。それにもうこの国はダメだよ、僕のような金剛要礎を守っていた神が、次々と人から忘れられて、消えつつあるんだ……」
朱莉はおもむろに立ち上がり、腰に手を当て少年の正面に立ちはだかっていた。
「はは、義理堅さだけが取り柄の地の神様が、自分の縄張りほったらかしてリタイヤなんて格好つかないじゃない? あとを中学生の女の子に押し付けてそれでいいっていうの?」
「……なんの、ことだよ」
「あんたの代わりにうちのトーコがあの場に留まろうとしてるのよ。散々ひねくれたくせに、更正した不良少女みたいに甲斐甲斐しくこの街を守りたいなんてね、それでも今後、誰もあの子の事を神だなんて認めることはないのよ。彼女が金剛要礎の守り人になったところで、その後に悪霊に念力場として利用されることになるかもしれないのよ。あたしの後ろのおばさんにそそのかされて、なんの確証もなく見切り発車で、バカな考えよ――――けど、あんたよりは百倍ましだわ!」
覚悟していた衝撃が後ろから来ないことに不気味さを感じたが、それでも言ってやるつもりだった。あれら一連の行為が、鞠が自分を焚き付けるためにやったことだとは解ってる。恨み言の一つや二つ言ったところで足りない。
「たとえ――たとえ、あんたがお爺ちゃんにツケを払ってしまって、誰からも忘れられたと思って、それであんたはあんたを知る者が居なくなったと考えるかもしれないけど、今度はあたしが覚えてる。あたしはあんたのことを忘れない、だからあんたは消えることなんて出来ないのよ!」
「君が僕を? 嗤わせるなよ、君一人で何が出来る? 人は忘れるものだよ……」
嘲るような視線をかろうじて朱莉に向けるタケルの唇は震えている。それを見た瞬間、こめかみの奥がドクンと熱を持ち、タケルに向かって腕を伸ばしていた。
「――あたしが覚えてるってんだ、あたしが覚えておいてやる! あたしがあんたを認めてやる!」渾身の力で、タケルの学生服の胸ぐらをつかみあげる。
「っなんだよ! はなせよ!」
タケルは渾身の力で上体を起こし、朱莉に反発し、押し返す。
「よく言うよ! 君たちは僕の代わりを立てようとしたんじゃないか。僕は、用無しなんだろ? 人は勝手だ。自分たちの都合で僕を祀り上げて、自分たちの都合のいいように神を作り変え、傀儡の神を量産して、利用してきた。そうだろ! っ勝手にすりゃあいいだろ!」
「だから何だっていうのよ! このっ!」
燃えるような瞳でタケルを捉えた朱莉は、さらに詰め寄る。もうこれ以上下がることは出来なくなって、タケルはベンチへと押し戻されてしまう。ベンチが転び、がしゃんと夜の闇に物騒な音が響く。
「あんたが居場所を失い念力場を失った事には同情するわよ。あんたがこのまま力場を失って、雑霊のクズになってしまったところであたしは失うものなんてない。だけどね、あんたのツケを背負い込むなんて正直面倒なのよ! あんたはあんたの仕事をしろよ! うちの家族に迷惑かけるんじゃないよ、神様だろ! 腐ってんじゃないよ!」
座っていたベンチを失った観寧は立ち上がり「朱莉よ、相手は神様じゃ、ちょっとは物言いに配慮せんか……」と深いため息をつく。
息を荒くし、うなだれるタケルを見下ろし立ち尽くす。
「い……言い返すことは、ないの、ええ?」同じく朱莉も息が上がっている。
タケルからの返答はない。
「おおそうじゃ! 思い出した」突然、観寧が鼓を打ち、白い息を吐きながら「こんな時になんじゃがタケルよ、わしから神様に一生に一度のお願い事をしよう、聞いてくれるか?」と言いだす。
タケルは居住まいを正し、複雑な表情から無理に笑顔を作って観寧へと体を向ける。
「……ああ、構わないよ。観吉の願いを聞けば僕の仕事は終わりだ。悪いけどお姉さんに義理立てするつもりはないんだ――で、観吉の願いって何だい? 僕に出来る事ならするよ」
「簡単な事じゃ――タケル、朱莉の部屋に住んでやってくれ」
「え…………?」
タケルが唖然とする傍らで、朱莉は夜空を見上げて白い息を細長く吐き出した。
「はっ……ははっ――いいんじゃない、もともとあんたの家なんでしょ?」
タケルは上目遣いで眉間にしわを寄せたまま、朱莉の姿を見据えていた。朱莉は朱莉で頬の引きつりは寒さのせいだと、自分に言い聞かせていた。
「でも、それは……! だっ、だいたい、あそこには今は君たちが住んでるだろっ……!」タケルは困惑気味に顔を赤くして、両手を広げて全力で抗う。朱莉は鼻から息を吸い、一度目を瞑り、観念しなさいとでもいうように息を吐く。
「あんたは神様なのにそんな簡単なことも解らないのね? あたしたちと一緒に住めばいいじゃない……馬鹿ね」朱莉はゴロンと首を不自然に傾け、相手を吸い込むような視線でタケルをとらえる。
タケルは目を丸くし、助けを求めるように観寧の方に向き直ったが、すでに観寧の姿はそこにはなく、ちらちらと雪が舞い降りる闇が広がっているだけだった。




